さらに四日目も、新鋭貴花田を出し投げで破りました。
その後も霧島は、必死の土俵をつとめ、数々の名勝負を残しましたが、腰、肘、足と次々に襲ってくる怪我には、ついに勝てず、一場所負け越しのあと二場所にまたがった休場の結果、四年間守りぬいた大関の座を降りることになってしまったのです。
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