このページは、メンバーたちのことがよくわかるように構成してあります。各力士のデータのあとに、それぞれの横顔を描いていますが、この部分は、もちろん起草者の個人的見解です。
師匠
元大関 霧島本名 吉永一美 1959年4月3日生
鹿児島県姶良郡牧園町出身 1975年春場所入門
最高位 東大関
優勝1回 殊勲賞3回 敢闘賞1回 技能賞4回 金星2
通算754勝696敗40休
通算出場回数 1450 (なお、いろいろの統計で、1447というのはまちがいです。)
勝率 52.0% (大関としての勝率は64.7%)
1996年3月24日引退 年寄錣山(しころやま)襲名
1997年5月 年寄勝ノ浦襲名
1997年12月 年寄陸奥襲名
2010年2月1日理事当選され(任命の詳細)、8月23日から、広報部長から総合部長に任命。
年寄本名 吉崎 克幸
元前頭筆頭 薩洲洋(さっしゅうなだ)
四股名 薩洲洋
1957年6月7日生 鹿児島県指宿市出身
1976年初場所初土俵
1984年名古屋場所新十両
1986年秋場所入幕 幕内在位 19場所
1992年秋場所 最終場所年寄名 : 錣山→春日山→熊ヶ谷立(前所属部屋:井筒部屋)
最高位 前頭筆頭 通算548勝532敗7休
得意技 突き、押し
(2005年一月から井筒部やから陸奥部屋に転属)
稽古場はもちろん、日常生活などでも見せるちょっとした体の動きかたを見ただけでも、長いあいだ上位でやって来た人だ ということが、すぐわかりますし、余裕十分の垢抜けた雰囲気をこの人はかもし出し、自分の生き方と人格とが完全にマッチしている人を見るときの安心感のよ うなものを感じさせるのです。ふだんはめがねをかけているのがちょっと残念ですが、威厳とエレガンスを兼ね備えているのがよくわかります。また、美声でも 知られていて、相撲甚句の名手です。年寄本名 吉種弘道
元準年寄 敷島勝盛、2002年1月17日より年寄立田川勝盛、同9月17日からは年寄富士ヶ根 勝盛となる。その後、勝盛を誉基(よしもと)と改名。2003年1月22日より錦島を襲名し、錦島佑元(すけもと)となる。2007年5月16日から小野 川となる。2007年8月から、下の名前を弘道に戻す。2009年3月25日から2010年7月12まで谷川となる。 2010年7月12日から安治川となる。
親方の個人ブログ、どうぞお楽しみ
四股名 敷島勝盛
1970年12月15日生 千葉県船橋市出身
1989年初場所初土俵
1993年夏場所新十両
1994年九州場所入幕 幕内在位 28場所
2001年5月13日引退、翌日から準年寄敷島となる
2002年1月17日、立田川を襲名、年寄となる
2002年9月17日、富士ヶ根と改名
2003年1月22日、錦島を襲名最高位 前頭筆頭 通算416勝418敗30休
(幕内戦歴 175勝228敗17休)
通算出場回数 835 勝率 49.9%
金星2 (1998年春場所と夏場所、ともに貴乃花から)
十両優勝1回 幕下優勝1回
得意技 左四つ、左差し、右上手、寄り切り、上手投げ
2002年初場所五日目に、立田川の名跡をうけ、年寄となりました。かつては敷島自身も所属していた名門の立田川を襲名したことは、感慨もひとしおでしょう。これについては、雑誌「相撲」2002年2月号の107ページに記事が出ています。
病気のために辞めることになった当時は息が切れ、体が動かなくて力も衰え、本当に口惜しかったけれども、今の
心境としては昔は昔として割り切り、若いもののことを考えて、後進の育成に全力を尽くすことが今の生きがいになり、自分の経験を若いものに伝えて行くこと
こそ、未来につながる道だと考えていると言っています。
NHKテレビでの解説もやっていて、個性にあふれた解説をするので、評判がいいようです。その他、相撲についての感想、見方、自分の部屋のことを、2002年の秋以来、毎月、Sportivaという雑誌に書き続いています。好きな仕事ですから熱心にやっているそうです。
2002年9月17日、湊富士が引退して立田川を襲名することになり、これにともなって敷島は富士ヶ根親方と改名しました。2003年1月22日からは錦島親方となりました。
相撲協会の部署編成替えで、2003年秋場所から九州場所担当親方となっています。
2007年4月28日(土)、午後1:55〜2:25、テレビ東京のザドキュメンタリーという番組に出演される予定です。
2008年七月末現在、九州場所館内の席のために、新しい、もっと合理的な設計のことを考えているところだそうです。福岡の方々、どうぞお楽しみにして下さい。
若者頭(わかいものがしら)
本名 福田邦男もともとは立田川部屋の若者頭だった人ですが、立田川部屋の正式併合に先立って、2000年の始めごろから陸奥部屋の 稽古に立ち会い、陸奥親方とならんで稽古場に座り、熱心に指導をしています。稽古の間は注意深くみんなの様子を観察し、こまめにノートをとっていたのが印 象的です。静かな人で、弟子たちに注意をする時も声を荒らげたりすることはありません。なにごとも実に良心的になしとげるといった感じが眼に見え、この人 がそこにいるだけで安心感を与えるのです。人間味があり、近付きがたいという印象は受けません。
改名歴 福田→福ノ里→之里
1961年6月4日生 岩手県九戸郡出身
初土俵 1978年 7月(立田川部屋)
新十両 1989年秋場所
最終場所 1993年5月
最高位 十両13
通算333勝294敗7休
得意技 右廻し、上手投げ、寄り
東前頭十七枚目敷島に次いで長い相撲人生を送ってきた人で、それは、怪我と不運との闘いだったのです。いかにも苦労人らしい、人間味 と思いやりのある人格の持ち主です。心を開いての率直な人間関係をもてる人で、近寄りやすく、威張った顔はまったく見せません。はるか下の弟子たちへも寛 容さと同情にあふれたまなざしを送っているのが印象的で、好感を呼びます。相撲甚句が得意で、パーティーなどで披露してくれます。合いの手は琉鵬が入れ、 呼吸がよく合っています。
嘉人(とよざくら よしひと)から、2003年7月、保勝と改名、2007年1月から俊昭と改名
本名 向 俊明
1974年3月12日生 広島市安佐北区可部出身
1989年春場所初土俵
1998年秋場所新十両
2003年九州場所新入幕
183cm 134kg
2000年秋場所 西幕下筆頭 5勝2敗
2000年九州場所 西十両九枚目 8勝7敗
2001年初場所 西十両七枚目 5勝10敗
2001年春場所 西十両十一枚目 1勝3敗11休(3敗は不戦敗1をふくむ)
2001年夏場所 西幕下九枚目 公傷休場
2001年名古屋場所 西幕下九枚目 5勝2敗
2001年秋場所 東幕下四枚目 4勝3敗
2001年九州場所 西幕下二枚目 3勝4敗
2002年初場所 西幕下六枚目 3勝4敗
2002年春場所 西幕下十二枚目 6勝1敗
2002年夏場所 東幕下二枚目 7勝0敗 全勝で幕下優勝
2002年名古屋場所 東十両八枚目 5勝10敗
2002年秋場所 東十両十二枚目 11勝4敗
2002年九州場所 西十両六枚目 7勝8敗
2003年初場所 西十両八枚目 4勝11敗
2003年春場所 東幕下二枚目 5勝2敗
2003年夏場所 東十両十二枚目 9勝6敗
2003年名古屋場所 西十両五枚目 9勝6敗
2003年秋場所 西十両二枚目 10勝5敗
2003年九州場所 東前頭十四枚目 6勝9敗
2004年初場所 東十両筆頭 8勝7敗
2004年春場所 西前頭十五枚目 6勝9敗
2004年夏場所 西十両筆頭 9勝6敗
2004年名古屋場所 東前頭十四枚目 12勝3敗(準優勝、敢闘賞)
2004年秋場所 東前頭五枚目 5勝10敗
2004年九州場所 東前頭八枚目 3勝12敗
2005年初場所 東十両二枚目 9勝6敗
2005年春場所 西前頭十四枚目 8勝7敗
2005年夏場所 西前頭十枚目 4勝11敗
2005年名古屋場所 西前頭十六枚目 9勝6敗
2005年秋場所 西前頭十一枚目 4勝11敗
2005年九州場所 西十両筆頭 10勝5敗
2006年初場所 西前頭十二枚目 7勝8敗
2006年春場所 東前頭十四枚目 4勝11敗
2006年夏場所 西十両三枚目 10勝5敗 十両優勝
2006年名古屋場所 西前頭十四枚目 5勝10敗
2006年秋場所 東十両三枚目 11勝4敗 十両優勝同点
2006年九州場所 東前頭八枚目 5勝10敗
2007年初場所 東前頭十二枚目 3勝12敗
2007年春場所 東十両五枚目 7勝8敗
2007年夏場所 東十両七枚目 7勝8敗
2007年名古屋場所 東十両八枚目 8勝7敗
2007年秋場所 東十両三枚目 8勝7敗
2007年九州場所 西十両筆頭 5勝10敗
2008年初場所 西十両六枚目 7勝8敗
2008年春場所 西十両七枚目 8勝7敗
2008年夏場所 西十両三枚目 8勝7敗
2008年名古屋場所 西十両筆頭 6勝9敗
2008年秋場所 西十両四枚目 8勝7敗
2008年九州場所 西十両筆頭 6勝9敗
2009年初場所 東十両四枚目 10勝5敗
2009年春場所 東前頭十六枚目 5勝10敗
2009年夏場所 東十両五枚目 5勝10敗
2009年名古屋場所 東十両十二枚目 7勝8敗
2009年秋場所 東十両十三枚目 10勝5敗
2009年九州場所 西十両三枚目 5勝10敗
2010年初場所 東十両八枚目 7勝8敗
2010年春場所 東十両九枚目 8勝7敗
2010年夏場所 東十両七枚目 6勝9敗
2010年名古屋場所 東十両十一枚目 8勝7敗
2010年秋場所 東前頭十七枚目 6勝9敗
2010年九州場所 東十両二枚目 9勝6敗
2011年初場所 東前頭十七枚目 5勝10敗
最高位 前頭5 通算683勝671敗20休
通算出場回数 1354 勝率 50.5%
敢闘賞1回 十両優勝1回 幕下優勝2回 三段目優勝1回
得意技 右四つ、突っ張り、右差し、左上手、寄り切り
2000年九州場所以来十両の地位を占めて来たのですが、2001年春場所では、三日目の隆の鶴戦で負傷してし
まいました。右大腿筋部分断裂、八週間要治療で、公傷と認定されました。この結果、四日目の光法戦は不戦敗、その後は休場となり、幕下に落ちてしまいまし
た。豊桜の休場は、1998年九州場所以来のことで、まことに残念なことでした。
その後、成績は決して悪くなく、場所ごとに十両への復帰が期待されていたのですが、幕下上位には十両候補がひしめいているため、一進一退が続いていました。
しかし、2002年春場所での六勝一敗の好成績につづき、東幕下二枚目で迎えた夏場所の豊桜はすばらしい成果
をあげました。 これにより待望の十両復帰がかない、東十両八枚目となりました。七場所ぶりの関取復帰は、まことに夢のように喜ばしいことでした。
2003年九州場所に、新入幕がめでたく実現しました。報道によると、新入幕まで88場所かかっていて、史上第三位のスロー出世だということです。
2004年名古屋場所は三回目の入幕の場所でしたが、今度はなんと12勝3敗の大勝ちをし(優勝した横綱と一勝の差で)、しかもすばらしい相撲を見せま
した。これで、今場所唯一当たえられた三賞として、敢闘賞を受賞しました。
2005年初場所の新番付で、なんと前頭八枚目から、十両に陥落してしまいました。ただ不運といえるのでしょうか。
いろいろな怪我に悩まされる中で、2006年夏場所、初の十両優勝を獲得しました。
その後も、怪我をして稽古がろくにできませんでした。激しい相撲で、体中痛いところがいっぱいあるにしても、ずっとよくがんばり続けていると言えます。
2009年春場所:二年ぶり帰り入幕、おめでとうございます!
2010年現在、相撲人生21年で、年齢36才で(今年3月)、もうベテラン力士の中に入っています。まだ若々しい相撲をしていますけれども。
豊桜の入門以来、現在までの全星取り表(対戦相手を含む)が、大相撲2003年11月号に掲載されています。貴重な記録です。
新入幕にあたり、いろいろな記事や写真が各誌に出ています。敢闘賞受賞の時にも、各誌にも写真やインタービューが出ています。
NHK大相撲中継2005年一月号には豊桜の「インタビュー素顔総見」の記事があります。(4枚)
西幕下六枚目
元 階ケ嶽松太郎
本名 十文字友和
1976年6月9日生 青森県三戸郡階上町出身
1992年九州場所初土俵
1998年初場所新十両
2000年夏場所新入幕
185cm 159kg
2000年秋場所 東十両二枚目 9勝6敗
2000年九州場所 西前頭十二枚目 5勝10敗
2001年初場所 東十両三枚目 8勝7敗
2001年春場所 西前頭十三枚目 9勝6敗
2001年夏場所 東前頭七枚目 7勝8敗
2001年名古屋場所 東前頭九枚目 4勝11敗(千秋楽の不戦敗をふくむ)
2001年秋場所 東十両二枚目 公傷休場
2001年九州場所 東十両二枚目 8勝7敗
2002年初場所 西前頭十四枚目 6勝9敗
2002年春場所 西十両二枚目 11勝4敗
2002年夏場所 西前頭九枚目 6勝9敗
2002年名古屋場所 東前頭十二枚目 5勝10敗
2002年秋場所 西十両三枚目 10勝5敗
2002年九州場所 西前頭十三枚目 8勝7敗
2003年初場所 東前頭十一枚目 5勝10敗
2003年春場所 西前頭十四枚目 9勝6敗
2003年夏場所 東前頭九枚目 8勝7敗
2003年名古屋場所 東前頭六枚目 6勝9敗
2003年秋場所 西前頭八枚目 7勝8敗
2003年九州場所 東前頭十枚目 8勝7敗
2004年初場所 西前頭八枚目 8勝7敗
2004年春場所 西前頭六枚目 4勝11敗
2004年夏場所 西前頭十二枚目 8勝7敗
2004年名古屋場所 西前頭十一枚目 8勝7敗
2004年秋場所 東前頭十一枚目 9勝6敗
2004年九州場所 東前頭七枚目 5勝10敗
2005年初場所 西前頭十一枚目 9勝6敗
2005年春場所 東前頭七枚目 7勝8敗
2005年夏場所 西前頭七枚目 6勝9敗
2005年名古屋場所 西前頭十枚目 5勝10敗
2005年秋場所 東前頭十四枚目 6勝9敗
2005年九州場所 東前頭十七枚目 9勝6敗
2006年初場所 東前頭八枚目 7勝8敗
2006年春場所 東前頭九枚目 4勝11敗
2006年夏場所 西前頭十六枚目 8勝7敗
2006年名古屋場所 東前頭十三枚目 8勝7敗
2006年秋場所 西前頭十一枚目 4勝11敗
2006年九州場所 西十両二枚目 13勝2敗 十両優勝
2007年初場所 西前頭十枚目 4勝11敗
2007年春場所 西前頭十六枚目 4勝9敗2休(9敗は不戦敗1をふくむ)
2007年夏場所 東十両六枚目 6勝9敗
2007年名古屋場所 東十両九枚目 5勝10敗
2007年秋場所 西十両十三枚目 8勝7敗
2007年九州場所 東十両十二枚目 3勝12敗
2008年初場所 西幕下五枚目 3勝4敗
2008年春場所 西幕下九枚目 3勝4敗
2008年夏場所 東幕下十六枚目 4勝3敗
2008年名古屋場所 西幕下十三枚目 3勝4敗
2008年秋場所 西幕下二十枚目 6勝1敗
2008年九州場所 東幕下四枚目 4勝3敗
2009年初場所 東幕下三枚目 4勝3敗
2009年春場所 東幕下二枚目 4勝3敗
2009年夏場所 西十両十四枚目 9勝6敗
2009年名古屋場所 東十両十枚目 8勝7敗
2009年秋場所 東十両七枚目 7勝8敗
2009年九州場所 東十両八枚目 5勝10敗
2010年初場所 西十両十四枚目 6勝9敗
2010年春場所 西幕下三枚目 3勝4敗
2010年夏場所 西幕下六枚目 3勝4敗
2010年名古屋場所 東幕下十二枚目 7勝0敗 幕下優勝
2010年秋場所 東十両七枚目 4勝11敗
2010年九州場所 東十両十四枚目 4勝11敗
2011年初場所 西幕下六枚目 1勝6敗
最高位 前頭6 通算596勝606敗18休
通算出場回数 1201 勝率 49.6%
十両優勝、幕下優勝、三段目優勝1回ずつ
得意技 右四つ寄り、左上手、寄り切り
現在の陸奥部屋では、ずっと2004年秋場所までは最上位の力士でした。口数が少なく、よけいなことは言いませんが、穏やかな表情で、落ち着いていてしかも強さをそなえている人です。
しかし、部屋頭としての責任が重圧になっていることは疑いありません。心理的としかいえないような負け方をす
ることが多く、幕内と十両の間を行き来することが重なるのも、地位が上がるのにしたがって取り口を批判されることが多くなり、これによる精神面でのストレ
スがかなり響いているのではないかという気がしてなりません。
2006年に入ってから、怪我で調子が大変落ちてしまいました。秋場所には腰と右腕の怪我が悪化し、ろくに動けない程でした。その状態で15日間ちゃんと頑張りました。九州場所には、なんと、見事な13勝2敗の成績で十両優勝を獲得しました。腰の怪我を見るとなんと奇跡のようなことです。ただ、2007年中、怪我が治らず、二場所もそのままで我慢してから、とうとう春場所の終わり頃に休場になり、その後も成績が少しずつ落ちて、おしまいに今年の初場所に幕下まで落ちてしまいました。
2008年夏場所:4場所振りの勝越し、おめでとうございます。
この一年の逆境には気力をしかりしてかんばって下さいね。秋場所の好成績と九州場所の勝ち越しで、先が晴れて来るのが見えてきました。
九州場所の勝越で、初場所番付がただ一枚しか上がっていません。
2009年夏場所、八場所もかかって、関取に戻りました。
2010年名古屋場所、7勝全勝で幕下優勝を獲得して、秋場所、三場所ぶり、また十両に返ることになりました。
* * *
十文字は結婚することが決まり、式は2004年五月二十九日に予定されています。心から幸福を祈ります。お相手 は大分市在住、藤原華菜子さん(21才)。知人の紹介で約1年半前に知り合いました。それに、九月五日、優(のどか)ちゃんという赤ちゃんのハッピーなお 父さんになりました。
なお十文字は、「相撲」2002年3月号、『先代立田川夫人が急逝 おかみさん、安らかに』という題名で、もとのおかみさん、小笠原幸子さんの思い出を語っています。
十文字に関する記事はたくさんありますが、その中でも、「大相撲」2002年5月号に出た、写真入り3ページの紹介記事は、代表的なものです。
2002年12月に、「十文字ファンクラブ」が発足し、相撲絵師、松林モトキ氏がデザインした化粧まわ
しを贈り、十文字の錦絵(同じく松林氏の作品)の入った「十文字カレンダー」を発行しています。連絡先は、〒135-0016 東京都江東区東陽4-7-
10-406 渋谷直広様方「十文字ファンクラブ事務局」です。
また2003年2月には「NHK福祉大相撲」に出演し、歌を披露しています。
2004年11月号の「大相撲」には、4ページの長い記事、主に子供のころの話し、写真があります。
「相撲」、2005年1月号には、「赤ちゃんと一緒」のスナップショットがあります。
2009年7月25日、名古屋場所の十四日目:フランス人のファンから、十文字関への応援メッセージ
東幕下七枚目
<>本名 浦崎桂助
1977年6月18日生 沖縄県中頭郡中城村出身
1993年春場所初土俵
2002年九州場所新十両
2006年秋場所新入幕
184cm 144kg
2000年秋場所 東幕下四十枚目 5勝2敗
2000年九州場所 東幕下二十一枚目 4勝3敗
2001年初場所 西幕下十六枚目 3勝4敗
2001年春場所 西幕下二十六枚目 3勝4敗
2001年夏場所 東幕下三十四枚目 3勝4敗
2001年名古屋場所 西幕下四十三枚目 5勝2敗
2001年秋場所 西幕下二十七枚目 4勝3敗
2001年九州場所 東幕下二十四枚目 2勝5敗
2002年初場所 西幕下三十九枚目 4勝3敗
2002年春場所 東幕下三十四枚目 5勝2敗
2002年夏場所 東幕下十九枚目 4勝3敗
2002年名古屋場所 東幕下十三枚目 6勝1敗(幕下優勝 決定戦に参加)
2002年秋場所 東幕下二枚目 4勝3敗
2002年九州場所 西十両十一枚目 5勝10敗
2003年初場所 西幕下四枚目 2勝5敗
2003年春場所 西幕下十九枚目 6勝1敗
2003年夏場所 東幕下七枚目 3勝4敗
2003年名古屋場所 東幕下十二枚目 3勝4敗
2003年秋場所 東幕下二十枚目 5勝2敗
2003年九州場所 東幕下十一枚目 4勝3敗
2004年初場所 東幕下六枚目 3勝4敗
2004年春場所 西幕下十三枚目 3勝4敗
2004年夏場所 西幕下二十一枚目 3勝4敗
2004年名古屋場所 西幕下二十七枚目 4勝3敗
2004年秋場所 西幕下二十一枚目 5勝2敗
2004年九州場所 東幕下十三枚目 2勝5敗
2005年初場所 東幕下二十五枚目 6勝1敗
2005年春場所 東幕下十枚目 3勝4敗
2005年夏場所 東幕下十五枚目 5勝2敗
2005年名古屋場所 東幕下五枚目 5勝2敗
2005年秋場所 東十両十三枚目 7勝8敗
2005年九州場所 西十両十三枚目 8勝7敗
2006年初場所 東十両八枚目 11勝4敗
2006年春場所 東十両筆頭 5勝10敗
2006年夏場所 西十両五枚目 9勝6敗
2006年名古屋場所 東十両筆頭前頭 8勝7敗
2006年秋場所 東前頭十六枚目 4勝11敗
2006年九州場所 東十両五枚目 7勝8敗
2007年初場所 西十両五枚目 7勝8敗
2007年春場所 西十両七枚目 8勝7敗
2007年夏場所 西十両四枚目 4勝11敗
2007年名古屋場所 西十両十一枚目 6勝9敗
2007年秋場所 西十両十四枚目 5勝10敗
2007年九州場所 東幕下三枚目 3勝4敗
2008年初場所 東幕下八枚目 4勝3敗
2008年春場所 西幕下五枚目 4勝3敗
2008年夏場所 西幕下三枚目 4勝3敗
2008年名古屋場所 東幕下二枚目 2勝5敗
2008年秋場所 西幕下十一枚目 2勝5敗
2008年九州場所 東幕下二十五枚目 3勝4敗
2009年初場所 西幕下三十五枚目 5勝2敗
2009年春場所 西幕下二十一枚目 4勝3敗
2009年夏場所 東幕下十五枚目 4勝3敗
2009年名古屋場所 西幕下十枚目 4勝3敗
2009年秋場所 東幕下六枚目 5勝2敗
2009年九州場所 西幕下三枚目 4勝3敗
2010年初場所 東幕下二枚目 2勝5敗
2010年春場所 東幕下八枚目 5勝2敗
2010年夏場所 西幕下三枚目 2勝5敗
2010年名古屋場所 西幕下十一枚目 6勝1敗
2010年秋場所 東十両十四枚目 7勝8敗
2010年九州場所 西十両十四枚目 4勝11敗
2011年初場所 東幕下七枚目 3勝4敗
最高位 前頭16 通算443勝422敗12休
通算出場回数 865 勝率 51.2%
得意技 左四つ、寄り
・「新十両 琉鵬」
・「日本相撲協会ページでの情報」
見るからに真面目で、考え深そうな人です。よく眉をちょっとしかめているのが印象的です。自分で話すよりも相手の話をよく聴いているようで、常識にあふれた人格なのが眼に見えます。昔は沖縄の海で素潜りが得意だったという、根っからの琉球人です。
なお、雑誌大相撲の2001年10月号に、琉鵬についてのくわしい紹介記事(幕下訪問欄の全ページ記事、筆者は向井太)が出ています。
琉鵬の簡単な紹介記事が「注目力士各段ピンナップ」(緒方喜治)として大相撲2003年11月号に掲載されています。
琉鵬の新入幕の際に、2006年10月号の「相撲」も「大相撲」も琉鵬の写真を出しています。
ファンのブログ 美ら島のヒーロー@琉鵬ブログ
2006年、靖国神社にて
西序二段六十七枚目もの柔らかで、あまり目立ちたがらない人です。口数が少なく、静かで落ち着いていて、進んで他人の役に立ちます。英語を少ししゃべるのは部屋では珍しいことです。
元 山竜将太 (2001年7月から将太朗と改める)
本名 山本竜太
1981年3月15日生 東京都江戸川区西葛西出身
1996年春場所初土俵
179.5cm 115kg
2000年秋場所 西序二段六枚目 4勝3敗
2000年九州場所 東三段目八十八枚目 4勝3敗
2001年初場所 西三段目六十九枚目 2勝5敗
2001年春場所 西三段目九十六枚目 1勝6敗
2001年夏場所 西序二段二十九枚目 5勝2敗
2001年名古屋場所 東三段目九十五枚目 6勝1敗
2001年秋場所 東三段目三十五枚目 3勝4敗
2001年九州場所 東三段目五十三枚目 3勝4敗
2002年初場所 東三段目七十枚目 3勝4敗
2002年春場所 西三段目八十七枚目 4勝3敗
2002年夏場所 西三段目六十八枚目 2勝5敗
2002年名古屋場所 東三段目八十六枚目 5勝2敗
2002年秋場所 西三段目五十三枚目 4勝3敗
2002年九州場所 西三段目三十九枚目 1勝6敗
2003年初場所 西三段目七十五枚目 3勝4敗
2003年春場所 東三段目九十四枚目 0勝1不戦敗6休
2003年夏場所 西序二段五十四枚目 全休
2003年名古屋場所 西序ノ口四枚目 6勝1敗
2003年秋場所 西序二段四十一枚目 4勝3敗
2003年九州場所 西序二段十七枚目 6勝1敗
2004年初場所 西三段目五十三枚目 3勝4敗
2004年春場所 東三段目六十六枚目 4勝3敗
2004年夏場所 西三段目四十八枚目 3勝4敗
2004年名古屋場所 西三段目六十二枚目 4勝3敗
2004年秋場所 西三段目四十五枚目 全休
2004年九州場所 西序二段五枚目 4勝3敗
2005年初場所 東三段目八十七枚目 5勝2敗
2005年春場所 東三段目五十五枚目 2勝5敗
2005年夏場所 東三段目八十三枚目 3勝4敗
2005年名古屋場所 東三段目九十六枚目 4勝3敗
2005年秋場所 東三段目七十九枚目 4勝3敗
2005年九州場所 東三段目六十一枚目 4勝3敗
2006年初場所 東三段目四十七 3勝4敗
2006年春場所 東三段目六十一 1勝6敗
2006年夏場所 西三段目九十五枚目 4勝3敗
2006年名古屋場所 東三段目七十六枚目 1勝6敗
2006年秋場所 東序二段十二枚目 3勝4敗
2006年九州場所 西序二段三十三枚目 2勝5敗
2007年初場所 東序二段六十六枚目 4勝3敗
2007年春場所 西序二段四十一枚目 3勝4敗
2007年夏場所 東序二段五十九枚目 5勝2敗
2007年名古屋場所 東序二段十七枚目 2勝5敗
2007年秋場所 東序二段四十九枚目 3勝4敗
2007年九州場所 東序二段六十八枚目 4勝3敗
2008年初場所 東序二段四十枚目 4勝3敗
2008年春場所 東序二段十六枚目 4勝3敗
2008年夏場所 西三段目九十七枚目 3勝4敗
2008年名古屋場所 西序二段十六枚目 2勝5敗
2008年秋場所 西序二段四十九枚目 3勝4敗
2008年九州場所 東序二段七十一枚目 6勝1敗
2009年初場所 東序二段筆頭 3勝4敗
2009年春場所 西序二段二十二枚目 6勝1敗
2009年夏場所 東三段目五十九枚目 3勝4敗
2009年名古屋場所 西三段目七十四枚目 2勝3敗2休
2009年秋場所 西三段目九十九枚目 4勝3敗
2009年九州場所 西三段目七十九枚目 2勝5敗
2010年初場所 西序二段八枚目 2勝5敗
2010年春場所 東序二段三十九枚目 5勝2敗
2010年夏場所 西序二段二枚目 4勝3敗
2010年名古屋場所 東三段目八十四枚目 3勝4敗
2010年秋場所 西三段目九十九枚目 2勝5敗
2010年九州場所 西序二段三十枚目 2勝5敗
2011年初場所 西序二段六十七枚目 6勝1敗
最高位 三段目35 通算292勝309敗23休
通算出場回数 600 勝率 48.7%
運の悪いことに、左目の網膜剥離で手術を受け、加療中、休場して、序ノ口まで落ちてしまいましたけれども、徐々
に三段目復帰がかないました。2004年に入ると、一歩進み、一歩後退で、やや停滞気味です。秋場所前、また目が悪くなってしまって、場所を休むことがや
むを得なくなりました。せっかく、手術を受けてから、順調にまた自己最高位に近いところまで、番付を上げたのに、九州場所にはまた序二段へ陥落してしまい
ました。目の状態があまりよくないまま、ちゃんとがんばって場所に出ました。
一年経って、2005年の九州場所では三回連続の勝越で、合計今年四回目の勝越ですけれども、まだ元の番付には戻れません。
残念なことに、2006年は調子が悪そうで、特に春場所と名古屋場所が見苦しい様子です。二年ぶり序二段に陥落しても勝越せませんでした。
2008年夏場所、2年ぶり三段目に帰りました。
この頃、部屋のちゃんこ番に熱心に務めています。大好きな仕事だそうです。お料理にかなりの自信も出て来たようです。ですが、ちゃんこ番だと稽古もそれほどできなくなってしまうのです。
九州場所の六勝一敗おめでとう!本当は強い人ですけれども、自信、または気合い?が足りないので、本当な強さから見れば、番付が200枚ぐらい下になりますので、残念です。
西三段目八十七枚目目立ちたがらないので、稽古場でも人の陰にかくれて裏役にまわってしまう傾向があり、あまり注意をひきませんが、よく見ると、あわてずさわがず、自分なりの稽古をちゃんとやっているようです。
1983年5月26日生 鹿児島県姶良郡隼人町出身
本名 末永 司 2002年夏場所から 霧桜 剛
1999年春場所入門
177cm 87.9kg
1999年夏場所 東序ノ口四十一枚目 3勝4敗
1999年名古屋場所 東序ノ口三十四枚目 1勝6敗
1999年秋場所 東序ノ口四十四枚目 3勝4敗
1999年九州場所 東序ノ口三十二枚目 4勝3敗
2000年初場所 西序二段百四十六枚目 2勝5敗
2000年春場所 東序ノ口十五枚目 2勝5敗
2000年夏場所 東序二段百五十七枚目 3勝4敗
2000年名古屋場所 西序ノ口十一枚目 4勝3敗
2000年秋場所 東序二段百二十四枚目 2勝5敗
2000年九州場所 西序ノ口十二枚目 4勝3敗
2001年初場所 西序二段百九枚目 2勝5敗
2001年春場所 西序ノ口五枚目 3勝4敗
2001年夏場所 西序二段百二十二枚目 3勝4敗
2001年名古屋場所 西序ノ口七枚目 4勝1敗2休
2001年秋場所 東序二段百六枚目 3勝4敗
2001年九州場所 東序二段百二十枚目 4勝3敗
2002年初場所 東序二段九十五枚目 3勝4敗
2002年春場所 西序二段百十枚目 2勝5敗
2002年夏場所 西序ノ口五枚目 5勝2敗
2002年名古屋場所 東序二段七十二枚目 3勝3敗1休
2002年秋場所 西序二段八十八枚目 4勝3敗
2002年九州場所 東序二段六十二枚目 2勝5敗
2003年初場所 西序二段九十二枚目 5勝2敗
2003年春場所 西序二段五十一枚目 2勝5敗
2003年夏場所 東序二段七十九枚目 4勝3敗
2003年名古屋場所 西序二段五十四枚目 3勝4敗
2003年秋場所 西序二段八十一枚目 6勝1敗
2003年九州場所 西序二段七枚目 3勝3敗(1不戦敗)1休
2004年初場所 西序二段二十二枚目 1勝6敗
2004年春場所 東序二段六十四枚目 4勝3敗
2004年夏場所 東序二段四十四枚目 3勝4敗
2004年名古屋場所 西序二段六十二枚目 4勝3敗
2004年秋場所 西序二段三十九枚目 4勝3敗
2004年九州場所 東序二段十六枚目 1勝6敗
2005年初場所 西序二段五十八枚目 5勝2敗
2005年春場所 東序二段十四枚目 3勝4敗
2005年夏場所 東序二段三十五枚目 4勝3敗
2005年名古屋場所 西序二段十三枚目 3勝4敗
2005年秋場所 東序二段三十八枚目 2勝5敗
2005年九州月場所 東序二段六十八枚目 6勝1敗
2006年初場所 東三段目九十八枚目 1勝6敗
2006年春場所 西序二段三十六枚目 4勝3敗
2006年夏場所 東序二段十五枚目 1勝6敗
2006年名古屋場所 西序二段五十八枚目 5勝2敗
2006年秋場所 東序二段十八枚目 1勝6敗
2006年九州場所 西序二段五十八枚目 4勝3敗
2007年初場所 西序二段三十四枚目 4勝3敗
2007年春場所 西序二段八枚目 1勝6敗
2007年夏場所 東序二段五十一枚目 4勝3敗
2007年名古屋場所 西序二段二十五枚目 2勝5敗
2007年秋場所 東序二段五十八枚目 4勝3敗
2007年九州場所 西序二段三十枚目 2勝5敗
2008年初場所 東序二段六十二枚目 3勝4敗
2008年春場所 西序二段八十三枚目 6勝1敗
2008年夏場所 西序二段八枚目 2勝5敗
2008年名古屋場所 東序二段三十八枚目 4勝3敗
2008年秋場所 西序二段十二枚目 4勝3敗
2008年九州場所 東三段目九十二枚目 4勝3敗
2009年初場所 東三段目七十三枚目 2勝5敗
2009年春場所 東三段目九十九枚目 2勝5敗
2009年夏場所 東序二段二十九枚目 3勝4敗
2009年名古屋場所 東序二段五十五枚目 5勝2敗
2009年秋場所 東序二段十五十枚目 3勝4敗
2009年九州場所 西序二段三十二枚目 全休
2010年初場所 西序二段百二枚目 6勝1敗
2010年春場所 東序二段二十三枚目 5勝2敗
2010年夏場所 東三段目八十九枚目 4勝3敗
2010年名古屋場所 西三段目七十一枚目 3勝4敗
2010年秋場所 東三段目八十八枚目 3勝4敗
2010年九州場所 東序二段七枚目 4勝3敗
2011年初場所 西三段目八十七枚目 4勝3敗
最高位 三段目71 通算229勝257敗12休
通算出場回数 484 勝率 47.3%
長い間、膝の状態が悪く、序ノ口と序二段の間を行き来する状態が続いていました。2001年名古屋場所では、二
回の休場で心配させましたが、その後四勝一敗の好成績をあげました。驚くべきことです。
2002年夏場所からは、霧桜と改名し、はじめての五勝二敗の好成績をあげ、名古屋場所番付では自己最高位を更新しました。これが自信となって、さらに伸びて行くことを切に祈ります。
左足首の故障で名古屋場所最後の取組は休場になりましたが、秋場所では四勝三敗で、陸奥部屋九人の勝ち越し組
の一人となりました。九州場所では負け越しましたが、2003年初場所では五勝二敗の好成績をあげ、春場所番付では自己最高位となりましたが、結果は惜し
くも二勝五敗でした。実力は十分なのですから、これからも地道に勝ち越しを積み重ねて行けば、将来は明るいといえます。期待にたがわず、秋場所では六勝一
敗の好成績をあげました。これは入門以来の最高スコアです。その結果、自己最高位の達成がかないました。
2004年初場所の前、運が悪く、首のヘルニアにかかって、場所には出場不可能と見られていましたが、押して出場しました。でも、やはり成績をあげるのは
とても無理でした。せっかく番付があがっていたのに残念なことです。名古屋では、二場所ぶりの勝越しですが、これを見ると、少しずつ成績が上がるのがわかります。
2005年の九州場所では、6勝1敗という非常にいい成績がありました。 2006年初場所の番付では、三段
目まで昇進して、自己最高位でした。名古屋場所にも5勝2敗といういい成績です。秋場所の苦しい成績は、体調が悪いし、体も軽量だということに原因がある
とは確かです。
2008年春場所の6勝1敗の優れた成績、おめでとうございます。
首を傷めているにしても、名古屋場所に勝越できました。
九州場所番付には、二年ぶり三段目に帰り、自己最高位になりました。そこで、三段目での始めての勝越しになりました。おめでとぷございます!
2009年九州場所には六年ぶりの休場となりました。
2010年名古屋場所、1年半ぶり自己最高位です。
東幕下十九枚目心身ともに強固、活発で、筋肉もよく ついています。沈着で、一見気楽な性分のように見えますが、プライドが高く、どんなつらいことでもきちんとやりとげます。昇進も早く、1999年の夏場所 では、序ノ口優勝の候補になっていたのですが、相手の韓国出身力士が約二倍も重く、惜しくも敗れて優勝をのがしてしまいました。通算勝率を見ればわかるよ うに、同期生のうちで、もっとも優秀な部に入る実力者であることはまちがいないところでしょう。
1983年9月18日生 熊本県阿蘇郡長陽村出身
本名 岡本将之 2001年秋場所から霧の若太郎となる
1999年春場所入門
2008年初場所新十両
177cm 123kg
1999年夏場所 西序ノ口三十二枚目 6勝1敗
1999年名古屋場所 東序二段九十五枚目 2勝5敗
1999年秋場所 西序二段百十九枚目 3勝4敗
1999年九州場所 東序二段百三十五枚目 6勝1敗
2000年初場所 東序二段五十四枚目 2勝5敗
2000年春場所 西序二段七十九枚目 5勝2敗
2000年夏場所 西序二段三十四枚目 3勝4敗
2000年名古屋場所 東序二段五十三枚目 4勝3敗
2000年秋場所 東序二段三十三枚目 3勝4敗
2000年九州場所 東序二段五十二枚目 5勝2敗
2001年初場所 東序二段十二枚目 5勝2敗
2001年春場所 西三段目七十七枚目 6勝1敗
2001年夏場所 東三段目二十一枚目 3勝4敗
2001年名古屋場所 東三段目三十五枚目 4勝3敗
2001年秋場所 西三段目二十枚目 4勝3敗
2001年九州場所 東三段目九枚目 3勝4敗
2002年初場所 東三段目二十二枚目 4勝3敗
2002年春場所 東三段目十一枚目 3勝4敗
2002年夏場所 西三段目二十七枚目 4勝3敗
2002年名古屋場所 西三段目十二枚目 5勝2敗
2002年秋場所 西幕下五十一枚目 2勝5敗
2002年九州場所 東三段目十二枚目 5勝2敗
2003年初場所 東幕下五十枚目 2勝5敗
2003年春場所 東三段目十三枚目 3勝4敗
2003年夏場所 東三段目二十六枚目 5勝2敗
2003年名古屋場所 西三段目二枚目 4勝3敗
2003年秋場所 西幕下五十一枚目 3勝4敗
2003年九州場所 西三段目四枚目 4勝3敗
2004年初場所 西幕下五十枚目 3勝4敗
2004年春場所 西幕下五十七枚目 6勝1敗
2004年夏場所 西幕下二十六枚目 4勝3敗
2004年名古屋場所 西幕下二十二枚目 4勝3敗
2004年秋場所 東幕下十八枚目 2勝5敗
2004年九州場所 西幕下三十一枚目 4勝3敗
2005年初場所 西幕下二十五枚目 4勝3敗
2005年春場所 西幕下二十枚目 4勝3敗
2005年夏場所 西幕下十四枚目 2勝5敗
2005年名古屋場所 西幕下二十五枚目 3勝4敗
2005年秋場所 西幕下三十二枚目 4勝3敗
2005年九州場所 西幕下二十五枚目 5勝2敗
2006年初場所 東幕下十五枚目 5勝2敗
2006年春場所 西幕下六枚目 5勝2敗
2006年夏場所 東幕下三枚目 4勝3敗
2006年名古屋場所 東幕下二枚目 3勝4敗
2006年秋場所 西幕下五枚目 2勝5敗
2006年九州場所 東幕下十七枚目 3勝4敗
2007年初場所 東幕下二十三前枚目 4勝3敗
2007年春場所 東幕下十八枚目 5勝2敗
2007年夏場所 西幕下十一枚目 6勝1敗
2007年名古屋場所 東幕下四枚目 3勝4敗
2007年秋場所 西幕下七枚目 4勝3敗
2007年九州場所 西幕下四枚目 5勝2敗
2008年初場所 東十両十三枚目 7勝8敗
2008年春場所 西十両十三枚目 8勝7敗
2008年夏場所 東十両十二枚目 8勝7敗
2008年名古屋場所 西十両八枚目 6勝9敗
2008年秋場所 東十両十三枚目 3勝12敗
2008年九州場所 東幕下六枚目 5勝2敗
2009年初場所 東幕下二枚目 5勝2敗
2009年春場所 西十両十四枚目 8勝7敗
2009年夏場所 東十両十二枚目 9勝6敗
2009年名古屋場所 西十両八枚目 8勝7敗
2009年秋場所 西十両四枚目 5勝10敗
2009年九州場所 東十両十枚目 8勝7敗
2010年初場所 西十両八枚目 6勝9敗
2010年春場所 東十両十二枚目 7勝8敗
2010年夏場所 東十両一三枚目 2勝13敗
2010年名古屋場所 東幕下十四枚目 2勝5敗
2010年秋場所 西幕下二十七枚目 4勝3敗
2010年九州場所 東幕下二十三枚目 4勝3敗
2011年初場所 東幕下十九枚目 3勝4敗
最高位 十両8 通算310勝291敗
通算出場回数 601 勝率 51.6%
得意技 突き、押し、右四つ
2005年夏場所には四場所ぶりに自己最高位になりました。秋場所前は、特に悪いところはないのに、調子はよく
ないそうです。それにしても、勝越しはしました。それから、九州場所でも非常に優れた成績も果たしましたので、自信が戻ったでしょう。それに続いて、初場
所でも、激しい星つぶし戦のために、優勝決定戦になる直前星を落してしまいにもかかわらず、優れた成績を見せました。
2006年春場所の番付でも、幕下六枚目での自己最高位で見事な成績でした。夏場所にも勝越を果たしました。
これで、続けて5回目の勝越になります。東幕下二枚目で、プレッシャーがかかってしまって、勝越しまでにはならなかったのですけれども、十両で取った一番
が二つとも白星で飾り、ちゃんと十両レベルの強さを見せました。これからやり直しになります。ただ、秋場所前には、体調がどうもおかしそうです。どこか悪
い所はあるはずですけれども、本人は何も言ってくれません。とにかく、秋場所の負越のために、番付はまた落ちてしまったということが非常に惜しいです。
2007年初場所から、ずっと正常な成績が戻り、特に夏場所に6勝も上げましたので、少しずつ自己最高位に近づいて行きます。
2007年の番付がまたもう少し下がりましたけれども、よく頑張れる人間ですから、今に見せてやるでしょう。
この頃の番付運はあまりよくないと言えるでしょう。
九州場所の好成績で、十両昇進が協会によって11月28日に発表されました。おめでとうございます。
2008 年初場所、新十両の場所には、負越といっても、始めの2勝8敗の後、5連勝もあげて、7勝8敗まで回復できたという出来事は見事です。
春場所の十両での初めての勝越です。夏場所にも、前半一勝四敗に続いて、中盤三勝六敗から、なんと連勝して勝越しました!終わりまで皆をハラハラさせたでしょう!名古屋場所には負越ですけれども、千秋楽など、勝った一番は見事でした。
2009年春場所の帰り十両、おめでとうございます!夏場所は、十両で始めての9勝で、自信が出てきた
証拠でしょう!名古屋場所の番付には、去年自己最高位だった名古屋場所の自己最高位に戻りました。さすがに、秋場所には部屋頭になりました。ただ、残念で
残念。巨大の山本山に勝ってから、気力が抜けてしまったのでしょう。
「相撲」2005年一月号、「幕下以下有望な力士座談会」という記事には、霧の若の話し、写真も出ています。
「大相撲」2006年四月号、霧の若について「注目力士」という連載で、「面白い相撲で館内沸せたい」というタイトルの記事が出ています。
「相撲」2010年一月号、「家族が語る、関取はじめて物語」のシリーズで、「母・エミ子が語る霧の若太郎」という記事があります。
東序二段七十九枚目若手弟子の中では最重量で、陸奥部屋にはめずらしく、いかにも押し相撲向きの身体をしていますが、動きに正確さがあ り、四つ相撲も取れます。通算成績もよく、期待されます。性格としては気まぐれなところが少なく、控えめで、目立ちたがる傾向はまったく見られません。 はっきりした、率直な性格で、落ち着いていて、感じのいい若者といえます。
本名 土佐孝司 2002年初場所から 肥後錦幸司、2003年九州場所から 土佐に戻る
1980年7月18日生 熊本県菊池郡菊陽町出身
1999年春場所入門
175cm 149.5kg
1999年夏場所 東序ノ口二十枚目 5勝2敗
1999年名古屋場所 東序二段百四十二枚目 6勝1敗
1999年秋場所 西序二段六十枚目 4勝3敗
1999年九州場所 東序二段三十六枚目 2勝5敗
2000年初場所 西序二段六十二枚目 3勝4敗
2000年春場所 東序二段八十一枚目 5勝2敗
2000年夏場所 東序二段三十七枚目 4勝3敗
2000年名古屋場所 西序二段十七枚目 2勝5敗
2000年秋場所 東序二段四十七枚目 2勝5敗
2000年九州場所 西序二段七十三枚目 6勝1敗
2001年初場所 東序二段四枚目 3勝4敗
2001年春場所 西序二段五十九枚目 3勝4敗
2001年夏場所 西序二段三十六枚目 5勝2敗
2001年名古屋場所 東三段目九十九枚目 6勝1敗
2001年秋場所 東三段目三十八枚目 1勝6敗
2001年九州場所 東三段目七十三枚目 2勝5敗
2002年初場所 東序二段三枚目 2勝5敗
2002年春場所 東序二段三十七枚目 3勝4敗
2002年夏場所 西序二段五十四枚目 5勝2敗
2002年名古屋場所 西序二段十四枚目 3勝4敗
2002年秋場所 東序二段三十五枚目 4勝3敗
2002年九州場所 西序二段十二枚目 6勝1敗
2003年初場所 西三段目五十枚目 3勝4敗
2003年春場所 東三段目七十一枚目 1勝6敗
2003年夏場所 西序二段十枚目 2勝5敗
2003年名古屋場所 東序二段四十三枚目 4勝3敗
2003年秋場所 西序二段十八枚目 3勝4敗
2003年九州場所 西序二段四十一枚目 5勝2敗
2004年初場所 東三段目百枚目 2勝5敗
2004年春場所 東序二段二十四枚目 4勝3敗
2004年夏場所 西序二段五枚目 4勝3敗
2004年名古屋場所 東三段目八十六枚目 4勝3敗
2004年秋場所 東三段目六十七枚目 2勝5敗
2004年九州場所 東三段目八十八枚目 3勝4敗
2005年初場所 西序二段三枚目 5勝2敗
2005年春場所 東三段目六十四枚目 2勝5敗
2005年夏場所 西三段目八十七枚目 3勝4敗
2005年名古屋場所 西序二段五枚目 4勝3敗
2005年秋場所 西三段目八十六枚目 1勝6敗
2005年九州場所 西序二段二十枚目 2勝5敗
2006年初場所 東序二段五十四枚目 5勝2敗
2006年春場所 東序二段十四枚目 休場
2006年夏場所 東序二段八十五枚目 4勝3敗
2006年名古屋場所 西序二段五十六枚目 5勝2敗
2006年秋場所 西序二段十六枚目 2勝5敗
2006年九州場所 西序二段五十枚目 3勝4敗
2007年初場所 東序二段七十三枚目 4勝3敗
2007年春場所 西序二段四十七枚目 3勝4敗
2007年夏場所 西序二段六十七枚目 5勝2敗
2007年名古屋場所 西序二段二十七枚目 4勝3敗
2007年秋場所 西序二段七枚目 4勝3敗
2007年九州場所 西三段目八十七枚目 4勝3敗
2008年初場所 西三段目六十九枚目 2勝5敗
2008年春場所 西三段目九十枚目 3勝4敗
2008年夏場所 東序二段七枚目 4勝3敗
2008年名古屋場所 東三段目八十八枚目 3勝4敗
2008年秋場所 西序二段三枚目 5勝2敗
2008年九州場所 東三段目六十六枚目 5勝2敗
2009年初場所 東三段目三十八枚目 2勝5敗
2009年春場所 西三段目五十九枚目 4勝3敗
2009年夏場所 西三段目三十九枚目 2勝5敗
2009年名古屋場所 西三段目六十五枚目 全休(ただし、初日は不戦敗)
2009年秋場所 西序二段二十五枚目 休場
2009年九州場所 西序二段八十五枚目 6勝1敗
2010年初場所 西序二段九枚目 4勝3敗
2010年春場所 西三段目八十八枚目 4勝3敗
2010年夏場所 東三段目七十一枚目 2勝5敗
2010年名古屋場所 東三段目九十八枚目 2勝3敗2休 (3敗中、1敗は不戦敗)
2001年秋場所 東序二段三十枚目 4勝3敗
2010年九州場所 東序二段八枚目 休場
2011年初場所 東序二段七十九枚目 休場
最高位 三段目37 通算231勝229敗38休
通算出場回数 459 勝率 50.3%
西前頭十枚目ウヌルは、一年もの間、陸奥部屋に起居し、熱心に稽古にはげんでいましたが、1999年末に立田川部屋に移ることにな りました。これは、部屋ごとの外国人数が当時二名までにおさえられていた(現在はさらにきびしくなって一部屋一名だけ)ので、すでに星誕期と星安出寿が在 籍していた当時の陸奥部屋には外人枠がなかったという事情によるものです。しかし、陸奥部屋が育てた力士であることはまちがいありません。立田川部屋の合 併により、この人は出世して古巣に戻って来たことになります。
本名 アリオンバヤル・ウヌルジャラガラ 通称 ウヌル
1983年5月5日生 モンゴル、ウランバートル出身
1998年12月、見習い生として陸奥部屋に入る
翌年末、立田川部屋に入門し、「白馬」の四股名で2000年初場所初土俵
(1999年12月24日新弟子検査に合格)
その後、立田川部屋合併により陸奥部屋に復帰
2007年初場所新十両
2008年夏場所新入幕
2010年名古屋場所新三役(東日小結)
187 cm、128kg
2000年春場所 序ノ口三十五枚目 4勝3敗
2000年夏場所 序二段百三十枚目 5勝2敗
2000年名古屋場所 序二段八十枚目 5勝2敗
2000年秋場所 東序二段三十七枚目 1勝1敗5休
2000年九州場所 東序二段七十二枚目 休場
2001年初場所 東序二段七十二枚目 7勝0敗 序二段全勝優勝
2001年春場所 西三段目六十八枚目 4勝3敗
2001年夏場所 西三段目五十枚目 4勝3敗
2001年名古屋場所 東三段目三十四枚目 3勝4敗
2001年秋場所 西三段目五十一枚目 4勝3敗
2001年九州場所 西三段目四十枚目 4勝3敗
2002年初場所 西三段目二十七枚目 4勝3敗
2002年春場所 東三段目十四枚目 2勝5敗
2002年夏場所 西三段目四十枚目 4勝3敗
2002年名古屋場所 東三段目二十六枚目 2勝5敗
2002年秋場所 東三段目五十一枚目 6勝1敗
2002年九州場所 西三段目筆頭 5勝2敗
2003年初場所 西幕下四十枚目 4勝3敗
2003年春場所 東幕下三十二枚目 4勝3敗
2003年夏場所 西幕下二十六枚目 3勝4敗
2003年名古屋場所 西幕下三十三枚目 3勝4敗
2003年秋場所 東幕下四十一枚目 3勝4敗
2003年九州場所 西幕下五十二枚目 5勝2敗
2004年初場所 東幕下二十九枚目 4勝3敗
2004年春場所 西幕下二十一枚目 3勝4敗
2004年夏場所 西幕下三十一枚目 3勝4敗
2004年名古屋場所 西幕下三十八枚目 4勝3敗
2004年秋場所 西幕下三十一枚目 2勝5敗
2004年九州場所 西幕下四十五枚目 5勝2敗
2005年初場所 東幕下三十枚目 3勝4敗
2005年春場所 東幕下四十枚目 5勝2敗
2005年夏場所 西幕下二十九枚目 3勝4敗
2005年名古屋場所 西幕下三十五枚目 3勝4敗
2005年秋場所 西幕下四十六枚目 3勝4敗
2005年九州場所 西幕下五十三枚目 6勝1敗
2006年初場所 西幕下二十四枚目 6勝1敗(幕下優勝 決定戦に参加)
2006年春場所 西幕下九枚目 6勝1敗
2006年夏場所 西幕下二枚目 3勝4敗
2006年名古屋場所 西幕下六枚目 5勝2敗
2006年秋場所 西幕下二枚目 4勝3敗
2006年九州場所 東幕下二枚目 7勝0敗 幕下全勝優勝
2007年初場所 東十両十一前枚目 8勝7敗
2007年春場所 西十両十枚目 8勝7敗
2007年夏場所 東十両八枚目 7勝8敗
2007年名古屋場所 西十両八枚目 8勝7敗
2007年秋場所 西十両三枚目 8勝7敗
2007年九州場所 西十両二枚目 5勝10敗
2008年初場所 西十両八枚目 11勝4敗
2008年春場所 西十両三枚目 8勝7敗
2008年夏場所 西前頭十六枚目 4勝11敗
2008年名古屋場所 西十両五枚目 5勝10敗
2008年秋場所 東十両十一枚目 7勝8敗
2008年九州場所 西十両十二枚目 7勝8敗
2009年初場所 東十両十四枚目 11勝4敗 (十両優勝 決定戦で負け)
2009年春場所 東十両四枚目 6勝9敗
2009年夏場所 西十両七枚目 8勝7敗
2009年名古屋場所 西十両三枚目 7勝8敗
2009年秋場所 東十両五枚目 9勝6敗
2009年九州場所 西十両筆頭 8勝7敗
2010年初場所 西前頭十四枚目 9勝6敗
2010年春場所 東前頭九枚目 8勝7敗
2010年夏場所 西前頭五枚目 10勝5敗
2010年名古屋場所 東小結 4勝11敗
2010年秋場所 西前頭五枚目 8勝7敗
2010年九州場所 東前頭四枚目 4勝11敗
2011年初場所 西前頭十枚目 8勝7敗
最高位 東小結 通算347勝303敗12休
通算出場回数 649 勝率 53.5%
幕下優勝1回、序二段優勝
得意技 左四つ、寄り
2000年は秋場所以来、足首のひどい怪我で停滞中でしたが、2001年にはみごとな復活を見せました。初場所では全勝で、千秋楽の優勝決定戦でも勝ち、序二段での全勝優勝を果たしました。新生陸奥部屋としては初の優勝です。しかも、もともと陸奥部屋が育てた弟子が、初優勝を飾ったのですから、これほど喜ばしいことはありません。おめでとう。よくやってくれました。
その結果、三段目に昇進し、春場所番付では岡本(現在霧の若)、霧の富士(霧の藤)、和歌嵐(その後引退)を
抜いて部屋の若手では最高の位階に進みました。当然、今までとはくらべものにならないような強い相手と対戦することになり、これにどう対応して行けるかと
いうことが、今後の課題になっていたのですが、三段目の厚い壁を破り、春場所、夏場所でみごとに連続勝ち越しを達成したことは、その意味でまことに立派な
ものといえます。しかし名古屋場所では、惜しくも一敗差で負け越しとなりました。左腕と足にテーピングをしていて、怪我でハンディを負っているのでしょ
う。でも、陸奥部屋のホープであることには変わりはありません。秋場所、九州場所でも、怪我を乗り越えてめでたく勝ち越しました。
勝ち越しはその後もつづき、2002年初場所番付、春場所番付とつづいて自己最高位を更新していましたが、春
場所では惜しくも今までで最悪の二勝五敗となりました。しかし夏場所では持ち直し、四勝三敗で勝ち越しました。名古屋場所ではまたもや二勝五敗でしたが、
それよりもこの時点で心配だったのは、気力を失っているのが目に見えたことです。左足にテーピングをしているので、そのせいかと思うと、本人は足なんかな
んでもないと言っているのです。白馬のように将来のある、優秀な若者が、気落ちしているように見えたというのはなんとも残念なことで、なんとしても元気を
とりかしてもらいたいと思います。
本人は、そのようなことは心配はいらない、ちゃんと頑張るから大丈夫だと、微笑みながら言っていますし、稽古
を見ても、懸命な中にも余裕があり、落ち着いた表情をしているという印象を受けます。また何よりも、秋場所で六勝一敗という、めざましい成績をあげたこと
を見れば、好調であることはまちがいなく、いろいろな心配は完全に消えてなくなったのだということを、みごとに証明しているのです。部屋の若いホープは健
在です。九州場所番付では三段目筆頭、自己最高位に達しています。しかも五勝二敗の好成績をあげましたので、2003年初場所番付では、ついに幕下昇進が
実現しました。おめでとう。今後の課題は、重量の古豪力士たちと互角で立ち向かって行けるかということでしょうが、これを克服して初場所で四勝三敗をあげ
たことは、じつに立派です。その結果、春場所番付では自己最高位を更新し、東三十二枚目に進んだ上、みごとに勝ち越し、夏場所では西二十六枚目となり、さ
らに最高位を更新しています。名古屋場所では残念なことに、一敗差の負け越しでした。秋場所でもつづいて、一敗差で勝ち越しを逃しています。場所前、白馬
は、腰を痛めたようでたくさんテーピングをしていましたが、わりに冷静な顔をしていて、そんなに深刻な感じではないということです。九州場所ではひさしぶ
りの好成績、ファンを狂喜させました。2004年初場所でも勝ち越しています。
いずれにしても、重量力士ばかりが大きな顔をしている今日の相撲界では、白馬のような筋肉質の精鋭の存在はま
ことに貴重であるといわなければなりません。春場所の番付では、自己最高位に達しました。ただ、本人もこの二年にわたって、ずっと怪我に悩まされているこ
とがはっきりなりました。現在、2004年9月、また腰のテーピングをして、場所前の稽古も無理になりました。けれども、場所にはちゃんと出ると強く言っ
ていましたので、負け越しになっても仕方がないでしょう。ですが、九州へ出る前には、腰の怪我が治り、体調も気力も最高のようでした。九州場所も好成績で
済ませました。
関取昇進を期待する声が多くなりました。ですが、2005年夏中、または秋場所前には、特に悪いところがない
と言っていますけれども、稽古には基本運動や胸をかすなどという稽古以外はあまり気合いを見せず、ちょっとほんものではないようです。やっと、九州場所で
体調が戻り、やる気が戻って来ました!
また2006年初場所では、自己最高位に近い幕下二十四枚目で、6勝1敗の成績で優勝決定戦に加わりました。続いて、春場所には幕下九枚目で、また6勝1敗を飾りました。
せっかく連続的見事な成績を見せたのに、最高位の幕下西二枚目になったこの大切な夏場所には負越になってしま
いました。でも、やり直しの名古屋場所には5勝2敗といういい成績を果たしましたので、秋場所ではまた自己最高位に戻ったのです。場所前の体調はよさそう
に見えても、やはり首の怪我がまだまだ本物ではないことが分かります。それにしても、西幕下二枚目で、ちゃんと勝ち越せたのです。ただし、西二枚目で単な
る勝越は十両昇進のための決定的な成績ではないわけです。空いた所が二つしかない中で、もっといい成績の人たちもそのすぐ下位にはありますで、昇進がやは
り無理になりました。
九州場所の番付では、西幕下二枚目での勝越しでは、単に西から東に上がるだけとなりました。成績として、見事な幕下全勝優勝をしました。2007年の初場所には、十両昇進が確実になります。そのことで、たくさんのファンが喜びを見せてくれました。本当におめでとうございます!
新十両の場所で、はやばやと7敗になったのに、勝ち越したのはすごいです。
春場所は十両昇進からの二場所目になりますが、番付運がまた悪く、1枚の半分しか上がっていません。関取二場所目も勝越で飾りました。
秋場所には、場所前の怪我で手術を受けて体調不良なのに、どうやら勝越できてすばらしいことです。
2008年初場所には11勝4敗という立派な成績もあげました。これで、春場所には部屋頭になりますが、もう入幕も近くなって期待できるので、楽しみです。
夏場所には新入幕になれるのかサスペンスでした。
番付運が悪かったこの前の数場所でしたが、やっと少し運が飛んで来ました。幕内に上がることがかないました。おめでとうございます。これからもがんばって下さい。
九州場所の後の陥落、危なかったですね!みんなほっとしています。
2009年、名古屋場所には、再び部屋頭になりました。秋場所の好成績、おめでとうございます。
九州場所の勝越で、初場所の番付には九場所ぶり幕内に帰るのがもう確かになりました。
2010年初場所の番付、西前頭十四枚目で、自己最高位で、9勝をあげました。かなり嬉しい成績でしょう。けれども、勝ち越しは十日目で、予想外的な勝っ放しだった後で、4連敗が続いたので、やはりちょっと残念でした。春場所にも、自己最高位での勝越です。 初場所、体重128キロで、幕内では最軽量の力士だそうです!
名古屋場所、新三役の東小結になりました!おめでとうございます!マスコミには、外国人として一番スロー昇進と言われたのですが、やはり小結まで上がれた外国人のことだと忘れてはいけないでしょう。それに、スローと言っても、焦らず自分のペースで行くのは一番なのではないでしょうか。
「相撲」2006年四月号、「大銀杏が待っている」という白馬紹介の記事があります。
「大相撲」2006年四月号、「幕下訪問」という連載で、「白馬毅、一人前の男、になりたい」というタイトルの記事が出ています。
「大相撲」2006年十一月号、「白馬、悔しさを飲み込んで」というタイトルで、立派な写真付き記事が出ています。
「大相撲」2010年七月号、「話の申し合い」のシリーズで白馬のインタビューがあります。
白馬が2008年十月にオユナさん(25才)と結婚しました。オユナさんは時天空の妹です。2009年十月に長女が誕生しました。
東序二段百五枚目2001年春場所で前相撲を取り、二番出世し、夏場所、名古屋場所とつづいて三勝四敗の成績でした。最初の出足としては悪くないといえます。
1985年4月5日生 名古屋市名東区猪高町出身
本名 内山直也
2001年春場所入門 3月3日新弟子検査合格 新序二番出世
173cm 135kg
2001年春場所 前相撲 二番出世
2001年夏場所 東序ノ口三十六枚目 3勝4敗
2001年名古屋場所 東序ノ口二十八枚目 3勝4敗
2001年秋場所 西序ノ口二十四枚目 4勝3敗
2001年九州場所 東序二段百十七枚目 3勝4敗
2002年初場所 西序ノ口筆頭 2勝5敗
2002年春場所 東序ノ口十五枚目 3勝4敗
2002年夏場所 西序ノ口九枚目 3勝4敗
2002年名古屋場所 西序ノ口十四枚目 4勝3敗
2002年秋場所 西序二段百六枚目 1勝6敗
2002年九州場所 東序ノ口十四枚目 3勝4敗
2003年初場所 西序ノ口十六枚目 5勝2敗
2003年春場所 西序二段七十四枚目 3勝4敗
2003年夏場所 西序二段八十八枚目 3勝4敗
2003年名古屋場所 西序二段百三枚目 3勝4敗
2003年秋場所 西序二段百十六枚目 3勝4敗
2003年九州場所 西序ノ口十一枚目 3勝1敗3休
2004年初場所 東序ノ口十二枚目 2勝5敗
2004年春場所 東序ノ口十五枚目 4勝3敗
2004年夏場所 西序二段九十七枚目 1勝6敗
2004年名古屋場所 西序二段百三十一枚目 5勝2敗
2004年秋場所 西序二段七十七枚目 2勝5敗
2004年九州場所 東序二段百七枚目 4勝3敗
2005年初場所 東序二段八十一枚目 3勝4敗
2005年春場所 東序二段百三枚目 3勝4敗
2005年夏場所 西序二段百十枚目 4勝3敗
2005年名古屋場所 東序二段八十四枚目 2勝5敗
2005年秋場所 東序二段百十四枚目 4勝3敗
2005年九州場所 東序二段八十七枚目 3勝4敗
2006年初場所 西序二段百十枚目 5勝2敗
2006年春場所 東序二段六十枚目 3勝4敗
2006年夏場所 西序二段八十枚目 4勝3敗
2006年名古屋場所 東序二段五十二枚目 3勝4敗
2006年秋場所 東序二段七十九枚目 4勝3敗
2006年九州場所 西序二段五十一枚目 1勝6敗
2007年初場所 西序二段八十九枚目 3勝4敗
2007年春場所 東序二段百六枚目 4勝3敗
2007年夏場所 東序二段七十六枚目 3勝4敗
2007年名古屋場所 西序二段九十四枚目 3勝2敗2休(2敗中、1敗は不戦敗)
2007年秋場所 西序二段百十八枚目 5勝2敗
2007年九州場所 東序二段七十四枚目 1勝6敗
2008年初場所 東序二段百十七枚目 4勝3敗
2008年春場所 西序二段八十枚目 4勝3敗
2008年夏場所 西序二段五十四枚目 2勝5敗
2008年名古屋場所 東序二段八十六枚目 4勝3敗
2008年秋場所 東序二段六十二枚目 2勝5敗
2008年九州場所 西序二段九十五枚目 4勝3敗
2009年初場所 西序二段七十枚目 1勝6敗
2009年春場所 西序二段百十一枚目 4勝3敗
2009年夏場所 西序二段八十枚目 休場
2009年名古屋場所 西序ノ口二十五枚目 1勝0敗6休
2009年秋場所 東序の口二十六枚目 5勝2敗
2009年九州場所 東序二段八十六枚目 3勝4敗
2010年初場所 東序二段百六枚目 2勝5敗
2010年春場所 西序の口二枚目 4勝3敗
2010年夏場所 西序二段八十枚目 2勝5敗
2010年名古屋場所 東序二段百七枚目 2勝5敗
2010年秋場所 東序ノ口七枚目 5勝2敗
2010年九州場所 西序二段七十五枚目 2勝5敗
2011年初場所 東序二段百五枚目 4勝3敗
最高位 序二段51 通算181勝214敗19休
通算出場回数 394 勝率 45.9%
なお、雑誌「大相撲」2003年2月号117ページに、NHK緒方喜治アナウンサーの署名記事「注目力士各段ピンアップ」で内山の紹介が出ています。内山のことが記事になったのははじめてで、本人にはどんなにかうれしいことでしょう。
勇輝 (ゆうき)
東序二段十一枚目勇大は陽気で勝ち気な青年です。
1989年9月7日生 宮崎県宮崎市出身
2005年春場所入門
179cm 115.8kg2005年夏場所 東序ノ口三十六枚目 1勝6敗
2005年名古屋場所 西序ノ口三十六枚目 4勝3敗
2005年秋場所 西序二段百二十九枚目 1勝6敗
2005年九州場所 西序ノ口十九枚目 4勝3敗
2006年初場所 西序二段百十二枚目 1勝6敗
2006年春場所 東序ノ口十四枚目 3勝4敗
2006年夏場所 西序二段百二十九枚目 3勝4敗
2006年名古屋場所 西序ノ口七枚目 2勝5敗
2006年秋場所 西序ノ口二十枚目 4勝3敗
2006年九州場所 西序二段百七枚目 3勝4敗
2007年初場所 西序ノ口筆頭 4勝3敗
2007年春場所 西序二段九十一枚目 2勝5敗
2007年夏場所 東序二段百十七枚目 3勝4敗
2007年名古屋場所 東序ノ口二枚目 4勝3敗
2007年秋場所 東序二段九十九枚目 3勝4敗
2007年九州場所 東序二段百十八枚目 3勝4敗
2008年初場所 西序ノ口五枚目 5勝2敗
2008年春場所 東序二段七十三枚目 4勝3敗
2008年夏場所 西序二段四十七枚目 3勝4敗
2008年名古屋場所 西序二段六十八枚目 4勝3敗
2008年秋場所 西序二段四十四枚目 4勝3敗
2008年九州場所 西序二段十六枚目 3勝4敗
2009年初場所 東序二段三十九枚目 5勝2敗
2009年春場所 西序二段三枚目 2勝5敗
2009年夏場所 東序二段三十六枚目 4勝3敗
2009年名古屋場所 東序二段十三枚目 4勝3敗
2009年秋場所 東三段目九十五枚目 2勝5敗
2009年九州場所 西序二段十七枚目 4勝3敗
2010年初場所 西三段目九十八枚目 3勝4敗
2010年春場所 西序二段十七枚目 3勝4敗
2010年夏場所 西序二段三十五枚目 6勝1敗
2010年名古屋場所 東三段目七十三枚目 2勝5敗
2010年秋場所 西三段目百枚目 4勝3敗
2010年九州場所 東三段目八十一枚目 2勝5敗
2011年初場所 東序二段十一枚目 4勝3敗
最高位 三段目73 通算113勝132敗
通算出場回数 245 勝率 46.1%
2009年春場所の番付には、序二段三枚目で、自己最高位になります。 秋場所には、三段目に昇進しました。本当に、おめでとうございます!でも、残念に、まだちょっと速かったのかも知れません。
2010年初場所、二場所ぶり三段目帰りで、前よりよい成績をあげたのですが、まだ勝ち越しではないですけれ
ども、よくがんばったと言えるでしょう。夏場所には、6勝1敗の著しい成績をあげたので、名古屋場所には三段目に帰り、五場所ぶりに自己最高位です。かな
りあがりましたので、ちょっと大変な場所になりそうですけれども、がんばってほしいです。
2010年秋場所から、勇輝と改名しました。
「相撲」2010年七月号、「稽古に精進し夢をつかみたい!」という記事で、勇大の紹介があります。
西序二段百四枚目2006年春場所には、病気のために休場することになりました。それで夏場所からすぐ番付外になってしまいました。
1988年1月27日生 宮崎県日向市出身
2005年名古屋場所入門
178cm 111.6kg
2005年秋場所 西序ノ口四十二枚目 3勝4敗
2005年九州場所 東序ノ口二十四枚目 1勝6敗
2006年初場所 東序ノ口三十枚目 2勝5敗
2006年春場所 西序ノ口二十四枚目 休場
2006年夏場所 番付外
2006年名古屋場所 番付外
2006年秋場所 番付外
2006年九州場所 番付外(前相撲)
2007年初場所 東序ノ口三十四枚目 1勝6敗
2007年春場所 西序ノ口二十六枚目 2勝5敗
2007年夏場所 西序ノ口四枚目 3勝4敗
2007年名古屋場所 西序ノ口九枚目 2勝5敗
2007年秋場所 東序ノ口二十一枚目 3勝4敗
2007年九州場所 東序ノ口十六枚目 2勝5敗
2008年初場所 東序ノ口二十三枚目 4勝3敗
2008年春場所 西序二段百枚目 2勝5敗
2008年夏場所 東序二段百二十枚目 2勝5敗
2008年名古屋場所 東序ノ口八枚目 4勝3敗
2008年秋場所 東序二段百五枚目 1勝6敗
2008年九州場所 東序ノ口六枚目 1勝6敗
2009年初場所 東序ノ口二十枚目 4勝3敗
2009年春場所 東序二段九十四枚目 3勝4敗
2009年夏場所 東序二段百十二枚目 3勝4敗
2009年名古屋場所 西序二段百二十一枚目 4勝3敗
2009年秋場所 東序二段八十七枚目 2勝3敗2休(3敗中、1敗は不戦敗)
2009年九州場所 西序二段百十枚目 2勝5敗
2010年初場所 西序ノ口七枚目 5勝2敗
2010年春場所 東序二段七十二枚目 0勝7敗
2010年夏場所 西序ノ口五枚目 4勝3敗
2010年名古屋場所 東序二段九十三枚目 2勝5敗
2010年秋場所 東序二段百二十枚目 4勝3敗
2010年九州場所 西序二段八十五枚目 3勝4敗
2011年初場所 東序二段百四枚目 3勝4敗
最高位 序二段72 通算72勝122敗10休
通算出場回数 193 勝率 37.3%
西序二段六十一枚目いい体をしているし、真面目そうに稽古をしているので、これから強くなるでしょう。
1990年4月18日生 茨城県稲敷市出身
2006年春場所入門
175cm 135.1kg
2006年夏場所 東序ノ口三十七枚目 3勝4敗
2006年名古屋場所 東序ノ口二十六枚目 4勝3敗
2006年秋場所 東序二段百十八枚目 2勝5敗
2006年九州場所 東序ノ口十枚目 1勝6敗
2007年初場所 西序ノ口二十二枚目 5勝2敗
2007年春場所 西序二段九十枚目 3勝4敗
2007年夏場所 東序二段百七枚目 2勝5敗
2007年名古屋場所 西序ノ口四枚目 4勝3敗
2007年秋場所 東序二段百五枚目 3勝4敗
2007年九州場所 西序二段百二十一枚目 4勝3敗
2008年初場所 西序二段八十九枚目 3勝4敗
2008年春場所 西序二段百五枚目 4勝3敗
2008年夏場所 西序二段七十六枚目 1勝6敗
2008年名古屋場所 西序二段百十九枚目 4勝3敗
2008年秋場所 東序二段九十二枚目 5勝2敗
2008年九州場所 東序二段三十九枚目 休場
2009年初場所 西序二段百九枚目 休場
2009年春場所 東序ノ口二十一枚目 4勝3敗
2009年夏場所 東序二段百二枚目 5勝2敗
2009年名古屋場所 西序二段四十八枚目 0勝4敗3休
2009年秋場所 西序二段百八枚目 休場
2009年九州場所 西序ノ口二十四枚目 5勝2敗
2010年初場所 西序二段七十九枚目 4勝3敗
2010年春場所 西序二段四十七枚目 3勝4敗
2010年夏場所 西序二段七十一枚目 5勝2敗
2010年名古屋場所 西序二段三十枚目 2勝5敗
2010年秋場所 東序二段六十八枚目 5勝2敗
2010年九州場所 東序二段二十四枚目 2勝5敗
2011年初場所 東序二段六十一枚目 4勝3敗
最高位 序二段30 通算87勝92敗24休
通算出場回数 179 勝率 48.6%
東三段目六十枚目
前相撲(3勝1敗)
1991年6月14日生 名古屋市南区出身
2007年九月場所入門(第2検査)
173cm 94kg2007年九州場所 西序ノ口三十三枚目 5勝2敗
2008年初場所 西序二段百二枚目 3勝4敗
2008年春場所 東序二段百十三枚目 3勝4敗
2008年夏場所 西序二段百十八枚目 4勝3敗
2008年名古屋場所 西序二段八十八枚目 3勝4敗
2008年秋場所 東序二段百十三枚目 5勝2敗
2008年九州場所 東序二段五十四枚目 6勝1敗
2009年初場所 西三段目八十八枚目 4勝3敗
2009年春場所 西三段目七十枚目 2勝5敗
2009年夏場所 東三段目九十七枚目 2勝5敗
2009年名古屋場所 西序二段三十四枚目 4勝3敗
2009年秋場所 東序二段十四枚目 2勝5敗
2009年九州場所 東序二段四十三枚目 6勝1敗
2010年初場所 西三段目七十七枚目 4勝3敗
2010年春場所 西三段目五十八枚目 3勝4敗
2010年夏場所 西三段目七十二枚目 4勝3敗
2010年名古屋場所 東三段目五十四枚目 3勝4敗
2010年秋場所 西三段目六十八枚目 2勝5敗
2010年九州場所 西三段目九十五枚目 5勝2敗
2011年初場所 東三段目六十枚目 3勝4敗
最高位 三段目54 通算73勝67敗
<> かなり相撲の上手い青年で、スピードが早い、体も柔らかいですけれども、この半年でかなり体重を上げたので、相撲が取りづらくなったのかもしれません。慣れるのにもう少し時間が必要でしょう。
通算出場回数 140 勝率 52.1%
2008年九州場所の番付には、60枚近く上がって、自己最高位になっていました。その高い地位で、優れた成績をあげました!
2009年初場所の番付では、自己最高位で三段目に上がりました。七場所で、ものすごいスピードです!春場所の番付にも、三場所続けて自己最高位です。
残念なことに、番付昇進が速すぎたでしょうから、ちょっと負け込んでしまいました。またやり直しですね!
2009年九州場所で、6勝1敗の著しい成績を達成しました。最後に負けてしまった1敗が、序二段優勝を果たした、幕下レベルのある相手との対戦でしたので、ちょっと無理でしたでしょう。
2010年初場所、自己最高位に近い三段目七十二枚目で、優秀な勝ち越しをあげました。
名古屋場所の番付には、また自己最高位になり、順調な上昇を見せていると言えるでしょう。
霧虎 雅仁 (きりとら)
東序二段十八枚目
1993年3月23日生 山梨県甲府市出身
2008年春場所入門(3番出世)
177cm 116.5kg <>
2008年夏場所 東序ノ口四十二枚目 5勝2敗
2008年名古屋場所 東序二段百十三枚目 4勝3敗
2008年秋場所 西序二段八十五枚目 1勝6敗
2008年九州場所 東序二段百十六枚目 2勝5敗
2009年初場所 東序ノ口六枚目 3勝4敗
2009年春場所 東序ノ口四枚目 5勝2敗
2009年夏場所 東序二段七十四枚目 2勝5敗
2009年名古屋場所 東序二段百六枚目 3勝4敗
2009年秋場所 西序二段百十九枚目 4勝3敗
2009年九州場所 西序二段八十二枚目 4勝3敗
2010年初場所 東序二段五十五枚目 5勝2敗
2010年春場所 西序二段十五枚目 3勝4敗
2010年夏場所 東序二段三十六枚目 3勝4敗
2010年名古屋場所 西序二段五十三枚目 5勝2敗
2010年秋場所 西序二段十五枚目 3勝4敗
2010年九州場所 西序二段四十枚目 4勝3敗
2011年初場所 東序二段十八枚目 3勝4敗
最高位 序二段15 通算59勝60敗
通算出場回数 119 勝率 49.6%
2009年秋場所からしこ名を霧虎に変えました。
八藤 秀幸 (やとう・ひでゆき)
19943年7月28日生 鹿児島県出身
2011年初場所入門
185cm 95kg
呼出し
本名 山木真之介
1994年1月1日生 大阪府枚方市出身
2009年夏場所入門
数場所前、始まったばかりなので、まだよく慣れないのが当然です。かなり緊張しているように感じられます。土俵造りが苦手だそうですが、太鼓が大好きで、うまくなったそうです。
呼び出しの仕事も、いろいろあって、思えるほどに簡単ではないと気がつきます。それに、場所の時、一日中、始終土俵周りで素早く行ったり来たりしているのを見ていると、力士たちより運動量が激しいと言えるでしょう。
二等床山控えめな人で、目立ちませんが、なんでもできるふしぎな才能の持ち主です。この人の結ったまげはしっかりしていて、な かなか崩れません。わかりの早いことも驚異的で、一言いえば十を察するといったタイプです。稽古の様子もよく見ていて、自分もさまざまの準備運動をしま す。もし身長がもう少しあれば、力士になりたかったのだそうですが、今では床山になってやはりよかったと言っています。料理をするのは好きで、手際もいい し、この人がちょっと手を加えるだけで、ちゃんこがひと味違います。お酒を飲み過ぎるのが玉に瑕だということを聞いたことがありますが、めずらしい好人物 です。あくまでも分を忘れない、立派な人で、技術、人柄ともに、隠れた名床山だといえます。
(平成19年初場所から二等に昇進)
本名 大橋太司
1970年7月24日生 新潟県出身
1986年九州場所入門
2005年4月23日に結婚式をあげました。相手は橋本愛理さんと言い、21才です。おめでとうございます。心からお幸せお祈っています。