2010年の陸奥部屋



豊桜  十文字  琉鵬  山竜  

霧桜  霧の若  土佐
    白馬  霧丸  

勇輝  金井  霧嵐  太源
     
霧虎  八藤 

立田山  安治川  福ノ里  床大  



(2011年1月28日更新)
 

2009夏場所の写真
2009靖国の写真
2009初場所10日目の写真
  元大関霧島を師匠とする陸奥部屋は、両国国技館にもっとも近い相撲部屋です。1998年2 月29日に土俵開きをした当時は、旧陸奥部屋から引き継いだ星誕期、星安出寿などのほか、力士は八人にすぎなかったのですが、わずかの間に急成長を遂げ、 2000年9月21日には、敷島(その後錦島親方)、十文字、豊桜、琉鵬、霧の海など、旧立田川部屋の力士たちも移籍して来ました。また霧の若、 白馬など若手力士たちの昇進もめざましく、今では実力部屋の一つとなりました。
 このページは、メンバーたちのことがよくわかるように構成してあります。各力士のデータのあとに、それぞれの横顔を描いていますが、この部分は、もちろん起草者の個人的見解です。

フランス語は「表示」メニューで文字コードセットを「欧米」(ISO8859-1) にして読んでください。
(力士は入門順、同期の場合は五十音順)



 陸奥 一博(みちのく かずひろ)

師匠
元大関 霧島

本名 吉永一美  1959年4月3日生
鹿児島県姶良郡牧園町出身  1975年春場所入門
最高位 東大関  
優勝1回 殊勲賞3回 敢闘賞1回 技能賞4回 金星2
通算754勝696敗40休
通算出場回数 1450 (なお、いろいろの統計で、1447というのはまちがいです。)
勝率 52.0% (大関としての勝率は64.7%)
1996年3月24日引退 年寄錣山(しころやま)襲名
1997年5月 年寄勝ノ浦襲名
1997年12月 年寄陸奥襲名
2010年2月1日理事当選され(任命の詳細)、8月23日から、広報部長から総合部長に任命。


 
 
 




立田山 裕教(たつたやま ひろかず)
年寄
元前頭筆頭 薩洲洋(さっしゅうなだ)
本名 吉崎 克幸
四股名 薩洲洋
1957年6月7日生   鹿児島県指宿市出身
1976年初場所初土俵
1984年名古屋場所新十両
1986年秋場所入幕 幕内在位 19場所
1992年秋場所 最終場所

年寄名 : 錣山→春日山→熊ヶ谷立(前所属部屋:井筒部屋)
最高位 前頭筆頭   通算548勝532敗7休
得意技 突き、押し
 

(2005年一月から井筒部やから陸奥部屋に転属)

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 安治川 弘道(あじがわ ひろみち)

年寄
準年寄 敷島勝盛、2002年1月17日より年寄立田川勝盛、同9月17日からは年寄富士ヶ根 勝盛となる。その後、勝盛を誉基(よしもと)と改名。2003年1月22日より錦島を襲名し、錦島佑元(すけもと)となる。2007年5月16日から小野 川となる。2007年8月から、下の名前を弘道に戻す。2009年3月25日から2010年7月12まで谷川となる。 2010年7月12日から安治川となる。
 

親方の個人ブログ、どうぞお楽しみ

本名 吉種弘道
四股名 敷島勝盛
1970年12月15日生   千葉県船橋市出身
1989年初場所初土俵
1993年夏場所新十両
1994年九州場所入幕 幕内在位 28場所
2001年5月13日引退、翌日から準年寄敷島となる
2002年1月17日、立田川を襲名、年寄となる
2002年9月17日、富士ヶ根と改名
2003年1月22日、錦島を襲名

最高位 前頭筆頭   通算416勝418敗30休
 (幕内戦歴 175勝228敗17休)
通算出場回数 835 勝率 49.9%
金星2 (1998年春場所と夏場所、ともに貴乃花から)
十両優勝1回  幕下優勝1回
得意技 左四つ、左差し、右上手、寄り切り、上手投げ

陸奥部屋での敷島
敷島の黄金時代

 稽古場はもちろん、日常生活などでも見せるちょっとした体の動きかたを見ただけでも、長いあいだ上位でやって来た人だ ということが、すぐわかりますし、余裕十分の垢抜けた雰囲気をこの人はかもし出し、自分の生き方と人格とが完全にマッチしている人を見るときの安心感のよ うなものを感じさせるのです。ふだんはめがねをかけているのがちょっと残念ですが、威厳とエレガンスを兼ね備えているのがよくわかります。また、美声でも 知られていて、相撲甚句の名手です。
 2001年初場所では、とつぜん心臓疾患が出て、二日目からやむなく休場、入院のはめになってしまいました。
 その後も、病気は少しずつ快方に向かってはいたのですが、日常生活に差し支えないということと相撲を取りつづけるということは、まさに天と地との違いがあります。医者にも、もう相撲の取れる状態ではないと断言されました。
 生き続けるか相撲を続けるのか、どちらを選ぶかという局面に追い詰められてしまったわけです。しかし、どんなに言われようと、自分の生きがい、夢を諦めるということはできるものではありません。どんなに辛かったかは察するにあまりあります。
 激烈なダイエットを強いられ、僅か数カ月の間に50キロ近くも痩せたということは、文字通り人間わざではありません。つらい心境を陽気にふるまいながら、これに耐えて行った精神力は容易なことではありません。
 かくして敷島は、数カ月の自分との闘いの後、ついに涙を呑んで、2001年夏場所初日に引退届を提出しました。引退は、翌5月14日の持ち回り理事会で承認され、準年寄敷島となりました。
 現在は部屋付き親方として、真面目に稽古に立ち会い、後進の指導にあたっていますが、静かな、落ち着いた様子の中で時々見せる暗い表情を見ると、なんとも言えない気分になってしまいます。
 敷島の断髪式は、2001年9月30日、国技館で開催され、四百人ほどの人たちが鋏を入れました。
 この断髪式の模様は、相撲各誌11月号の、写真ページに掲載されています。(大相撲、相撲、NHK大相撲中継)また、12月6日発売の『リラックス』(マガジンハウス発行)では、6ページにわたる紹介記事が出ています。
 現在では健康状態はよくなり、月に一回、念のために診察に通い、毎日薬をのむだけになりました。
 しかし、敷島は、この辛い経験を通じて、相撲協会の定期検診だけでは不十分で、このような事故を予測して手後れにならないような処置を取るように後進達に勧めるべきだと言っています。

 2002年初場所五日目に、立田川の名跡をうけ、年寄となりました。かつては敷島自身も所属していた名門の立田川を襲名したことは、感慨もひとしおでしょう。これについては、雑誌「相撲」2002年2月号の107ページに記事が出ています。
 病気のために辞めることになった当時は息が切れ、体が動かなくて力も衰え、本当に口惜しかったけれども、今の 心境としては昔は昔として割り切り、若いもののことを考えて、後進の育成に全力を尽くすことが今の生きがいになり、自分の経験を若いものに伝えて行くこと こそ、未来につながる道だと考えていると言っています。
 NHKテレビでの解説もやっていて、個性にあふれた解説をするので、評判がいいようです。その他、相撲についての感想、見方、自分の部屋のことを、2002年の秋以来、毎月、Sportivaという雑誌に書き続いています。好きな仕事ですから熱心にやっているそうです。
 2002年9月17日、湊富士が引退して立田川を襲名することになり、これにともなって敷島は富士根親方と改名しました。2003年1月22日からは錦島親方となりました。
 相撲協会の部署編成替えで、2003年秋場所から九州場所担当親方となっています。

 2007年4月28日(土)、午後1:55〜2:25、テレビ東京のザドキュメンタリーという番組に出演される予定です。
 
 2008年七月末現在、九州場所館内の席のために、新しい、もっと合理的な設計のことを考えているところだそうです。福岡の方々、どうぞお楽しみにして下さい。

 
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 福ノ里 邦男(ふくのさと くにお)
若者頭(わかいものがしら)
本名 福田邦男
改名歴 福田→福ノ里→之里
1961年6月4日生  岩手県九戸郡出身
初土俵  1978年 7月(立田川部屋)
新十両  1989年秋場所
最終場所 1993年5月 
最高位  十両13
通算333勝294敗7休
得意技  右廻し、上手投げ、寄り
 もともとは立田川部屋の若者頭だった人ですが、立田川部屋の正式併合に先立って、2000年の始めごろから陸奥部屋の 稽古に立ち会い、陸奥親方とならんで稽古場に座り、熱心に指導をしています。稽古の間は注意深くみんなの様子を観察し、こまめにノートをとっていたのが印 象的です。静かな人で、弟子たちに注意をする時も声を荒らげたりすることはありません。なにごとも実に良心的になしとげるといった感じが眼に見え、この人 がそこにいるだけで安心感を与えるのです。人間味があり、近付きがたいという印象は受けません。
 相撲協会の若者頭ですから、部屋の仕事以外でも国技館でのいろいろな行事を手伝っているところが、よくテレビにも写っています。特に、各場所の優勝力士の表彰式では、福ノ里さんの姿がいつも見えます。
 なお、『NHK大相撲中継』の初場所展望号(2002年1月)に、「若者頭が選ぶ幕下ホープ」の記事を発表しています。
 「相撲」2005年六月号にはインタービューがあります。タイトルは次の通りです。
裏方さん訪問      福ノ里邦男さん
--甲子園出場、そしてプロ野球選手が夢でした


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 豊桜 俊昭(とよざくら としあき)
東前頭十七枚目 
嘉人(とよざくら よしひと)から、2003年7月、保勝と改名、2007年1月から俊昭と改名
本名  向 俊明
1974年3月12日生  広島市安佐北区可部出身
1989年春場所初土俵
1998年秋場所新十両
2003年九州場所新入幕
183cm 134kg
2000年秋場所   西幕下筆頭   5勝2敗
2000年九州場所  西十両九枚目  8勝7敗
2001年初場所   西十両七枚目  5勝10敗
2001年春場所   西十両十一枚目 1勝3敗11休(3敗は不戦敗1をふくむ)
2001年夏場所   西幕下九枚目  公傷休場
2001年名古屋場所 西幕下九枚目  5勝2敗
2001年秋場所   東幕下四枚目  4勝3敗
2001年九州場所  西幕下二枚目  3勝4敗
2002年初場所   西幕下六枚目  3勝4敗
2002年春場所   西幕下十二枚目 6勝1敗
2002年夏場所   東幕下二枚目  7勝0敗  全勝で幕下優勝
2002年名古屋場所 東十両八枚目  5勝10敗 
2002年秋場所   東十両十二枚目  11勝4敗
2002年九州場所  西十両六枚目  7勝8敗
2003年初場所   西十両八枚目  4勝11敗
2003年春場所   東幕下二枚目  5勝2敗
2003年夏場所   東十両十二枚目 9勝6敗
2003年名古屋場所 西十両五枚目  9勝6敗
2003年秋場所   西十両二枚目   10勝5敗
2003年九州場所  東前頭十四枚目 6勝9敗
2004年初場所   東十両筆頭   8勝7敗
2004年春場所   西前頭十五枚目 6勝9敗
2004年夏場所   西十両筆頭   9勝6敗
2004年名古屋場所 東前頭十四枚目  12勝3敗(準優勝、敢闘賞)
2004年秋場所   東前頭五枚目  5勝10敗
2004年九州場所  東前頭八枚目  3勝12敗
2005年初場所   東十両二枚目  9勝6敗
2005年春場所   西前頭十四枚目 8勝7敗
2005年夏場所   西前頭十枚目  4勝11敗
2005年名古屋場所 西前頭十六枚目 9勝6敗
2005年秋場所   西前頭十一枚目 4勝11敗
2005年九州場所  西十両筆頭    10勝5敗
2006年初場所   西前頭十二枚目 7勝8敗
2006年春場所   東前頭十四枚目 4勝11敗
2006年夏場所   西十両三枚目   10勝5敗  十両優勝  
2006年名古屋場所 西前頭十四枚目 5勝10敗
2006年秋場所   東十両三枚目   11勝4敗  十両優勝同点
2006年九州場所  東前頭八枚目  5勝10敗
2007年初場所   東前頭十二枚目 3勝12敗
2007年春場所   東十両五枚目  7勝8敗
2007年夏場所   東十両七枚目  7勝8敗 
2007年名古屋場所 東十両八枚目  8勝7敗
2007年秋場所   東十両三枚目  8勝7敗
2007年九州場所  西十両筆頭   5勝10敗
2008年初場所   西十両六枚目  7勝8敗
2008年春場所   西十両七枚目  8勝7敗  
2008年夏場所   西十両三枚目  8勝7敗   
2008年名古屋場所 西十両筆頭   6勝9敗
2008年秋場所   西十両四枚目  8勝7敗  
2008年九州場所  西十両筆頭   6勝9敗
2009年初場所   東十両四枚目   10勝5敗
2009年春場所   東前頭十六枚目 5勝10敗
2009年夏場所   東十両五枚目  5勝10敗
2009年名古屋場所 東十両十二枚目 7勝8敗
2009年秋場所   東十両十三枚目  10勝5敗
2009年九州場所  西十両三枚目  5勝10敗
2010年初場所   東十両八枚目   7勝8敗
2010年春場所   東十両九枚目  8勝7敗
2010年夏場所   東十両七枚目  6勝9敗
2010年名古屋場所 東十両十一枚目 8勝7敗
2010年秋場所   東前頭十七枚目  6勝9敗
2010年九州場所  東十両二枚目   9勝6敗
2011年初場所   東前頭十七枚目 5勝10敗

最高位 前頭5    通算683勝671敗20休
通算出場回数 1354  勝率 50.5%
敢闘賞1回 十両優勝1回 幕下優勝2回  三段目優勝1回
得意技 右四つ、突っ張り、右差し、左上手、寄り切り
 

 敷島に次いで長い相撲人生を送ってきた人で、それは、怪我と不運との闘いだったのです。いかにも苦労人らしい、人間味 と思いやりのある人格の持ち主です。心を開いての率直な人間関係をもてる人で、近寄りやすく、威張った顔はまったく見せません。はるか下の弟子たちへも寛 容さと同情にあふれたまなざしを送っているのが印象的で、好感を呼びます。相撲甚句が得意で、パーティーなどで披露してくれます。合いの手は琉鵬が入れ、 呼吸がよく合っています。
 三歳上の兄、北桜と同じく、昔は柔道から相撲界に入り、ウェイトトレーニングをやって筋肉をつけて来ました。お父さんも元力士で、豊桜の名は父親のしこ名を受け継いだものです。

 2000年九州場所以来十両の地位を占めて来たのですが、2001年春場所では、三日目の隆の鶴戦で負傷してし まいました。右大腿筋部分断裂、八週間要治療で、公傷と認定されました。この結果、四日目の光法戦は不戦敗、その後は休場となり、幕下に落ちてしまいまし た。豊桜の休場は、1998年九州場所以来のことで、まことに残念なことでした。
 その後、成績は決して悪くなく、場所ごとに十両への復帰が期待されていたのですが、幕下上位には十両候補がひしめいているため、一進一退が続いていました。 
 しかし、2002年春場所での六勝一敗の好成績につづき、東幕下二枚目で迎えた夏場所の豊桜はすばらしい成果 をあげました。 これにより待望の十両復帰がかない、東十両八枚目となりました。七場所ぶりの関取復帰は、まことに夢のように喜ばしいことでした。

 2003年九州場所に、新入幕がめでたく実現しました。報道によると、新入幕まで88場所かかっていて、史上第三位のスロー出世だということです。
 2004年名古屋場所は三回目の入幕の場所でしたが、今度はなんと12勝3敗の大勝ちをし(優勝した横綱と一勝の差で)、しかもすばらしい相撲を見せま した。これで、今場所唯一当たえられた三賞として、敢闘賞を受賞しました。
 2005年初場所の新番付で、なんと前頭八枚目から、十両に陥落してしまいました。ただ不運といえるのでしょうか。
いろいろな怪我に悩まされる中で、2006年夏場所、初の十両優勝を獲得しました。
 その後も、怪我をして稽古がろくにできませんでした。激しい相撲で、体中痛いところがいっぱいあるにしても、ずっとよくがんばり続けていると言えます。
 2009年春場所:二年ぶり帰り入幕、おめでとうございます!

 2010年現在、相撲人生21年で、年齢36才で(今年3月)、もうベテラン力士の中に入っています。まだ若々しい相撲をしていますけれども。

 

 豊桜の入門以来、現在までの全星取り表(対戦相手を含む)が、大相撲2003年11月号に掲載されています。貴重な記録です。
 新入幕にあたり、いろいろな記事や写真が各誌に出ています。敢闘賞受賞の時にも、各誌にも写真やインタービューが出ています。
 NHK大相撲中継2005年一月号には豊桜の「インタビュー素顔総見」の記事があります。(4枚)

 2006年、靖国神社にて
 2007年靖国奉納相撲の写真

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 十文字 将康(じゅうもんじ まさやす)
ー 2005年九月から、下の名前を昭憲(あきのり)と改名。2007年七月から下の名前を将康(まさやす)と改名
西幕下六枚目
元 階ケ嶽松太郎
本名 十文字友和 
1976年6月9日生   青森県三戸郡階上町出身
1992年九州場所初土俵
1998年初場所新十両
2000年夏場所新入幕
185cm 159kg
2000年秋場所   東十両二枚目  9勝6敗
2000年九州場所  西前頭十二枚目 5勝10敗
2001年初場所   東十両三枚目  8勝7敗
2001年春場所   西前頭十三枚目 9勝6敗
2001年夏場所   東前頭七枚目  7勝8敗
2001年名古屋場所 東前頭九枚目  4勝11敗(千秋楽の不戦敗をふくむ)
2001年秋場所   東十両二枚目  公傷休場
2001年九州場所  東十両二枚目  8勝7敗
2002年初場所   西前頭十四枚目 6勝9敗
2002年春場所   西十両二枚目  11勝4敗
2002年夏場所   西前頭九枚目  6勝9敗
2002年名古屋場所 東前頭十二枚目 5勝10敗
2002年秋場所   西十両三枚目  10勝5敗
2002年九州場所  西前頭十三枚目 8勝7敗
2003年初場所   東前頭十一枚目 5勝10敗
2003年春場所   西前頭十四枚目 9勝6敗
2003年夏場所   東前頭九枚目  8勝7敗
2003年名古屋場所 東前頭六枚目  6勝9敗
2003年秋場所   西前頭八枚目  7勝8敗
2003年九州場所  東前頭十枚目  8勝7敗
2004年初場所   西前頭八枚目  8勝7敗
2004年春場所   西前頭六枚目  4勝11敗
2004年夏場所   西前頭十二枚目 8勝7敗
2004年名古屋場所 西前頭十一枚目 8勝7敗
2004年秋場所   東前頭十一枚目 9勝6敗
2004年九州場所  東前頭七枚目  5勝10敗
2005年初場所   西前頭十一枚目 9勝6敗
2005年春場所   東前頭七枚目  7勝8敗
2005年夏場所   西前頭七枚目  6勝9敗
2005年名古屋場所 西前頭十枚目  5勝10敗
2005年秋場所   東前頭十四枚目 6勝9敗
2005年九州場所  東前頭十七枚目 9勝6敗
2006年初場所   東前頭八枚目  7勝8敗
2006年春場所   東前頭九枚目  4勝11敗
2006年夏場所   西前頭十六枚目 8勝7敗
2006年名古屋場所 東前頭十三枚目 8勝7敗
2006年秋場所   西前頭十一枚目 4勝11敗
2006年九州場所  西十両二枚目   13勝2敗  十両優勝 
2007年初場所   西前頭十枚目  4勝11敗
2007年春場所   西前頭十六枚目 4勝9敗2休(9敗は不戦敗1をふくむ)
2007年夏場所   東十両六枚目  6勝9敗
2007年名古屋場所 東十両九枚目  5勝10敗
2007年秋場所   西十両十三枚目 8勝7敗
2007年九州場所  東十両十二枚目 3勝12敗
2008年初場所   西幕下五枚目  3勝4敗
2008年春場所   西幕下九枚目  3勝4敗  
2008年夏場所   東幕下十六枚目 4勝3敗   
2008年名古屋場所 西幕下十三枚目 3勝4敗   
2008年秋場所   西幕下二十枚目 6勝1敗  
2008年九州場所  東幕下四枚目  4勝3敗
2009年初場所   東幕下三枚目  4勝3敗
2009年春場所   東幕下二枚目  4勝3敗
2009年夏場所   西十両十四枚目 9勝6敗
2009年名古屋場所 東十両十枚目  8勝7敗
2009年秋場所   東十両七枚目  7勝8敗
2009年九州場所  東十両八枚目  5勝10敗
2010年初場所   西十両十四枚目 6勝9敗
2010年春場所   西幕下三枚目  3勝4敗
2010年夏場所   西幕下六枚目  3勝4敗
2010年名古屋場所 東幕下十二枚目 7勝0敗  幕下優勝 
2010年秋場所   東十両七枚目   4勝11敗
2010年九州場所  東十両十四枚目  4勝11敗
2011年初場所   西幕下六枚目  1勝6敗



 

最高位 前頭6  通算596勝606敗18休
通算出場回数 1201  勝率 49.6%
十両優勝、幕下優勝、三段目優勝1回ずつ
得意技 右四つ寄り、左上手、寄り切り


 現在の陸奥部屋では、ずっと2004年秋場所までは最上位の力士でした。口数が少なく、よけいなことは言いませんが、穏やかな表情で、落ち着いていてしかも強さをそなえている人です。
 しかし、部屋頭としての責任が重圧になっていることは疑いありません。心理的としかいえないような負け方をす ることが多く、幕内と十両の間を行き来することが重なるのも、地位が上がるのにしたがって取り口を批判されることが多くなり、これによる精神面でのストレ スがかなり響いているのではないかという気がしてなりません。

 
 2006年に入ってから、怪我で調子が大変落ちてしまいました。秋場所には腰と右腕の怪我が悪化し、ろくに動けない程でした。その状態で15日間ちゃんと頑張りました。九州場所には、なんと、見事な13勝2敗の成績で十両優勝を獲得しました。腰の怪我を見るとなんと奇跡のようなことです。ただ、2007年中、怪我が治らず、二場所もそのままで我慢してから、とうとう春場所の終わり頃に休場になり、その後も成績が少しずつ落ちて、おしまいに今年の初場所に幕下まで落ちてしまいました。
 2008年夏場所:4場所振りの勝越し、おめでとうございます。
 この一年の逆境には気力をしかりしてかんばって下さいね。秋場所の好成績と九州場所の勝ち越しで、先が晴れて来るのが見えてきました。
 九州場所の勝越で、初場所番付がただ一枚しか上がっていません。
 2009年夏場所、八場所もかかって、関取に戻りました。
 2010年名古屋場所、
7勝全勝で幕下優勝を獲得して、秋場所、三場所ぶり、また十両に返ることになりました。

*         *        *

 十文字は結婚することが決まり、式は2004年五月二十九日に予定されています。心から幸福を祈ります。お相手 は大分市在住、藤原華菜子さん(21才)。知人の紹介で約1年半前に知り合いました。それに、九月五日、優(のどか)ちゃんという赤ちゃんのハッピーなお 父さんになりました。

 なお十文字は、「相撲」2002年3月号、『先代立田川夫人が急逝 おかみさん、安らかに』という題名で、もとのおかみさん、小笠原幸子さんの思い出を語っています。
 十文字に関する記事はたくさんありますが、その中でも、「大相撲」2002年5月号に出た、写真入り3ページの紹介記事は、代表的なものです。

 2002年12月に、「十文字ファンクラブ」が発足し、相撲絵師、松林モトキ氏がデザインした化粧まわ しを贈り、十文字の錦絵(同じく松林氏の作品)の入った「十文字カレンダー」を発行しています。連絡先は、〒135-0016 東京都江東区東陽4-7- 10-406 渋谷直広様方「十文字ファンクラブ事務局」です。
 また2003年2月には「NHK福祉大相撲」に出演し、歌を披露しています。
 2004年11月号の「大相撲」には、4ページの長い記事、主に子供のころの話し、写真があります。
 「相撲」、2005年1月号には、「赤ちゃんと一緒」のスナップショットがあります。
 

 2009年7月25日、名古屋場所の十四日目:フランス人のファンから、十文字関への応援メッセージ

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 琉鵬 政吉(りゅうほう まさよし)
ー 2005年九月から、下の名前を正吉(まさよし)と改名。2007年8月から下の名前を政吉と改名。
東幕下七枚目
<>本名 浦崎桂助
1977年6月18日生  沖縄県中頭郡中城村出身
1993年春場所初土俵
2002年九州場所新十両
2006年秋場所新入幕
184cm 144kg
2000年秋場所   東幕下四十枚目  5勝2敗
2000年九州場所  東幕下二十一枚目 4勝3敗
2001年初場所   西幕下十六枚目  3勝4敗
2001年春場所   西幕下二十六枚目 3勝4敗
2001年夏場所   東幕下三十四枚目 3勝4敗
2001年名古屋場所 西幕下四十三枚目 5勝2敗
2001年秋場所   西幕下二十七枚目 4勝3敗
2001年九州場所  東幕下二十四枚目 2勝5敗
2002年初場所   西幕下三十九枚目 4勝3敗
2002年春場所   東幕下三十四枚目 5勝2敗
2002年夏場所   東幕下十九枚目  4勝3敗
2002年名古屋場所 東幕下十三枚目  6勝1敗(幕下優勝 決定戦に参加)
2002年秋場所   東幕下二枚目   4勝3敗
2002年九州場所  西十両十一枚目  5勝10敗
2003年初場所   西幕下四枚目   2勝5敗
2003年春場所   西幕下十九枚目  6勝1敗
2003年夏場所   東幕下七枚目   3勝4敗
2003年名古屋場所 東幕下十二枚目  3勝4敗
2003年秋場所   東幕下二十枚目  5勝2敗
2003年九州場所  東幕下十一枚目  4勝3敗
2004年初場所   東幕下六枚目   3勝4敗
2004年春場所   西幕下十三枚目  3勝4敗
2004年夏場所   西幕下二十一枚目 3勝4敗
2004年名古屋場所 西幕下二十七枚目 4勝3敗
2004年秋場所   西幕下二十一枚目 5勝2敗
2004年九州場所  東幕下十三枚目  2勝5敗
2005年初場所   東幕下二十五枚目 6勝1敗
2005年春場所   東幕下十枚目   3勝4敗
2005年夏場所   東幕下十五枚目  5勝2敗
2005年名古屋場所 東幕下五枚目   5勝2敗
2005年秋場所   東十両十三枚目  7勝8敗
2005年九州場所  西十両十三枚目  8勝7敗
2006年初場所   東十両八枚目   11勝4敗
2006年春場所   東十両筆頭    5勝10敗
2006年夏場所   西十両五枚目   9勝6敗
2006年名古屋場所 東十両筆頭前頭  8勝7敗
2006年秋場所   東前頭十六枚目  4勝11敗
2006年九州場所  東十両五枚目   7勝8敗  
2007年初場所   西十両五枚目   7勝8敗
2007年春場所   西十両七枚目   8勝7敗
2007年夏場所   西十両四枚目   4勝11敗
2007年名古屋場所 西十両十一枚目  6勝9敗
2007年秋場所   西十両十四枚目  5勝10敗
2007年九州場所  東幕下三枚目   3勝4敗
2008年初場所   東幕下八枚目   4勝3敗
2008年春場所   西幕下五枚目   4勝3敗 
2008年夏場所   西幕下三枚目   4勝3敗   
2008年名古屋場所 東幕下二枚目   2勝5敗  
2008年秋場所   西幕下十一枚目  2勝5敗  
2008年九州場所  東幕下二十五枚目 3勝4敗
2009年初場所   西幕下三十五枚目 5勝2敗
2009年春場所   西幕下二十一枚目 4勝3敗
2009年夏場所   東幕下十五枚目  4勝3敗
2009年名古屋場所 西幕下十枚目   4勝3敗
2009年秋場所   東幕下六枚目   5勝2敗
2009年九州場所  西幕下三枚目   4勝3敗
2010年初場所   東幕下二枚目    2勝5敗
2010年春場所   東幕下八枚目   5勝2敗
2010年夏場所   西幕下三枚目   2勝5敗
2010年名古屋場所 西幕下十一枚目  6勝1敗
2010年秋場所   東十両十四枚目  7勝8敗
2010年九州場所  西十両十四枚目   4勝11敗
2011年初場所   東幕下七枚目   3勝4敗

最高位 前頭16     通算443勝422敗12休
通算出場回数 865   勝率 51.2%
得意技 左四つ、寄り
新十両 琉鵬
・「日本相撲協会ページでの情報


 見るからに真面目で、考え深そうな人です。よく眉をちょっとしかめているのが印象的です。自分で話すよりも相手の話をよく聴いているようで、常識にあふれた人格なのが眼に見えます。昔は沖縄の海で素潜りが得意だったという、根っからの琉球人です。
 なお、雑誌大相撲の2001年10月号に、琉鵬についてのくわしい紹介記事(幕下訪問欄の全ページ記事、筆者は向井太)が出ています。

  琉鵬の新十両昇進は、2002年10月25日、相撲協会から公表されました。同日発表になった十両昇進者は計五名ですが、他の四名は再昇進なので、新十両は琉鵬ひとりです。沖縄県出身では、四人目の関取です。
 相撲人生の中で一番うれしいのは、十両になった時だと、親方も自分の本で述べています。それまで無給だったの が正式に給料が出るようになり、大部屋生活を脱して個室が与えられ、付け人に身の回りの世話をしてもらえるし、公式の場では化粧まわし、大銀杏が許される など、力士生活のすべてが変るわけです。本人と家族もさぞ嬉しいことでしょうが、新生陸奥部屋としてもはじめての新十両です。郷里では、大変な盛り上がり ぶりで、11月1日に開かれた激励会には、六百人以上の人が参加しました。
 2005年夏、名古屋場所の好成績が続いて、やっと三年ぶり帰り十両が実現できました。九州場所では、めでたく十両で始めて勝ち越せました。
 2006年秋場所には新入幕に上がりました。怪我というか、緊張感というか、秋場所は負越しましたけれども、いい相撲を取りました。
 2007年夏場所の番付では、部屋の最上位の力士でした。その後、怪我で成績が落ちて、九州場所に幕下に陥落してしまいました。幕下で取る力士じゃないと親方が言っていますから、一時的な陥落に過ぎないですから頑張って下さい。
 2008年前半は三場所連続の勝越しでしたが、後半はまた悪循環になってしまいました。もうちょっとですね。
 ただ一番違いでの負越し(三勝四敗)で、10枚以上の陥落は考えられるのでしょうか?
 今年、6場所も
ずっと連続勝ち越しても、(秋場所で5勝2敗の成績もあげたのに)、まだ関取復帰が後回しになってしまいました。
 2010年初場所には、せっかく東2枚目まで回復したのに、8場所ぶりの負け越しだけではなく、大負け越しになってしまって。悔しいでしょうね!
 2010年名古屋場所、6勝1敗の成績を獲て、秋場所、十両返りになるとの発表がありました。三年ぶり!おめでとう!
 

 

 琉鵬の簡単な紹介記事が「注目力士各段ピンナップ」(緒方喜治)として大相撲2003年11月号に掲載されています。
 琉鵬の新入幕の際に、2006年10月号の「相撲」も「大相撲」も琉鵬の写真を出しています。
 

ファンのブログ 美ら島のヒーロー@琉鵬ブログ
2006年、靖国神社にて

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 山竜 将太朗(やまりゅう しょうたろう)
西序二段六十七枚目
元 山竜将太 (2001年7月から将太朗と改める)
本名 山本竜太
1981年3月15日生  東京都江戸川区西葛西出身
1996年春場所初土俵
179.5cm 115kg
2000年秋場所   西序二段六枚目   4勝3敗
2000年九州場所  東三段目八十八枚目 4勝3敗
2001年初場所   西三段目六十九枚目 2勝5敗
2001年春場所   西三段目九十六枚目 1勝6敗
2001年夏場所   西序二段二十九枚目 5勝2敗
2001年名古屋場所 東三段目九十五枚目 6勝1敗
2001年秋場所   東三段目三十五枚目 3勝4敗
2001年九州場所  東三段目五十三枚目 3勝4敗
2002年初場所   東三段目七十枚目  3勝4敗
2002年春場所   西三段目八十七枚目 4勝3敗
2002年夏場所   西三段目六十八枚目 2勝5敗
2002年名古屋場所 東三段目八十六枚目 5勝2敗
2002年秋場所   西三段目五十三枚目 4勝3敗
2002年九州場所  西三段目三十九枚目 1勝6敗
2003年初場所   西三段目七十五枚目 3勝4敗
2003年春場所   東三段目九十四枚目 0勝1不戦敗6休
2003年夏場所   西序二段五十四枚目 全休
2003年名古屋場所 西序ノ口四枚目   6勝1敗
2003年秋場所   西序二段四十一枚目 4勝3敗
2003年九州場所  西序二段十七枚目  6勝1敗
2004年初場所   西三段目五十三枚目 3勝4敗
2004年春場所   東三段目六十六枚目 4勝3敗
2004年夏場所   西三段目四十八枚目 3勝4敗
2004年名古屋場所 西三段目六十二枚目 4勝3敗
2004年秋場所   西三段目四十五枚目 全休
2004年九州場所  西序二段五枚目   4勝3敗
2005年初場所   東三段目八十七枚目 5勝2敗
2005年春場所   東三段目五十五枚目 2勝5敗
2005年夏場所   東三段目八十三枚目 3勝4敗
2005年名古屋場所 東三段目九十六枚目 4勝3敗
2005年秋場所   東三段目七十九枚目 4勝3敗
2005年九州場所  東三段目六十一枚目 4勝3敗
2006年初場所   東三段目四十七   3勝4敗
2006年春場所   東三段目六十一   1勝6敗
2006年夏場所   西三段目九十五枚目 4勝3敗
2006年名古屋場所 東三段目七十六枚目 1勝6敗
2006年秋場所   東序二段十二枚目  3勝4敗
2006年九州場所  西序二段三十三枚目 2勝5敗
2007年初場所   東序二段六十六枚目 4勝3敗
2007年春場所   西序二段四十一枚目 3勝4敗
2007年夏場所   東序二段五十九枚目 5勝2敗  
2007年名古屋場所 東序二段十七枚目  2勝5敗
2007年秋場所   東序二段四十九枚目 3勝4敗
2007年九州場所  東序二段六十八枚目 4勝3敗
2008年初場所   東序二段四十枚目  4勝3敗
2008年春場所   東序二段十六枚目  4勝3敗  
2008年夏場所   西三段目九十七枚目 3勝4敗   
2008年名古屋場所 西序二段十六枚目  2勝5敗   
2008年秋場所   西序二段四十九枚目 3勝4敗  
2008年九州場所  東序二段七十一枚目 6勝1敗
2009年初場所   東序二段筆頭    3勝4敗
2009年春場所   西序二段二十二枚目 6勝1敗  
2009年夏場所   東三段目五十九枚目 3勝4敗
2009年名古屋場所 西三段目七十四枚目 2勝3敗2休
2009年秋場所   西三段目九十九枚目 4勝3敗
2009年九州場所  西三段目七十九枚目 2勝5敗   
2010年初場所   西序二段八枚目    2勝5敗
2010年春場所   東序二段三十九枚目 5勝2敗
2010年夏場所   西序二段二枚目   4勝3敗
2010年名古屋場所 東三段目八十四枚目 3勝4敗
2010年秋場所   西三段目九十九枚目  2勝5敗
2010年九州場所  西序二段三十枚目   2勝5敗
2011年初場所   西序二段六十七枚目 6勝1敗

最高位 三段目35  通算292勝309敗23休
通算出場回数 600  勝率 48.7%

 もの柔らかで、あまり目立ちたがらない人です。口数が少なく、静かで落ち着いていて、進んで他人の役に立ちます。英語を少ししゃべるのは部屋では珍しいことです。
 この人も、左の膝の怪我のため、2001年初場所から春場所までは負けが続き、序二段に転落しましたが、夏場 所では本来の実力を発揮して期待にこたえ、みごとに五勝二敗の好成績をあげ、三段目に復帰しました。また、つづく名古屋場所でも、六勝一敗と大勝ちし、秋 場所番付では自己最高位を大きく更新することになりました。しかしその後、2002年初場所まで三勝四敗の負け越しが続き、その間の番付運が悪く、合計で なんと五十二枚も番付を下げられてしまいました。それからも一進一退の状況が続いていました。

 運の悪いことに、左目の網膜剥離で手術を受け、加療中、休場して、序ノ口まで落ちてしまいましたけれども、徐々 に三段目復帰がかないました。2004年に入ると、一歩進み、一歩後退で、やや停滞気味です。秋場所前、また目が悪くなってしまって、場所を休むことがや むを得なくなりました。せっかく、手術を受けてから、順調にまた自己最高位に近いところまで、番付を上げたのに、九州場所にはまた序二段へ陥落してしまい ました。目の状態があまりよくないまま、ちゃんとがんばって場所に出ました。
 一年経って、2005年の九州場所では三回連続の勝越で、合計今年四回目の勝越ですけれども、まだ元の番付には戻れません。
 残念なことに、2006年は調子が悪そうで、特に春場所と名古屋場所が見苦しい様子です。二年ぶり序二段に陥落しても勝越せませんでした。
 2008年夏場所、2年ぶり三段目に帰りました。
 この頃、部屋のちゃんこ番に熱心に務めています。大好きな仕事だそうです。お料理にかなりの自信も出て来たようです。ですが、ちゃんこ番だと稽古もそれほどできなくなってしまうのです。
 九州場所の六勝一敗おめでとう!本当は強い人ですけれども、自信、または気合い?が足りないので、本当な強さから見れば、番付が200枚ぐらい下になりますので、残念です。

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 霧桜 剛(きりざくら つよし)
(末永 司 改め
西三段目八十七枚目
1983年5月26日生  鹿児島県姶良郡隼人町出身
本名 末永 司  2002年夏場所から 霧桜 剛
1999年春場所入門
177cm 87.9kg
1999年夏場所   東序ノ口四十一枚目  3勝4敗
1999年名古屋場所 東序ノ口三十四枚目  1勝6敗
1999年秋場所   東序ノ口四十四枚目  3勝4敗
1999年九州場所  東序ノ口三十二枚目  4勝3敗
2000年初場所   西序二段百四十六枚目 2勝5敗
2000年春場所   東序ノ口十五枚目   2勝5敗
2000年夏場所   東序二段百五十七枚目 3勝4敗
2000年名古屋場所 西序ノ口十一枚目   4勝3敗
2000年秋場所   東序二段百二十四枚目 2勝5敗
2000年九州場所  西序ノ口十二枚目   4勝3敗
2001年初場所   西序二段百九枚目   2勝5敗
2001年春場所   西序ノ口五枚目    3勝4敗
2001年夏場所   西序二段百二十二枚目 3勝4敗
2001年名古屋場所 西序ノ口七枚目    4勝1敗2休
2001年秋場所   東序二段百六枚目   3勝4敗
2001年九州場所  東序二段百二十枚目  4勝3敗
2002年初場所   東序二段九十五枚目  3勝4敗
2002年春場所   西序二段百十枚目   2勝5敗
2002年夏場所   西序ノ口五枚目    5勝2敗
2002年名古屋場所 東序二段七十二枚目  3勝3敗1休  
2002年秋場所   西序二段八十八枚目  4勝3敗
2002年九州場所  東序二段六十二枚目  2勝5敗
2003年初場所   西序二段九十二枚目  5勝2敗
2003年春場所   西序二段五十一枚目  2勝5敗
2003年夏場所   東序二段七十九枚目  4勝3敗
2003年名古屋場所 西序二段五十四枚目  3勝4敗
2003年秋場所   西序二段八十一枚目  6勝1敗
2003年九州場所  西序二段七枚目    3勝3敗(1不戦敗)1休
2004年初場所   西序二段二十二枚目  1勝6敗
2004年春場所   東序二段六十四枚目  4勝3敗
2004年夏場所   東序二段四十四枚目  3勝4敗
2004年名古屋場所 西序二段六十二枚目  4勝3敗
2004年秋場所   西序二段三十九枚目  4勝3敗
2004年九州場所  東序二段十六枚目   1勝6敗
2005年初場所   西序二段五十八枚目  5勝2敗
2005年春場所   東序二段十四枚目   3勝4敗
2005年夏場所   東序二段三十五枚目  4勝3敗
2005年名古屋場所 西序二段十三枚目   3勝4敗
2005年秋場所   東序二段三十八枚目  2勝5敗
2005年九州月場所 東序二段六十八枚目  6勝1敗
2006年初場所   東三段目九十八枚目  1勝6敗
2006年春場所   西序二段三十六枚目  4勝3敗
2006年夏場所   東序二段十五枚目   1勝6敗
2006年名古屋場所 西序二段五十八枚目  5勝2敗
2006年秋場所   東序二段十八枚目   1勝6敗
2006年九州場所  西序二段五十八枚目  4勝3敗
2007年初場所   西序二段三十四枚目  4勝3敗
2007年春場所   西序二段八枚目    1勝6敗
2007年夏場所   東序二段五十一枚目  4勝3敗  
2007年名古屋場所 西序二段二十五枚目  2勝5敗
2007年秋場所   東序二段五十八枚目  4勝3敗
2007年九州場所  西序二段三十枚目   2勝5敗
2008年初場所   東序二段六十二枚目  3勝4敗
2008年春場所   西序二段八十三枚目  6勝1敗  
2008年夏場所   西序二段八枚目    2勝5敗 
2008年名古屋場所 東序二段三十八枚目  4勝3敗   
2008年秋場所   西序二段十二枚目   4勝3敗 
2008年九州場所  東三段目九十二枚目  4勝3敗
2009年初場所   東三段目七十三枚目  2勝5敗
2009年春場所   東三段目九十九枚目  2勝5敗  
2009年夏場所   東序二段二十九枚目  3勝4敗
2009年名古屋場所 東序二段五十五枚目  5勝2敗
2009年秋場所   東序二段十五十枚目  3勝4敗
2009年九州場所  西序二段三十二枚目  全休
2010年初場所   西序二段百二枚目    6勝1敗
2010年春場所   東序二段二十三枚目  5勝2敗
2010年夏場所   東三段目八十九枚目  4勝3敗
2010年名古屋場所 西三段目七十一枚目  3勝4敗
2010年秋場所   東三段目八十八枚目  3勝4敗
2010年九州場所  東序二段七枚目     4勝3敗
2011年初場所   西三段目八十七枚目  4勝3敗


最高位 三段目71  通算229勝257敗12休
通算出場回数 484  勝率 47.3%

 目立ちたがらないので、稽古場でも人の陰にかくれて裏役にまわってしまう傾向があり、あまり注意をひきませんが、よく見ると、あわてずさわがず、自分なりの稽古をちゃんとやっているようです。

 長い間、膝の状態が悪く、序ノ口と序二段の間を行き来する状態が続いていました。2001年名古屋場所では、二 回の休場で心配させましたが、その後四勝一敗の好成績をあげました。驚くべきことです。
 2002年夏場所からは、霧桜と改名し、はじめての五勝二敗の好成績をあげ、名古屋場所番付では自己最高位を更新しました。これが自信となって、さらに伸びて行くことを切に祈ります。
 左足首の故障で名古屋場所最後の取組は休場になりましたが、秋場所では四勝三敗で、陸奥部屋九人の勝ち越し組 の一人となりました。九州場所では負け越しましたが、2003年初場所では五勝二敗の好成績をあげ、春場所番付では自己最高位となりましたが、結果は惜し くも二勝五敗でした。実力は十分なのですから、これからも地道に勝ち越しを積み重ねて行けば、将来は明るいといえます。期待にたがわず、秋場所では六勝一 敗の好成績をあげました。これは入門以来の最高スコアです。その結果、自己最高位の達成がかないました。
 2004年初場所の前、運が悪く、首のヘルニアにかかって、場所には出場不可能と見られていましたが、押して出場しました。でも、やはり成績をあげるのは とても無理でした。せっかく番付があがっていたのに残念なことです。名古屋では、二場所ぶりの勝越しですが、これを見ると、少しずつ成績が上がるのがわかります。
 2005年の九州場所では、6勝1敗という非常にいい成績がありました。 2006年初場所の番付では、三段 目まで昇進して、自己最高位でした。名古屋場所にも5勝2敗といういい成績です。秋場所の苦しい成績は、体調が悪いし、体も軽量だということに原因がある とは確かです。

 2008年春場所の6勝1敗の優れた成績、おめでとうございます。
首を傷めているにしても、名古屋場所に勝越できました。 九州場所番付には、二年ぶり三段目に帰り、自己最高位になりました。そこで、三段目での始めての勝越しになりました。おめでとぷございます!
 2009年九州場所には六年ぶりの休場となりました。
 2010年名古屋場所、1年半ぶり自己最高位です。

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 霧の若 太郎(きりのわか たろう)
(岡本 将之 改め
東幕下十九枚目
1983年9月18日生  熊本県阿蘇郡長陽村出身
本名 岡本将之 2001年秋場所から霧の若太郎となる
1999年春場所入門
2008年初場所新十両
177cm 123kg
1999年夏場所   西序ノ口三十二枚目  6勝1敗
1999年名古屋場所 東序二段九十五枚目  2勝5敗
1999年秋場所   西序二段百十九枚目  3勝4敗
1999年九州場所  東序二段百三十五枚目 6勝1敗
2000年初場所   東序二段五十四枚目  2勝5敗
2000年春場所   西序二段七十九枚目  5勝2敗
2000年夏場所   西序二段三十四枚目  3勝4敗
2000年名古屋場所 東序二段五十三枚目  4勝3敗
2000年秋場所   東序二段三十三枚目  3勝4敗
2000年九州場所  東序二段五十二枚目  5勝2敗
2001年初場所   東序二段十二枚目   5勝2敗
2001年春場所   西三段目七十七枚目  6勝1敗
2001年夏場所   東三段目二十一枚目  3勝4敗
2001年名古屋場所 東三段目三十五枚目  4勝3敗
2001年秋場所   西三段目二十枚目   4勝3敗
2001年九州場所  東三段目九枚目    3勝4敗
2002年初場所   東三段目二十二枚目  4勝3敗
2002年春場所   東三段目十一枚目   3勝4敗
2002年夏場所   西三段目二十七枚目  4勝3敗
2002年名古屋場所 西三段目十二枚目   5勝2敗
2002年秋場所   西幕下五十一枚目   2勝5敗
2002年九州場所  東三段目十二枚目   5勝2敗
2003年初場所   東幕下五十枚目    2勝5敗
2003年春場所   東三段目十三枚目   3勝4敗
2003年夏場所   東三段目二十六枚目  5勝2敗
2003年名古屋場所 西三段目二枚目    4勝3敗
2003年秋場所   西幕下五十一枚目   3勝4敗
2003年九州場所  西三段目四枚目    4勝3敗
2004年初場所   西幕下五十枚目    3勝4敗
2004年春場所   西幕下五十七枚目   6勝1敗
2004年夏場所   西幕下二十六枚目   4勝3敗
2004年名古屋場所 西幕下二十二枚目   4勝3敗
2004年秋場所   東幕下十八枚目    2勝5敗
2004年九州場所  西幕下三十一枚目   4勝3敗
2005年初場所   西幕下二十五枚目   4勝3敗
2005年春場所   西幕下二十枚目    4勝3敗
2005年夏場所   西幕下十四枚目    2勝5敗
2005年名古屋場所 西幕下二十五枚目   3勝4敗
2005年秋場所   西幕下三十二枚目   4勝3敗
2005年九州場所  西幕下二十五枚目   5勝2敗
2006年初場所   東幕下十五枚目    5勝2敗
2006年春場所   西幕下六枚目     5勝2敗
2006年夏場所   東幕下三枚目     4勝3敗
2006年名古屋場所 東幕下二枚目     3勝4敗
2006年秋場所   西幕下五枚目     2勝5敗
2006年九州場所  東幕下十七枚目    3勝4敗
2007年初場所   東幕下二十三前枚目  4勝3敗
2007年春場所   東幕下十八枚目    5勝2敗
2007年夏場所   西幕下十一枚目    6勝1敗
2007年名古屋場所 東幕下四枚目     3勝4敗
2007年秋場所   西幕下七枚目     4勝3敗
2007年九州場所  西幕下四枚目     5勝2敗
2008年初場所   東十両十三枚目    7勝8敗
2008年春場所   西十両十三枚目    8勝7敗
2008年夏場所   東十両十二枚目    8勝7敗   
2008年名古屋場所 西十両八枚目     6勝9敗 
2008年秋場所   東十両十三枚目    3勝12敗
2008年九州場所  東幕下六枚目     5勝2敗
2009年初場所   東幕下二枚目     5勝2敗
2009年春場所   西十両十四枚目    8勝7敗
2009年夏場所   東十両十二枚目    9勝6敗
2009年名古屋場所 西十両八枚目     8勝7敗
2009年秋場所   西十両四枚目     5勝10敗
2009年九州場所  東十両十枚目     8勝7敗  
2010年初場所   西十両八枚目      6勝9敗
2010年春場所   東十両十二枚目    7勝8敗
2010年夏場所   東十両一三枚目    2勝13敗
2010年名古屋場所 東幕下十四枚目    2勝5敗
2010年秋場所   西幕下二十七枚目   4勝3敗
2010年九州場所  東幕下二十三枚目    4勝3敗
2011年初場所   東幕下十九枚目    3勝4敗

最高位 十両8    通算310勝291敗
通算出場回数 601  勝率 51.6%

得意技 突き、押し、右四つ

 心身ともに強固、活発で、筋肉もよく ついています。沈着で、一見気楽な性分のように見えますが、プライドが高く、どんなつらいことでもきちんとやりとげます。昇進も早く、1999年の夏場所 では、序ノ口優勝の候補になっていたのですが、相手の韓国出身力士が約二倍も重く、惜しくも敗れて優勝をのがしてしまいました。通算勝率を見ればわかるよ うに、同期生のうちで、もっとも優秀な部に入る実力者であることはまちがいないところでしょう。
 2000年名古屋場所でも勝ち越し、部屋では当時三段目の和歌嵐(その後引退)、藤本(現在は霧の藤)に次ぐ番付順にまで進んでいました。秋場所では残念なことに、一番の差で負け越しでしたが、九州場所は五勝二敗の好成績で、自己最高位に達していました。
 2001年初場所では、期待にたがわず、ふたたび五勝二敗という見事な成績をあげ、待望の三段目への昇進がつ いに実現しました。この地位を守り抜くのには、かなりの苦労が伴うことが心配でしたが、春場所でもなんと六勝一敗と大勝ちして、実力と忍耐でかちとった三 段目であることを、立派に見せつけてくれました。
 名古屋場所でも、古株力士のひしめいている現在の地位で勝ち越したことは、評価すべきです。かくして、秋場所 では、自己最高位を更新し、しかもまた勝ち越して、九州場所番付では三段目九枚目にまで進み、二場所つづけて陸奥部屋若手力士のトップに立ちました。この 勢いがつづいて行きさえすれば、将来も陸奥部屋の希望の星となることは、ほぼ確実だといっていいでしょう。怪我にはくれぐれも気をつけて、十分に実力が発 揮できるよう、祈ってやみません。
 九州場所では、惜しくも一敗差で負け越し、新番付では十三枚下げられましたが、これは三段目上位には、経験を積んだ古豪力士たちがひしめいているためと考えられます。
 2002年初場所ではめでたく勝ち越しましたが、春場所ではまた一敗差で負け越しとなりました。しかし夏場所は勝ち越し、名古屋場所では五勝二敗の好成績です。
 秋場所は幕下で挑戦することになりました。こんな高いレベルに上がるというのは陸奥部屋の若手では霧の藤に続 いて二人目です。これを機に、なんとか幕下の厚い壁を打ち破ってもらいたいものですが、今のところ、右膝にテーピングがあり、心配です。秋場所の結果は二 勝五敗で、このためにせっかく勝ち取った幕下の地位を失いました。九州場所では、五勝二敗をかちとって実力を示し、その結果幕下復帰がかなったばかりか自 己最高位に達しました。しかし2003年初場所では、ふたたび二勝五敗を喫し、また三段目に落ちることになりました。春場所でも一敗差の負け越しでした が、夏場所以後はもちなおしていますし、霧の若の地道な底力を考えれば、多少の不成績は一時の過渡的現象に過ぎず、必ず盛りかえして行くことはまちがいな いと考えていいと思います。はたして、秋場所番付では幕下復帰がかない、自己最高位にもう一息のところに達していましたが、一敗差で勝ち越しを逃しまし た。九州場所では勝ち越しましたので、期待通り幕下に復帰しました。2004年初場所では、またも一敗差で負け越しました。でも、春場所では優れた成績を 見せました。それも、夏場所でも続きました。続いて、名古屋場所でも、幕下二十二枚目で自己最高位になります。にもかかわらず、思いがけなく(と言ったら失礼でしょうが)いい成績で終わりました。強くなりましたね!と認めなければなりません。

 2005年夏場所には四場所ぶりに自己最高位になりました。秋場所前は、特に悪いところはないのに、調子はよく ないそうです。それにしても、勝越しはしました。それから、九州場所でも非常に優れた成績も果たしましたので、自信が戻ったでしょう。それに続いて、初場 所でも、激しい星つぶし戦のために、優勝決定戦になる直前星を落してしまいにもかかわらず、優れた成績を見せました。
 2006年春場所の番付でも、幕下六枚目での自己最高位で見事な成績でした。夏場所にも勝越を果たしました。 これで、続けて5回目の勝越になります。東幕下二枚目で、プレッシャーがかかってしまって、勝越しまでにはならなかったのですけれども、十両で取った一番 が二つとも白星で飾り、ちゃんと十両レベルの強さを見せました。これからやり直しになります。ただ、秋場所前には、体調がどうもおかしそうです。どこか悪 い所はあるはずですけれども、本人は何も言ってくれません。とにかく、秋場所の負越のために、番付はまた落ちてしまったということが非常に惜しいです。
 2007年初場所から、ずっと正常な成績が戻り、特に夏場所に6勝も上げましたので、少しずつ自己最高位に近づいて行きます。

 2007年の番付がまたもう少し下がりましたけれども、よく頑張れる人間ですから、今に見せてやるでしょう。
 この頃の番付運はあまりよくないと言えるでしょう。
九州場所の好成績で、十両昇進が協会によって11月28日に発表されました。おめでとうございます。 
 2008 年初場所、新十両の場所には、負越といっても、始めの2勝8敗の後、5連勝もあげて、7勝8敗まで回復できたという出来事は見事です。
 春場所の十両での初めての勝越です。夏場所にも、前半一勝四敗に続いて、中盤三勝六敗から、なんと連勝して勝越しました!終わりまで皆をハラハラさせたでしょう!名古屋場所には負越ですけれども、千秋楽など、勝った一番は見事でした。

 2009年春場所の帰り十両、おめでとうございます!夏場所は、十両で始めての9勝で、自信が出てきた 証拠でしょう!名古屋場所の番付には、去年自己最高位だった名古屋場所の自己最高位に戻りました。さすがに、秋場所には部屋頭になりました。ただ、残念で 残念。巨大の山本山に勝ってから、気力が抜けてしまったのでしょう。



「相撲」2005年一月号、「幕下以下有望な力士座談会」という記事には、霧の若の話し、写真も出ています。
「大相撲」2006年四月号、霧の若について「注目力士」という連載で、「面白い相撲で館内沸せたい」というタイトルの記事が出ています。
「相撲」2010年一月号、「家族が語る、関取はじめて物語」のシリーズで、「母・エミ子が語る霧の若太郎」という記事があります。

2006年、靖国神社にて2007年5月稽古総見

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 土佐 幸司(とさ こうじ)
肥後錦 幸司(2002年初場所から、2003年秋場所まで)
東序二段七十九枚目
本名 土佐孝司   2002年初場所から 肥後錦幸司、2003年九州場所から 土佐に戻る
1980年7月18日生  熊本県菊池郡菊陽町出身
1999年春場所入門
175cm 149.5kg
1999年夏場所   東序ノ口二十枚目   5勝2敗
1999年名古屋場所 東序二段百四十二枚目 6勝1敗
1999年秋場所   西序二段六十枚目   4勝3敗
1999年九州場所  東序二段三十六枚目  2勝5敗
2000年初場所   西序二段六十二枚目  3勝4敗
2000年春場所   東序二段八十一枚目  5勝2敗
2000年夏場所   東序二段三十七枚目  4勝3敗
2000年名古屋場所 西序二段十七枚目   2勝5敗
2000年秋場所   東序二段四十七枚目  2勝5敗
2000年九州場所  西序二段七十三枚目  6勝1敗
2001年初場所   東序二段四枚目    3勝4敗
2001年春場所   西序二段五十九枚目  3勝4敗
2001年夏場所   西序二段三十六枚目  5勝2敗
2001年名古屋場所 東三段目九十九枚目  6勝1敗
2001年秋場所   東三段目三十八枚目  1勝6敗
2001年九州場所  東三段目七十三枚目  2勝5敗
2002年初場所   東序二段三枚目    2勝5敗
2002年春場所   東序二段三十七枚目  3勝4敗
2002年夏場所   西序二段五十四枚目  5勝2敗
2002年名古屋場所 西序二段十四枚目   3勝4敗
2002年秋場所   東序二段三十五枚目  4勝3敗
2002年九州場所  西序二段十二枚目   6勝1敗
2003年初場所   西三段目五十枚目   3勝4敗
2003年春場所   東三段目七十一枚目  1勝6敗
2003年夏場所   西序二段十枚目    2勝5敗
2003年名古屋場所 東序二段四十三枚目  4勝3敗
2003年秋場所   西序二段十八枚目   3勝4敗
2003年九州場所  西序二段四十一枚目  5勝2敗
2004年初場所   東三段目百枚目    2勝5敗
2004年春場所   東序二段二十四枚目  4勝3敗
2004年夏場所   西序二段五枚目    4勝3敗
2004年名古屋場所 東三段目八十六枚目  4勝3敗
2004年秋場所   東三段目六十七枚目  2勝5敗
2004年九州場所  東三段目八十八枚目  3勝4敗
2005年初場所   西序二段三枚目    5勝2敗
2005年春場所   東三段目六十四枚目  2勝5敗
2005年夏場所   西三段目八十七枚目  3勝4敗
2005年名古屋場所 西序二段五枚目    4勝3敗
2005年秋場所   西三段目八十六枚目  1勝6敗
2005年九州場所  西序二段二十枚目   2勝5敗
2006年初場所   東序二段五十四枚目  5勝2敗
2006年春場所   東序二段十四枚目   休場
2006年夏場所   東序二段八十五枚目  4勝3敗
2006年名古屋場所 西序二段五十六枚目  5勝2敗
2006年秋場所   西序二段十六枚目   2勝5敗
2006年九州場所  西序二段五十枚目   3勝4敗
2007年初場所   東序二段七十三枚目  4勝3敗
2007年春場所   西序二段四十七枚目  3勝4敗
2007年夏場所   西序二段六十七枚目  5勝2敗  
2007年名古屋場所 西序二段二十七枚目  4勝3敗
2007年秋場所   西序二段七枚目    4勝3敗
2007年九州場所  西三段目八十七枚目  4勝3敗
2008年初場所   西三段目六十九枚目  2勝5敗
2008年春場所   西三段目九十枚目   3勝4敗
2008年夏場所   東序二段七枚目    4勝3敗
2008年名古屋場所 東三段目八十八枚目  3勝4敗   
2008年秋場所   西序二段三枚目    5勝2敗
2008年九州場所  東三段目六十六枚目  5勝2敗
2009年初場所   東三段目三十八枚目  2勝5敗
2009年春場所   西三段目五十九枚目  4勝3敗  
2009年夏場所   西三段目三十九枚目  2勝5敗
2009年名古屋場所 西三段目六十五枚目  全休(ただし、初日は不戦敗)
2009年秋場所   西序二段二十五枚目  休場
2009年九州場所  西序二段八十五枚目  6勝1敗
2010年初場所   西序二段九枚目     4勝3敗
2010年春場所   西三段目八十八枚目  4勝3敗
2010年夏場所   東三段目七十一枚目  2勝5敗
2010年名古屋場所 東三段目九十八枚目  2勝3敗2休 (3敗中、1敗は不戦敗)
2001年秋場所   東序二段三十枚目   4勝3敗
2010年九州場所  東序二段八枚目     休場
2011年初場所   東序二段七十九枚目  休場


最高位 三段目37  通算231勝229敗38休
通算出場回数 459  勝率 50.3%


 若手弟子の中では最重量で、陸奥部屋にはめずらしく、いかにも押し相撲向きの身体をしていますが、動きに正確さがあ り、四つ相撲も取れます。通算成績もよく、期待されます。性格としては気まぐれなところが少なく、控えめで、目立ちたがる傾向はまったく見られません。 はっきりした、率直な性格で、落ち着いていて、感じのいい若者といえます。
 以前は相撲の成績にあまりバラツキがないことが特徴でしたが、2000年名古屋場所、秋場所ではつづけて負け 越しました。しかし、総体的には、もっとも有望な力士の一人であることはまちがいありません。期待にたがわず、九州場所では六勝一敗と大勝ちし、自己最高 位の序二段四枚目にまで進みました。この調子で行けば、前途は明るいと言えるでしょう。
 はたして2001年夏場所では五勝二敗の好成績をあげ、三段目への昇進がかないました。そればかりでなく、つ づく名古屋場所でも六勝一敗と大勝ちしています。三段目の厚い壁を見事に破ったわけで、この成果は高く評価されるべきです。秋場所番付では、自己最高位を 大きく更新して部屋の上位力士の列に入ることになりましたが、結果は痛恨の一勝六敗でした。不調はその後もつづき、2002年初場所番付では序二段に転落 してしまいました。しかし夏場所では、しばらくぶりに実力を発揮し、五勝二敗の好成績をあげました。
 名古屋場所前に、膝の手術を受け、そのためよちよち歩きしかできず、膝を曲げるのも難しそうでした。このよう な状態での成績としては、三勝四敗は高く評価すべきでしょう。しかし脚の状態はよくないらしく、長い間病院に通い、いかにも歩きづらそうでした。この怪我 を負いながら秋場所で四勝三敗で勝ち越したのは、特記に値することだといえます。つづいて九州場所でも、六勝一敗の好成績をあげ、2003年初場所番付で は三段目に復帰していますが、成績は惜しくも一敗差の負け越しでした。春場所でも不運はつづき、夏場所番付ではまた序二段に落とされていましたが、名古屋 場所では勝ち越しました。秋場所はまたもや一敗差の負け越しでしたが、九州場所では五勝の好成績をあげ、新番付では三段目復帰がかないましたが、2004 年初場所では不調でした。でも、この数場所を見れば、また徐々に回復して来たと思われたのですが、やはりほんものではありません。
 もう5年前からかかっている膝の怪我が、2005年九州場所に、大変な問題になっていますけれども、本人はちゃんと場所に出ると決心しました。
 2006年初場所がよかったですが、その後、膝の怪我があまりにも悪化し、春場所には休場になりました。その後の夏、名古屋、秋場所ではその怪我のままでがんばっています。九州の番付では、番付運が非常に悪く、34段も下げてしまったのです。
 2007年九州番付では、三段目に帰りました。
 2008年の夏場所の勝越しで、三段目復帰できました。膝の状態が大丈夫なら、秋場所の後退をうめる力があります。秋場所、九州場所、久しぶりの連続の好成績をあげましたので、回復が見えて来ました。
 2009年初場所の番付では、2001年に始めて到着した自己最高位に復帰しました。怪我というのは恐いもんですね!今度こそ頑張って下さい!夏場所には、また自己最高位に近づいています。が、怪我で名古屋場所、秋場所を休場したのです。
 九州場所、休場あけの6勝1敗の好成績でおめでとうございます!


 
 

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 白馬 毅はくば たけし)
西前頭十枚目
本名 アリオンバヤル・ウヌルジャラガラ 通称 ウヌル
1983年5月5日生 モンゴル、ウランバートル出身
1998年12月、見習い生として陸奥部屋に入る
翌年末、立田川部屋に入門し、「白馬」の四股名で2000年初場所初土俵
(1999年12月24日新弟子検査に合格)
その後、立田川部屋合併により陸奥部屋に復帰
2007年初場所新十両
2008年夏場所新入幕
2010年名古屋場所新三役(東日小結)
 
187 cm、128kg
2000年春場所   序ノ口三十五枚目  4勝3敗
2000年夏場所   序二段百三十枚目  5勝2敗
2000年名古屋場所 序二段八十枚目   5勝2敗
2000年秋場所   東序二段三十七枚目 1勝1敗5休
2000年九州場所  東序二段七十二枚目 休場
2001年初場所   東序二段七十二枚目 7勝0敗 序二段全勝優勝
2001年春場所   西三段目六十八枚目 4勝3敗
2001年夏場所   西三段目五十枚目  4勝3敗
2001年名古屋場所 東三段目三十四枚目 3勝4敗
2001年秋場所   西三段目五十一枚目 4勝3敗
2001年九州場所  西三段目四十枚目  4勝3敗
2002年初場所   西三段目二十七枚目 4勝3敗
2002年春場所   東三段目十四枚目  2勝5敗
2002年夏場所   西三段目四十枚目  4勝3敗
2002年名古屋場所 東三段目二十六枚目 2勝5敗
2002年秋場所   東三段目五十一枚目 6勝1敗
2002年九州場所  西三段目筆頭    5勝2敗
2003年初場所   西幕下四十枚目   4勝3敗
2003年春場所   東幕下三十二枚目  4勝3敗
2003年夏場所   西幕下二十六枚目  3勝4敗
2003年名古屋場所 西幕下三十三枚目  3勝4敗
2003年秋場所   東幕下四十一枚目  3勝4敗
2003年九州場所  西幕下五十二枚目  5勝2敗
2004年初場所   東幕下二十九枚目  4勝3敗
2004年春場所   西幕下二十一枚目  3勝4敗
2004年夏場所   西幕下三十一枚目  3勝4敗
2004年名古屋場所 西幕下三十八枚目  4勝3敗
2004年秋場所   西幕下三十一枚目  2勝5敗
2004年九州場所  西幕下四十五枚目  5勝2敗
2005年初場所   東幕下三十枚目   3勝4敗
2005年春場所   東幕下四十枚目   5勝2敗
2005年夏場所   西幕下二十九枚目  3勝4敗
2005年名古屋場所 西幕下三十五枚目  3勝4敗
2005年秋場所   西幕下四十六枚目  3勝4敗
2005年九州場所  西幕下五十三枚目  6勝1敗
2006年初場所   西幕下二十四枚目  6勝1敗(幕下優勝 決定戦に参加)
2006年春場所   西幕下九枚目    6勝1敗
2006年夏場所   西幕下二枚目    3勝4敗
2006年名古屋場所 西幕下六枚目    5勝2敗
2006年秋場所   西幕下二枚目    4勝3敗
2006年九州場所  東幕下二枚目    7勝0敗 幕下全勝優勝
2007年初場所   東十両十一前枚目  8勝7敗
2007年春場所   西十両十枚目    8勝7敗
2007年夏場所   東十両八枚目    7勝8敗
2007年名古屋場所 西十両八枚目    8勝7敗
2007年秋場所   西十両三枚目    8勝7敗
2007年九州場所  西十両二枚目    5勝10敗
2008年初場所   西十両八枚目    11勝4敗
2008年春場所   西十両三枚目    8勝7敗
2008年夏場所   西前頭十六枚目   4勝11敗   
2008年名古屋場所 西十両五枚目    5勝10敗  
2008年秋場所   東十両十一枚目   7勝8敗
2008年九州場所  西十両十二枚目   7勝8敗
2009年初場所   東十両十四枚目   11勝4敗 (十両優勝 決定戦で負け)
2009年春場所   東十両四枚目    6勝9敗
2009年夏場所   西十両七枚目    8勝7敗
2009年名古屋場所 西十両三枚目    7勝8敗

2009年秋場所   東十両五枚目    9勝6敗
2009年九州場所  西十両筆頭     8勝7敗
2010年初場所   西前頭十四枚目    9勝6敗
2010年春場所   東前頭九枚目    8勝7敗
2010年夏場所   西前頭五枚目    10勝5敗
2010年名古屋場所 東小結       4勝11敗
2010年秋場所   西前頭五枚目    8勝7敗
2010年九州場所  東前頭四枚目     4勝11敗
2011年初場所   西前頭十枚目    8勝7敗


最高位 東小結    通算347勝303敗12休
通算出場回数 649   勝率 53.5%
幕下優勝1回、序二段優勝
得意技 左四つ、寄り

 ウヌルは、一年もの間、陸奥部屋に起居し、熱心に稽古にはげんでいましたが、1999年末に立田川部屋に移ることにな りました。これは、部屋ごとの外国人数が当時二名までにおさえられていた(現在はさらにきびしくなって一部屋一名だけ)ので、すでに星誕期と星安出寿が在 籍していた当時の陸奥部屋には外人枠がなかったという事情によるものです。しかし、陸奥部屋が育てた力士であることはまちがいありません。立田川部屋の合 併により、この人は出世して古巣に戻って来たことになります。
 このごろでは、敏捷な取り口に独特の持ち味が出て来ました。すでに自分の相撲というものを身につけているのです。将来が楽しみな、いい力士といえます。

 2000年は秋場所以来、足首のひどい怪我で停滞中でしたが、2001年にはみごとな復活を見せました。初場所では全勝で、千秋楽の優勝決定戦でも勝ち、序二段での全勝優勝を果たしました。新生陸奥部屋としては初の優勝です。しかも、もともと陸奥部屋が育てた弟子が、初優勝を飾ったのですから、これほど喜ばしいことはありません。おめでとう。よくやってくれました。
 その結果、三段目に昇進し、春場所番付では岡本(現在霧の若)、霧の富士(霧の藤)、和歌嵐(その後引退)を 抜いて部屋の若手では最高の位階に進みました。当然、今までとはくらべものにならないような強い相手と対戦することになり、これにどう対応して行けるかと いうことが、今後の課題になっていたのですが、三段目の厚い壁を破り、春場所、夏場所でみごとに連続勝ち越しを達成したことは、その意味でまことに立派な ものといえます。しかし名古屋場所では、惜しくも一敗差で負け越しとなりました。左腕と足にテーピングをしていて、怪我でハンディを負っているのでしょ う。でも、陸奥部屋のホープであることには変わりはありません。秋場所、九州場所でも、怪我を乗り越えてめでたく勝ち越しました。
 勝ち越しはその後もつづき、2002年初場所番付、春場所番付とつづいて自己最高位を更新していましたが、春 場所では惜しくも今までで最悪の二勝五敗となりました。しかし夏場所では持ち直し、四勝三敗で勝ち越しました。名古屋場所ではまたもや二勝五敗でしたが、 それよりもこの時点で心配だったのは、気力を失っているのが目に見えたことです。左足にテーピングをしているので、そのせいかと思うと、本人は足なんかな んでもないと言っているのです。白馬のように将来のある、優秀な若者が、気落ちしているように見えたというのはなんとも残念なことで、なんとしても元気を とりかしてもらいたいと思います。
 本人は、そのようなことは心配はいらない、ちゃんと頑張るから大丈夫だと、微笑みながら言っていますし、稽古 を見ても、懸命な中にも余裕があり、落ち着いた表情をしているという印象を受けます。また何よりも、秋場所で六勝一敗という、めざましい成績をあげたこと を見れば、好調であることはまちがいなく、いろいろな心配は完全に消えてなくなったのだということを、みごとに証明しているのです。部屋の若いホープは健 在です。九州場所番付では三段目筆頭、自己最高位に達しています。しかも五勝二敗の好成績をあげましたので、2003年初場所番付では、ついに幕下昇進が 実現しました。おめでとう。今後の課題は、重量の古豪力士たちと互角で立ち向かって行けるかということでしょうが、これを克服して初場所で四勝三敗をあげ たことは、じつに立派です。その結果、春場所番付では自己最高位を更新し、東三十二枚目に進んだ上、みごとに勝ち越し、夏場所では西二十六枚目となり、さ らに最高位を更新しています。名古屋場所では残念なことに、一敗差の負け越しでした。秋場所でもつづいて、一敗差で勝ち越しを逃しています。場所前、白馬 は、腰を痛めたようでたくさんテーピングをしていましたが、わりに冷静な顔をしていて、そんなに深刻な感じではないということです。九州場所ではひさしぶ りの好成績、ファンを狂喜させました。2004年初場所でも勝ち越しています。
 いずれにしても、重量力士ばかりが大きな顔をしている今日の相撲界では、白馬のような筋肉質の精鋭の存在はま ことに貴重であるといわなければなりません。春場所の番付では、自己最高位に達しました。ただ、本人もこの二年にわたって、ずっと怪我に悩まされているこ とがはっきりなりました。現在、2004年9月、また腰のテーピングをして、場所前の稽古も無理になりました。けれども、場所にはちゃんと出ると強く言っ ていましたので、負け越しになっても仕方がないでしょう。ですが、九州へ出る前には、腰の怪我が治り、体調も気力も最高のようでした。九州場所も好成績で 済ませました。
 関取昇進を期待する声が多くなりました。ですが、2005年夏中、または秋場所前には、特に悪いところがない と言っていますけれども、稽古には基本運動や胸をかすなどという稽古以外はあまり気合いを見せず、ちょっとほんものではないようです。やっと、九州場所で 体調が戻り、やる気が戻って来ました!
 また2006年初場所では、自己最高位に近い幕下二十四枚目で、6勝1敗の成績で優勝決定戦に加わりました。続いて、春場所には幕下九枚目で、また6勝1敗を飾りました。
 せっかく連続的見事な成績を見せたのに、最高位の幕下西二枚目になったこの大切な夏場所には負越になってしま いました。でも、やり直しの名古屋場所には5勝2敗といういい成績を果たしましたので、秋場所ではまた自己最高位に戻ったのです。場所前の体調はよさそう に見えても、やはり首の怪我がまだまだ本物ではないことが分かります。それにしても、西幕下二枚目で、ちゃんと勝ち越せたのです。ただし、西二枚目で単な る勝越は十両昇進のための決定的な成績ではないわけです。空いた所が二つしかない中で、もっといい成績の人たちもそのすぐ下位にはありますで、昇進がやは り無理になりました。
 九州場所の番付では、西幕下二枚目での勝越しでは、単に西から東に上がるだけとなりました。成績として、見事な幕下全勝優勝をしました。2007年の初場所には、十両昇進が確実になります。そのことで、たくさんのファンが喜びを見せてくれました。本当におめでとうございます!
 新十両の場所で、はやばやと7敗になったのに、勝ち越したのはすごいです。
 春場所は十両昇進からの二場所目になりますが、番付運がまた悪く、1枚の半分しか上がっていません。関取二場所目も勝越で飾りました。
 秋場所には、場所前の怪我で手術を受けて体調不良なのに、どうやら勝越できてすばらしいことです。
 2008年初場所には11勝4敗という立派な成績もあげました。これで、春場所には部屋頭になりますが、もう入幕も近くなって期待できるので、楽しみです。
 夏場所には新入幕になれるのかサスペンスでした。
 番付運が悪かったこの前の数場所でしたが、やっと少し運が飛んで来ました。幕内に上がることがかないました。おめでとうございます。これからもがんばって下さい。
 九州場所の後の陥落、危なかったですね!みんなほっとしています。
 2009年、名古屋場所には、再び部屋頭になりました。秋場所の好成績、おめでとうございます。

 九州場所の勝越で、初場所の番付には九場所ぶり幕内に帰るのがもう確かになりました。

 2010年初場所の番付、西前頭十四枚目で、自己最高位で、9勝をあげました。かなり嬉しい成績でしょう。けれども、勝ち越しは十日目で、予想外的な勝っ放しだった後で、4連敗が続いたので、やはりちょっと残念でした。春場所にも、自己最高位での勝越です。  初場所、体重128キロで、幕内では最軽量の力士だそうです!
 名古屋場所、新三役の東小結になりました!おめでとうございます!マスコミには、外国人として一番スロー昇進と言われたのですが、やはり小結まで上がれた外国人のことだと忘れてはいけないでしょう。それに、スローと言っても、焦らず自分のペースで行くのは一番なのではないでしょうか。


「相撲」2006年四月号、「大銀杏が待っている」という白馬紹介の記事があります。
「大相撲」2006年四月号、「幕下訪問」という連載で、「白馬毅、一人前の男、になりたい」というタイトルの記事が出ています。
「大相撲」2006年十一月号、「白馬、悔しさを飲み込んで」というタイトルで、立派な写真付き記事が出ています。

「大相撲」2010年七月号、「話の申し合い」のシリーズで白馬のインタビューがあります。

 2007年靖国奉納相撲の写真


 白馬が2008年十月にオユナさん(25才)と結婚しました。オユナさんは時天空の妹です。2009年十月に長女が誕生しました。


 
 

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 霧丸(きりまる)
 内山 直也(うちやま なおや)改め

東序二段百五枚目
1985年4月5日生 名古屋市名東区猪高町出身
本名 内山直也
2001年春場所入門 3月3日新弟子検査合格 新序二番出世
173cm 135kg
2001年春場所   前相撲       二番出世
2001年夏場所   東序ノ口三十六枚目 3勝4敗
2001年名古屋場所 東序ノ口二十八枚目 3勝4敗
2001年秋場所   西序ノ口二十四枚目 4勝3敗
2001年九州場所  東序二段百十七枚目 3勝4敗
2002年初場所   西序ノ口筆頭    2勝5敗
2002年春場所   東序ノ口十五枚目  3勝4敗
2002年夏場所   西序ノ口九枚目   3勝4敗
2002年名古屋場所 西序ノ口十四枚目  4勝3敗
2002年秋場所   西序二段百六枚目  1勝6敗
2002年九州場所  東序ノ口十四枚目  3勝4敗
2003年初場所   西序ノ口十六枚目  5勝2敗
2003年春場所   西序二段七十四枚目 3勝4敗
2003年夏場所   西序二段八十八枚目 3勝4敗
2003年名古屋場所 西序二段百三枚目  3勝4敗
2003年秋場所   西序二段百十六枚目 3勝4敗
2003年九州場所  西序ノ口十一枚目  3勝1敗3休
2004年初場所   東序ノ口十二枚目  2勝5敗
2004年春場所   東序ノ口十五枚目  4勝3敗
2004年夏場所   西序二段九十七枚目 1勝6敗
2004年名古屋場所 西序二段百三十一枚目 5勝2敗
2004年秋場所   西序二段七十七枚目 2勝5敗
2004年九州場所  東序二段百七枚目  4勝3敗
2005年初場所   東序二段八十一枚目 3勝4敗
2005年春場所   東序二段百三枚目  3勝4敗
2005年夏場所   西序二段百十枚目  4勝3敗
2005年名古屋場所 東序二段八十四枚目 2勝5敗
2005年秋場所   東序二段百十四枚目 4勝3敗
2005年九州場所  東序二段八十七枚目 3勝4敗
2006年初場所   西序二段百十枚目  5勝2敗
2006年春場所   東序二段六十枚目  3勝4敗
2006年夏場所   西序二段八十枚目  4勝3敗
2006年名古屋場所 東序二段五十二枚目 3勝4敗
2006年秋場所   東序二段七十九枚目 4勝3敗
2006年九州場所  西序二段五十一枚目 1勝6敗
2007年初場所   西序二段八十九枚目 3勝4敗
2007年春場所   東序二段百六枚目  4勝3敗
2007年夏場所   東序二段七十六枚目 3勝4敗
2007年名古屋場所 西序二段九十四枚目 3勝2敗2休(2敗中、1敗は不戦敗)
2007年秋場所   西序二段百十八枚目 5勝2敗
2007年九州場所  東序二段七十四枚目 1勝6敗
2008年初場所   東序二段百十七枚目 4勝3敗
2008年春場所   西序二段八十枚目  4勝3敗 
2008年夏場所   西序二段五十四枚目 2勝5敗   
2008年名古屋場所 東序二段八十六枚目 4勝3敗   
2008年秋場所   東序二段六十二枚目 2勝5敗 
2008年九州場所  西序二段九十五枚目 4勝3敗
2009年初場所   西序二段七十枚目  1勝6敗
2009年春場所   西序二段百十一枚目 4勝3敗  
2009年夏場所   西序二段八十枚目  休場
2009年名古屋場所 西序ノ口二十五枚目 1勝0敗6休  
2009年秋場所   東序の口二十六枚目 5勝2敗
2009年九州場所  東序二段八十六枚目 3勝4敗
2010年初場所   東序二段百六枚目   2勝5敗
2010年春場所   西序の口二枚目   4勝3敗
2010年夏場所   西序二段八十枚目  2勝5敗
2010年名古屋場所 東序二段百七枚目  2勝5敗
2010年秋場所   東序ノ口七枚目   5勝2敗
2010年九州場所  西序二段七十五枚目  2勝5敗
2011年初場所   東序二段百五枚目  4勝3敗

最高位 序二段51  通算181勝214敗19休
通算出場回数 394 勝率 45.9%

 2001年春場所で前相撲を取り、二番出世し、夏場所、名古屋場所とつづいて三勝四敗の成績でした。最初の出足としては悪くないといえます。
 体重は十分で、相撲の早い動きにもかなりのところまでついて行けるようです。これで経験を積めば、将来の見通 しは明るいでしょう。秋場所ではめでたく勝ち越し、九州場所番付では自己最高位、序二段への昇進がかないました。これを契機として将来への道が開けて行く よう、期待してやみません。
 九州場所では、出足はよかったのですが、疲れたのか、後半で三連敗してしまいました。一番の差で勝ち越せたのに、惜しいことです。不調はその後も続いています。今は序二段への復帰、定着を当面の目標として、頑張るだけで十分だと思います。
 名古屋場所はやっと勝ち越しました。二度目の勝ち越しで、秋場所番付では最高位に達していましたが、惜しくも一勝六敗、九州場所でも一敗差の負け越しでした。
 ところが、2003年初場所では、入門以来はじめての、五勝二敗の好成績をあげ、春場所番付では自己最高位の 西序二段七十四枚目に達しました。いよいよ大変身のきざしが見えたといえるのでしょうか。今後の成長がたのしみになって来ましたが、結果は惜しくも一敗差 での負け越し、この状態は秋場所までつづいています。
 残念ながら、肺炎になり、九州場所は休場せざるをえない状況でしたが、三休だけですみました。夏場所の成績お見ると、どうもどこかが悪いでしょう。
 2004年名古屋場所では、9場所ぶりの好成績になりました。九州場所でも、勝越しましたので、これで2004年の三回目の勝越しになります。
 2006年初場所では、一年半ぶり優れた成績をみせました。春場所の番付では序二段六十枚目で自己最高位でした。それから、名古屋場所の番付でも序二段五十二枚目で自己最高位です。
 2008年、このところ、豊ノ島の付人になっているせいなのか、責任感も出たようで、もう少し頑張れるようになった感じがします。
  2009年秋場所、休場明けの、2年ぶりの5勝2敗で、おめでとうございます。
 

 なお、雑誌「大相撲」2003年2月号117ページに、NHK緒方喜治アナウンサーの署名記事「注目力士各段ピンアップ」で内山の紹介が出ています。内山のことが記事になったのははじめてで、本人にはどんなにかうれしいことでしょう。

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勇輝  (ゆうき)
山崎 
勇大 (やまさき・ゆうだい) 改め勇大
東序二段十一枚目
1989年9月7日生 宮崎県宮崎市出身
2005年春場所入門 
179cm 115.8kg  

2005年夏場所   東序ノ口三十六枚目  1勝6敗
2005年名古屋場所 西序ノ口三十六枚目  4勝3敗
2005年秋場所   西序二段百二十九枚目 1勝6敗
2005年九州場所  西序ノ口十九枚目   4勝3敗
2006年初場所   西序二段百十二枚目  1勝6敗
2006年春場所   東序ノ口十四枚目   3勝4敗
2006年夏場所   西序二段百二十九枚目 3勝4敗
2006年名古屋場所 西序ノ口七枚目    2勝5敗
2006年秋場所   西序ノ口二十枚目   4勝3敗
2006年九州場所  西序二段百七枚目   3勝4敗
2007年初場所   西序ノ口筆頭     4勝3敗
2007年春場所   西序二段九十一枚目  2勝5敗
2007年夏場所   東序二段百十七枚目  3勝4敗 
2007年名古屋場所 東序ノ口二枚目    4勝3敗
2007年秋場所   東序二段九十九枚目  3勝4敗
2007年九州場所  東序二段百十八枚目  3勝4敗
2008年初場所   西序ノ口五枚目    5勝2敗
2008年春場所   東序二段七十三枚目  4勝3敗 
2008年夏場所   西序二段四十七枚目  3勝4敗   
2008年名古屋場所 西序二段六十八枚目  4勝3敗   
2008年秋場所   西序二段四十四枚目  4勝3敗
2008年九州場所  西序二段十六枚目   3勝4敗
2009年初場所   東序二段三十九枚目  5勝2敗
2009年春場所   西序二段三枚目    2勝5敗
2009年夏場所   東序二段三十六枚目  4勝3敗
2009年名古屋場所 東序二段十三枚目   4勝3敗
2009年秋場所   東三段目九十五枚目  2勝5敗
2009年九州場所  西序二段十七枚目   4勝3敗
2010年初場所   西三段目九十八枚目   3勝4敗
2010年春場所   西序二段十七枚目   3勝4敗
2010年夏場所   西序二段三十五枚目  6勝1敗
2010年名古屋場所 東三段目七十三枚目  2勝5敗
2010年秋場所   西三段目百枚目    4勝3敗
2010年九州場所  東三段目八十一枚目   2勝5敗
2011年初場所   東序二段十一枚目   4勝3敗

最高位 三段目73  通算113勝132敗
通算出場回数 245 勝率 46.1%

 

  勇大は陽気で勝ち気な青年です。

  2008年初場所、初めての5勝2敗という好成績をあげて、おめでとうございます!春場所には自己最高位になりました。かなり上へ上がったのに、勝越できたのは偉いことです。夏場所には、2場所続けて自己最高位でしたので、やはり勝越しにはなりませんでした。
 
  名古屋場所には勝越しましたので、秋場所の番付にはまた自己最高位になりました。最近の全体的成績を見ると、 かなりやる気が出て強くなったと言えるでしょう。秋場所にも、自己最高位で、勝越しましたので、九州場所にもまた自己最高位になりました。九州場所には勝 越しまでなれなかったですけれども、今年中順調に番付を上げましたので、大分がんばったと言えます。

  2009年春場所の番付には、序二段三枚目で、自己最高位になります。 秋場所には、三段目に昇進しました。本当に、おめでとうございます!でも、残念に、まだちょっと速かったのかも知れません。

  2010年初場所、二場所ぶり三段目帰りで、前よりよい成績をあげたのですが、まだ勝ち越しではないですけれ ども、よくがんばったと言えるでしょう。夏場所には、6勝1敗の著しい成績をあげたので、名古屋場所には三段目に帰り、五場所ぶりに自己最高位です。かな りあがりましたので、ちょっと大変な場所になりそうですけれども、がんばってほしいです。

  2010年秋場所から、勇輝と改名しました。

「相撲」2010年七月号、「稽古に精進し夢をつかみたい!」という記事で、勇大の紹介があります。

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金井 武志 (かない・たけし)
西序二段百四枚目
1988年1月27日生 宮崎県日向市出身
2005年名古屋場所入門 
178cm 111.6kg  
  
2005年秋場所   西序ノ口四十二枚目  3勝4敗
2005年九州場所  東序ノ口二十四枚目  1勝6敗
2006年初場所   東序ノ口三十枚目   2勝5敗
2006年春場所   西序ノ口二十四枚目  休場
2006年夏場所   番付外
2006年名古屋場所 番付外
2006年秋場所   番付外
2006年九州場所  番付外(前相撲)
2007年初場所   東序ノ口三十四枚目  1勝6敗
2007年春場所   西序ノ口二十六枚目  2勝5敗
2007年夏場所   西序ノ口四枚目    3勝4敗
2007年名古屋場所 西序ノ口九枚目    2勝5敗
2007年秋場所   東序ノ口二十一枚目  3勝4敗
2007年九州場所  東序ノ口十六枚目   2勝5敗
2008年初場所   東序ノ口二十三枚目  4勝3敗
2008年春場所   西序二段百枚目    2勝5敗
2008年夏場所   東序二段百二十枚目  2勝5敗   
2008年名古屋場所 東序ノ口八枚目    4勝3敗 
2008年秋場所   東序二段百五枚目   1勝6敗
2008年九州場所  東序ノ口六枚目    1勝6敗
2009年初場所   東序ノ口二十枚目   4勝3敗
2009年春場所   東序二段九十四枚目  3勝4敗 
2009年夏場所   東序二段百十二枚目  3勝4敗
2009年名古屋場所 西序二段百二十一枚目 4勝3敗
2009年秋場所   東序二段八十七枚目  2勝3敗2休(3敗中、1敗は不戦敗)
2009年九州場所  西序二段百十枚目   2勝5敗
2010年初場所   西序ノ口七枚目     5勝2敗
2010年春場所   東序二段七十二枚目  0勝7敗
2010年夏場所   西序ノ口五枚目    4勝3敗
2010年名古屋場所 東序二段九十三枚目  2勝5敗
2010年秋場所   東序二段百二十枚目  4勝3敗
2010年九州場所  西序二段八十五枚目   3勝4敗
2011年初場所   東序二段百四枚目   3勝4敗

最高位 序二段72  通算72勝122敗10休 
通算出場回数 193 勝率 37.3% 

 

  2006年春場所には、病気のために休場することになりました。それで夏場所からすぐ番付外になってしまいました。
  九州場所にまた前相撲で始まり、2007年初場所の番付にまた出ました。
  2008初場所、十場所目で、初の勝越、おめでとうございます!春場所の番付には初めて序二段に上がります。
  名古屋場所の勝越は、今年二番目の勝越になりますので、前と比べてかなりの向上が見えます!右の耳も相当につぶれてしまい、稽古の激しさを暗示させています。
  秋場所と九州場所の成績を見ると、自分の普通の成績よりかなりの差があります。怪我をしているのかもわかりません。もしかすると、秋場所の始めに頭と背中で土俵の下に落ちた時に(うっちゃりのような動きで対戦相手にも追われて)大怪我をしたのかもしれません。
  2009年春場所の番付には、自己最高位になります。 秋場所にも自己最高位です。
  2010年初場所は初めての5勝という成績をあげました。努力をすればやはり成績が出ますね!嬉しいでしょう!おめでとうございます!
  春場所は、やはり家賃が高かすぎたですね!来場所がんばって!
  秋場所の勝ち越しでは、今年5場所中、三回目の勝ち越しです。
 
 
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霧嵐 聖 (きりあらし)
小島 聖 (こじま・せい)改め
西序二段六十一枚目
1990年4月18日生 茨城県稲敷市出身
2006年春場所入門 
175cm 135.1kg  
  
2006年夏場所   東序ノ口三十七枚目  3勝4敗
2006年名古屋場所 東序ノ口二十六枚目  4勝3敗
2006年秋場所   東序二段百十八枚目  2勝5敗
2006年九州場所  東序ノ口十枚目    1勝6敗
2007年初場所   西序ノ口二十二枚目  5勝2敗
2007年春場所   西序二段九十枚目   3勝4敗
2007年夏場所   東序二段百七枚目   2勝5敗 
2007年名古屋場所 西序ノ口四枚目    4勝3敗
2007年秋場所   東序二段百五枚目   3勝4敗
2007年九州場所  西序二段百二十一枚目 4勝3敗
2008年初場所   西序二段八十九枚目  3勝4敗
2008年春場所   西序二段百五枚目   4勝3敗
2008年夏場所   西序二段七十六枚目  1勝6敗   
2008年名古屋場所 西序二段百十九枚目  4勝3敗   
2008年秋場所   東序二段九十二枚目  5勝2敗  
2008年九州場所  東序二段三十九枚目  休場
2009年初場所   西序二段百九枚目      休場
2009年春場所   東序ノ口二十一枚目  4勝3敗  
2009年夏場所   東序二段百二枚目   5勝2敗
2009年名古屋場所 西序二段四十八枚目  0勝4敗3休 
2009年秋場所   西序二段百八枚目   休場
2009年九州場所  西序ノ口二十四枚目  5勝2敗
2010年初場所   西序二段七十九枚目   4勝3敗
2010年春場所   西序二段四十七枚目  3勝4敗
2010年夏場所   西序二段七十一枚目  5勝2敗
2010年名古屋場所 西序二段三十枚目   2勝5敗
2010年秋場所   東序二段六十八枚目  5勝2敗
2010年九州場所  東序二段二十四枚目   2勝5敗
2011年初場所   東序二段六十一枚目  4勝3敗

最高位 序二段30 通算87勝92敗24休
通算出場回数 179    勝率 48.6%

  いい体をしているし、真面目そうに稽古をしているので、これから強くなるでしょう。
  2008年夏場所の番付では自己最高位です。
  九州場所番付には、夏場所の自己最高位だった序二段七十六枚目から、東序二段三十九枚目となり、かなりの上昇となります!
  2009年九州場所、霧嵐と改名します。2010年初場所は、序二段七十九枚目での初めての勝ち越しです。春場所は初めてこの番付で場所を向いました、いわゆる自己最高位の場所(この前の最高位だった時は休場)でしたので、3勝4敗の成績はまあまあでしょうね。
  2010年名古屋場所、二年ぶりに自己最高位です。九州場所にも自己最高位です。

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大原 成輝 (おおはら・しげき) 改め太源 成貴(だいげん・しげき)
東三段目六十枚目
前相撲(3勝1敗)
1991年6月14日生 名古屋市南区出身
2007年九月場所入門(第2検査)
173cm 94kg 

2007年九州場所  西序ノ口三十三枚目   5勝2敗
2008年初場所   西序二段百二枚目    3勝4敗
2008年春場所   東序二段百十三枚目   3勝4敗   
2008年夏場所   西序二段百十八枚目   4勝3敗   
2008年名古屋場所 西序二段八十八枚目   3勝4敗   
2008年秋場所   東序二段百十三枚目   5勝2敗
2008年九州場所  東序二段五十四枚目   6勝1敗
2009年初場所   西三段目八十八枚目   4勝3敗
2009年春場所   西三段目七十枚目    2勝5敗
2009年夏場所   東三段目九十七枚目   2勝5敗
2009年名古屋場所 西序二段三十四枚目   4勝3敗
2009年秋場所   東序二段十四枚目    2勝5敗
2009年九州場所  東序二段四十三枚目   6勝1敗
2010年初場所   西三段目七十七枚目    4勝3敗
2010年春場所   西三段目五十八枚目   3勝4敗
2010年夏場所   西三段目七十二枚目   4勝3敗
2010年名古屋場所 東三段目五十四枚目   3勝4敗
2010年秋場所   西三段目六十八枚目   2勝5敗
2010年九州場所  西三段目九十五枚目    5勝2敗
2011年初場所   東三段目六十枚目    3勝4敗

最高位 三段目54 通算73勝67敗
通算出場回数 140    勝率 52.1%

 
 
 

<> かなり相撲の上手い青年で、スピードが早い、体も柔らかいですけれども、この半年でかなり体重を上げたので、相撲が取りづらくなったのかもしれません。慣れるのにもう少し時間が必要でしょう。
 2008年九州場所の番付には、60枚近く上がって、自己最高位になっていました。その高い地位で、優れた成績をあげました!
 2009年初場所の番付では、自己最高位で三段目に上がりました。七場所で、ものすごいスピードです!春場所の番付にも、三場所続けて自己最高位です。
 残念なことに、番付昇進が速すぎたでしょうから、ちょっと負け込んでしまいました。またやり直しですね!
 2009年九州場所で、6勝1敗の著しい成績を達成しました。最後に負けてしまった1敗が、序二段優勝を果たした、幕下レベルのある相手との対戦でしたので、ちょっと無理でしたでしょう。
 2010年初場所、自己最高位に近い三段目七十二枚目で、優秀な勝ち越しをあげました。
 名古屋場所の番付には、また自己最高位になり、順調な上昇を見せていると言えるでしょう。


 
 
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霧虎 雅仁 (きりとら)
小林 雅仁 (こばやし・まさひと))改め
東序二段十八枚目
1993年3月23日生 山梨県甲府市出身
2008年春場所入門(3番出世)
177cm 116.5kg 
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2008年夏場所   東序ノ口四十二枚目   5勝2敗   
2008年名古屋場所 東序二段百十三枚目   4勝3敗   
2008年秋場所   西序二段八十五枚目   1勝6敗
2008年九州場所  東序二段百十六枚目   2勝5敗
2009年初場所   東序ノ口六枚目     3勝4敗
2009年春場所   東序ノ口四枚目     5勝2敗
2009年夏場所   東序二段七十四枚目   2勝5敗
2009年名古屋場所 東序二段百六枚目    3勝4敗
2009年秋場所   西序二段百十九枚目   4勝3敗
2009年九州場所  西序二段八十二枚目   4勝3敗
2010年初場所   東序二段五十五枚目    5勝2敗
2010年春場所   西序二段十五枚目    3勝4敗
2010年夏場所   東序二段三十六枚目   3勝4敗
2010年名古屋場所 西序二段五十三枚目   5勝2敗
2010年秋場所   西序二段十五枚目    3勝4敗
2010年九州場所  西序二段四十枚目     4勝3敗
2011年初場所   東序二段十八枚目    3勝4敗

最高位 序二段15 通算59勝60敗
通算出場回数 119    勝率 49.6%
 
 

2009年秋場所からしこ名を霧虎に変えました。
 
 










八藤 秀幸 (やとう・ひでゆき)
19943年7月28日生 鹿児島県出身
2011年初場所入門
185cm 95kg 











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慎  (しん)

呼出し

本名 山木真之介
1994年1月1日生 大阪府枚方市出身
2009年夏場所入門
 
 




 数場所前、始まったばかりなので、まだよく慣れないのが当然です。かなり緊張しているように感じられます。土俵造りが苦手だそうですが、太鼓が大好きで、うまくなったそうです。
呼び出しの仕事も、いろいろあって、思えるほどに簡単ではないと気がつきます。それに、場所の時、一日中、始終土俵周りで素早く行ったり来たりしているのを見ていると、力士たちより運動量が激しいと言えるでしょう。




 
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 床大 (とこだい)

二等床山
(平成19年初場所から二等に昇進)
本名 大橋太司
1970年7月24日生 新潟県出身
1986年九州場所入門
 控えめな人で、目立ちませんが、なんでもできるふしぎな才能の持ち主です。この人の結ったまげはしっかりしていて、な かなか崩れません。わかりの早いことも驚異的で、一言いえば十を察するといったタイプです。稽古の様子もよく見ていて、自分もさまざまの準備運動をしま す。もし身長がもう少しあれば、力士になりたかったのだそうですが、今では床山になってやはりよかったと言っています。料理をするのは好きで、手際もいい し、この人がちょっと手を加えるだけで、ちゃんこがひと味違います。お酒を飲み過ぎるのが玉に瑕だということを聞いたことがありますが、めずらしい好人物 です。あくまでも分を忘れない、立派な人で、技術、人柄ともに、隠れた名床山だといえます。

 2005年4月23日に結婚式をあげました。相手は橋本愛理さんと言い、21才です。おめでとうございます。心からお幸せお祈っています。


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