新しいサイトです。


 


霧島の断髪式


ホームページに戻る


 一世の名力士霧島の断髪式は、平成九年(1977)二月一日土曜日、一万一千人を超える大観衆の熱気の渦巻く、超満員の両国国技館で開催されました。

 力士にとって、永年親しんできた大銀杏を切るということは、相撲に明け、相撲に暮れてきた自分の前半生 に別れを告げることです。それを自らの意志で決行するというのは、大変なことだと思います。前年の三月二十四日、大阪場所の千秋楽に現役引退を発表した時 もそれ以後も、相撲人生に悔いはないと霧島は語り続けてきたのですが、本心はそんな割り切れたものではなかったことは明らかです。少しオーバーになります が、自身の告別式を自分で執り行うようなものだったと言えるのではないでしょうか。

 しかし霧島は、この引退披露準備のための雑事に追われながら、一年近くの日々を過ごしてきました。気の 遠くなるほどの数の人たちを訪ね歩いて、まげに鋏を入れてもらう依頼に回りました。入場券の売り捌きにまで自分で手を出さなければなりませんでした。あま りにも前評判が高すぎたので、切符はもう完全に売り切れだといううわさが早くから広まり、そんなことはありません、椅子席ならまだありますと説明を繰り返 したり、どうしても枡席のいい場所がほしいのだがなんとかならないかという注文に応対したり、まことにたいへんな毎日でした。それでも、「霧島という力士 がいたことを後々まで覚えていてもらえれば嬉しい」といいながら、これらの雑用をきわめて真面目にこなして行ったのです。

断髪式の前日、愛嬢の会梨佐さんと
 

当日の国技館入口
 

 

 当日は、朝早くから人々が詰め掛け、予定の十五分前に開場することになりました。大銀杏を結い、紋付袴の正装に 身を整えた霧島は、木戸口に出て、井筒親方(元関脇逆鉾)とともにみんなに挨拶していましたが、開場するやいなや、熱心なファンたちの大群集に取り囲ま れ、エントランスホールはたちまちのうちにいっぱいになってしまいました。

 

 

正装し、菜穂子夫人とともにお客さんたちを待つ霧島 会梨佐さんの顔も見える
 

 

 

当日朝、最後の大銀杏を結ってもらう霧島
 

 

その間、土俵の準備が進む 会場はすでに超満員

 披露大相撲は、次のような日程にしたがってとりおこなわれました。

幕下力士のトーナメント戦のあと、光法、豊桜をはじめ六人の力士が、霧島引退相撲甚句を披露
(この甚句については別ファイルに記述、音声も収録してあります)

十両土俵入の間、ぶつかり稽古を待つ霧島

ぶつかり稽古の土俵にあがる霧島
司会のNHK緒方アナウンサーが、「霧島のまわし姿が見られるのは、これが最後です」とコメント
 

井筒部屋の後輩、安芸ノ州とのぶつかり稽古

 

 

 

ふたたび正装に戻り、いよいよ始まる断髪式への出を待つ

 

 

花道奥で
 

土俵下
 

土俵にあがり、万雷の拍手に応えて一礼

 

断髪の椅子に着席、行司は式守勘太夫
 

断髪の行事が始まる
 

断髪の位置を教える勘太夫
 

 現役時代に霧島を支えてきた約270人の人たちが、名を呼ばれるたびに次々と土俵にあがり、大銀杏に鋏を入れて いきました。立錐の余地もない場内のあちこちから、「霧島、霧島」の掛け声が絶えずあがり、その中には涙声も多く、また、悲しみにたえきれなくてむせび泣 くファンたちの姿も多数見られました。

 

 

断髪式の進行を見守る会梨佐さんと菜穂子夫人
 

霧島のお父さん、吉永義光氏
  

横綱 曙

永年のライバルでもあった親友、小錦
 

土佐の海と寺尾
 

恩師の前井筒親方
 

万感胸にあふれて涙する霧島
 

留め鋏を入れる井筒親方
 

 

まげのなくなった霧島

満場のお客さんにあいさつ

家族はもちろん、観客も感慨無量
 

会梨佐さんから花束贈呈
 

花束を手にして観客に一礼
 

緒方アナウンサーの霧島回顧場内放送に聞き入る会場


 これで、二時間あまりを要した断髪の行事が終了し、幕内、横綱の土俵入りにつづいて幕内の取組に移るこ ろから、国技館を覆いつくしていた重たい空気はやっと少しずつ通常の相撲の雰囲気に戻っていきました。今の相撲と違って一人の休場者もなく、力士全員が 揃って霧島引退披露に協力していたことも特筆に値します。それにしても、この日の来場者にとっては、一世の名力士霧島を永久に失った悲しみは忘れるすべも なく、取組が進んでいくのを、まるで別世界の出来事のように、うつろな眼で眺めていた人たちも少なくなかったという印象は、今でも強く尾を引いて残ってい ます。
 


床山さんに整髪してもらう

会梨佐さんがネクタイをなおす
 
 

切り取られた大銀杏(自宅でウインドー内に保存されているもの)
 


 これで、大相撲のひとつの時代が終わったことは確かです。あの、錦絵のような四つ相撲、無類の切れ味の 出し投げから寄り切りに移るタイミングのよさ、どんな劣勢にあってもけっして勝負をあきらめず、花相撲でも手抜きをしたことのなかった名力士の姿は、一度 でも見た人の心に、永遠に残ることでしょう。
 
 

ホームページに戻る