2001年の陸奥部屋
両国国技館にもっとも近い相撲部屋として新しく誕生し、1998年2月15日に土俵開きをした陸奥部屋は、わずかの間に急成長を遂げ、2000年9月21日には立田川部屋の力士たちも移籍して来て、今では角界有数の大部屋となりました。
このページは、メンバーたちのことがよくわかるように構成してあります。各力士のデータのあとに、それぞれの素顔を描いていますが、この部分は、もちろん起草者の個人的見解です。
陸奥 一博(みちのく かずひろ)
師匠
元大関 霧島本名 吉永一美 1959年4月3日生
鹿児島県姶良郡牧園町出身 1975年春場所入門
最高位 東大関
優勝1回 殊勲賞3回 敢闘賞1回 技能賞4回 金星2
通算754勝696敗40休
通算出場回数 1450 (なお、いろいろの統計で、1447というのはまちがいです。)
勝率 52.0% (大関としての勝率は64.7%)
1996年3月24日引退 年寄錣山(しころやま)襲名
1997年5月 年寄勝ノ浦襲名
1997年12月 年寄陸奥襲名
拡大写真
敷島 勝盛(しきしま かつもり)
準年寄稽古場はもちろん、日常生活などでも見せるちょっとした体の動きかたを見ただけでも、長いあいだ上位でやって来た人だということが、すぐわかりますし、余裕十分の垢抜けた雰囲気をこの人はかもし出し、自分の生き方と人格とが完全にマッチしている人を見るときの安心感のようなものを感じさせるのです。ふだんはめがねをかけているのがちょっと残念ですが、威厳とエレガンスを兼ね備えているのがよくわかります。また、美声でも知られていて、相撲甚句の名手です。
本名 吉種弘道
1970年12月15日生 千葉県船橋市出身
1989年初場所初土俵
1994年九州場所入幕 幕内在位 28場所
2001年5月13日引退、翌日から準年寄となる最高位 前頭筆頭 通算416勝418敗37休
幕内戦歴 175勝228敗
通算出場回数 835 勝率 49.9%
金星2 (1998年春場所と夏場所、ともに貴乃花から)
得意技 左四つ、左差し、右上手、寄り切り、上手投げ
敷島の断髪式は、9月30日、国技館で開催され、四百人ほどの人たちが鋏を入れました。
福ノ里 邦男(ふくのさと くにお)
若者頭(わかいものがしら)
本名 福田邦男もともとは立田川部屋の若者頭だった人ですが、立田川部屋の正式併合に先立って、2000年の始めごろから陸奥部屋の稽古に立ち会い、陸奥親方とならんで稽古場に座り、熱心に指導をしています。稽古の間は注意深くみんなの様子を観察し、こまめにノートをとっていたのが印象的です。静かな人で、弟子たちに注意をする時も声を荒らげたりすることはありません。なにごとも実に良心的になしとげるといった感じが眼に見え、この人がそこにいるだけで安心感を与えるのです。
1961年6月4日生 岩手県出身
最高位 十両13 通算333勝294敗7休
星誕期 偉真智(ほしたんご いまち)
西幕下十一枚目旧陸奥部屋時代からの生え抜き、最先輩力士としての責任感は十分もっています。膝と肘の故障がまだよくなっていないようですが、「でも何でもない、ダイジョウブヨ」などと、そんなことは気にしていられないという調子でくりかえしています。とにかく相撲では、「できるかぎりのことをやるしかない、運不運などない、実力がすべてで、成績や番付順はそれで決まるもの」と割り切ったことを言います。ベテランのことですから、負けが重なっても番付が落ちても、「それはよくあること」で、あまり気にしていないように見えます。陽気な性格ですが、実際は神経質で、ピリピリしていて、衝動的で怒りっぽいところがあります。このあたりは、ラテンアメリカそのもののように見えるのですが、これは本人には言えません。「外人は顔だけ、心は日本人」だと確信しているらしく、ガイジンだといわれると本気で腹をたてるのです。歌はさすがに上手で、カラオケでは大将格だそうです。
本名 星 誕期(ほし たんご) (2000年10月25日付で日本に帰化)
前名 イマチ・マルセロ・サロモン (Imach Marcello Salomon)
1965年9月5日生
アルゼンチン、ブエノスアイレス出身
1987年夏場所入門
184cm 164kg
2000年秋場所 東幕下八枚目 6勝1敗
2000年九州場所 西幕下筆頭 3勝4敗
2001年初場所 東幕下七枚目 3勝4敗
2001年春場所 西幕下十三枚目 5勝2敗
2001年夏場所 東幕下七枚目 3勝4敗
2001年名古屋場所 東幕下十四枚目 4勝3敗
2001年秋場所 西幕下十一枚目 2勝5敗
最高位 十両3 通算383勝337敗11休
通算出場回数 720 勝率 53.2%
得意技 突き押し
豊桜 嘉人(とよざくら よしひと)
東幕下四枚目敷島に次いで長い相撲人生を送ってきた人で、それは、怪我と不運との闘いだったのです。いかにも苦労人らしい、人間味と思いやりのある人格の持ち主です。心を開いての率直な人間関係をもてる人で、近寄りやすく、威張った顔はまったく見せません。はるか下の弟子たちへも寛容さと同情にあふれたまなざしを送っているのが印象的で、好感を呼びます。
本名 向 俊明
1974年3月12日生 広島市安佐北区出身
1989年春場所初土俵
182cm 135kg
2000年秋場所 西幕下筆頭 5勝2敗
2000年九州場所 西十両九枚目 8勝7敗
2001年初場所 西十両七枚目 5勝10敗
2001年春場所 西十両十一枚目 1勝3敗11休(3敗は不戦敗1をふくむ)
2001年夏場所 西幕下九枚目 公傷休場
2001年名古屋場所 西幕下九枚目 5勝2敗
2001年秋場所 東幕下四枚目 4勝3敗
最高位 十両7 通算297勝257敗27休
通算出場回数 554 勝率 53.6%
得意技 右四つ、突っ張り、右差し、左上手、寄り切り
十文字 友和(じゅうもんじ ともかず)
東十両二枚目いうまでもなく、現在の陸奥部屋では最上位の力士です。口数が少なく、よけいなことは言いませんが、穏やかな表情で、落ち着いていてしかも強さをそなえている人です。
元 階ケ嶽松太郎
本名 十文字友和
1976年6月9日生 青森県階上町出身
1992年九州場所初土俵
186cm 157kg
2000年秋場所 東十両二枚目 9勝6敗
2000年九州場所 西前頭十二枚目 5勝10敗
2001年初場所 東十両三枚目 8勝7敗
2001年春場所 西前頭十三枚目 9勝6敗
2001年夏場所 東前頭七枚目 7勝8敗
2001年名古屋場所 東前頭九枚目 4勝11敗(千秋楽の不戦敗をふくむ)
2001年秋場所 東十両二枚目 公傷休場
最高位 前頭7 通算253勝207敗15休
通算出場回数 460 勝率 55.0%
得意技 右四つ寄り、左上手、寄り切り
琉鵬 桂助(りゅうほう けいすけ)
西幕下二十七枚目見るからに真面目で、考え深そうな人です。よく眉をちょっとしかめているのが印象的です。自分で話すよりも相手の話をよく聴いているようで、常識にあふれた人格なのが眼に見えます。昔は沖縄の海で素潜りが得意だったという、根っからの琉球人です。
本名 浦崎桂助
1977年6月18日生 沖縄県中城村出身
1993年春場所初土俵
183cm 139.5kg
2000年秋場所 東幕下四十枚目 5勝2敗
2000年九州場所 東幕下二十一枚目 4勝3敗
2001年初場所 西幕下十六枚目 3勝4敗
2001年春場所 西幕下二十六枚目 3勝4敗
2001年夏場所 東幕下三十四枚目 3勝4敗
2001年名古屋場所 西幕下四十三枚目 5勝2敗
2001年秋場所 西幕下二十七枚目 4勝3敗
最高位 幕下16 通算185勝160敗12休
通算出場回数 345 勝率 53.6%
得意技 左四つ、寄り
なお、雑誌大相撲の2001年10月号に、琉鵬についての紹介記事(幕下訪問欄の全ページ記事、筆者は向井太)が出ています。
霧の海 剛(きりのうみ つよし)
(元 秋の里 貴士(あきのさと たかし) 2001年秋場所から改め)
西三段目四十一枚目初土俵からの総合成績はじつに立派で、現在までの勝率では十文字を超えているのは大したものです。小学校時代に相撲をやり、賞をとっているそうです。
本名 秋山貴志
1979年7月29日生 青森県八戸市出身
1995年春場所初土俵
181.5cm 160kg
2000年秋場所 西三段目二十九枚目 5勝2敗
2000年九州場所 西三段目筆頭 3勝4敗
2001年初場所 西三段目十五枚目 2勝2敗3休
2001年春場所 東三段目三十六枚目 2勝3敗2休
2001年夏場所 西三段目五十八枚目 公傷休場
2001年名古屋場所 西三段目五十八枚目 4勝3敗
2001年秋場所 西三段目四十一枚目 4勝3敗
最高位 幕下43 通算138勝95敗47休
通算出場回数 233 勝率 59.2%
得意技 突き押し
山竜 将太朗(やまりゅう しょうたろう)
東三段目三十五枚目もの柔らかで、あまり目立ちたがらない人です。口数が少なく、静かで落ち着いていて、進んで他人の役に立ちます。英語を少ししゃべるのは部屋では珍しいことです。
元 山竜将太 (2001年7月から将太朗とする)
本名 山本竜太
1981年3月15日生 東京都江戸川区出身
1996年春場所初土俵
179cm 135.5kg
2000年秋場所 西序二段六枚目 4勝3敗
2000年九州場所 東三段目八十八枚目 4勝3敗
2001年初場所 西三段目六十九枚目 2勝5敗
2001年春場所 西三段目九十六枚目 1勝6敗
2001年夏場所 西序二段二十九枚目 5勝2敗
2001年名古屋場所 東三段目九十五枚目 6勝1敗
2001年秋場所 東三段目三十五枚目 3勝4敗
最高位 三段目35 通算110勝121敗
通算出場回数 231 勝率 47.6%
霧昇 有康(きりのぼり ともやす)
序ノ口西四十枚目陸奥部屋の若手としてはいちばんの古参者ですから(旧陸奥部屋時代からの弟子で、いま二十六才)、土俵経験がゆたかなことはたしかで、体つきや態度までいかにも相撲取りらしく、初心者のようなところはまったくありません。番付上では後進たちに抜かれていても、先輩として一目置かれているようです。もともと冷静で、控えめな人なのですが、本来は負けん気も十分なのですから、現在のままであきらめるはずはないでしょう。昨年はさんざんの不運でした。怪我のため不調で、ふたたび序ノ口へ後戻りしていましたが、今年の春場所では勝ち越して序二段への復帰とともに自己最高位への到達がかないました。しかし、怪我はまだ心配で、たいへんなハンディキャップを背負っているのです。
元 力涛
本名 前田有康 1975年4月27日生
静岡県裾野市出身 1997年名古屋場所入門
178cm 109.5kg
2000年秋場所 西序二段百七枚目 1勝6敗
2000年九州場所 東序ノ口九枚目 4勝3敗
2001年初場所 西序二段百六枚目 2勝5敗
2001年春場所 西序ノ口四枚目 4勝3敗
2001年夏場所 東序二段九十五枚目 3勝4敗
2001年名古屋場所 西序二段百八枚目 休場
2001年秋場所 西序ノ口四十枚目 休場
最高位 序二段95 通算71勝90敗7休
通算出場回数 161 勝率 44.1%
桜島 弘聖(さくらじま こうせい)
序ノ口東三十八枚目第一期生の中でいちばん陽気な人でしたが、このごろはすっかり変わってきました。手に怪我をして、稽古もあまりできない状態がつづいたあと、今のままではいられないという意識が目覚めてきたようです。しかし、根はやさしい性格なのです。最近では、稽古態度も成長して来ました。懸命にやりながらも、しかも余裕を残しているありさまは、明らかに大人としての自信と常識ができて来たことを示すものです。
本名 下迫弘聖 1982年6月1日生
鹿児島市出身 1998年春場所入門
179cm 106kg
2000年秋場所 西序ノ口四十枚目 4勝3敗
2000年九州場所 東序ノ口三枚目 5勝2敗
2001年初場所 西序二段八十八枚目 1勝3敗3休
2001年春場所 東序二段百十八枚目 3勝4敗
2001年夏場所 西序二段百十九枚目 4勝3敗
2001年名古屋場所 東序二段九十枚目 休場
2001年秋場所 東序ノ口三十八枚目 休場
最高位 序二段88 通算48勝66敗33休
通算出場回数 114 勝率 42.1%
楢橋 親一 (ならはし しんいち)
序二段東五十二枚目デビュー当時はやせていたのですが、最近は見違えるほど筋肉がついて来ました。はじめのうちは稽古熱心とはいいにくかったのですが、その後は真剣に努力をかさねていることが目に見え、稽古をいちばん熱心にやっている組に入ります。怪我もおそれないで相手に立ち向かって行き、危険なひっくり返り方で落ちたり、壁にぶつかったりして傷を負っているのは、見ていてもなんともこわい感じです。今も右手の指がひどく腫れていて、痛ましいほどです。安心して見られるようになるのには、まだまだ体重がほしいところでしょう。始めのうち見られた、ちょっととりつきにくい、コンプレックスのかたまりのような性格からは今では完全に脱し、自分の能力の限界に挑戦してこれを克服し、ほんものの自信をつけるというところまで、すでに行っている感じがします。1998年に新生陸奥部屋が発足してから最初に入った第一期生五人の中では、もっとも有望であることはたしかです。
1981年4月24日生 福岡市東区出身
1998年春場所入門
175cm 88kg
2000年秋場所 西序二段七十八枚目 3勝4敗
2000年九州場所 東序二段九十二枚目 5勝2敗
2001年初場所 東序二段五十一枚目 3勝4敗
2001年春場所 東序二段六十五枚目 3勝4敗
2001年夏場所 西序二段八十枚目 3勝4敗
2001年名古屋場所 東序二段九十四枚目 5勝2敗
2001年秋場所 東序二段五十二枚目 4勝3敗
最高位 序二段51 通算73勝74敗
通算出場回数 147 勝率 49.7%
霧錦 隆雄(きりにしき たかお)
番付外まじめで礼儀正しい人です。一生懸命に稽古にはげみ、身長、体重も十分、素質にもめぐまれていますが、今のところは怪我のため、本来の実力が出しつくせないようです。日常生活ではめがねをかけ、控えめな性格で、好きで選んだ相撲の道をひとすじに進んで行くにはどうすればいいのかということも完全に心得ているようです。
本名 佐々木隆雄 1982年6月15日生
茨城県藤代町出身 1998年九州場所入門
184.5cm 124kg
2000年秋場所 西序二段百二枚目 5勝2敗
2000年九州場所 西序二段五十五枚目 3勝4敗
2001年初場所 西序二段八十三枚目 3勝4敗
2001年春場所 東序二段九十九枚目 休場
2001年夏場所 西序ノ口十三枚目 休場
2001年名古屋場所 番付外 休場
2001年秋場所 番付外 休場
最高位 序二段55 通算47勝51敗28休
通算出場回数 98 勝率 48.0%
貴島 雅博(きじま まさひろ)
東序ノ口二十六枚目やせっぽちの身体で(なんと62キロの軽量だったのがこのごろやっと67キロまで行っているらしいのですが)、デブばかりが横行している今の相撲の世界では、まことに異質な感じです。いうまでもなく、相撲界の最軽量力士はこの人です。見るからにデリケートな性格、優しい身ごなしで、バレエとか、フィギュアスケートとか、体操などの選手にしてもおかしくないと思わせるほどです。それでも相撲をやるというのは、本人が自分に課した試練のようなもので、なんと言われようとやりとげて見せるという心がまえがうかがえるのは、見上げたものです。人に対しての思いやりもあり、文字通り心も強くやさしいといえます。
1982年3月23日生 埼玉県鷲宮町出身
1998年九州場所入門
174cm 64kg
2000年秋場所 西序二段百三十一枚目 1勝6敗
2000年九州場所 東序ノ口二十枚目 2勝5敗
2001年初場所 東序ノ口二十三枚目 3勝4敗
2001年春場所 西序ノ口十九枚目 1勝6敗
2001年夏場所 西序ノ口七枚目 3勝4敗
2001年名古屋場所 西序ノ口十六枚目 2勝5敗
2001年秋場所 東序ノ口二十六枚目 4勝4敗
最高位 序二段131 通算36勝84敗
通算出場回数 120 勝率 30.0%
霧の若 太郎(きりのわか たろう)
(岡本 将之 改め)
西三段目二十枚目心身ともに強固、活発で、筋肉もよくついています。沈着で、一見気楽な性分のように見えますが、プライドが高く、どんなつらいことでもきちんとやりとげます。昇進も早く、1999年の夏場所では、序ノ口優勝の候補になっていたのですが、相手の韓国出身力士が約二倍も重く、惜しくも敗れて優勝をのがしてしまいました。通算勝率を見ればわかるように、同期生のうちで、もっとも優秀な部に入る実力者であることはまちがいないところでしょう。2000年名古屋場所でも勝ち越し、部屋では当時三段目の和歌嵐(その後引退)、藤本(現在は霧の藤)に次ぐ番付順にまで進んでいました。秋場所では残念なことに、一番の差で負け越しでしたが、九州場所は五勝二敗の好成績で、自己最高位に達していました。
1983年9月18日生 熊本県長陽村出身
1999年春場所入門
176cm 106.5kg
2000年秋場所 東序二段三十三枚目 3勝4敗
2000年九州場所 東序二段五十二枚目 5勝2敗
2001年初場所 東序二段十二枚目 5勝2敗
2001年春場所 西三段目七十七枚目 6勝1敗
2001年夏場所 東三段目二十一枚目 3勝4敗
2001年名古屋場所 東三段目三十五枚目 4勝3敗
2001年秋場所 西三段目二十枚目 4勝3敗
最高位 三段目20 通算61勝44敗
通算出場回数 105 勝率 58.1%
白澤 隆志(しらさわ たかし)
西序二段三十九枚目行儀正しく開放的な性格で、頭もよく、常識をもって行動する自然体のタイプで、相撲界でも成功すると考えられますが、勝負師としてはおとなしすぎるぐらいです。落ち着いていますが、均衡のとれた性格のためか、闘争心はあまりないようです。無理をすることをおそれないで自分の限界に挑戦するという習性をもっていないのでしょう。それでも成功の道は十分残されているということを、この人は証明しているのです。2000年名古屋場所では、肘の故障のため入院、手術という事態になり、成績があがらなかったのは残念でしたが、手術の後の回復はめざましく、傷跡は今でもいたましく残っていますが、秋場所では勝ち越して、めでたく序二段への復帰を果たし、九州場所もつづいて勝ち越してまたも自己最高位になりました。この上昇気流にうまく乗って行くため、怪我にはくれぐれも気をつけて、自信を持って実力で勝負していくことを期待します。
1982年12月6日生 静岡県豊岡村出身
1999年春場所入門
180cm 113kg
2000年秋場所 東序ノ口十枚目 4勝3敗
2000年九州場所 東序二段百十三枚目 4勝3敗
2001年初場所 西序二段八十六枚目 5勝2敗
2001年春場所 東序二段四十六枚目 2勝5敗
2001年夏場所 西序二段六十八枚目 3勝4敗
2001年名古屋場所 西序二段八十枚目 5勝2敗
2001年秋場所 西序二段三十九枚目 4勝3敗
最高位 序二段39 通算53勝48敗4休
通算出場回数 101 勝率 52.5%
末永 司(すえなが つかさ)
東序二段百六枚目目立ちたがらないので、稽古場でも人の陰にかくれて裏役にまわってしまう傾向があり、あまり注意をひきませんが、よく見ると、あわてずさわがず、自分なりの稽古をちゃんとやっているようです。2000年名古屋場所では、序二段から序ノ口に転落したあと、勝ち越して序二段に復帰し、秋場所では自己最高位に達していたのに、成績がよくなくて、残念ながらまたまた序ノ口に落ちてしまっていました。それでも九州場所ではめでたく勝ち越して、自己最高位を更新することになりました。今度こそは序二段に完全に定着できるよう、期待していたのですが、残念なことに、2001年初場所で二勝五敗となり、またしても序ノ口へ逆戻りしてしまいました。膝の状態がよくないようです。春場所と夏場所では三勝四敗、健闘したといっていいでしょう。名古屋場所では、二回の休場で心配させましたが、その後四勝一敗の好成績をあげました。驚くべきことです。この勢いがつづき、今までの沈滞から完全に抜け出せるよう、祈ってやみません。秋場所番付では序二段に復帰し、自己最高位に達していますが、結果は惜しくも三勝四敗でした。これで番付がひどく落ちてしまわないよう、願うばかりです。
1983年5月26日生 鹿児島県隼人町出身
1999年春場所入門
175cm 95kg
2000年秋場所 東序二段百二十四枚目 2勝5敗
2000年九州場所 西序ノ口十二枚目 4勝3敗
2001年初場所 西序二段百九枚目 2勝5敗
2001年春場所 西序ノ口五枚目 3勝4敗
2001年夏場所 西序二段百二十二枚目 3勝4敗
2001年名古屋場所 西序ノ口七枚目 4勝1敗2休
2001年秋場所 東序二段百六枚目 3勝4敗
最高位 序二段106 通算43勝60敗2休
通算出場回数 103 勝率 41.7%
土佐 幸司(とさ こうじ)
東三段目三十八枚目若手弟子の中では最重量で、陸奥部屋にはめずらしく、いかにも押し相撲向きの身体をしていますが、動きに正確さがあり、四つ相撲も取れます。通算成績もよく、期待されます。性格としては気まぐれなところが少なく、控えめで、目立ちたがる傾向はまったく見られません。はっきりした、率直な性格で、落ち着いていて、感じのいい若者といえます。
1980年7月18日生 熊本県菊陽町出身
1999年春場所入門
174.5cm 150.5kg
2000年秋場所 東序二段四十七枚目 2勝5敗
2000年九州場所 西序二段七十三枚目 6勝1敗
2001年初場所 東序二段四枚目 3勝4敗
2001年春場所 西序二段五十九枚目 3勝4敗
2001年夏場所 西序二段三十六枚目 5勝2敗
2001年名古屋場所 東三段目九十九枚目 6勝1敗
2001年秋場所 東三段目三十八枚目 1勝6敗
最高位 三段目38 通算57勝48敗
通算出場回数 105 勝率 54.3%
栃谷 漢将(とちたに くにゆき)
東序ノ口十九枚目始めから問題が多くて集団からはちょっと外れた存在です。はじめは体が固くて四股、仕切もよくできなかったうえ、ひどい怪我で稽古もできない状態がつづいていました。しかし去年からは、著しい努力をしはじめたと認めるべきです。入門時には太り過ぎだった体もだいぶ均整がとれて来て、いくらか相撲取りらしい体格になりました。今では稽古も熱心にやっているので、希望が出てきました。師匠は、いちばん頑張っているのは栃谷だとまでいっていました。このことばは、辛いのを最も我慢しているのは栃谷という意味で受けとらなければならないのでしょう。自分の成績を見て、勝ち越しにもう一歩という成績といえたのに、本人は口惜しい、頑張りたいとくり返して言っていました。めずらしく英語にも興味を持っている一人です。
1983年9月18日生 大阪市城東区出身
1999年春場所入門
182cm 112.5kg
2000年秋場所 東序ノ口二十三枚目 2勝5敗
2000年九州場所 西序ノ口三十枚目 3勝4敗
2001年初場所 西序ノ口二十三枚目 3勝4敗
2001年春場所 東序ノ口二十枚目 3勝4敗
2001年夏場所 東序二段百二十九枚目 2勝5敗
2001年名古屋場所 東序ノ口十七枚目 3勝4敗
2001年秋場所 東序ノ口十九枚目 2勝5敗
最高位 序二段129 通算26勝54敗11休
通算出場回数 80 勝率 32.5%
成井 智史(なるい さとし)
西序二段六十六枚目内気で控えめな青年で、部屋では貴島に次いでの軽量ですが、筋肉はつき始めています。軽いというハンディーで負けることが口惜しくてたまらないらしく、懸命に稽古をしています。しかし冷静さが足りないので、いざというときにあわててしまって負けることがあるようです。実力は現在の成績以上と見てまちがいないのですから、一歩ずつ実績をあげて行けば、相撲をえらんだのはまちがっていなかったと、いつかは自分に対して証明できるようになれるかもしれません。
1979年11月30日生 千葉県八千代市出身
1999年春場所入門
179cm 82kg
2000年秋場所 東序ノ口十七枚目 4勝3敗
2000年九州場所 西序二段百十九枚目 3勝4敗
2001年初場所 西序ノ口四枚目 5勝2敗
2001年春場所 西序二段八十四枚目 1勝6敗
2001年夏場所 東序二段百十五枚目 4勝3敗
2001年名古屋場所 西序二段八十六枚目 4勝3敗
2001年秋場所 西序二段六十六枚目 4勝3敗
最高位 序二段66 通算49勝56敗
通算出場回数 105 勝率 46.7%
霧の藤 広明(きりのふじ ひろあき)
(霧の富士 改め)
東三段目三十枚目もとサッカーをやっていたスポーツマンで、運動神経は抜群、ほがらかでにこにこと明るい性格で、気が合いさえすればおしゃべりもきらいではないようです。稽古で、どんなつらいことをやってもいやな顔を見せません。相撲をはじめてから、まだわずかにしかならないのに、たちまちにして進歩し、筋肉もつき、成績も先輩たちを追い越してあっという間に部屋のトップランナーの列に入ってしまいました。稽古でも、今までになかった攻撃性が出て来て、当って行くさまはまさに人間魚雷の凄さを見せています。
本名 藤本智彦 1981年10月29日生
佐賀県小城郡出身 1999年夏場所入門
183.5cm 114kg
2000年秋場所 西序二段六十七枚目 6勝1敗
2000年九州場所 東三段目九十八枚目 5勝2敗
2001年初場所 西三段目六十四枚目 2勝5敗
2001年春場所 東三段目九十枚目 5勝2敗
2001年夏場所 西三段目五十九枚目 6勝1敗
2001年名古屋場所 東三段目六枚目 2勝5敗
2001年秋場所 東三段目三十枚目 3勝4敗
最高位 三段目6 通算56勝41敗1休
通算出場回数 97 勝率 57.7%
白馬 毅(はくば たけし)
西三段目五十一枚目ウヌルは、一年もの間、陸奥部屋に起居し、熱心に稽古にはげんでいましたが、1999年末に立田川部屋に移ることになりました。これは、部屋ごとの外国人数が二名までにおさえられているので、すでに星誕期と星安出寿が在籍していた当時の陸奥部屋には外人枠がなかったという事情によるものです。しかし、陸奥部屋が育てた力士であることはまちがいありません。立田川部屋の合併により、この人は出世して古巣に戻って来たことになります。
本名 アリオンバヤル・ウヌルジャラガラ 通称 ウヌル
1983年5月5日生 モンゴル、ウランバートル出身
1998年12月、見習い生として陸奥部屋に入る
翌年末、立田川部屋に入門し、「白馬」の四股名で2000年初場所初土俵
(1999年12月24日新弟子検査に合格)
185.5 cm、100.5 kg
2000年秋場所 東序二段三十七枚目 1勝1敗5休
2000年九州場所 東序二段七十二枚目 休場
2001年初場所 東序二段七十二枚目 7勝0敗 序二段全勝優勝
2001年春場所 西三段目六十八枚目 4勝3敗
2001年夏場所 西三段目五十枚目 4勝3敗
2001年名古屋場所 東三段目三十四枚目 3勝4敗
2001年秋場所 西三段目五十一枚目 4勝3敗
最高位 三段目34 通算37勝21敗12休
通算出場回数 58 勝率 63.8%
原田 大輔(はらだ だいすけ)
東序ノ口十六枚目おとなしい性格で、陸奥親方にあこがれて相撲の世界に入って来た青年です。柔道の経験があります。おとなしすぎて闘争心がないので、もともと相撲に向いているとはいえないでしょうが、少しずつ慣れて来ています。はじめの頃にくらべると、負けがこんでくるのにどうすれば対応できるのかというこつは、だんだん身について来ているように感じます。いずれにしても、体がきゃしゃなので、勝ち進むためには人より数倍の努力が必要であることはたしかで、それにどこまで耐えて行かれるかということが一番の問題でしょう。
1982年10月5日生 兵庫県篠山市出身
2000年夏場所入門
171.5cm 83kg
2000年秋場所 東序ノ口三十八枚目 0勝2敗5休
2000年九州場所 西序ノ口三十六枚目 3勝4敗
2001年初場所 西序ノ口二十五枚目 3勝4敗
2001年春場所 西序ノ口二十一枚目 3勝4敗
2001年夏場所 東序二段百三十二枚目 3勝4敗
2001年名古屋場所 西序ノ口十三枚目 3勝4敗
2001年秋場所 東序ノ口十六枚目 2勝5敗
最高位 序二段132 通算18勝33敗5休
通算出場回数 51 勝率 35.3%
内山 直也(うちやま なおや)
西序ノ口二十四枚目久しぶりの新弟子です。春場所で前相撲を取り、二番出世し、夏場所、名古屋場所とつづいて三勝四敗の成績でした。最初の出足としては悪くないといえます。
1985年4月5日生 名古屋市名東区出身
2001年春場所入門 3月3日新弟子検査合格 新序二番出世
173cm 120kg
2001年春場所 前相撲 二番出世
2001年夏場所 東序ノ口三十六枚目 3勝4敗
2001年名古屋場所 東序ノ口二十八枚目 3勝4敗
2001年秋場所 西序ノ口二十四枚目 4勝3敗
最高位 序ノ口24 通算10勝11敗
通算出場回数 21 勝率 47.6%
床大 (とこだい)
三等床山控えめな人で、目立ちませんが、なんでもできる才能の持ち主です。この人の結ったまげはしっかりしていて、なかなか崩れません。わかりの早いことも驚異的で、一言いえば十を察するといったタイプです。稽古の様子もよく見ていて、自分もさまざまの準備運動をします。もし身長がもう少しあれば、きっといい力士になれたでしょう。お酒を飲み過ぎるのが玉に瑕だということを聞いたことがありますが、めずらしい好人物です。
本名 大橋太司
1970年7月24日生 新潟県出身
1986年九州場所入門
以下は相撲協会に属していないメンバーです。
吉永 奈穂子(よしなが なおこ)
おかみさんおつきあいが多すぎるので、ほんとうにたいへんです。みんなが地方場所や合宿などに出ていてからっぽになった部屋の留守番をする時などは、おかみさんの毎日は特につらくなります。ひっきりなしに一日中鳴り続ける電話の番 ― ジャーナリスト、後援者、知人などのほか、弟子たちの家族の人たちが安否をたずね、ちゃんとやっているのかなどと聞いてくるのに答えたり、一身上の相談にのったりするのもおかみさんの仕事になります。また、これら「子供たち」の悩みを聞いてやり、なぐさめたり、なだめたり、すかしたりなどの心理的な問題のほか、もめごとの仲裁などに狩り出されることもあります。とにかく入れ替わり立ち替わりに、居室に出たり入ったりされるわけです。お風呂にまで入って来ることもあるそうです !!! このストレスはなみたいていのものではありません。健康がすぐれないので、ダウンしてしまうこともしばしばです。
鹿児島県出身
田村 喜一(たむら きいち)
陸奥部屋マネージャーおそろしく無口なので、愛想も知らないといわれることがありますが、相撲と陸奥部屋が唯一の生きがいであることはうたがいありません。実直一方、部屋の雑用係といった感じで、どんなことでもいやな顔ひとつしないで引き受けています。ちゃんこ番をひとりでやることもしばしばで、料理の腕はたしかです。でも元岸の里の田村マネージャーの本領が出てくるのは、稽古の指導をするときです。弟子たちの長所も弱点も知りつくしているので、適切な助言をし、ときには叱りますが声を荒らげることはあまりありません。
元幕下岸の里
1966年9月6日生 大阪府岸和田市出身
1982年春場所入門 1997年現役を引退
北原 敏文(きたはら としふみ)
親方付マネージャー前には板東英二、上岡龍太郎のマネージャーをしていたプロです。以前からの霧島ファンで、陸奥親方のためになることならなんでも懸命にやります。親方の多忙なスケジュールを調整する仕事のほか、外部との連絡、部屋のPRなど、一切を総括しています。この人がいるおかげで、田村マネージャーは、苦手の雑務から解放され、部屋内部の指導などに専念できるわけです。
1949年12月22日生 長崎県出身
2000年1月より親方付マネージャーとして陸奥部屋に入る