(2002年9月25日発表)
―人生最良の日―
「横綱や、大関に上がったときよりも、十両に上がったときの方が何倍もうれしい」と誰もが口を揃えて言うが、私も例外ではない。筆舌に尽くしがたい喜び、というのは、おそらくああいうことを言うのだろう。師匠もこのように語っている、新十両になった嬉しさを、琉鵬もゆっくりとかみしめていることでしょう。1993年春場所に入門して、相撲の世界に足を踏み入れてから、九年半の忍耐を経て、ようやく関取になれたのです。これまでは無給で大部屋暮らしをしていたのが、同世代のサラリーマンよりずっと高額の給料がもらえるようになり、個室が与えられ、付け人がつき、ちゃんこ場ではほかの関取衆や親方といっしょに給仕つきの食事ができるようになります。公式の場では大銀杏、化粧まわし、絹の締め込みとなり、稽古でもまわしの色が黒から白にかわります。後援者からの付け届けも格段にちがって来るわけですが、応援に応えて立派な成績をあげるという義務も生じ、マスコミの応対も、また批判も多くなるので、ストレスはなみたいていのものではありません。― 霧島一博『踏まれた麦は強くなる』
この晩、郷里の沖縄へと飛行機に飛び乗って、秋場所十四日目に亡くなったおばあさん、浦崎ヨシさんの仏前にさっそくお詣りをし、それから挨拶まわりもしたのですが、シャイな琉鵬にとってはこれも馴れない試練だったことでしょう。琉球新報、沖縄タイムスなど、地元新聞の取材にも応じ、大きな記事として扱われていました。沖縄出身では、七年ぶり、四人目の関取だそうです。
十両土俵入りに臨む琉鵬 その後方に豊桜の顔も見える
この「ちゃんこ霧島」から贈られた化粧まわしは、名古屋場所での陸奥部屋宿舎として世話になっている安性寺の住職がデザインしたもの
まだ慣れない土俵入りに緊張している様子がうかがわれる
琉鵬は、NHK大相撲中継、九州場所二日目の中入り特集「新十両紹介」でインタービューを受けました。
しかしながら、九州場所の成績は不振で、位階の重圧に耐えていくことがどんなにつらく、口惜しく、苦しいことだったか、見ているものにも肌に感じられるほどでした。
でも、琉鵬はこんなことに負けているような人ではないはずです。ふだんの稽古で培われた実力を発揮し、落ち着いて自分の相撲を取り続けることができれば、将来は明るいといえます。