2013年の陸奥部屋





霧桜  土佐
  霧丸

勇輝  日向龍  霧嵐
     
  霧の富士
  有島 

立田山  浦風  福ノ里  床大    式守一之助



(2013年7月1日更新)
 

2009夏場所の写真
2009靖国の写真
2009初場所10日目の写真
  元大関霧島を師匠とする陸奥部屋は、両国国技館にもっとも近い相撲部屋です。1998年2 月29日に土俵開きをした当時は、旧陸奥部屋から引き継いだ星誕期、星安出寿などのほか、力士は八人にすぎなかったのですが、わずかの間に急成長を遂げ、 2000年9月21日には、敷島(その後錦島親方)、十文字、豊桜、琉鵬、霧の海など、旧立田川部屋の力士たちも移籍して来ました。

 2011年2月からの八百長騒動で、相撲協会が、4月1日に、
ずさんな調査の末、力士25人を認定して引退勧告をしました。その中で、陸奥部屋の上位陣4人も入っていて、犠牲になりました。本人達の潔白が証明されないまま、灰色は黒であるとの理由から、言い訳も出来ず引退になりました。
 このページは、メンバーたちのことがよくわかるように構成してあります。各力士のデータのあとに、それぞれの横顔を描いていますが、この部分は、もちろん起草者の個人的見解です。

フランス語は「表示」メニューで文字コードセットを「欧米」(ISO8859-1) にして読んでください。
(力士は入門順、同期の場合は五十音順)



 陸奥 一博(みちのく かずひろ)

師匠
元大関 霧島

本名 吉永一美  1959年4月3日生
鹿児島県姶良郡牧園町出身  1975年春場所入門
最高位 東大関  
優勝1回 殊勲賞3回 敢闘賞1回 技能賞4回 金星2
通算754勝696敗40休
通算出場回数 1450 (なお、いろいろの統計で、1447というのはまちがいです。)
勝率 52.0% (大関としての勝率は64.7%)
1996年3月24日引退 年寄錣山(しころやま)襲名
1997年5月 年寄勝ノ浦襲名
1997年12月 年寄陸奥襲名
2010年2月1日理事当選され(任命の詳細)、8月23日から、広報部長から総合部長に任命。
2011年4月、理事辞任


 
 
 




立田山 裕教(たつたやま ひろかず)
年寄
元前頭筆頭 薩洲洋(さっしゅうなだ)
本名 吉崎 克幸
四股名 薩洲洋
1957年6月7日生   鹿児島県指宿市出身
1976年初場所初土俵
1984年名古屋場所新十両
1986年秋場所入幕 幕内在位 19場所
1992年秋場所 最終場所

年寄名 : 錣山→春日山→熊ヶ谷立(前所属部屋:井筒部屋)
最高位 前頭筆頭   通算548勝532敗7休
得意技 突き、押し
 

(2005年一月から井筒部やから陸奥部屋に転属)

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 浦風 冨道(うらかぜ とみみち)

年寄
準年寄 敷島勝盛、2002年1月17日より年寄立田川勝盛、同9月17日からは年寄富士ヶ根 勝盛となる。その後、勝盛を誉基(よしもと)と改名。2003年1月22日より錦島を襲名し、錦島佑元(すけもと)となる。2007年5月16日から小野 川となる。2007年8月から、下の名前を弘道に戻す。2009年3月25日から2010年7月12まで谷川となる。 2010年7月12日から安治川となる。
2013年1月8日から、浦風となる。
 

親方の個人ブログ、どうぞお楽しみ

本名 吉種弘道
四股名 敷島勝盛
1970年12月15日生   千葉県船橋市出身
1989年初場所初土俵
1993年夏場所新十両
1994年九州場所入幕 幕内在位 28場所
2001年5月13日引退、翌日から準年寄敷島となる
2002年1月17日、立田川を襲名、年寄となる
2002年9月17日、富士ヶ根と改名
2003年1月22日、錦島を襲名

最高位 前頭筆頭   通算416勝418敗30休
 (幕内戦歴 175勝228敗17休)
通算出場回数 835 勝率 49.9%
金星2 (1998年春場所と夏場所、ともに貴乃花から)
十両優勝1回  幕下優勝1回
得意技 左四つ、左差し、右上手、寄り切り、上手投げ

陸奥部屋での敷島
敷島の黄金時代

 稽古場はもちろん、日常生活などでも見せるちょっとした体の動きかたを見ただけでも、長いあいだ上位でやって来た人だ ということが、すぐわかりますし、余裕十分の垢抜けた雰囲気をこの人はかもし出し、自分の生き方と人格とが完全にマッチしている人を見るときの安心感のよ うなものを感じさせるのです。ふだんはめがねをかけているのがちょっと残念ですが、威厳とエレガンスを兼ね備えているのがよくわかります。また、美声でも 知られていて、相撲甚句の名手です。
 2001年初場所では、とつぜん心臓疾患が出て、二日目からやむなく休場、入院のはめになってしまいました。
 その後も、病気は少しずつ快方に向かってはいたのですが、日常生活に差し支えないということと相撲を取りつづけるということは、まさに天と地との違いがあります。医者にも、もう相撲の取れる状態ではないと断言されました。
 生き続けるか相撲を続けるのか、どちらを選ぶかという局面に追い詰められてしまったわけです。しかし、どんなに言われようと、自分の生きがい、夢を諦めるということはできるものではありません。どんなに辛かったかは察するにあまりあります。
 激烈なダイエットを強いられ、僅か数カ月の間に50キロ近くも痩せたということは、文字通り人間わざではありません。つらい心境を陽気にふるまいながら、これに耐えて行った精神力は容易なことではありません。
 かくして敷島は、数カ月の自分との闘いの後、ついに涙を呑んで、2001年夏場所初日に引退届を提出しました。引退は、翌5月14日の持ち回り理事会で承認され、準年寄敷島となりました。
 現在は部屋付き親方として、真面目に稽古に立ち会い、後進の指導にあたっていますが、静かな、落ち着いた様子の中で時々見せる暗い表情を見ると、なんとも言えない気分になってしまいます。
 敷島の断髪式は、2001年9月30日、国技館で開催され、四百人ほどの人たちが鋏を入れました。
 この断髪式の模様は、相撲各誌11月号の、写真ページに掲載されています。(大相撲、相撲、NHK大相撲中継)また、12月6日発売の『リラックス』(マガジンハウス発行)では、6ページにわたる紹介記事が出ています。
 現在では健康状態はよくなり、月に一回、念のために診察に通い、毎日薬をのむだけになりました。
 しかし、敷島は、この辛い経験を通じて、相撲協会の定期検診だけでは不十分で、このような事故を予測して手後れにならないような処置を取るように後進達に勧めるべきだと言っています。

 2002年初場所五日目に、立田川の名跡をうけ、年寄となりました。かつては敷島自身も所属していた名門の立田川を襲名したことは、感慨もひとしおでしょう。これについては、雑誌「相撲」2002年2月号の107ページに記事が出ています。
 病気のために辞めることになった当時は息が切れ、体が動かなくて力も衰え、本当に口惜しかったけれども、今の 心境としては昔は昔として割り切り、若いもののことを考えて、後進の育成に全力を尽くすことが今の生きがいになり、自分の経験を若いものに伝えて行くこと こそ、未来につながる道だと考えていると言っています。
 NHKテレビでの解説もやっていて、個性にあふれた解説をするので、評判がいいようです。その他、相撲についての感想、見方、自分の部屋のことを、2002年の秋以来、毎月、Sportivaという雑誌に書き続いています。好きな仕事ですから熱心にやっているそうです。
 2002年9月17日、湊富士が引退して立田川を襲名することになり、これにともなって敷島は富士根親方と改名しました。2003年1月22日からは錦島親方となりました。
 相撲協会の部署編成替えで、2003年秋場所から九州場所担当親方となっています。

 2007年4月28日(土)、午後1:55〜2:25、テレビ東京のザドキュメンタリーという番組に出演される予定です。
 
 2008年七月末現在、九州場所館内の席のために、新しい、もっと合理的な設計のことを考えているところだそうです。福岡の方々、どうぞお楽しみにして下さい。

 
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 福ノ里 邦男(ふくのさと くにお)
若者頭(わかいものがしら)
本名 福田邦男
改名歴 福田→福ノ里→之里
1961年6月4日生  岩手県九戸郡出身
初土俵  1978年 7月(立田川部屋)
新十両  1989年秋場所
最終場所 1993年5月 
最高位  十両13
通算333勝294敗7休
得意技  右廻し、上手投げ、寄り
 もともとは立田川部屋の若者頭だった人ですが、立田川部屋の正式併合に先立って、2000年の始めごろから陸奥部屋の 稽古に立ち会い、陸奥親方とならんで稽古場に座り、熱心に指導をしています。稽古の間は注意深くみんなの様子を観察し、こまめにノートをとっていたのが印 象的です。静かな人で、弟子たちに注意をする時も声を荒らげたりすることはありません。なにごとも実に良心的になしとげるといった感じが眼に見え、この人 がそこにいるだけで安心感を与えるのです。人間味があり、近付きがたいという印象は受けません。
 相撲協会の若者頭ですから、部屋の仕事以外でも国技館でのいろいろな行事を手伝っているところが、よくテレビにも写っています。特に、各場所の優勝力士の表彰式では、福ノ里さんの姿がいつも見えます。
 なお、『NHK大相撲中継』の初場所展望号(2002年1月)に、「若者頭が選ぶ幕下ホープ」の記事を発表しています。
 「相撲」2005年六月号にはインタービューがあります。タイトルは次の通りです。
裏方さん訪問      福ノ里邦男さん
--甲子園出場、そしてプロ野球選手が夢でした








 霧桜 剛(きりざくら つよし)
(末永 司 改め
西序二段十三枚目
1983年5月26日生  鹿児島県姶良郡隼人町出身
本名 末永 司  2002年夏場所から 霧桜 剛
1999年春場所入門
177cm 87.9kg
1999年夏場所   東序ノ口四十一枚目  3勝4敗
1999年名古屋場所 東序ノ口三十四枚目  1勝6敗
1999年秋場所   東序ノ口四十四枚目  3勝4敗
1999年九州場所  東序ノ口三十二枚目  4勝3敗
2000年初場所   西序二段百四十六枚目 2勝5敗
2000年春場所   東序ノ口十五枚目   2勝5敗
2000年夏場所   東序二段百五十七枚目 3勝4敗
2000年名古屋場所 西序ノ口十一枚目   4勝3敗
2000年秋場所   東序二段百二十四枚目 2勝5敗
2000年九州場所  西序ノ口十二枚目   4勝3敗
2001年初場所   西序二段百九枚目   2勝5敗
2001年春場所   西序ノ口五枚目    3勝4敗
2001年夏場所   西序二段百二十二枚目 3勝4敗
2001年名古屋場所 西序ノ口七枚目    4勝1敗2休
2001年秋場所   東序二段百六枚目   3勝4敗
2001年九州場所  東序二段百二十枚目  4勝3敗
2002年初場所   東序二段九十五枚目  3勝4敗
2002年春場所   西序二段百十枚目   2勝5敗
2002年夏場所   西序ノ口五枚目    5勝2敗
2002年名古屋場所 東序二段七十二枚目  3勝3敗1休  
2002年秋場所   西序二段八十八枚目  4勝3敗
2002年九州場所  東序二段六十二枚目  2勝5敗
2003年初場所   西序二段九十二枚目  5勝2敗
2003年春場所   西序二段五十一枚目  2勝5敗
2003年夏場所   東序二段七十九枚目  4勝3敗
2003年名古屋場所 西序二段五十四枚目  3勝4敗
2003年秋場所   西序二段八十一枚目  6勝1敗
2003年九州場所  西序二段七枚目    3勝3敗(1不戦敗)1休
2004年初場所   西序二段二十二枚目  1勝6敗
2004年春場所   東序二段六十四枚目  4勝3敗
2004年夏場所   東序二段四十四枚目  3勝4敗
2004年名古屋場所 西序二段六十二枚目  4勝3敗
2004年秋場所   西序二段三十九枚目  4勝3敗
2004年九州場所  東序二段十六枚目   1勝6敗
2005年初場所   西序二段五十八枚目  5勝2敗
2005年春場所   東序二段十四枚目   3勝4敗
2005年夏場所   東序二段三十五枚目  4勝3敗
2005年名古屋場所 西序二段十三枚目   3勝4敗
2005年秋場所   東序二段三十八枚目  2勝5敗
2005年九州月場所 東序二段六十八枚目  6勝1敗
2006年初場所   東三段目九十八枚目  1勝6敗
2006年春場所   西序二段三十六枚目  4勝3敗
2006年夏場所   東序二段十五枚目   1勝6敗
2006年名古屋場所 西序二段五十八枚目  5勝2敗
2006年秋場所   東序二段十八枚目   1勝6敗
2006年九州場所  西序二段五十八枚目  4勝3敗
2007年初場所   西序二段三十四枚目  4勝3敗
2007年春場所   西序二段八枚目    1勝6敗
2007年夏場所   東序二段五十一枚目  4勝3敗  
2007年名古屋場所 西序二段二十五枚目  2勝5敗
2007年秋場所   東序二段五十八枚目  4勝3敗
2007年九州場所  西序二段三十枚目   2勝5敗
2008年初場所   東序二段六十二枚目  3勝4敗
2008年春場所   西序二段八十三枚目  6勝1敗  
2008年夏場所   西序二段八枚目    2勝5敗 
2008年名古屋場所 東序二段三十八枚目  4勝3敗   
2008年秋場所   西序二段十二枚目   4勝3敗 
2008年九州場所  東三段目九十二枚目  4勝3敗
2009年初場所   東三段目七十三枚目  2勝5敗
2009年春場所   東三段目九十九枚目  2勝5敗  
2009年夏場所   東序二段二十九枚目  3勝4敗
2009年名古屋場所 東序二段五十五枚目  5勝2敗
2009年秋場所   東序二段十五十枚目  3勝4敗
2009年九州場所  西序二段三十二枚目  全休
2010年初場所   西序二段百二枚目    6勝1敗
2010年春場所   東序二段二十三枚目  5勝2敗
2010年夏場所   東三段目八十九枚目  4勝3敗
2010年名古屋場所 西三段目七十一枚目  3勝4敗
2010年秋場所   東三段目八十八枚目  3勝4敗
2010年九州場所  東序二段七枚目     4勝3敗
2011年初場所   西三段目八十七枚目  4勝3敗
2011年夏場所   西三段目六十九枚目  2勝5敗
2011年名古屋場所 東三段目八十七枚目  3勝4敗
2011年秋場所   東序二段三枚目    2勝4敗1休(4敗中、2敗は不戦敗)
2011年九州場所  東序二段三十四枚目  4勝3敗
2012年初場所   東序二段十二枚目   3勝4敗
2012年春場所   東序二段三十五枚目  5勝2敗
2012年夏場所   西三段目百枚目    3勝4敗
2012年名古屋場所 東序二段十七枚目   4勝3敗
2012年秋場所   西三段目九十八枚目  3勝4敗
2012年九州場所  東序二段十六枚目   4勝3敗
2013年初場所   西三段目九十八枚目  2勝5敗
2013年春場所   西序二段二十一枚目  3勝4敗
2013年夏場所   東序二段五十二枚目  5勝2敗
2013年名古屋場所 西序二段十三枚目   3勝4敗

 
最高位 三段目69  通算275勝306敗15休

通算出場回数 579  勝率 47.5%

 目立ちたがらないので、稽古場でも人の陰にかくれて裏役にまわってしまう傾向があり、あまり注意をひきませんが、よく見ると、あわてずさわがず、自分なりの稽古をちゃんとやっているようです。

 長い間、膝の状態が悪く、序ノ口と序二段の間を行き来する状態が続いていました。2001年名古屋場所では、二 回の休場で心配させましたが、その後四勝一敗の好成績をあげました。驚くべきことです。
 2002年夏場所からは、霧桜と改名し、はじめての五勝二敗の好成績をあげ、名古屋場所番付では自己最高位を更新しました。これが自信となって、さらに伸びて行くことを切に祈ります。
 左足首の故障で名古屋場所最後の取組は休場になりましたが、秋場所では四勝三敗で、陸奥部屋九人の勝ち越し組 の一人となりました。九州場所では負け越しましたが、2003年初場所では五勝二敗の好成績をあげ、春場所番付では自己最高位となりましたが、結果は惜し くも二勝五敗でした。実力は十分なのですから、これからも地道に勝ち越しを積み重ねて行けば、将来は明るいといえます。期待にたがわず、秋場所では六勝一 敗の好成績をあげました。これは入門以来の最高スコアです。その結果、自己最高位の達成がかないました。
 2004年初場所の前、運が悪く、首のヘルニアにかかって、場所には出場不可能と見られていましたが、押して出場しました。でも、やはり成績をあげるのは とても無理でした。せっかく番付があがっていたのに残念なことです。名古屋では、二場所ぶりの勝越しですが、これを見ると、少しずつ成績が上がるのがわかります。
 2005年の九州場所では、6勝1敗という非常にいい成績がありました。 2006年初場所の番付では、三段 目まで昇進して、自己最高位でした。名古屋場所にも5勝2敗といういい成績です。秋場所の苦しい成績は、体調が悪いし、体も軽量だということに原因がある とは確かです。

 2008年春場所の6勝1敗の優れた成績、おめでとうございます。
首を傷めているにしても、名古屋場所に勝越できました。 九州場所番付には、二年ぶり三段目に帰り、自己最高位になりました。そこで、三段目での始めての勝越しになりました。おめでとぷございます!
 2009年九州場所には六年ぶりの休場となりました。
 2010年名古屋場所、1年半ぶり自己最高位です。
 2011年秋場所、途中で頭を痛めてしまい、休場になりました。

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 土佐 幸司(とさ こうじ)
肥後錦 幸司(2002年初場所から、2003年秋場所まで)
東序二段十八枚目
本名 土佐孝司   2002年初場所から 肥後錦幸司、2003年九州場所から 土佐に戻る
1980年7月18日生  熊本県菊池郡菊陽町出身
1999年春場所入門
175cm 149.5kg
1999年夏場所   東序ノ口二十枚目   5勝2敗
1999年名古屋場所 東序二段百四十二枚目 6勝1敗
1999年秋場所   西序二段六十枚目   4勝3敗
1999年九州場所  東序二段三十六枚目  2勝5敗
2000年初場所   西序二段六十二枚目  3勝4敗
2000年春場所   東序二段八十一枚目  5勝2敗
2000年夏場所   東序二段三十七枚目  4勝3敗
2000年名古屋場所 西序二段十七枚目   2勝5敗
2000年秋場所   東序二段四十七枚目  2勝5敗
2000年九州場所  西序二段七十三枚目  6勝1敗
2001年初場所   東序二段四枚目    3勝4敗
2001年春場所   西序二段五十九枚目  3勝4敗
2001年夏場所   西序二段三十六枚目  5勝2敗
2001年名古屋場所 東三段目九十九枚目  6勝1敗
2001年秋場所   東三段目三十八枚目  1勝6敗
2001年九州場所  東三段目七十三枚目  2勝5敗
2002年初場所   東序二段三枚目    2勝5敗
2002年春場所   東序二段三十七枚目  3勝4敗
2002年夏場所   西序二段五十四枚目  5勝2敗
2002年名古屋場所 西序二段十四枚目   3勝4敗
2002年秋場所   東序二段三十五枚目  4勝3敗
2002年九州場所  西序二段十二枚目   6勝1敗
2003年初場所   西三段目五十枚目   3勝4敗
2003年春場所   東三段目七十一枚目  1勝6敗
2003年夏場所   西序二段十枚目    2勝5敗
2003年名古屋場所 東序二段四十三枚目  4勝3敗
2003年秋場所   西序二段十八枚目   3勝4敗
2003年九州場所  西序二段四十一枚目  5勝2敗
2004年初場所   東三段目百枚目    2勝5敗
2004年春場所   東序二段二十四枚目  4勝3敗
2004年夏場所   西序二段五枚目    4勝3敗
2004年名古屋場所 東三段目八十六枚目  4勝3敗
2004年秋場所   東三段目六十七枚目  2勝5敗
2004年九州場所  東三段目八十八枚目  3勝4敗
2005年初場所   西序二段三枚目    5勝2敗
2005年春場所   東三段目六十四枚目  2勝5敗
2005年夏場所   西三段目八十七枚目  3勝4敗
2005年名古屋場所 西序二段五枚目    4勝3敗
2005年秋場所   西三段目八十六枚目  1勝6敗
2005年九州場所  西序二段二十枚目   2勝5敗
2006年初場所   東序二段五十四枚目  5勝2敗
2006年春場所   東序二段十四枚目   休場
2006年夏場所   東序二段八十五枚目  4勝3敗
2006年名古屋場所 西序二段五十六枚目  5勝2敗
2006年秋場所   西序二段十六枚目   2勝5敗
2006年九州場所  西序二段五十枚目   3勝4敗
2007年初場所   東序二段七十三枚目  4勝3敗
2007年春場所   西序二段四十七枚目  3勝4敗
2007年夏場所   西序二段六十七枚目  5勝2敗  
2007年名古屋場所 西序二段二十七枚目  4勝3敗
2007年秋場所   西序二段七枚目    4勝3敗
2007年九州場所  西三段目八十七枚目  4勝3敗
2008年初場所   西三段目六十九枚目  2勝5敗
2008年春場所   西三段目九十枚目   3勝4敗
2008年夏場所   東序二段七枚目    4勝3敗
2008年名古屋場所 東三段目八十八枚目  3勝4敗   
2008年秋場所   西序二段三枚目    5勝2敗
2008年九州場所  東三段目六十六枚目  5勝2敗
2009年初場所   東三段目三十八枚目  2勝5敗
2009年春場所   西三段目五十九枚目  4勝3敗  
2009年夏場所   西三段目三十九枚目  2勝5敗
2009年名古屋場所 西三段目六十五枚目  全休(ただし、初日は不戦敗)
2009年秋場所   西序二段二十五枚目  休場
2009年九州場所  西序二段八十五枚目  6勝1敗
2010年初場所   西序二段九枚目     4勝3敗
2010年春場所   西三段目八十八枚目  4勝3敗
2010年夏場所   東三段目七十一枚目  2勝5敗
2010年名古屋場所 東三段目九十八枚目  2勝3敗2休 (3敗中、1敗は不戦敗)
2010年秋場所   東序二段三十枚目   4勝3敗
2010年九州場所  東序二段八枚目     休場
2011年初場所   東序二段七十九枚目  休場
2011年夏場所   西序ノ口十八枚目   1勝0敗6休
2011年名古屋場所 東序二段百八枚目   5勝2敗
2011年秋場所   西序二段五十六枚目  5勝2敗
2011年九州場所  西序二段十六枚目    3勝4敗
2012年初場所   西序二段三十八枚目  4勝3敗
2012年春場所   東序二段十七枚目   3勝4敗
2012年夏場所   西序二段四十二枚目  6勝1敗
2012年名古屋場所 東三段目七十六枚目  1勝6敗
2012年秋場所   東序二段十四枚目   3勝4敗
2012年九州場所  東序二段三十三枚目  3勝4敗
2013年初場所   東序二段六十一枚目  4勝3敗
2013年春場所   西序二段二十九枚目  3勝4敗
2013年夏場所   東序二段五十七枚目  5勝2敗
2013年名古屋場所 東序二段十八枚目   3勝4敗
 

最高位 三段目37  通算280勝272敗44休
通算出場回数 551  勝率 50.8%


 若手弟子の中では最重量で、陸奥部屋にはめずらしく、いかにも押し相撲向きの身体をしていますが、動きに正確さがあ り、四つ相撲も取れます。通算成績もよく、期待されます。性格としては気まぐれなところが少なく、控えめで、目立ちたがる傾向はまったく見られません。 はっきりした、率直な性格で、落ち着いていて、感じのいい若者といえます。
 以前は相撲の成績にあまりバラツキがないことが特徴でしたが、2000年名古屋場所、秋場所ではつづけて負け 越しました。しかし、総体的には、もっとも有望な力士の一人であることはまちがいありません。期待にたがわず、九州場所では六勝一敗と大勝ちし、自己最高 位の序二段四枚目にまで進みました。この調子で行けば、前途は明るいと言えるでしょう。
 はたして2001年夏場所では五勝二敗の好成績をあげ、三段目への昇進がかないました。そればかりでなく、つ づく名古屋場所でも六勝一敗と大勝ちしています。三段目の厚い壁を見事に破ったわけで、この成果は高く評価されるべきです。秋場所番付では、自己最高位を 大きく更新して部屋の上位力士の列に入ることになりましたが、結果は痛恨の一勝六敗でした。不調はその後もつづき、2002年初場所番付では序二段に転落 してしまいました。しかし夏場所では、しばらくぶりに実力を発揮し、五勝二敗の好成績をあげました。
 名古屋場所前に、膝の手術を受け、そのためよちよち歩きしかできず、膝を曲げるのも難しそうでした。このよう な状態での成績としては、三勝四敗は高く評価すべきでしょう。しかし脚の状態はよくないらしく、長い間病院に通い、いかにも歩きづらそうでした。この怪我 を負いながら秋場所で四勝三敗で勝ち越したのは、特記に値することだといえます。つづいて九州場所でも、六勝一敗の好成績をあげ、2003年初場所番付で は三段目に復帰していますが、成績は惜しくも一敗差の負け越しでした。春場所でも不運はつづき、夏場所番付ではまた序二段に落とされていましたが、名古屋 場所では勝ち越しました。秋場所はまたもや一敗差の負け越しでしたが、九州場所では五勝の好成績をあげ、新番付では三段目復帰がかないましたが、2004 年初場所では不調でした。でも、この数場所を見れば、また徐々に回復して来たと思われたのですが、やはりほんものではありません。
 もう5年前からかかっている膝の怪我が、2005年九州場所に、大変な問題になっていますけれども、本人はちゃんと場所に出ると決心しました。
 2006年初場所がよかったですが、その後、膝の怪我があまりにも悪化し、春場所には休場になりました。その後の夏、名古屋、秋場所ではその怪我のままでがんばっています。九州の番付では、番付運が非常に悪く、34段も下げてしまったのです。
 2007年九州番付では、三段目に帰りました。
 2008年の夏場所の勝越しで、三段目復帰できました。膝の状態が大丈夫なら、秋場所の後退をうめる力があります。秋場所、九州場所、久しぶりの連続の好成績をあげましたので、回復が見えて来ました。
 2009年初場所の番付では、2001年に始めて到着した自己最高位に復帰しました。怪我というのは恐いもんですね!今度こそ頑張って下さい!夏場所には、また自己最高位に近づいています。が、怪我で名古屋場所、秋場所を休場したのです。
 九州場所、休場あけの6勝1敗の好成績の後、両膝の怪我がまた一層悪化して、2010年中、2011年夏場所までは、休場もあったので、少しずつ番付を落としてしまいました。名古屋場所以来、少しずつ回復しそうです。
 2012年名古屋場所の番付では、2年ぶり三段目に戻り、部屋頭になりました。


 

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 霧丸(きりまる)
 内山 直也(うちやま なおや)改め

東序二段六十六枚目
1985年4月5日生 名古屋市名東区猪高町出身
本名 内山直也
2001年春場所入門 3月3日新弟子検査合格 新序二番出世
173cm 135kg
2001年春場所   前相撲       二番出世
2001年夏場所   東序ノ口三十六枚目 3勝4敗
2001年名古屋場所 東序ノ口二十八枚目 3勝4敗
2001年秋場所   西序ノ口二十四枚目 4勝3敗
2001年九州場所  東序二段百十七枚目 3勝4敗
2002年初場所   西序ノ口筆頭    2勝5敗
2002年春場所   東序ノ口十五枚目  3勝4敗
2002年夏場所   西序ノ口九枚目   3勝4敗
2002年名古屋場所 西序ノ口十四枚目  4勝3敗
2002年秋場所   西序二段百六枚目  1勝6敗
2002年九州場所  東序ノ口十四枚目  3勝4敗
2003年初場所   西序ノ口十六枚目  5勝2敗
2003年春場所   西序二段七十四枚目 3勝4敗
2003年夏場所   西序二段八十八枚目 3勝4敗
2003年名古屋場所 西序二段百三枚目  3勝4敗
2003年秋場所   西序二段百十六枚目 3勝4敗
2003年九州場所  西序ノ口十一枚目  3勝1敗3休
2004年初場所   東序ノ口十二枚目  2勝5敗
2004年春場所   東序ノ口十五枚目  4勝3敗
2004年夏場所   西序二段九十七枚目 1勝6敗
2004年名古屋場所 西序二段百三十一枚目 5勝2敗
2004年秋場所   西序二段七十七枚目 2勝5敗
2004年九州場所  東序二段百七枚目  4勝3敗
2005年初場所   東序二段八十一枚目 3勝4敗
2005年春場所   東序二段百三枚目  3勝4敗
2005年夏場所   西序二段百十枚目  4勝3敗
2005年名古屋場所 東序二段八十四枚目 2勝5敗
2005年秋場所   東序二段百十四枚目 4勝3敗
2005年九州場所  東序二段八十七枚目 3勝4敗
2006年初場所   西序二段百十枚目  5勝2敗
2006年春場所   東序二段六十枚目  3勝4敗
2006年夏場所   西序二段八十枚目  4勝3敗
2006年名古屋場所 東序二段五十二枚目 3勝4敗
2006年秋場所   東序二段七十九枚目 4勝3敗
2006年九州場所  西序二段五十一枚目 1勝6敗
2007年初場所   西序二段八十九枚目 3勝4敗
2007年春場所   東序二段百六枚目  4勝3敗
2007年夏場所   東序二段七十六枚目 3勝4敗
2007年名古屋場所 西序二段九十四枚目 3勝2敗2休(2敗中、1敗は不戦敗)
2007年秋場所   西序二段百十八枚目 5勝2敗
2007年九州場所  東序二段七十四枚目 1勝6敗
2008年初場所   東序二段百十七枚目 4勝3敗
2008年春場所   西序二段八十枚目  4勝3敗 
2008年夏場所   西序二段五十四枚目 2勝5敗   
2008年名古屋場所 東序二段八十六枚目 4勝3敗   
2008年秋場所   東序二段六十二枚目 2勝5敗 
2008年九州場所  西序二段九十五枚目 4勝3敗
2009年初場所   西序二段七十枚目  1勝6敗
2009年春場所   西序二段百十一枚目 4勝3敗  
2009年夏場所   西序二段八十枚目  休場
2009年名古屋場所 西序ノ口二十五枚目 1勝0敗6休  
2009年秋場所   東序の口二十六枚目 5勝2敗
2009年九州場所  東序二段八十六枚目 3勝4敗
2010年初場所   東序二段百六枚目   2勝5敗
2010年春場所   西序の口二枚目   4勝3敗
2010年夏場所   西序二段八十枚目  2勝5敗
2010年名古屋場所 東序二段百七枚目  2勝5敗
2010年秋場所   東序ノ口七枚目   5勝2敗
2010年九州場所  西序二段七十五枚目  2勝5敗
2011年初場所   東序二段百五枚目  4勝3敗
2011年夏場所   東序二段六十九枚目 2勝5敗
2011年名古屋場所 東序二段八十四枚目 3勝4敗
2011年秋場所   東序二段九十五枚目 4勝3敗  
2011年九州場所  東序二段六十一枚目  3勝4敗
2012年初場所   西序二段七十九枚目 4勝3敗
2012年春場所   東序二段四十九枚目 3勝4敗
2012年夏場所   東序二段七十三枚目 4勝3敗
2012年名古屋場所 西序二段四十六枚目 2勝5敗
2012年秋場所   西序二段八十五枚目 4勝3敗
2012年九州場所  西序二段五十二枚目 4勝3敗
2013年初場所   東序二段二十八枚目 1勝6敗
2013年春場所   東序二段六十三枚目 4勝3敗
2013年夏場所   西序二段三十四枚目 2勝5敗
2013年名古屋場所 東序二段六十六枚目 3勝4敗


最高位 序二段28  通算224勝269敗19休
通算出場回数 492 勝率 45.5%

 2001年春場所で前相撲を取り、二番出世し、夏場所、名古屋場所とつづいて三勝四敗の成績でした。最初の出足としては悪くないといえます。
 体重は十分で、相撲の早い動きにもかなりのところまでついて行けるようです。これで経験を積めば、将来の見通 しは明るいでしょう。秋場所ではめでたく勝ち越し、九州場所番付では自己最高位、序二段への昇進がかないました。これを契機として将来への道が開けて行く よう、期待してやみません。
 九州場所では、出足はよかったのですが、疲れたのか、後半で三連敗してしまいました。一番の差で勝ち越せたのに、惜しいことです。不調はその後も続いています。今は序二段への復帰、定着を当面の目標として、頑張るだけで十分だと思います。
 名古屋場所はやっと勝ち越しました。二度目の勝ち越しで、秋場所番付では最高位に達していましたが、惜しくも一勝六敗、九州場所でも一敗差の負け越しでした。
 ところが、2003年初場所では、入門以来はじめての、五勝二敗の好成績をあげ、春場所番付では自己最高位の 西序二段七十四枚目に達しました。いよいよ大変身のきざしが見えたといえるのでしょうか。今後の成長がたのしみになって来ましたが、結果は惜しくも一敗差 での負け越し、この状態は秋場所までつづいています。
 残念ながら、肺炎になり、九州場所は休場せざるをえない状況でしたが、三休だけですみました。夏場所の成績お見ると、どうもどこかが悪いでしょう。
 2004年名古屋場所では、9場所ぶりの好成績になりました。九州場所でも、勝越しましたので、これで2004年の三回目の勝越しになります。
 2006年初場所では、一年半ぶり優れた成績をみせました。春場所の番付では序二段六十枚目で自己最高位でした。それから、名古屋場所の番付でも序二段五十二枚目で自己最高位です。
 2008年、このところ、豊ノ島の付人になっているせいなのか、責任感も出たようで、もう少し頑張れるようになった感じがします。
  2009年秋場所、休場明けの、2年ぶりの5勝2敗で、おめでとうございます。
 両膝の怪我も大分悪そうです。
 

 なお、雑誌「大相撲」2003年2月号117ページに、NHK緒方喜治アナウンサーの署名記事「注目力士各段ピンアップ」で内山の紹介が出ています。内山のことが記事になったのははじめてで、本人にはどんなにかうれしいことでしょう。

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勇輝  (ゆうき)
山崎 
勇大 (やまさき・ゆうだい) 改め勇大
西三段目六十六枚目
1989年9月7日生 宮崎県宮崎市出身
2005年春場所入門 
179cm 115.8kg  
<>2005年夏場所   東序ノ口三十六枚目  1勝6敗
2005年名古屋場所 西序ノ口三十六枚目  4勝3敗
2005年秋場所   西序二段百二十九枚目 1勝6敗
2005年九州場所  西序ノ口十九枚目   4勝3敗
2006年初場所   西序二段百十二枚目  1勝6敗
2006年春場所   東序ノ口十四枚目   3勝4敗
2006年夏場所   西序二段百二十九枚目 3勝4敗
2006年名古屋場所 西序ノ口七枚目    2勝5敗
2006年秋場所   西序ノ口二十枚目   4勝3敗
2006年九州場所  西序二段百七枚目   3勝4敗
2007年初場所   西序ノ口筆頭     4勝3敗
2007年春場所   西序二段九十一枚目  2勝5敗
2007年夏場所   東序二段百十七枚目  3勝4敗 
2007年名古屋場所 東序ノ口二枚目    4勝3敗
2007年秋場所   東序二段九十九枚目  3勝4敗
2007年九州場所  東序二段百十八枚目  3勝4敗
2008年初場所   西序ノ口五枚目    5勝2敗
2008年春場所   東序二段七十三枚目  4勝3敗 
2008年夏場所   西序二段四十七枚目  3勝4敗   
2008年名古屋場所 西序二段六十八枚目  4勝3敗   
2008年秋場所   西序二段四十四枚目  4勝3敗
2008年九州場所  西序二段十六枚目   3勝4敗
2009年初場所   東序二段三十九枚目  5勝2敗
2009年春場所   西序二段三枚目    2勝5敗
2009年夏場所   東序二段三十六枚目  4勝3敗
2009年名古屋場所 東序二段十三枚目   4勝3敗
2009年秋場所   東三段目九十五枚目  2勝5敗
2009年九州場所  西序二段十七枚目   4勝3敗
2010年初場所   西三段目九十八枚目   3勝4敗
2010年春場所   西序二段十七枚目   3勝4敗
2010年夏場所   西序二段三十五枚目  6勝1敗
2010年名古屋場所 東三段目七十三枚目  2勝5敗
2010年秋場所   西三段目百枚目    4勝3敗
2010年九州場所  東三段目八十一枚目   2勝5敗
2011年初場所   東序二段十一枚目   4勝3敗
2011年夏場所   東三段目九十一枚目  3勝4敗
2011年名古屋場所 西三段目九十五枚目  4勝3敗
2011年秋場所   西三段目七十三枚目  0勝1敗6休 (初日の1敗は不戦敗)
2011年九州場所  西序二段三十三枚目   6勝1敗
2012年初場所   東三段目六十八枚目  5勝2敗
2012年春場所   東三段目三十八枚目  2勝5敗
2012年夏場所   東三段目六十八枚目  2勝5敗
2012年名古屋場所 西三段目九十一枚目  5勝2敗
2012年秋場所   東三段目六十枚目   2勝5敗
2012年九州場所  西三段目八十五枚目  5勝2敗
2013年初場所   西三段目五十一枚目  2勝5敗
2013年春場所   西三段目七十二枚目  4勝3敗
2013年夏場所   東三段目五十四枚目  3勝4敗
2013年名古屋場所 西三段目六十六枚目  3勝4敗
 

最高位 三段目38  通算159勝177敗7休
通算出場回数 336 勝率 47.3%

 

  勇大は陽気で勝ち気な青年です。

  2008年初場所、初めての5勝2敗という好成績をあげて、おめでとうございます!春場所には自己最高位になりました。かなり上へ上がったのに、勝越できたのは偉いことです。夏場所には、2場所続けて自己最高位でしたので、やはり勝越しにはなりませんでした。
 
  名古屋場所には勝越しましたので、秋場所の番付にはまた自己最高位になりました。最近の全体的成績を見ると、 かなりやる気が出て強くなったと言えるでしょう。秋場所にも、自己最高位で、勝越しましたので、九州場所にもまた自己最高位になりました。九州場所には勝 越しまでなれなかったですけれども、今年中順調に番付を上げましたので、大分がんばったと言えます。

  2009年春場所の番付には、序二段三枚目で、自己最高位になります。 秋場所には、三段目に昇進しました。本当に、おめでとうございます!でも、残念に、まだちょっと速かったのかも知れません。

  2010年初場所、二場所ぶり三段目帰りで、前よりよい成績をあげたのですが、まだ勝ち越しではないですけれ ども、よくがんばったと言えるでしょう。夏場所には、6勝1敗の著しい成績をあげたので、名古屋場所には三段目に帰り、五場所ぶりに自己最高位です。かな りあがりましたので、ちょっと大変な場所になりそうですけれども、がんばってほしいです。

  2010年秋場所から、勇輝と改名しました。
  2011年秋場所、初日に目を痛めて、手術を受けましたが、場所全休になってしまいました。

  2012発場所番付では、東三段目68枚目で自己最高位になっています。続いて,春場所にも自己最高位で、部屋頭になりました。

「相撲」2010年七月号、「稽古に精進し夢をつかみたい!」という記事で、勇大の紹介があります。

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日向龍 (ひゅうがりゅう)
金井 武志 (かない・たけし)改め
西序ノ口三枚目
1988年1月27日生 宮崎県日向市出身
2005年名古屋場所入門 
178cm 111.6kg  
  
2005年秋場所   西序ノ口四十二枚目  3勝4敗
2005年九州場所  東序ノ口二十四枚目  1勝6敗
2006年初場所   東序ノ口三十枚目   2勝5敗
2006年春場所   西序ノ口二十四枚目  休場
2006年夏場所   番付外
2006年名古屋場所 番付外
2006年秋場所   番付外
2006年九州場所  番付外(前相撲)
2007年初場所   東序ノ口三十四枚目  1勝6敗
2007年春場所   西序ノ口二十六枚目  2勝5敗
2007年夏場所   西序ノ口四枚目    3勝4敗
2007年名古屋場所 西序ノ口九枚目    2勝5敗
2007年秋場所   東序ノ口二十一枚目  3勝4敗
2007年九州場所  東序ノ口十六枚目   2勝5敗
2008年初場所   東序ノ口二十三枚目  4勝3敗
2008年春場所   西序二段百枚目    2勝5敗
2008年夏場所   東序二段百二十枚目  2勝5敗   
2008年名古屋場所 東序ノ口八枚目    4勝3敗 
2008年秋場所   東序二段百五枚目   1勝6敗
2008年九州場所  東序ノ口六枚目    1勝6敗
2009年初場所   東序ノ口二十枚目   4勝3敗
2009年春場所   東序二段九十四枚目  3勝4敗 
2009年夏場所   東序二段百十二枚目  3勝4敗
2009年名古屋場所 西序二段百二十一枚目 4勝3敗
2009年秋場所   東序二段八十七枚目  2勝3敗2休(3敗中、1敗は不戦敗)
2009年九州場所  西序二段百十枚目   2勝5敗
2010年初場所   西序ノ口七枚目     5勝2敗
2010年春場所   東序二段七十二枚目  0勝7敗
2010年夏場所   西序ノ口五枚目    4勝3敗
2010年名古屋場所 東序二段九十三枚目  2勝5敗
2010年秋場所   東序二段百二十枚目  4勝3敗
2010年九州場所  西序二段八十五枚目   3勝4敗
2011年初場所   東序二段百四枚目   3勝4敗
2011年夏場所   東序二段百七枚目   2勝5敗
2011年名古屋場所 西序二段九十九枚目  4勝3敗
2011年秋場所   東序二段六十六枚目  2勝5敗 
2011年九州場所  西序二段八十九枚目   3勝4敗
2012年初場所   東序二段九十二枚目  0勝1敗6休 (初日の1敗は不戦敗)
2012年春場所   東序ノ口十三枚目   4勝3敗
2012年夏場所   西序二段七十一枚目  3勝4敗
2012年名古屋場所 東序二段九十枚目   3勝4敗
2012年秋場所   東序二段九十九枚目  4勝3敗
2012年九州場所  東序二段六十一枚目  3勝4敗
2013年初場所   西序二段七十九枚目  3勝4敗
2013年春場所   東序二段七十七枚目  全休
2013年夏場所   西序ノ口三枚目    全休



5月29日、引退発表

最高位 序二段61  通算103勝162敗24休 

通算出場回数 263 勝率 39.2% 
 

  2006年春場所には、病気のために休場することになりました。それで夏場所からすぐ番付外になってしまいました。
  九州場所にまた前相撲で始まり、2007年初場所の番付にまた出ました。
  2008初場所、十場所目で、初の勝越、おめでとうございます!春場所の番付には初めて序二段に上がります。
  名古屋場所の勝越は、今年二番目の勝越になりますので、前と比べてかなりの向上が見えます!右の耳も相当につぶれてしまい、稽古の激しさを暗示させています。
  秋場所と九州場所の成績を見ると、自分の普通の成績よりかなりの差があります。怪我をしているのかもわかりません。もしかすると、秋場所の始めに頭と背中で土俵の下に落ちた時に(うっちゃりのような動きで対戦相手にも追われて)大怪我をしたのかもしれません。
  2009年春場所の番付には、自己最高位になります。 秋場所にも自己最高位です。
  2010年初場所は初めての5勝という成績をあげました。努力をすればやはり成績が出ますね!嬉しいでしょう!おめでとうございます!
  春場所は、やはり家賃が高かすぎたですね!来場所がんばって!
  秋場所の勝ち越しでは、今年5場所中、三回目の勝ち越しです。
  2011年五月から日向龍と改名しました。
 
 
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霧嵐 聖 (きりあらし)
小島 聖 (こじま・せい)改め
東三段目九十四枚目
1990年4月18日生 茨城県稲敷市出身
2006年春場所入門 
175cm 135.1kg  
  
2006年夏場所   東序ノ口三十七枚目  3勝4敗
2006年名古屋場所 東序ノ口二十六枚目  4勝3敗
2006年秋場所   東序二段百十八枚目  2勝5敗
2006年九州場所  東序ノ口十枚目    1勝6敗
2007年初場所   西序ノ口二十二枚目  5勝2敗
2007年春場所   西序二段九十枚目   3勝4敗
2007年夏場所   東序二段百七枚目   2勝5敗 
2007年名古屋場所 西序ノ口四枚目    4勝3敗
2007年秋場所   東序二段百五枚目   3勝4敗
2007年九州場所  西序二段百二十一枚目 4勝3敗
2008年初場所   西序二段八十九枚目  3勝4敗
2008年春場所   西序二段百五枚目   4勝3敗
2008年夏場所   西序二段七十六枚目  1勝6敗   
2008年名古屋場所 西序二段百十九枚目  4勝3敗   
2008年秋場所   東序二段九十二枚目  5勝2敗  
2008年九州場所  東序二段三十九枚目   休場
2009年初場所   西序二段百九枚目        休場
2009年春場所   東序ノ口二十一枚目  4勝3敗  
2009年夏場所   東序二段百二枚目   5勝2敗
2009年名古屋場所 西序二段四十八枚目  0勝4敗3休 
2009年秋場所   西序二段百八枚目    休場
2009年九州場所  西序ノ口二十四枚目  5勝2敗
2010年初場所   西序二段七十九枚目  4勝3敗
2010年春場所   西序二段四十七枚目  3勝4敗
2010年夏場所   西序二段七十一枚目  5勝2敗
2010年名古屋場所 西序二段三十枚目   2勝5敗
2010年秋場所   東序二段六十八枚目  5勝2敗
2010年九州場所  東序二段二十四枚目  2勝5敗
2011年初場所   東序二段六十一枚目  4勝3敗
2011年夏場所   西序二段三十四枚目  5勝2敗
2011年名古屋場所 東三段目八十五枚目  4勝3敗
2011年秋場所   東三段目六十六枚目  3勝4敗
2011年九州場所  西三段目八十三枚目  3勝4敗
2012年初場所   西序二段二枚目    6勝1敗
2012年春場所   東三段目四十枚目   3勝4敗
2012年夏場所   東三段目五十八枚目  2勝5敗
2012年名古屋場所 西三段目八十三枚目  4勝3敗
2012年秋場所   東三段目六十六枚目  4勝3敗
2012年九州場所  西三段目四十九枚目  2勝5敗
2013年初場所   東三段目七十四枚目  3勝4敗
2013年春場所   東三段目八十九枚目  3勝4敗
2013年夏場所   西序二段十三枚目   4勝3敗
2013年名古屋場所 東三段目九十四枚目  4勝3敗
 
 
最高位 三段目40  通算137勝140敗24休
通算出場回数 277    勝率 49.5%
  いい体をしているし、真面目そうに稽古をしているので、これから強くなるでしょう。
  2008年夏場所の番付では自己最高位です。
  九州場所番付には、夏場所の自己最高位だった序二段七十六枚目から、東序二段三十九枚目となり、かなりの上昇となります!
  2009年九州場所、霧嵐と改名します。2010年初場所は、序二段七十九枚目での初めての勝ち越しです。春場所は初めてこの番付で場所を向いました、いわゆる自己最高位の場所(この前の最高位だった時は休場)でしたので、3勝4敗の成績はまあまあでしょうね。
  2010年名古屋場所、二年ぶりに自己最高位です。九州場所にも自己最高位です。
  2011年名古屋場所に、三段目に上がっています。

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霧虎 雅仁 (きりとら)
小林 雅仁 (こばやし・まさひと))改め
東三段目二十四枚目
1993年3月23日生 山梨県甲府市出身
2008年春場所入門(3番出世)
177cm 116.5kg 

2008年夏場所   東序ノ口四十二枚目   5勝2敗   
2008年名古屋場所 東序二段百十三枚目   4勝3敗   
2008年秋場所   西序二段八十五枚目   1勝6敗
2008年九州場所  東序二段百十六枚目   2勝5敗
2009年初場所   東序ノ口六枚目     3勝4敗
2009年春場所   東序ノ口四枚目     5勝2敗
2009年夏場所   東序二段七十四枚目   2勝5敗
2009年名古屋場所 東序二段百六枚目    3勝4敗
2009年秋場所   西序二段百十九枚目   4勝3敗
2009年九州場所  西序二段八十二枚目   4勝3敗
2010年初場所   東序二段五十五枚目    5勝2敗
2010年春場所   西序二段十五枚目    3勝4敗
2010年夏場所   東序二段三十六枚目   3勝4敗
2010年名古屋場所 西序二段五十三枚目   5勝2敗
2010年秋場所   西序二段十五枚目    3勝4敗
2010年九州場所  西序二段四十枚目     4勝3敗
2011年初場所   東序二段十八枚目    3勝4敗
2011年夏場所   西序二段四十枚目    4勝3敗
2011年名古屋場所 西序二段九枚目     6勝1敗
2011年秋場所   東三段目四十六枚目   3勝4敗
2011年九州場所  西三段目六十三枚目    5勝2敗
2012年初場所   西三段目三十七枚目   1勝6敗
2012年春場所   東三段目八十枚目    4勝3敗
2012年夏場所   東三段目六十五枚目   3勝4敗
2012年名古屋場所 西三段目八十一枚目   6勝1敗
2012年秋場所   東三段目二十四枚目    全休
2012年九州場所  西三段目八十四枚目    全休
2013年初場所   東序二段四十五枚目    全休

最高位 三段目24 通算91勝84敗21休
通算出場回数 175    勝率 52 %
 
  初場所後、引退発表

2009年秋場所からしこ名を霧虎に変えました。

2011年名古屋場所には、自己最高位になります。 場所の優れた結果で、秋場所、三段目昇進、なんと六十三枚も上がっています。上がったわりを考えていると、勝ち越しまでいかなくても、満足できる成績を果たしたのではないかと言えるのではないでしょうか。

2012初場所の番付では、三段目三十七枚目で、自己最高位です。 秋場所の番付では、三段目二十四枚目で、自己最高位になりました。






霧の富士 秀幸 (きりのふじ・ひでゆき)
八藤 秀幸 (やとう・ひでゆき)改め

東三段目九十二枚目
1994年7月28日生 鹿児島県出身
2011年初場所入門
185cm 95kg 

2011年夏場所   東序ノ口二十三枚目    4勝3敗
2011年名古屋場所 西序二段七十枚目     3勝4敗
2011年秋場所   西序二段八十七枚目    4勝3敗 
2011年九州場所  東序二段五十八枚目    3勝4敗
2012年初場所   西序二段七十七枚目    3勝4敗
2012年春場所   西序二段八十八枚目    4勝3敗
2012年夏場所   東序二段五十六枚目    3勝4敗
2012年名古屋場所 西序二段七十九枚目    4勝3敗
2012年秋場所   西序二段五十枚目     4勝3敗
2012年九州場所  西序二段二十三枚目    4勝3敗
2013年初場所   東序二段四枚目      4勝3敗
2013年春場所   東三段目八十六枚目    3勝4敗
2013年夏場所   東序二段十二枚目     4勝3敗
2013年名古屋場所 西三段目九十二枚目    4勝3敗


最高位 三段目86 通算51勝47敗
通算出場回数 98    勝率 52 %


愛想の良い青年です。緊張しすぎて、負けてしまうのが残念です。
夏場所の番付では自己最高位になります。秋場所の番付では自己最高位です。





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有島
 
正樹 (ありしま・まさき)


東序二段二十三枚目
1990年9月27日生 鹿児島県鹿屋市出身
2012年名古屋場所入門
184cm 125kg 

2012年秋場所   西序ノ口十九枚目   全休
2012年九州場所  番付外
2013年初場所   東序ノ口十五枚目  6勝1敗
2013年春場所   東序二段二十五枚目 4勝3敗
2013年夏場所   西序二段三枚目   3勝4敗
2013年名古屋場所 東序二段二十三枚目 6勝1敗

最高位 序二段3  通算19勝9敗  7休
通算出場回数 28    勝率 67.9 %






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藤原 龍太郎 (ふじわら・りゅうたろう)

西序二段七十二枚目
1997年6月13日生 鹿児島県大島郡喜界町出身
2013年春場所入門
181cm 129kg 


2013年夏場所   東序ノ口十四枚目    4勝3敗
2013年名古屋場所 西序二段七十二枚目   4勝3敗





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朝野 龍矢 (あさの・りゅうや)

東序二段七十三枚目
1991年6月28日生 鹿児島県垂水市出身
2013年春場所入門
178cm 120kg 


2013年夏場所   東序ノ口十五枚目     4勝3敗
2013年名古屋場所 東序二段七十三枚目    2勝5敗














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八藤 新悟 (やとう・しんご)

西序ノ口二十二枚目
1995年7月24日生 鹿児島県鹿屋市出身
2013年夏場所入門
169cm 77 kg 


2013年名古屋場所 西序ノ口二十二枚目   2勝5敗



註 この人は4日目の前相撲の際、西馬戦で指し違いで黒星の対象になりました。とてもはっきりした勝負でしたため、行司はすぐ八藤の方に軍配をあげましたけれども、審判長に逆方向にあげさせるように合図を受けました。
残念なことでした。







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前田 隆貴 (めえだ・りゅうき)

前相撲
1997年8月15日生 鹿児島県湧水町出身
2013年名古屋場所入門
177 cm 67 kg 








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慎  (しん)

呼出し

本名 山木真之介
1994年1月1日生 大阪府枚方市出身
2009年夏場所入門
 
 




 始めの一年は、よく慣れなかったので、かなり緊張しているような感じがしましたけれども、少し経って、かなり上手になりました。今、
まだ母音の発音が少し弱いですけれども、独特な歌声があります。
 土俵造りが苦手だそうですが、太鼓が大好きで、うまくなったそうです。
呼び出しの仕事も、いろいろあって、思えるほどに簡単ではないと気がつきます。それに、場所の時、一日中、始終土俵周りで素早く行ったり来たりしているのを見ていると、力士たちより運動量が激しいと言えるでしょう。




 
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式守一之助  (いちのすけ)

行司

本名 加藤 萌夢
1997年1月25日生 愛知県名古屋市出身
2012年夏場所、式守一(はじめ)として入門
2013年初場所から、一(はじめ)から一之助と改名
 
 




 




 
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 床大 (とこだい)

二等床山
(平成19年初場所から二等に昇進)
本名 大橋太司
1970年7月24日生 新潟県出身
1986年九州場所入門
 控えめな人で、目立ちませんが、なんでもできるふしぎな才能の持ち主です。この人の結ったまげはしっかりしていて、な かなか崩れません。わかりの早いことも驚異的で、一言いえば十を察するといったタイプです。稽古の様子もよく見ていて、自分もさまざまの準備運動をしま す。もし身長がもう少しあれば、力士になりたかったのだそうですが、今では床山になってやはりよかったと言っています。料理をするのは好きで、手際もいい し、この人がちょっと手を加えるだけで、ちゃんこがひと味違います。お酒を飲み過ぎるのが玉に瑕だということを聞いたことがありますが、めずらしい好人物 です。あくまでも分を忘れない、立派な人で、技術、人柄ともに、隠れた名床山だといえます。

 2005年4月23日に結婚式をあげました。相手は橋本愛理さんと言い、21才です。おめでとうございます。心からお幸せお祈っています。


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