霧島は一敗のまま、優勝争いの単独トップに立ち、二敗の北勝海との対決になりました。
『立ち合い、北勝海関が低く当たってから、両差しになった。しかし私は両上手を引いてしのぎ、機を見て右から出し投げを打ちながら左を巻きかえ頭をつけた。そして北勝海関の体を少しずつ浮き上がらせておき、思い切り吊り上げて土俵の外に運んだ。』 ― 霧島一博『踏まれた麦は強くなる』(ザ・マサダ刊)から『この優勝は序ノ口から数えて九十六場所目。初優勝までの所要場所数では最長記録だった。また、三十一歳九ヶ月での初優勝というのも、現行の年六場所制になってからの最長記録だという。』(同上)