○霧島 ― ●時津洋   下手ひねり
平成8年(1996)初場所千秋楽

『[前日の]反省もあって私は、勝とうが負けようが、自分の相撲を取ろうと心に決めていた。…まさに、崖っぷちの一番である。土俵に上がった途端、国技館に万雷の拍手が沸き起こった…立ち合い、私は低くいって時津洋の前みつを取った。そして、二本入ったところでグっと引きつけ[1]寄るように見せてから、下手ひねりにいった。[2]これが決まって、私は首の皮一枚のところで幕内に留まることができた。』
霧島一博『踏まれた麦は強くなる』より


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 このような「首の皮一枚の」苦闘を三年にわたって続けたあと、平成八年の春場所を最後に、全世界のファンに惜しまれながら、一世の名力士霧島は散ったのです。

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