故旧忘れ得べき
オールドメンバーたち
多数の方々の御要望に答えるため、過去に陸奥部屋に入門して、数々の思い出を残していった、なつかしい人たちのことをしのび、このページを作りました。(順序は到達した最高位順です。)
また、陸奥部屋ニュースは、2000年5-6月から始めたものですが、やや古くなったニュースについてのお問い合わせが意外に多いので、別ページにしました。
東序二段二十四枚目
1990年4月18日生 茨城県稲敷市出身
2006年春場所入門
175cm 135.1kg
2006年夏場所 東序ノ口三十七枚目 3勝4敗
2006年名古屋場所 東序ノ口二十六枚目 4勝3敗
2006年秋場所 東序二段百十八枚目 2勝5敗
2006年九州場所 東序ノ口十枚目 1勝6敗
2007年初場所 西序ノ口二十二枚目 5勝2敗
2007年春場所 西序二段九十枚目 3勝4敗
2007年夏場所 東序二段百七枚目 2勝5敗
2007年名古屋場所 西序ノ口四枚目 4勝3敗
2007年秋場所 東序二段百五枚目 3勝4敗
2007年九州場所 西序二段百二十一枚目 4勝3敗
2008年初場所 西序二段八十九枚目 3勝4敗
2008年春場所 西序二段百五枚目 4勝3敗
2008年夏場所 西序二段七十六枚目 1勝6敗
2008年名古屋場所 西序二段百十九枚目 4勝3敗
2008年秋場所 東序二段九十二枚目 5勝2敗
2008年九州場所 東序二段三十九枚目 休場
2009年初場所 西序二段百九枚目 休場
2009年春場所 東序ノ口二十一枚目 4勝3敗
2009年夏場所 東序二段百二枚目 5勝2敗
2009年名古屋場所 西序二段四十八枚目 0勝4敗3休
2009年秋場所 西序二段百八枚目 休場
2009年九州場所 西序ノ口二十四枚目 5勝2敗
2010年初場所 西序二段七十九枚目 4勝3敗
2010年春場所 西序二段四十七枚目 3勝4敗
2010年夏場所 西序二段七十一枚目 5勝2敗
2010年名古屋場所 西序二段三十枚目 2勝5敗
2010年秋場所 東序二段六十八枚目 5勝2敗
2010年九州場所 東序二段二十四枚目 2勝5敗
2011年初場所 東序二段六十一枚目 4勝3敗
2011年夏場所 西序二段三十四枚目 5勝2敗
2011年名古屋場所 東三段目八十五枚目 4勝3敗
2011年秋場所 東三段目六十六枚目 3勝4敗
2011年九州場所 西三段目八十三枚目 3勝4敗
2012年初場所 西序二段二枚目 6勝1敗
2012年春場所 東三段目四十枚目 3勝4敗
2012年夏場所 東三段目五十八枚目 2勝5敗
2012年名古屋場所 西三段目八十三枚目 4勝3敗
2012年秋場所 東三段目六十六枚目 4勝3敗
2012年九州場所 西三段目四十九枚目 2勝5敗
2013年初場所 東三段目七十四枚目 3勝4敗
2013年春場所 東三段目八十九枚目 3勝4敗
2013年夏場所 西序二段十三枚目 4勝3敗
2013年名古屋場所 東三段目九十四枚目 4勝3敗
2013年秋場所 東三段目七十六枚目 5勝2敗
2013年九州場所 西三段目四十五枚目 2勝5敗
2014年初場所 東三段目六十七枚目 3勝4敗
2014年春場所 西三段目八十枚目 3勝4敗
2014年夏場所 西三段目九十八枚目 7勝0敗 三段目優勝
2014年名古屋場所 西幕下五十八枚目 1勝6敗
2014年秋場所 東三段目三十枚目 1勝5敗
2014年九州場所 東三段目六十九枚目 1勝5敗1休(5敗中、1敗は不戦敗)
2015年初場所 東序二段四枚目 3勝4敗
2015年春場所 東序二段二十三枚目 3勝4敗
2015年夏場所 西序二段五十二枚目 6勝1敗
2015年名古屋場所 西三段目八十四枚目 4勝3敗
2015年秋場所 東三段目六十五枚目 3勝4敗
2015年九州場所 西三段目八十五枚目 4勝3敗
2016年初場所 東三段目六十七枚目 2勝5敗
2016年春場所 西三段目九十二枚目 4勝3敗
2016年夏場所 東三段目七十四枚目 3勝4敗
2016年名古屋場所 東三段目九十一枚目 4勝3敗
2016年秋場所 西三段目七十二枚目 4勝3敗
2016年九州場所 西三段目五十二枚目 3勝4敗
2017年初場所 東三段目六十二枚目 5勝2敗
2017年春場所 西三段目三十七枚目 3勝4敗
2017年夏場所 東三段目五十七枚目 1勝6敗
2017年名古屋場所 東三段目九十四枚目 2勝5敗
2017年秋場所 西序二段三十一枚目 4勝3敗
2017年九州場所 東序二段六枚目 2勝5敗
2018年初場所 西序二段四十四枚目 5勝2敗
2018年春場所 東序二段七枚目 3勝4敗
2018年夏場所 西序二段三十二枚目 2勝5敗
2018年名古屋場所 西序二段六十二枚目 5勝2敗
2018年秋場所 西序二段十八枚目 5勝2敗
2018年九州場所 東三段目八十二枚目 1勝6敗
2019年初場所 東序二段二十四枚目 3勝4敗
2019年春場所 東序二段四十六枚目 引退後
最高位 幕下58 通算244勝263敗 26休
通算出場回数 506 勝率 48.2%
初場所後引退
秋場所後引退
春場所後引退発表
西序二段十九枚目
本名 土佐孝司 2002年初場所から 肥後錦幸司、2003年九州場所から 土佐に戻る
1980年7月18日生 熊本県菊池郡菊陽町出身
1999年春場所入門
175cm 149.5kg
1999年夏場所 東序ノ口二十枚目 5勝2敗
1999年名古屋場所 東序二段百四十二枚目 6勝1敗
1999年秋場所 西序二段六十枚目 4勝3敗
1999年九州場所 東序二段三十六枚目 2勝5敗
2000年初場所 西序二段六十二枚目 3勝4敗
2000年春場所 東序二段八十一枚目 5勝2敗
2000年夏場所 東序二段三十七枚目 4勝3敗
2000年名古屋場所 西序二段十七枚目 2勝5敗
2000年秋場所 東序二段四十七枚目 2勝5敗
2000年九州場所 西序二段七十三枚目 6勝1敗
2001年初場所 東序二段四枚目 3勝4敗
2001年春場所 西序二段五十九枚目 3勝4敗
2001年夏場所 西序二段三十六枚目 5勝2敗
2001年名古屋場所 東三段目九十九枚目 6勝1敗
2001年秋場所 東三段目三十八枚目 1勝6敗
2001年九州場所 東三段目七十三枚目 2勝5敗
2002年初場所 東序二段三枚目 2勝5敗
2002年春場所 東序二段三十七枚目 3勝4敗
2002年夏場所 西序二段五十四枚目 5勝2敗
2002年名古屋場所 西序二段十四枚目 3勝4敗
2002年秋場所 東序二段三十五枚目 4勝3敗
2002年九州場所 西序二段十二枚目 6勝1敗
2003年初場所 西三段目五十枚目 3勝4敗
2003年春場所 東三段目七十一枚目 1勝6敗
2003年夏場所 西序二段十枚目 2勝5敗
2003年名古屋場所 東序二段四十三枚目 4勝3敗
2003年秋場所 西序二段十八枚目 3勝4敗
2003年九州場所 西序二段四十一枚目 5勝2敗
2004年初場所 東三段目百枚目 2勝5敗
2004年春場所 東序二段二十四枚目 4勝3敗
2004年夏場所 西序二段五枚目 4勝3敗
2004年名古屋場所 東三段目八十六枚目 4勝3敗
2004年秋場所 東三段目六十七枚目 2勝5敗
2004年九州場所 東三段目八十八枚目 3勝4敗
2005年初場所 西序二段三枚目 5勝2敗
2005年春場所 東三段目六十四枚目 2勝5敗
2005年夏場所 西三段目八十七枚目 3勝4敗
2005年名古屋場所 西序二段五枚目 4勝3敗
2005年秋場所 西三段目八十六枚目 1勝6敗
2005年九州場所 西序二段二十枚目 2勝5敗
2006年初場所 東序二段五十四枚目 5勝2敗
2006年春場所 東序二段十四枚目 休場
2006年夏場所 東序二段八十五枚目 4勝3敗
2006年名古屋場所 西序二段五十六枚目 5勝2敗
2006年秋場所 西序二段十六枚目 2勝5敗
2006年九州場所 西序二段五十枚目 3勝4敗
2007年初場所 東序二段七十三枚目 4勝3敗
2007年春場所 西序二段四十七枚目 3勝4敗
2007年夏場所 西序二段六十七枚目 5勝2敗
2007年名古屋場所 西序二段二十七枚目 4勝3敗
2007年秋場所 西序二段七枚目 4勝3敗
2007年九州場所 西三段目八十七枚目 4勝3敗
2008年初場所 西三段目六十九枚目 2勝5敗
2008年春場所 西三段目九十枚目 3勝4敗
2008年夏場所 東序二段七枚目 4勝3敗
2008年名古屋場所 東三段目八十八枚目 3勝4敗
2008年秋場所 西序二段三枚目 5勝2敗
2008年九州場所 東三段目六十六枚目 5勝2敗
2009年初場所 東三段目三十八枚目 2勝5敗
2009年春場所 西三段目五十九枚目 4勝3敗
2009年夏場所 西三段目三十九枚目 2勝5敗
2009年名古屋場所 西三段目六十五枚目 全休(ただし、初日は不戦敗)
2009年秋場所 西序二段二十五枚目 休場
2009年九州場所 西序二段八十五枚目 6勝1敗
2010年初場所 西序二段九枚目 4勝3敗
2010年春場所 西三段目八十八枚目 4勝3敗
2010年夏場所 東三段目七十一枚目 2勝5敗
2010年名古屋場所 東三段目九十八枚目 2勝3敗2休 (3敗中、1敗は不戦敗)
2010年秋場所 東序二段三十枚目 4勝3敗
2010年九州場所 東序二段八枚目 休場
2011年初場所 東序二段七十九枚目 休場
2011年夏場所 西序ノ口十八枚目 1勝0敗6休
2011年名古屋場所 東序二段百八枚目 5勝2敗
2011年秋場所 西序二段五十六枚目 5勝2敗
2011年九州場所 西序二段十六枚目 3勝4敗
2012年初場所 西序二段三十八枚目 4勝3敗
2012年春場所 東序二段十七枚目 3勝4敗
2012年夏場所 西序二段四十二枚目 6勝1敗
2012年名古屋場所 東三段目七十六枚目 1勝6敗
2012年秋場所 東序二段十四枚目 3勝4敗
2012年九州場所 東序二段三十三枚目 3勝4敗
2013年初場所 東序二段六十一枚目 4勝3敗
2013年春場所 西序二段二十九枚目 3勝4敗
2013年夏場所 東序二段五十七枚目 5勝2敗
2013年名古屋場所 東序二段十八枚目 3勝4敗
2013年秋場所 西序二段四十枚目 3勝4敗
2013年九州場所 西序二段六十四枚目 4勝3敗
2014年初場所 西序二段三十八枚目 4勝3敗
2014年春場所 西序二段十四枚目 5勝2敗
2014年夏場所 西三段目八十三枚目 1勝6敗
2014年名古屋場所 東序二段二十二枚目 1勝6敗
2014年秋場所 東序二段六十九枚目 4勝3敗
2014年九州場所 東序二段四十三枚目 4勝3敗
2015年初場所 西序二段十九枚目 全休
最高位 三段目37 通算306勝302敗44休
通算出場回数 607 勝率 50.4%
2015年初場所後、16年間の相撲人生を経て、引退しました。
断髪式は部屋で、1月10日でした。
註 この人は4日目の前相撲の際、西馬戦で指し違いで黒星の対象になりました。とてもはっきりした勝負でしたため、行司はすぐ八藤の方に軍配をあげましたけれども、審判長に逆方向にあげさせるように合図を受けました。
残念なことでした。
行司
本名 加藤 萌夢
1997年1月25日生 愛知県名古屋市出身
2012年夏場所、式守一(はじめ)として入門
2013年初場所から、一(はじめ)から一之助と改名
2014年初場所後、引退
西序ノ口三枚目
1988年1月27日生 宮崎県日向市出身
2005年名古屋場所入門
178cm 111.6kg
2005年秋場所 西序ノ口四十二枚目 3勝4敗
2005年九州場所 東序ノ口二十四枚目 1勝6敗
2006年初場所 東序ノ口三十枚目 2勝5敗
2006年春場所 西序ノ口二十四枚目 休場
2006年夏場所 番付外
2006年名古屋場所 番付外
2006年秋場所 番付外
2006年九州場所 番付外(前相撲)
2007年初場所 東序ノ口三十四枚目 1勝6敗
2007年春場所 西序ノ口二十六枚目 2勝5敗
2007年夏場所 西序ノ口四枚目 3勝4敗
2007年名古屋場所 西序ノ口九枚目 2勝5敗
2007年秋場所 東序ノ口二十一枚目 3勝4敗
2007年九州場所 東序ノ口十六枚目 2勝5敗
2008年初場所 東序ノ口二十三枚目 4勝3敗
2008年春場所 西序二段百枚目 2勝5敗
2008年夏場所 東序二段百二十枚目 2勝5敗
2008年名古屋場所 東序ノ口八枚目 4勝3敗
2008年秋場所 東序二段百五枚目 1勝6敗
2008年九州場所 東序ノ口六枚目 1勝6敗
2009年初場所 東序ノ口二十枚目 4勝3敗
2009年春場所 東序二段九十四枚目 3勝4敗
2009年夏場所 東序二段百十二枚目 3勝4敗
2009年名古屋場所 西序二段百二十一枚目 4勝3敗
2009年秋場所 東序二段八十七枚目 2勝3敗2休(3敗中、1敗は不戦敗)
2009年九州場所 西序二段百十枚目 2勝5敗
2010年初場所 西序ノ口七枚目 5勝2敗
2010年春場所 東序二段七十二枚目 0勝7敗
2010年夏場所 西序ノ口五枚目 4勝3敗
2010年名古屋場所 東序二段九十三枚目 2勝5敗
2010年秋場所 東序二段百二十枚目 4勝3敗
2010年九州場所 西序二段八十五枚目 3勝4敗
2011年初場所 東序二段百四枚目 3勝4敗
2011年夏場所 東序二段百七枚目 2勝5敗
2011年名古屋場所 西序二段九十九枚目 4勝3敗
2011年秋場所 東序二段六十六枚目 2勝5敗
2011年九州場所 西序二段八十九枚目 3勝4敗
2012年初場所 東序二段九十二枚目 0勝1敗6休 (初日の1敗は不戦敗)
2012年春場所 東序ノ口十三枚目 4勝3敗
2012年夏場所 西序二段七十一枚目 3勝4敗
2012年名古屋場所 東序二段九十枚目 3勝4敗
2012年秋場所 東序二段九十九枚目 4勝3敗
2012年九州場所 東序二段六十一枚目 3勝4敗
2013年初場所 西序二段七十九枚目 3勝4敗
2013年春場所 東序二段七十七枚目 全休
2013年夏場所 西序ノ口三枚目 全休
5月29日、引退発表
2006年春場所には、病気のために休場することになりました。それで夏場所からすぐ番付外になってしまいました。
最高位 序二段61 通算103勝162敗24休
通算出場回数 263 勝率 39.2%
最高位 三段目24 通算91勝84敗21休
通算出場回数 175 勝率 52 %
初場所後、引退発表
2009年秋場所からしこ名を霧虎に変えました。
2011年名古屋場所には、自己最高位になります。 場所の優れた結果で、秋場所、三段目昇進、なんと六十三枚も上がっています。上がったわりを考えていると、勝ち越しまでいかなくても、満足できる成績を果たしたのではないかと言えるのではないでしょうか。
2012初場所の番付では、三段目三十七枚目で、自己最高位です。 秋場所の番付では、三段目二十四枚目で、自己最高位になりました。
11月27日づけ、引退発表
本名 浦崎桂助
1977年6月18日生 沖縄県中頭郡中城村出身
1993年春場所初土俵
2002年九州場所新十両
2006年秋場所新入幕
184cm 144kg
2000年秋場所 東幕下四十枚目 5勝2敗
2000年九州場所 東幕下二十一枚目 4勝3敗
2001年初場所 西幕下十六枚目 3勝4敗
2001年春場所 西幕下二十六枚目 3勝4敗
2001年夏場所 東幕下三十四枚目 3勝4敗
2001年名古屋場所 西幕下四十三枚目 5勝2敗
2001年秋場所 西幕下二十七枚目 4勝3敗
2001年九州場所 東幕下二十四枚目 2勝5敗
2002年初場所 西幕下三十九枚目 4勝3敗
2002年春場所 東幕下三十四枚目 5勝2敗
2002年夏場所 東幕下十九枚目 4勝3敗
2002年名古屋場所 東幕下十三枚目 6勝1敗(幕下優勝 決定戦に参加)
2002年秋場所 東幕下二枚目 4勝3敗
2002年九州場所 西十両十一枚目 5勝10敗
2003年初場所 西幕下四枚目 2勝5敗
2003年春場所 西幕下十九枚目 6勝1敗
2003年夏場所 東幕下七枚目 3勝4敗
2003年名古屋場所 東幕下十二枚目 3勝4敗
2003年秋場所 東幕下二十枚目 5勝2敗
2003年九州場所 東幕下十一枚目 4勝3敗
2004年初場所 東幕下六枚目 3勝4敗
2004年春場所 西幕下十三枚目 3勝4敗
2004年夏場所 西幕下二十一枚目 3勝4敗
2004年名古屋場所 西幕下二十七枚目 4勝3敗
2004年秋場所 西幕下二十一枚目 5勝2敗
2004年九州場所 東幕下十三枚目 2勝5敗
2005年初場所 東幕下二十五枚目 6勝1敗
2005年春場所 東幕下十枚目 3勝4敗
2005年夏場所 東幕下十五枚目 5勝2敗
2005年名古屋場所 東幕下五枚目 5勝2敗
2005年秋場所 東十両十三枚目 7勝8敗
2005年九州場所 西十両十三枚目 8勝7敗
2006年初場所 東十両八枚目 11勝4敗
2006年春場所 東十両筆頭 5勝10敗
2006年夏場所 西十両五枚目 9勝6敗
2006年名古屋場所 東十両筆頭前頭 8勝7敗
2006年秋場所 東前頭十六枚目 4勝11敗
2006年九州場所 東十両五枚目 7勝8敗
2007年初場所 西十両五枚目 7勝8敗
2007年春場所 西十両七枚目 8勝7敗
2007年夏場所 西十両四枚目 4勝11敗
2007年名古屋場所 西十両十一枚目 6勝9敗
2007年秋場所 西十両十四枚目 5勝10敗
2007年九州場所 東幕下三枚目 3勝4敗
2008年初場所 東幕下八枚目 4勝3敗
2008年春場所 西幕下五枚目 4勝3敗
2008年夏場所 西幕下三枚目 4勝3敗
2008年名古屋場所 東幕下二枚目 2勝5敗
2008年秋場所 西幕下十一枚目 2勝5敗
2008年九州場所 東幕下二十五枚目 3勝4敗
2009年初場所 西幕下三十五枚目 5勝2敗
2009年春場所 西幕下二十一枚目 4勝3敗
2009年夏場所 東幕下十五枚目 4勝3敗
2009年名古屋場所 西幕下十枚目 4勝3敗
2009年秋場所 東幕下六枚目 5勝2敗
2009年九州場所 西幕下三枚目 4勝3敗
2010年初場所 東幕下二枚目 2勝5敗
2010年春場所 東幕下八枚目 5勝2敗
2010年夏場所 西幕下三枚目 2勝5敗
2010年名古屋場所 西幕下十一枚目 6勝1敗
2010年秋場所 東十両十四枚目 7勝8敗
2010年九州場所 西十両十四枚目 4勝11敗
2011年初場所 東幕下七枚目 3勝4敗
2011年夏場所 東幕下十五枚目 1勝5敗1休(5敗中は不戦敗1をふくむ)
2011年名古屋場所 西幕下二十九枚目 休場
2011年秋場所 西三段目七枚目 休場
2011年九州場所 西三段目六十七枚目 休場
2012年初場所 東序二段二十八枚目 休場
2012年春場所 西序二段九十八枚目 休場
2012年夏場所 西序ノ口四枚目 休場
最高位 前頭16 通算444勝426敗56休
通算出場回数 870 勝率 51%
得意技 左四つ、寄り
・「新十両 琉鵬」
・「日本相撲協会ページでの情報」
6月12日、引退発表
10月1日断髪式 結婚披露宴兼ねる
見るからに真面目で、考え深そうな人です。よく眉をちょっとしかめているのが印象的です。自分で話すよりも相手の話をよく聴いているようで、常識にあふれた人格なのが眼に見えます。昔は沖縄の海で素潜りが得意だったという、根っからの琉球人です。
なお、雑誌大相撲の2001年10月号に、琉鵬についてのくわしい紹介記事(幕下訪問欄の全ページ記事、筆者は向井太)が出ています。
琉鵬の簡単な紹介記事が「注目力士各段ピンナップ」(緒方喜治)として大相撲2003年11月号に掲載されています。
琉鵬の新入幕の際に、2006年10月号の「相撲」も「大相撲」も琉鵬の写真を出しています。
ファンのブログ 美ら島のヒーロー@琉鵬ブログ
2006年、靖国神社にて
元 山竜将太 (2001年7月から将太朗と改める)もの柔らかで、あまり目立ちたがらない人です。口数が少なく、静かで落ち着いていて、進んで他人の役に立ちます。英語を少ししゃべるのは部屋では珍しいことです。
本名 山本竜太
1981年3月15日生 東京都江戸川区西葛西出身
1996年春場所初土俵
179.5cm 115kg
2000年秋場所 西序二段六枚目 4勝3敗
2000年九州場所 東三段目八十八枚目 4勝3敗
2001年初場所 西三段目六十九枚目 2勝5敗
2001年春場所 西三段目九十六枚目 1勝6敗
2001年夏場所 西序二段二十九枚目 5勝2敗
2001年名古屋場所 東三段目九十五枚目 6勝1敗
2001年秋場所 東三段目三十五枚目 3勝4敗
2001年九州場所 東三段目五十三枚目 3勝4敗
2002年初場所 東三段目七十枚目 3勝4敗
2002年春場所 西三段目八十七枚目 4勝3敗
2002年夏場所 西三段目六十八枚目 2勝5敗
2002年名古屋場所 東三段目八十六枚目 5勝2敗
2002年秋場所 西三段目五十三枚目 4勝3敗
2002年九州場所 西三段目三十九枚目 1勝6敗
2003年初場所 西三段目七十五枚目 3勝4敗
2003年春場所 東三段目九十四枚目 0勝1不戦敗6休
2003年夏場所 西序二段五十四枚目 全休
2003年名古屋場所 西序ノ口四枚目 6勝1敗
2003年秋場所 西序二段四十一枚目 4勝3敗
2003年九州場所 西序二段十七枚目 6勝1敗
2004年初場所 西三段目五十三枚目 3勝4敗
2004年春場所 東三段目六十六枚目 4勝3敗
2004年夏場所 西三段目四十八枚目 3勝4敗
2004年名古屋場所 西三段目六十二枚目 4勝3敗
2004年秋場所 西三段目四十五枚目 全休
2004年九州場所 西序二段五枚目 4勝3敗
2005年初場所 東三段目八十七枚目 5勝2敗
2005年春場所 東三段目五十五枚目 2勝5敗
2005年夏場所 東三段目八十三枚目 3勝4敗
2005年名古屋場所 東三段目九十六枚目 4勝3敗
2005年秋場所 東三段目七十九枚目 4勝3敗
2005年九州場所 東三段目六十一枚目 4勝3敗
2006年初場所 東三段目四十七 3勝4敗
2006年春場所 東三段目六十一 1勝6敗
2006年夏場所 西三段目九十五枚目 4勝3敗
2006年名古屋場所 東三段目七十六枚目 1勝6敗
2006年秋場所 東序二段十二枚目 3勝4敗
2006年九州場所 西序二段三十三枚目 2勝5敗
2007年初場所 東序二段六十六枚目 4勝3敗
2007年春場所 西序二段四十一枚目 3勝4敗
2007年夏場所 東序二段五十九枚目 5勝2敗
2007年名古屋場所 東序二段十七枚目 2勝5敗
2007年秋場所 東序二段四十九枚目 3勝4敗
2007年九州場所 東序二段六十八枚目 4勝3敗
2008年初場所 東序二段四十枚目 4勝3敗
2008年春場所 東序二段十六枚目 4勝3敗
2008年夏場所 西三段目九十七枚目 3勝4敗
2008年名古屋場所 西序二段十六枚目 2勝5敗
2008年秋場所 西序二段四十九枚目 3勝4敗
2008年九州場所 東序二段七十一枚目 6勝1敗
2009年初場所 東序二段筆頭 3勝4敗
2009年春場所 西序二段二十二枚目 6勝1敗
2009年夏場所 東三段目五十九枚目 3勝4敗
2009年名古屋場所 西三段目七十四枚目 2勝3敗2休
2009年秋場所 西三段目九十九枚目 4勝3敗
2009年九州場所 西三段目七十九枚目 2勝5敗
2010年初場所 西序二段八枚目 2勝5敗
2010年春場所 東序二段三十九枚目 5勝2敗
2010年夏場所 西序二段二枚目 4勝3敗
2010年名古屋場所 東三段目八十四枚目 3勝4敗
2010年秋場所 西三段目九十九枚目 2勝5敗
2010年九州場所 西序二段三十枚目 2勝5敗
2011年初場所 西序二段六十七枚目 6勝1敗
2011年夏場所 西三段目九十六枚目 4勝3敗
2011年名古屋場所 東三段目六十七枚目 2勝5敗
2011年秋場所 東三段目九十二枚目 2勝5敗
2011年九州場所 東序二段十九枚目 3勝4敗
2012年初場所 西序二段四十一枚目 3勝4敗
2012年春場所 東序二段六十四枚目 6勝1敗
2012年夏場所 西三段目九十六枚目 3勝4敗
2012年名古屋場所 東序二段十一枚目 3勝4敗
2012年秋場所 東序二段三十四枚目 全休
最高位 三段目35 通算318勝339敗30休
通算出場回数 656 勝率 48.5%
9月26日、引退発表
運の悪いことに、左目の網膜剥離で手術を受け、加療中、休場して、序ノ口まで落ちてしまいましたけれども、徐々
に三段目復帰がかないました。2004年に入ると、一歩進み、一歩後退で、やや停滞気味です。秋場所前、また目が悪くなってしまって、場所を休むことがや
むを得なくなりました。せっかく、手術を受けてから、順調にまた自己最高位に近いところまで、番付を上げたのに、九州場所にはまた序二段へ陥落してしまい
ました。目の状態があまりよくないまま、ちゃんとがんばって場所に出ました。
一年経って、2005年の九州場所では三回連続の勝越で、合計今年四回目の勝越ですけれども、まだ元の番付には戻れません。
残念なことに、2006年は調子が悪そうで、特に春場所と名古屋場所が見苦しい様子です。二年ぶり序二段に陥落しても勝越せませんでした。
2008年夏場所、2年ぶり三段目に帰りました。
この頃、部屋のちゃんこ番に熱心に務めています。大好きな仕事だそうです。お料理にかなりの自信も出て来たようです。ですが、ちゃんこ番だと稽古もそれほどできなくなってしまうのです。
九州場所の六勝一敗おめでとう!本当は強い人ですけれども、自信、または気合い?が足りないので、本当な強さから見れば、番付が200枚ぐらい下になりますので、残念です。
東前頭十七枚目敷島に次いで長い相撲人生を送ってきた人で、それは、怪我と不運との闘いだったのです。いかにも苦労人らしい、人間味 と思いやりのある人格の持ち主です。心を開いての率直な人間関係をもてる人で、近寄りやすく、威張った顔はまったく見せません。はるか下の弟子たちへも寛 容さと同情にあふれたまなざしを送っているのが印象的で、好感を呼びます。相撲甚句が得意で、パーティーなどで披露してくれます。合いの手は琉鵬が入れ、 呼吸がよく合っています。
嘉人(とよざくら よしひと)から、2003年7月、保勝と改名、2007年1月から俊昭と改名
本名 向 俊明
1974年3月12日生 広島市安佐北区可部出身
1989年春場所初土俵
1998年秋場所新十両
2003年九州場所新入幕
183cm 134kg
2000年秋場所 西幕下筆頭 5勝2敗
2000年九州場所 西十両九枚目 8勝7敗
2001年初場所 西十両七枚目 5勝10敗
2001年春場所 西十両十一枚目 1勝3敗11休(3敗は不戦敗1をふくむ)
2001年夏場所 西幕下九枚目 公傷休場
2001年名古屋場所 西幕下九枚目 5勝2敗
2001年秋場所 東幕下四枚目 4勝3敗
2001年九州場所 西幕下二枚目 3勝4敗
2002年初場所 西幕下六枚目 3勝4敗
2002年春場所 西幕下十二枚目 6勝1敗
2002年夏場所 東幕下二枚目 7勝0敗 全勝で幕下優勝
2002年名古屋場所 東十両八枚目 5勝10敗
2002年秋場所 東十両十二枚目 11勝4敗
2002年九州場所 西十両六枚目 7勝8敗
2003年初場所 西十両八枚目 4勝11敗
2003年春場所 東幕下二枚目 5勝2敗
2003年夏場所 東十両十二枚目 9勝6敗
2003年名古屋場所 西十両五枚目 9勝6敗
2003年秋場所 西十両二枚目 10勝5敗
2003年九州場所 東前頭十四枚目 6勝9敗
2004年初場所 東十両筆頭 8勝7敗
2004年春場所 西前頭十五枚目 6勝9敗
2004年夏場所 西十両筆頭 9勝6敗
2004年名古屋場所 東前頭十四枚目 12勝3敗(準優勝、敢闘賞)
2004年秋場所 東前頭五枚目 5勝10敗
2004年九州場所 東前頭八枚目 3勝12敗
2005年初場所 東十両二枚目 9勝6敗
2005年春場所 西前頭十四枚目 8勝7敗
2005年夏場所 西前頭十枚目 4勝11敗
2005年名古屋場所 西前頭十六枚目 9勝6敗
2005年秋場所 西前頭十一枚目 4勝11敗
2005年九州場所 西十両筆頭 10勝5敗
2006年初場所 西前頭十二枚目 7勝8敗
2006年春場所 東前頭十四枚目 4勝11敗
2006年夏場所 西十両三枚目 10勝5敗 十両優勝
2006年名古屋場所 西前頭十四枚目 5勝10敗
2006年秋場所 東十両三枚目 11勝4敗 十両優勝同点
2006年九州場所 東前頭八枚目 5勝10敗
2007年初場所 東前頭十二枚目 3勝12敗
2007年春場所 東十両五枚目 7勝8敗
2007年夏場所 東十両七枚目 7勝8敗
2007年名古屋場所 東十両八枚目 8勝7敗
2007年秋場所 東十両三枚目 8勝7敗
2007年九州場所 西十両筆頭 5勝10敗
2008年初場所 西十両六枚目 7勝8敗
2008年春場所 西十両七枚目 8勝7敗
2008年夏場所 西十両三枚目 8勝7敗
2008年名古屋場所 西十両筆頭 6勝9敗
2008年秋場所 西十両四枚目 8勝7敗
2008年九州場所 西十両筆頭 6勝9敗
2009年初場所 東十両四枚目 10勝5敗
2009年春場所 東前頭十六枚目 5勝10敗
2009年夏場所 東十両五枚目 5勝10敗
2009年名古屋場所 東十両十二枚目 7勝8敗
2009年秋場所 東十両十三枚目 10勝5敗
2009年九州場所 西十両三枚目 5勝10敗
2010年初場所 東十両八枚目 7勝8敗
2010年春場所 東十両九枚目 8勝7敗
2010年夏場所 東十両七枚目 6勝9敗
2010年名古屋場所 東十両十一枚目 8勝7敗
2010年秋場所 東前頭十七枚目 6勝9敗
2010年九州場所 東十両二枚目 9勝6敗
2011年初場所 東前頭十七枚目 5勝10敗
2011年4月1日、相撲協会により引退勧告を受け
最高位 前頭5 通算683勝671敗20休
通算出場回数 1354 勝率 50.5%
敢闘賞1回 十両優勝1回 幕下優勝2回 三段目優勝1回
得意技 右四つ、突っ張り、右差し、左上手、寄り切り
2000年九州場所以来十両の地位を占めて来たのですが、2001年春場所では、三日目の隆の鶴戦で負傷してし
まいました。右大腿筋部分断裂、八週間要治療で、公傷と認定されました。この結果、四日目の光法戦は不戦敗、その後は休場となり、幕下に落ちてしまいまし
た。豊桜の休場は、1998年九州場所以来のことで、まことに残念なことでした。
その後、成績は決して悪くなく、場所ごとに十両への復帰が期待されていたのですが、幕下上位には十両候補がひしめいているため、一進一退が続いていました。
しかし、2002年春場所での六勝一敗の好成績につづき、東幕下二枚目で迎えた夏場所の豊桜はすばらしい成果
をあげました。 これにより待望の十両復帰がかない、東十両八枚目となりました。七場所ぶりの関取復帰は、まことに夢のように喜ばしいことでした。
2003年九州場所に、新入幕がめでたく実現しました。報道によると、新入幕まで88場所かかっていて、史上第三位のスロー出世だということです。
2004年名古屋場所は三回目の入幕の場所でしたが、今度はなんと12勝3敗の大勝ちをし(優勝した横綱と一勝の差で)、しかもすばらしい相撲を見せま
した。これで、今場所唯一当たえられた三賞として、敢闘賞を受賞しました。
2005年初場所の新番付で、なんと前頭八枚目から、十両に陥落してしまいました。ただ不運といえるのでしょうか。
いろいろな怪我に悩まされる中で、2006年夏場所、初の十両優勝を獲得しました。
その後も、怪我をして稽古がろくにできませんでした。激しい相撲で、体中痛いところがいっぱいあるにしても、ずっとよくがんばり続けていると言えます。
2009年春場所:二年ぶり帰り入幕、おめでとうございます!
2010年現在、相撲人生21年で、年齢36才で(今年3月)、もうベテラン力士の中に入っています。まだ若々しい相撲をしていますけれども。
八百長騒動で犠牲になって、2011年4月1日に引退勧告を受けました。断髪式は早めに24日に部屋で行われました。将来は柔道の整体師になりたいという目的で、今勉強をしているそうです。
[2011年4月24日17時42分]付けの以下の記事があります。
豊桜の入門以来、現在までの全星取り表(対戦相手を含む)が、大相撲2003年11月号に掲載されています。貴重な記録です。
新入幕にあたり、いろいろな記事や写真が各誌に出ています。敢闘賞受賞の時にも、各誌にも写真やインタービューが出ています。
NHK大相撲中継2005年一月号には豊桜の「インタビュー素顔総見」の記事があります。(4枚)
西幕下六枚目
元 階ケ嶽松太郎
本名 十文字友和
1976年6月9日生 青森県三戸郡階上町出身
1992年九州場所初土俵
1998年初場所新十両
2000年夏場所新入幕
185cm 159kg
2000年秋場所 東十両二枚目 9勝6敗
2000年九州場所 西前頭十二枚目 5勝10敗
2001年初場所 東十両三枚目 8勝7敗
2001年春場所 西前頭十三枚目 9勝6敗
2001年夏場所 東前頭七枚目 7勝8敗
2001年名古屋場所 東前頭九枚目 4勝11敗(千秋楽の不戦敗をふくむ)
2001年秋場所 東十両二枚目 公傷休場
2001年九州場所 東十両二枚目 8勝7敗
2002年初場所 西前頭十四枚目 6勝9敗
2002年春場所 西十両二枚目 11勝4敗
2002年夏場所 西前頭九枚目 6勝9敗
2002年名古屋場所 東前頭十二枚目 5勝10敗
2002年秋場所 西十両三枚目 10勝5敗
2002年九州場所 西前頭十三枚目 8勝7敗
2003年初場所 東前頭十一枚目 5勝10敗
2003年春場所 西前頭十四枚目 9勝6敗
2003年夏場所 東前頭九枚目 8勝7敗
2003年名古屋場所 東前頭六枚目 6勝9敗
2003年秋場所 西前頭八枚目 7勝8敗
2003年九州場所 東前頭十枚目 8勝7敗
2004年初場所 西前頭八枚目 8勝7敗
2004年春場所 西前頭六枚目 4勝11敗
2004年夏場所 西前頭十二枚目 8勝7敗
2004年名古屋場所 西前頭十一枚目 8勝7敗
2004年秋場所 東前頭十一枚目 9勝6敗
2004年九州場所 東前頭七枚目 5勝10敗
2005年初場所 西前頭十一枚目 9勝6敗
2005年春場所 東前頭七枚目 7勝8敗
2005年夏場所 西前頭七枚目 6勝9敗
2005年名古屋場所 西前頭十枚目 5勝10敗
2005年秋場所 東前頭十四枚目 6勝9敗
2005年九州場所 東前頭十七枚目 9勝6敗
2006年初場所 東前頭八枚目 7勝8敗
2006年春場所 東前頭九枚目 4勝11敗
2006年夏場所 西前頭十六枚目 8勝7敗
2006年名古屋場所 東前頭十三枚目 8勝7敗
2006年秋場所 西前頭十一枚目 4勝11敗
2006年九州場所 西十両二枚目 13勝2敗 十両優勝
2007年初場所 西前頭十枚目 4勝11敗
2007年春場所 西前頭十六枚目 4勝9敗2休(9敗は不戦敗1をふくむ)
2007年夏場所 東十両六枚目 6勝9敗
2007年名古屋場所 東十両九枚目 5勝10敗
2007年秋場所 西十両十三枚目 8勝7敗
2007年九州場所 東十両十二枚目 3勝12敗
2008年初場所 西幕下五枚目 3勝4敗
2008年春場所 西幕下九枚目 3勝4敗
2008年夏場所 東幕下十六枚目 4勝3敗
2008年名古屋場所 西幕下十三枚目 3勝4敗
2008年秋場所 西幕下二十枚目 6勝1敗
2008年九州場所 東幕下四枚目 4勝3敗
2009年初場所 東幕下三枚目 4勝3敗
2009年春場所 東幕下二枚目 4勝3敗
2009年夏場所 西十両十四枚目 9勝6敗
2009年名古屋場所 東十両十枚目 8勝7敗
2009年秋場所 東十両七枚目 7勝8敗
2009年九州場所 東十両八枚目 5勝10敗
2010年初場所 西十両十四枚目 6勝9敗
2010年春場所 西幕下三枚目 3勝4敗
2010年夏場所 西幕下六枚目 3勝4敗
2010年名古屋場所 東幕下十二枚目 7勝0敗 幕下優勝
2010年秋場所 東十両七枚目 4勝11敗
2010年九州場所 東十両十四枚目 4勝11敗
2011年初場所 西幕下六枚目 1勝6敗
2011年4月1日、相撲協会により引退勧告を受け
最高位 前頭6 通算596勝606敗18休
通算出場回数 1201 勝率 49.6%
十両優勝、幕下優勝、三段目優勝1回ずつ
得意技 右四つ寄り、左上手、寄り切り
現在の陸奥部屋では、ずっと2004年秋場所までは最上位の力士でした。口数が少なく、よけいなことは言いませんが、穏やかな表情で、落ち着いていてしかも強さをそなえている人です。
しかし、部屋頭としての責任が重圧になっていることは疑いありません。心理的としかいえないような負け方をす
ることが多く、幕内と十両の間を行き来することが重なるのも、地位が上がるのにしたがって取り口を批判されることが多くなり、これによる精神面でのストレ
スがかなり響いているのではないかという気がしてなりません。
2006年に入ってから、怪我で調子が大変落ちてしまいました。秋場所には腰と右腕の怪我が悪化し、ろくに動けない程でした。その状態で15日間ちゃんと頑張りました。九州場所には、なんと、見事な13勝2敗の成績で十両優勝を獲得しました。腰の怪我を見るとなんと奇跡のようなことです。ただ、2007年中、怪我が治らず、二場所もそのままで我慢してから、とうとう春場所の終わり頃に休場になり、その後も成績が少しずつ落ちて、おしまいに今年の初場所に幕下まで落ちてしまいました。
2008年夏場所:4場所振りの勝越し、おめでとうございます。
この一年の逆境には気力をしかりしてかんばって下さいね。秋場所の好成績と九州場所の勝ち越しで、先が晴れて来るのが見えてきました。
九州場所の勝越で、初場所番付がただ一枚しか上がっていません。
2009年夏場所、八場所もかかって、関取に戻りました。
2010年名古屋場所、7勝全勝で幕下優勝を獲得して、秋場所、三場所ぶり、また十両に返ることになりました。
八百長騒動で犠牲になって、2011年4月1日に引退勧告を受けました。
断髪式は6月4日に国技館で行われました。
* * *
十文字は結婚することが決まり、式は2004年五月二十九日に予定されています。心から幸福を祈ります。お相手 は大分市在住、藤原華菜子さん(21才)。知人の紹介で約1年半前に知り合いました。それに、九月五日、優(のどか)ちゃんという赤ちゃんのハッピーなお 父さんになりました。
なお十文字は、「相撲」2002年3月号、『先代立田川夫人が急逝 おかみさん、安らかに』という題名で、もとのおかみさん、小笠原幸子さんの思い出を語っています。
十文字に関する記事はたくさんありますが、その中でも、「大相撲」2002年5月号に出た、写真入り3ページの紹介記事は、代表的なものです。
2002年12月に、「十文字ファンクラブ」が発足し、相撲絵師、松林モトキ氏がデザインした化粧まわ
しを贈り、十文字の錦絵(同じく松林氏の作品)の入った「十文字カレンダー」を発行しています。連絡先は、〒135-0016 東京都江東区東陽4-7-
10-406 渋谷直広様方「十文字ファンクラブ事務局」です。
また2003年2月には「NHK福祉大相撲」に出演し、歌を披露しています。
2004年11月号の「大相撲」には、4ページの長い記事、主に子供のころの話し、写真があります。
「相撲」、2005年1月号には、「赤ちゃんと一緒」のスナップショットがあります。
2009年7月25日、名古屋場所の十四日目:フランス人のファンから、十文字関への応援メッセージ
東幕下十九枚目心身ともに強固、活発で、筋肉もよく ついています。沈着で、一見気楽な性分のように見えますが、プライドが高く、どんなつらいことでもきちんとやりとげます。昇進も早く、1999年の夏場所 では、序ノ口優勝の候補になっていたのですが、相手の韓国出身力士が約二倍も重く、惜しくも敗れて優勝をのがしてしまいました。通算勝率を見ればわかるよ うに、同期生のうちで、もっとも優秀な部に入る実力者であることはまちがいないところでしょう。
1983年9月18日生 熊本県阿蘇郡長陽村出身
本名 岡本将之 2001年秋場所から霧の若太郎となる
1999年春場所入門
2008年初場所新十両
177cm 123kg
1999年夏場所 西序ノ口三十二枚目 6勝1敗
1999年名古屋場所 東序二段九十五枚目 2勝5敗
1999年秋場所 西序二段百十九枚目 3勝4敗
1999年九州場所 東序二段百三十五枚目 6勝1敗
2000年初場所 東序二段五十四枚目 2勝5敗
2000年春場所 西序二段七十九枚目 5勝2敗
2000年夏場所 西序二段三十四枚目 3勝4敗
2000年名古屋場所 東序二段五十三枚目 4勝3敗
2000年秋場所 東序二段三十三枚目 3勝4敗
2000年九州場所 東序二段五十二枚目 5勝2敗
2001年初場所 東序二段十二枚目 5勝2敗
2001年春場所 西三段目七十七枚目 6勝1敗
2001年夏場所 東三段目二十一枚目 3勝4敗
2001年名古屋場所 東三段目三十五枚目 4勝3敗
2001年秋場所 西三段目二十枚目 4勝3敗
2001年九州場所 東三段目九枚目 3勝4敗
2002年初場所 東三段目二十二枚目 4勝3敗
2002年春場所 東三段目十一枚目 3勝4敗
2002年夏場所 西三段目二十七枚目 4勝3敗
2002年名古屋場所 西三段目十二枚目 5勝2敗
2002年秋場所 西幕下五十一枚目 2勝5敗
2002年九州場所 東三段目十二枚目 5勝2敗
2003年初場所 東幕下五十枚目 2勝5敗
2003年春場所 東三段目十三枚目 3勝4敗
2003年夏場所 東三段目二十六枚目 5勝2敗
2003年名古屋場所 西三段目二枚目 4勝3敗
2003年秋場所 西幕下五十一枚目 3勝4敗
2003年九州場所 西三段目四枚目 4勝3敗
2004年初場所 西幕下五十枚目 3勝4敗
2004年春場所 西幕下五十七枚目 6勝1敗
2004年夏場所 西幕下二十六枚目 4勝3敗
2004年名古屋場所 西幕下二十二枚目 4勝3敗
2004年秋場所 東幕下十八枚目 2勝5敗
2004年九州場所 西幕下三十一枚目 4勝3敗
2005年初場所 西幕下二十五枚目 4勝3敗
2005年春場所 西幕下二十枚目 4勝3敗
2005年夏場所 西幕下十四枚目 2勝5敗
2005年名古屋場所 西幕下二十五枚目 3勝4敗
2005年秋場所 西幕下三十二枚目 4勝3敗
2005年九州場所 西幕下二十五枚目 5勝2敗
2006年初場所 東幕下十五枚目 5勝2敗
2006年春場所 西幕下六枚目 5勝2敗
2006年夏場所 東幕下三枚目 4勝3敗
2006年名古屋場所 東幕下二枚目 3勝4敗
2006年秋場所 西幕下五枚目 2勝5敗
2006年九州場所 東幕下十七枚目 3勝4敗
2007年初場所 東幕下二十三前枚目 4勝3敗
2007年春場所 東幕下十八枚目 5勝2敗
2007年夏場所 西幕下十一枚目 6勝1敗
2007年名古屋場所 東幕下四枚目 3勝4敗
2007年秋場所 西幕下七枚目 4勝3敗
2007年九州場所 西幕下四枚目 5勝2敗
2008年初場所 東十両十三枚目 7勝8敗
2008年春場所 西十両十三枚目 8勝7敗
2008年夏場所 東十両十二枚目 8勝7敗
2008年名古屋場所 西十両八枚目 6勝9敗
2008年秋場所 東十両十三枚目 3勝12敗
2008年九州場所 東幕下六枚目 5勝2敗
2009年初場所 東幕下二枚目 5勝2敗
2009年春場所 西十両十四枚目 8勝7敗
2009年夏場所 東十両十二枚目 9勝6敗
2009年名古屋場所 西十両八枚目 8勝7敗
2009年秋場所 西十両四枚目 5勝10敗
2009年九州場所 東十両十枚目 8勝7敗
2010年初場所 西十両八枚目 6勝9敗
2010年春場所 東十両十二枚目 7勝8敗
2010年夏場所 東十両一三枚目 2勝13敗
2010年名古屋場所 東幕下十四枚目 2勝5敗
2010年秋場所 西幕下二十七枚目 4勝3敗
2010年九州場所 東幕下二十三枚目 4勝3敗
2011年初場所 東幕下十九枚目 3勝4敗
2011年4月1日、相撲協会により引退勧告を受け
最高位 十両8 通算310勝291敗
通算出場回数 601 勝率 51.6%
得意技 突き、押し、右四つ
2005年夏場所には四場所ぶりに自己最高位になりました。秋場所前は、特に悪いところはないのに、調子はよく
ないそうです。それにしても、勝越しはしました。それから、九州場所でも非常に優れた成績も果たしましたので、自信が戻ったでしょう。それに続いて、初場
所でも、激しい星つぶし戦のために、優勝決定戦になる直前星を落してしまいにもかかわらず、優れた成績を見せました。
2006年春場所の番付でも、幕下六枚目での自己最高位で見事な成績でした。夏場所にも勝越を果たしました。
これで、続けて5回目の勝越になります。東幕下二枚目で、プレッシャーがかかってしまって、勝越しまでにはならなかったのですけれども、十両で取った一番
が二つとも白星で飾り、ちゃんと十両レベルの強さを見せました。これからやり直しになります。ただ、秋場所前には、体調がどうもおかしそうです。どこか悪
い所はあるはずですけれども、本人は何も言ってくれません。とにかく、秋場所の負越のために、番付はまた落ちてしまったということが非常に惜しいです。
2007年初場所から、ずっと正常な成績が戻り、特に夏場所に6勝も上げましたので、少しずつ自己最高位に近づいて行きます。
2007年の番付がまたもう少し下がりましたけれども、よく頑張れる人間ですから、今に見せてやるでしょう。
この頃の番付運はあまりよくないと言えるでしょう。
九州場所の好成績で、十両昇進が協会によって11月28日に発表されました。おめでとうございます。
2008 年初場所、新十両の場所には、負越といっても、始めの2勝8敗の後、5連勝もあげて、7勝8敗まで回復できたという出来事は見事です。
春場所の十両での初めての勝越です。夏場所にも、前半一勝四敗に続いて、中盤三勝六敗から、なんと連勝して勝越しました!終わりまで皆をハラハラさせたでしょう!名古屋場所には負越ですけれども、千秋楽など、勝った一番は見事でした。
2009年春場所の帰り十両、おめでとうございます!夏場所は、十両で始めての9勝で、自信が出てきた
証拠でしょう!名古屋場所の番付には、去年自己最高位だった名古屋場所の自己最高位に戻りました。さすがに、秋場所には部屋頭になりました。ただ、残念で
残念。巨大の山本山に勝ってから、気力が抜けてしまったのでしょう。
八百長騒動で犠牲になって、2011年4月1日に引退勧告を受けました。
途中でやめさせられて、一番悔しい想いがするでしょう。後援会を始めに、ファンも皆どんなに悔しいでしょう!
断髪式は6月6日に行われました。
* * *
「相撲」2005年一月号、「幕下以下有望な力士座談会」という記事には、霧の若の話し、写真も出ています。
「大相撲」2006年四月号、霧の若について「注目力士」という連載で、「面白い相撲で館内沸せたい」というタイトルの記事が出ています。
「相撲」2010年一月号、「家族が語る、関取はじめて物語」のシリーズで、「母・エミ子が語る霧の若太郎」という記事があります。
東前頭七枚目ウヌルは、一年もの間、陸奥部屋に起居し、熱心に稽古にはげんでいましたが、1999年末に立田川部屋に移ることにな りました。これは、部屋ごとの外国人数が当時二名までにおさえられていた(現在はさらにきびしくなって一部屋一名だけ)ので、すでに星誕期と星安出寿が在 籍していた当時の陸奥部屋には外人枠がなかったという事情によるものです。しかし、陸奥部屋が育てた力士であることはまちがいありません。立田川部屋の合 併により、この人は出世して古巣に戻って来たことになります。
本名 アリオンバヤル・ウヌルジャラガラ 通称 ウヌル
1983年5月5日生 モンゴル、ウランバートル出身
1998年12月、見習い生として陸奥部屋に入る
翌年末、立田川部屋に入門し、「白馬」の四股名で2000年初場所初土俵
(1999年12月24日新弟子検査に合格)
その後、立田川部屋合併により陸奥部屋に復帰
2007年初場所新十両
2008年夏場所新入幕
2010年名古屋場所新三役(東日小結)
187 cm、128kg
2000年春場所 序ノ口三十五枚目 4勝3敗
2000年夏場所 序二段百三十枚目 5勝2敗
2000年名古屋場所 序二段八十枚目 5勝2敗
2000年秋場所 東序二段三十七枚目 1勝1敗5休
2000年九州場所 東序二段七十二枚目 休場
2001年初場所 東序二段七十二枚目 7勝0敗 序二段全勝優勝
2001年春場所 西三段目六十八枚目 4勝3敗
2001年夏場所 西三段目五十枚目 4勝3敗
2001年名古屋場所 東三段目三十四枚目 3勝4敗
2001年秋場所 西三段目五十一枚目 4勝3敗
2001年九州場所 西三段目四十枚目 4勝3敗
2002年初場所 西三段目二十七枚目 4勝3敗
2002年春場所 東三段目十四枚目 2勝5敗
2002年夏場所 西三段目四十枚目 4勝3敗
2002年名古屋場所 東三段目二十六枚目 2勝5敗
2002年秋場所 東三段目五十一枚目 6勝1敗
2002年九州場所 西三段目筆頭 5勝2敗
2003年初場所 西幕下四十枚目 4勝3敗
2003年春場所 東幕下三十二枚目 4勝3敗
2003年夏場所 西幕下二十六枚目 3勝4敗
2003年名古屋場所 西幕下三十三枚目 3勝4敗
2003年秋場所 東幕下四十一枚目 3勝4敗
2003年九州場所 西幕下五十二枚目 5勝2敗
2004年初場所 東幕下二十九枚目 4勝3敗
2004年春場所 西幕下二十一枚目 3勝4敗
2004年夏場所 西幕下三十一枚目 3勝4敗
2004年名古屋場所 西幕下三十八枚目 4勝3敗
2004年秋場所 西幕下三十一枚目 2勝5敗
2004年九州場所 西幕下四十五枚目 5勝2敗
2005年初場所 東幕下三十枚目 3勝4敗
2005年春場所 東幕下四十枚目 5勝2敗
2005年夏場所 西幕下二十九枚目 3勝4敗
2005年名古屋場所 西幕下三十五枚目 3勝4敗
2005年秋場所 西幕下四十六枚目 3勝4敗
2005年九州場所 西幕下五十三枚目 6勝1敗
2006年初場所 西幕下二十四枚目 6勝1敗(幕下優勝 決定戦に参加)
2006年春場所 西幕下九枚目 6勝1敗
2006年夏場所 西幕下二枚目 3勝4敗
2006年名古屋場所 西幕下六枚目 5勝2敗
2006年秋場所 西幕下二枚目 4勝3敗
2006年九州場所 東幕下二枚目 7勝0敗 幕下全勝優勝
2007年初場所 東十両十一前枚目 8勝7敗
2007年春場所 西十両十枚目 8勝7敗
2007年夏場所 東十両八枚目 7勝8敗
2007年名古屋場所 西十両八枚目 8勝7敗
2007年秋場所 西十両三枚目 8勝7敗
2007年九州場所 西十両二枚目 5勝10敗
2008年初場所 西十両八枚目 11勝4敗
2008年春場所 西十両三枚目 8勝7敗
2008年夏場所 西前頭十六枚目 4勝11敗
2008年名古屋場所 西十両五枚目 5勝10敗
2008年秋場所 東十両十一枚目 7勝8敗
2008年九州場所 西十両十二枚目 7勝8敗
2009年初場所 東十両十四枚目 11勝4敗 (十両優勝 決定戦で負け)
2009年春場所 東十両四枚目 6勝9敗
2009年夏場所 西十両七枚目 8勝7敗
2009年名古屋場所 西十両三枚目 7勝8敗
2009年秋場所 東十両五枚目 9勝6敗
2009年九州場所 西十両筆頭 8勝7敗
2010年初場所 西前頭十四枚目 9勝6敗
2010年春場所 東前頭九枚目 8勝7敗
2010年夏場所 西前頭五枚目 10勝5敗
2010年名古屋場所 東小結 4勝11敗
2010年秋場所 西前頭五枚目 8勝7敗
2010年九州場所 東前頭四枚目 4勝11敗
2011年初場所 西前頭十枚目 8勝7敗
2011年4月1日、相撲協会により引退勧告を受け
最高位 東小結 通算347勝303敗12休
通算出場回数 649 勝率 53.5%
幕下優勝1回、序二段優勝
得意技 左四つ、寄り
2000年は秋場所以来、足首のひどい怪我で停滞中でしたが、2001年にはみごとな復活を見せました。初場所では全勝で、千秋楽の優勝決定戦でも勝ち、序二段での全勝優勝を果たしました。新生陸奥部屋としては初の優勝です。しかも、もともと陸奥部屋が育てた弟子が、初優勝を飾ったのですから、これほど喜ばしいことはありません。おめでとう。よくやってくれました。
その結果、三段目に昇進し、春場所番付では岡本(現在霧の若)、霧の富士(霧の藤)、和歌嵐(その後引退)を
抜いて部屋の若手では最高の位階に進みました。当然、今までとはくらべものにならないような強い相手と対戦することになり、これにどう対応して行けるかと
いうことが、今後の課題になっていたのですが、三段目の厚い壁を破り、春場所、夏場所でみごとに連続勝ち越しを達成したことは、その意味でまことに立派な
ものといえます。しかし名古屋場所では、惜しくも一敗差で負け越しとなりました。左腕と足にテーピングをしていて、怪我でハンディを負っているのでしょ
う。でも、陸奥部屋のホープであることには変わりはありません。秋場所、九州場所でも、怪我を乗り越えてめでたく勝ち越しました。
勝ち越しはその後もつづき、2002年初場所番付、春場所番付とつづいて自己最高位を更新していましたが、春
場所では惜しくも今までで最悪の二勝五敗となりました。しかし夏場所では持ち直し、四勝三敗で勝ち越しました。名古屋場所ではまたもや二勝五敗でしたが、
それよりもこの時点で心配だったのは、気力を失っているのが目に見えたことです。左足にテーピングをしているので、そのせいかと思うと、本人は足なんかな
んでもないと言っているのです。白馬のように将来のある、優秀な若者が、気落ちしているように見えたというのはなんとも残念なことで、なんとしても元気を
とりかしてもらいたいと思います。
本人は、そのようなことは心配はいらない、ちゃんと頑張るから大丈夫だと、微笑みながら言っていますし、稽古
を見ても、懸命な中にも余裕があり、落ち着いた表情をしているという印象を受けます。また何よりも、秋場所で六勝一敗という、めざましい成績をあげたこと
を見れば、好調であることはまちがいなく、いろいろな心配は完全に消えてなくなったのだということを、みごとに証明しているのです。部屋の若いホープは健
在です。九州場所番付では三段目筆頭、自己最高位に達しています。しかも五勝二敗の好成績をあげましたので、2003年初場所番付では、ついに幕下昇進が
実現しました。おめでとう。今後の課題は、重量の古豪力士たちと互角で立ち向かって行けるかということでしょうが、これを克服して初場所で四勝三敗をあげ
たことは、じつに立派です。その結果、春場所番付では自己最高位を更新し、東三十二枚目に進んだ上、みごとに勝ち越し、夏場所では西二十六枚目となり、さ
らに最高位を更新しています。名古屋場所では残念なことに、一敗差の負け越しでした。秋場所でもつづいて、一敗差で勝ち越しを逃しています。場所前、白馬
は、腰を痛めたようでたくさんテーピングをしていましたが、わりに冷静な顔をしていて、そんなに深刻な感じではないということです。九州場所ではひさしぶ
りの好成績、ファンを狂喜させました。2004年初場所でも勝ち越しています。
いずれにしても、重量力士ばかりが大きな顔をしている今日の相撲界では、白馬のような筋肉質の精鋭の存在はま
ことに貴重であるといわなければなりません。春場所の番付では、自己最高位に達しました。ただ、本人もこの二年にわたって、ずっと怪我に悩まされているこ
とがはっきりなりました。現在、2004年9月、また腰のテーピングをして、場所前の稽古も無理になりました。けれども、場所にはちゃんと出ると強く言っ
ていましたので、負け越しになっても仕方がないでしょう。ですが、九州へ出る前には、腰の怪我が治り、体調も気力も最高のようでした。九州場所も好成績で
済ませました。
関取昇進を期待する声が多くなりました。ですが、2005年夏中、または秋場所前には、特に悪いところがない
と言っていますけれども、稽古には基本運動や胸をかすなどという稽古以外はあまり気合いを見せず、ちょっとほんものではないようです。やっと、九州場所で
体調が戻り、やる気が戻って来ました!
また2006年初場所では、自己最高位に近い幕下二十四枚目で、6勝1敗の成績で優勝決定戦に加わりました。続いて、春場所には幕下九枚目で、また6勝1敗を飾りました。
せっかく連続的見事な成績を見せたのに、最高位の幕下西二枚目になったこの大切な夏場所には負越になってしま
いました。でも、やり直しの名古屋場所には5勝2敗といういい成績を果たしましたので、秋場所ではまた自己最高位に戻ったのです。場所前の体調はよさそう
に見えても、やはり首の怪我がまだまだ本物ではないことが分かります。それにしても、西幕下二枚目で、ちゃんと勝ち越せたのです。ただし、西二枚目で単な
る勝越は十両昇進のための決定的な成績ではないわけです。空いた所が二つしかない中で、もっといい成績の人たちもそのすぐ下位にはありますで、昇進がやは
り無理になりました。
九州場所の番付では、西幕下二枚目での勝越しでは、単に西から東に上がるだけとなりました。成績として、見事な幕下全勝優勝をしました。2007年の初場所には、十両昇進が確実になります。そのことで、たくさんのファンが喜びを見せてくれました。本当におめでとうございます!
新十両の場所で、はやばやと7敗になったのに、勝ち越したのはすごいです。
春場所は十両昇進からの二場所目になりますが、番付運がまた悪く、1枚の半分しか上がっていません。関取二場所目も勝越で飾りました。
秋場所には、場所前の怪我で手術を受けて体調不良なのに、どうやら勝越できてすばらしいことです。
2008年初場所には11勝4敗という立派な成績もあげました。これで、春場所には部屋頭になりますが、もう入幕も近くなって期待できるので、楽しみです。
夏場所には新入幕になれるのかサスペンスでした。
番付運が悪かったこの前の数場所でしたが、やっと少し運が飛んで来ました。幕内に上がることがかないました。おめでとうございます。これからもがんばって下さい。
九州場所の後の陥落、危なかったですね!みんなほっとしています。
2009年、名古屋場所には、再び部屋頭になりました。秋場所の好成績、おめでとうございます。
九州場所の勝越で、初場所の番付には九場所ぶり幕内に帰るのがもう確かになりました。
2010年初場所の番付、西前頭十四枚目で、自己最高位で、9勝をあげました。かなり嬉しい成績でしょう。けれども、勝ち越しは十日目で、予想外的な勝っ放しだった後で、4連敗が続いたので、やはりちょっと残念でした。春場所にも、自己最高位での勝越です。 初場所、体重128キロで、幕内では最軽量の力士だそうです!
名古屋場所、新三役の東小結になりました!おめでとうございます!マスコミには、外国人として一番スロー昇進と言われたのですが、やはり小結まで上がれた外国人のことだと忘れてはいけないでしょう。それに、スローと言っても、焦らず自分のペースで行くのは一番なのではないでしょうか。
八百長騒動で犠牲になって、2011年4月1日に引退勧告を受けました。
日刊スポーツで、以下の記事があります。
(http://www.nikkansports.com/sports/sumo/news/p-sp-tp3-20110525-780731.html)
「相撲」2006年四月号、「大銀杏が待っている」という白馬紹介の記事があります。
「大相撲」2006年四月号、「幕下訪問」という連載で、「白馬毅、一人前の男、になりたい」というタイトルの記事が出ています。
「大相撲」2006年十一月号、「白馬、悔しさを飲み込んで」というタイトルで、立派な写真付き記事が出ています。
「大相撲」2010年七月号、「話の申し合い」のシリーズで白馬のインタビューがあります。
白馬が2008年十月にオユナさん(25才)と結婚しました。オユナさんは時天空の妹です。2009年十月に長女が誕生しました。
東三段目七十七枚目
前相撲(3勝1敗)
1991年6月14日生 名古屋市南区出身
2007年九月場所入門(第2検査)
173cm 94kg2007年九州場所 西序ノ口三十三枚目 5勝2敗
2008年初場所 西序二段百二枚目 3勝4敗
2008年春場所 東序二段百十三枚目 3勝4敗
2008年夏場所 西序二段百十八枚目 4勝3敗
2008年名古屋場所 西序二段八十八枚目 3勝4敗
2008年秋場所 東序二段百十三枚目 5勝2敗
2008年九州場所 東序二段五十四枚目 6勝1敗
2009年初場所 西三段目八十八枚目 4勝3敗
2009年春場所 西三段目七十枚目 2勝5敗
2009年夏場所 東三段目九十七枚目 2勝5敗
2009年名古屋場所 西序二段三十四枚目 4勝3敗
2009年秋場所 東序二段十四枚目 2勝5敗
2009年九州場所 東序二段四十三枚目 6勝1敗
2010年初場所 西三段目七十七枚目 4勝3敗
2010年春場所 西三段目五十八枚目 3勝4敗
2010年夏場所 西三段目七十二枚目 4勝3敗
2010年名古屋場所 東三段目五十四枚目 3勝4敗
2010年秋場所 西三段目六十八枚目 2勝5敗
2010年九州場所 西三段目九十五枚目 5勝2敗
2011年初場所 東三段目六十枚目 3勝4敗
2011年夏場所 東三段目七十七枚目 休場
5月25日、相撲協会により引退発表
最高位 三段目54 通算73勝67敗
かなり相撲の上手い青年で、スピードが早い、体も柔らかいですけれども、この半年でかなり体重を上げたので、相撲が取りづらくなったのかもしれません。慣れるのにもう少し時間が必要でしょう。
通算出場回数 140 勝率 52.1%
2008年九州場所の番付には、60枚近く上がって、自己最高位になっていました。その高い地位で、優れた成績をあげました!
2009年初場所の番付では、自己最高位で三段目に上がりました。七場所で、ものすごいスピードです!春場所の番付にも、三場所続けて自己最高位です。
残念なことに、番付昇進が速すぎたでしょうから、ちょっと負け込んでしまいました。またやり直しですね!
2009年九州場所で、6勝1敗の著しい成績を達成しました。最後に負けてしまった1敗が、序二段優勝を果たした、幕下レベルのある相手との対戦でしたので、ちょっと無理でしたでしょう。
2010年初場所、自己最高位に近い三段目七十二枚目で、優秀な勝ち越しをあげました。
名古屋場所の番付には、また自己最高位になり、順調な上昇を見せていると言えるでしょう。
星誕期 偉真智(ほしたんご いまち)
西三段目六枚目旧陸奥部屋時代からの生え抜き、最先輩力士としての責任感は十分もっています。膝と肘の故障がまだよくなっていないよ うですが、「でも何でもない、ダイジョウブヨ」などと、そんなことは気にしていられないという調子でくりかえしています。とにかく相撲では、「できるかぎ りのことをやるしかない、運不運などない、実力がすべてで、成績や番付順はそれで決まるもの」と割り切ったことを言います。ベテランのことですから、負け が重なっても番付が落ちても、「それはよくあること」で、あまり気にしていないように見えます。陽気な性格ですが、実際は神経質で、ピリピリしていて、衝 動的で怒りっぽいところがあります。このあたりは、ラテンアメリカそのもののように見えるのですが、これは本人には言えません。「外人は顔だけ、心は日本 人」だと確信しているらしく、ガイジンだといわれると本気で腹をたてるのです。歌はさすがに上手で、カラオケでは大将格だそうです。音楽を聴くことが趣味 で、聴いていると心が休まると言っています。子供好き、動物好きです。
本名 星 誕期(ほし たんご) (2000年10月25日付で日本に帰化)
前名 イマチ・マルセロ・サロモン (Imach Marcello Salomon)
1965年9月5日生
アルゼンチン、ブエノスアイレス出身
1987年夏場所入門
1992年秋場所新十両
184cm 163.5kg
1998年初場所 西幕下二十二枚目 5勝2敗
1998年春場所 西幕下九枚目 4勝3敗
1998年夏場所 西幕下五枚目 5勝2敗
1998年名古屋場所 東幕下二枚目 6勝1敗
1998年秋場所 東十両十三枚目 9勝6敗
1998年九州場所 西十両十枚目 8勝7敗
1999年初場所 東十両九枚目 7勝8敗
1999年春場所 西十両十一枚目 9勝6敗
1999年夏場所 西十両七枚目 6勝9敗
1999年名古屋場所 東十両十一枚目 8勝7敗
1999年秋場所 東十両十枚目 8勝7敗
1999年九州場所 西十両八枚目 9勝6敗
2000年初場所 西十両三枚目 5勝10敗
2000年春場所 東十両七枚目 6勝9敗
2000年夏場所 西十両十枚目 8勝7敗
2000年名古屋場所 東十両八枚目 0勝15敗
2000年秋場所 東幕下八枚目 6勝1敗
2000年九州場所 西幕下筆頭 3勝4敗
2001年初場所 東幕下七枚目 3勝4敗
2001年春場所 西幕下十三枚目 5勝2敗
2001年夏場所 東幕下七枚目 3勝4敗
2001年名古屋場所 東幕下十四枚目 4勝3敗
2001年秋場所 西幕下十一枚目 2勝5敗
2001年九州場所 西幕下二十三枚目 3勝4敗
2002年初場所 東幕下三十四枚目 5勝2敗
2002年春場所 西幕下二十四枚目 3勝4敗
2002年夏場所 西幕下三十二枚目 5勝2敗
2002年名古屋場所 東幕下十七枚目 3勝4敗
2002年秋場所 西幕下二十五枚目 6勝1敗
2002年九州場所 西幕下八枚目 2勝5敗
2003年初場所 西幕下二十三枚目 3勝4敗
2003年春場所 西幕下三十四枚目 3勝4敗
2003年夏場所 東幕下四十二枚目 4勝3敗
2003年名古屋場所 西幕下三十四枚目 4勝3敗
2003年秋場所 東幕下二十八枚目 3勝4敗
2003年九州場所 西幕下三十九枚目 1勝6敗
2004年初場所 西三段目六枚目 2勝5敗 (引退)
最高位 十両3 通算430勝388敗11休
通算出場回数 818 勝率 52.6%
得意技 突き押し
拡大写真
1998年秋場所から十場所にわたって、十両の座を維持していたのですが、2000年名古屋場所で全敗したため、幕下に転落してしまいました。
2002年初場所では、五場所ぶりに五勝二敗の好成績をあげ、本来の実力を発揮しましたが、春場所は三勝四敗
で、惜しい負け越しとなりました。しかし夏場所では元気いっぱい、ふたたび五勝二敗で存在感を発揮しました。名古屋場所の後では、「別に悪い所はありませ
ん。元気です。ただ勝てないなあ。でも、それにしても元気です。」と、笑顔で言っていました。秋場所では、久しぶりに六勝一敗をあげ、まだまだ健在である
ことを見せてくれました。
2003年度は、勝ち越しと負け越しが交互につづき、やや足踏み状態です。
現在、38才になったばかりのベテランで、幕下以上では最年長の力士となりました。今のところ、霧の藤の成長に期待をかけ、熱心に指導しているようです。
九州場所の不成績を見て、心配しているファンが多いようです。はたして一勝六敗がたたって、ついに三段目に転落、自分が指導し育ててきた後輩たちに抜かれてしまいました。でも明日を信じて、気を落さないように伝えてくれというファンの声が届いています。
2004年初場所の前、とうとう体力の限界で、初場所限りで、引退の決意をしました。断髪式の準 備もすすめています。初場所には出たいという意志が強く、初場所は最後の場所となりました。断髪式の日も決まり、二月六日、午後2時から、国技館地下大広 間で行われることになりました。
星誕期の断髪式の模様は別ファイルに収録してあります。
雑誌「相撲」2003年4月号(114-115ページ)に、『母と相撲の心を大切にする”熟年”の苦労人 星誕 期』と題する2ページの記事が載っています。『異境から来た21世紀の力びと』という連載の第3回で、筆者は早稲田大学助教授の宮崎里司氏です。星誕期は 外国人力士最古参で、先々代陸奥親方(元星甲)の許に入門し、先代(元星岩涛)を経て現陸奥親方(元大関霧島)に引き取られるまで、三代の親方の下で相撲 道に励んできた苦労人だと前置きして、雑誌には珍しい突っ込んだ書き方で、異文化にすっかり馴染むまでの長く苦しかった道のりを、見事に描いている名論文 です。一読に値するものとして、おすすめします。
最後の取組と記者会見を終え、国技館を後にする星誕期 ⇒拡大写真
平成17年四月、テレビで
人形町にある、星誕期さんのお店が紹介されました。
アルゼンチン出身力士・星誕期(元十両三枚目)の多国籍料理のお店です。昨年、38歳で引退しました。店のホームページは次ぎの通りです。 http://www.siddique.co.jp/tango/index.html
おすすめはアルゼンチンの母直伝のミートパイです。大きいつくねがうれしいちゃんこは塩味です。
星安出寿(ほしあんです)保世(ほせ)
十両二枚目星誕期にくらべると内向的な性格で、静かな人です。人の話は注意深く聞きます。去年以来さんざんの不運でしたがようや く持ち直し、名古屋場所で勝ち越したので番付もあがり、一枚の差で星誕期につづくことになりましたが、秋場所ではまた負け越してしまいました。毎日絶える ことなく稽古にはげみ、後進の弟子にはいい手本です。準備運動になることは歯をくいしばってなんでもやります。自分に対してはあくまでも謙虚で、若者たち に忍耐を教えるのはこの人です。後輩の教育にはじつに熱心で、規律を破るようなことはけっして許しません。相撲で上にあがるには、運不運もあるが、まず修 道者のように禁欲的でなければいけないと信じているのでしょう。稽古中にそばに寄ると、まるで鋼の鎧をまとっているようで、こわい顔です。このへんは星誕 期とはまったく正反対のように見えますが、根はいたってやさしく、思いやりがあり、みんなとふざけあっていい雰囲気をつくることのできる人です。
本名 ホセ・アントニオ・ホアレス
(Jose Antonio Joarez)
1968年6月1日生
アルゼンチン、ブエノスアイレス出身
1988年夏場所入門
191.5cm 170kg
1998年初場所 幕下四十四枚目 6勝1敗
1998年春場所 幕下三十枚目 5勝2敗
1998年夏場所 幕下十三枚目 4勝3敗
1998年名古屋場所 幕下十枚目 4勝3敗
1998年秋場所 幕下七枚目 4勝3敗
1998年九州場所 幕下五枚目 2勝5敗
1999年初場所 幕下十九枚目 3勝4敗
1999年春場所 幕下二十七枚目 5勝2敗
1999年夏場所 幕下十六枚目 1勝6敗
1999年名古屋場所 幕下三十九枚目 3勝4敗
1999年秋場所 幕下四十五枚目 3勝4敗
1999年九州場所 幕下五十二枚目 6勝1敗
2000年初場所 幕下二十五枚目 5勝2敗
2000年春場所 幕下十二枚目 4勝3敗
2000年夏場所 幕下九枚目 3勝4敗
2000年名古屋場所 幕下十四枚目 4勝3敗
2000年秋場所 幕下九枚目 2勝5敗
最高位 十両2 通算334勝312敗
通算出場回数 646 勝率 51.7%
2000年秋場所後、9月20日引退
星安出寿の引退のニュースは、陸奥部屋にとってもファンにとっても、たいへんな打撃です。このオールドメンバーのページにこの人のことを載せる日がこんなに早く来ようとは思っても見ませんでした。
星安出寿は陸奥部屋にとっては、なくてならなかった人です。いつも後輩たちの稽古を見守り、じつに適切な注意
をあたえ、自分も我慢強く、黙々と、ありとあらゆるトレーニングにはげんでいました。和歌嵐を相手にして、根気よく何度も何度も立ち会いの稽古を重ねてい
る姿は、目の裏に灼きついているように思い出されます。忘れることのできない人です。星安出寿の思い出は、永久に消えないでしょう。
田村 喜一(たむら きいち)
元陸奥部屋マネージャーおそろしく無口なので、愛想も知らないといわれ ることがありますが、相撲と陸奥部屋が唯一の生きがいであることはうたがいありません。実直一方、部屋の雑用係といった感じで、どんなことでもいやな顔ひ とつしないで引き受けています。ちゃんこ番をひとりでやることもしばしばで、料理の腕はたしかです。でも元岸の里の田村マネージャーの本領が出てくるの は、稽古の指導をするときです。弟子たちの長所も弱点も知りつくしているので、適切な助言をし、ときには叱りますが声を荒らげることはあまりありません。
元幕下岸の里1966年9月6日生 大阪府岸和田市出身
1982年春場所入門 1997年現役を引退
1997年より陸奥部屋マネージャーとなる
2001年12月、辞任
マネージャー
1949年12月22日生 長崎県出身
2000年1月より親方付マネージャーとして陸奥部屋に入る
前には板東英二、上岡龍太郎のマネージャーをしていたプロです。以前からの霧島ファンで、陸奥親方のためになることな
らなんでも懸命にやります。親方の多忙なスケジュールを調整する仕事のほか、外部との連絡、部屋の運営、PRなど、一切を総括しています。陸奥部屋にはな
くてはならない人です。
2008年、二月下旬、退職しました。長い間いろいろお疲れ様でした。
東三段目四十四枚目まじめで礼儀正しく、しかも個性の強い人です。一生懸命に稽古にはげみ、身長、体重も十分、素質にもめぐまれています が、今のところは怪我のため、本来の実力が出しつくせないようです。日常生活ではめがねをかけ、控えめな性格で、好きで選んだ相撲の道をひとすじに進んで 行くにはどうすればいいのかということも完全に心得ているようです。
本名 佐々木隆雄 1982年6月15日生
茨城県北相馬郡藤代町出身 1998年秋場所入門
185.5cm 131kg
1998年九州場所 西序ノ口四十五枚目 4勝3敗
1999年初場所 西序ノ口六枚目 3勝4敗
1999年春場所 東序ノ口十一枚目 4勝3敗
1999年夏場所 西序二段百二十八枚目 2勝5敗
1999年名古屋場所 西序二段百五十五枚目 4勝3敗
1999年秋場所 東序二段百二十五枚目 4勝3敗
1999年九州場所 西序二段百枚目 1勝6敗
2000年初場所 西序二段百三十三枚目 5勝2敗
2000年春場所 東序二段八十枚目 3勝4敗
2000年夏場所 東序二段九十八枚目 4勝3敗
2000年名古屋場所 東序二段七十四枚目 2勝5敗
2000年秋場所 西序二段百二枚目 5勝2敗
2000年九州場所 西序二段五十五枚目 3勝4敗
2001年初場所 西序二段八十三枚目 3勝4敗
2001年春場所 東序二段九十九枚目 休場
2001年夏場所 西序ノ口十三枚目 休場
2001年名古屋場所 番付外 休場
2001年秋場所 番付外 休場
2001年九州場所 番付外 前相撲出場
2002年初場所 東序ノ口三十枚目 5勝2敗
2002年春場所 西序二段九十三枚目 5勝2敗
2002年夏場所 西序二段四十八枚目 4勝3敗
2002年名古屋場所 東序二段二十七枚目 4勝3敗
2002年秋場所 西序二段六枚目 2勝5敗
2002年九州場所 西序二段二十七枚目 4勝3敗
2003年初場所 東序二段四枚目 2勝5敗
2003年春場所 西序二段三十五枚目 2勝5敗
2003年夏場所 東序二段六十七枚目 5勝2敗
2003年名古屋場所 東序二段二十六枚目 3勝4敗
2003年秋場所 東序二段五十一枚目 5勝2敗
2003年九州場所 東序二段十二枚目 3勝4敗
2004年初場所 西序二段三十枚目 6勝1敗
2004年春場所 東三段目六十七枚目 5勝2敗
2004年夏場所 東三段目三十八枚目 1勝6敗
2004年名古屋場所 東三段目七十四枚目 0勝7敗
2004年秋場所 西序二段二十四枚目 5勝2敗
2004年九州場所 東三段目八十四枚目 4勝3敗
2005年初場所 東三段目六十六枚目 2勝5敗
2005年春場所 東三段目九十一枚目 4勝3敗
2005年夏場所 西三段目七十一枚目 4勝3敗
2005年名古屋場所 西三段目五十五枚目 3勝4敗
2005年秋場所 東三段目七十五枚目 5勝2敗
2005年九州場所 西三段目四十三枚目 5勝2敗
2006年初場所 東三段目十七枚目 4勝3敗
2006年春場所 西三段目三枚目 1勝6敗
2006年夏場所 東三段目三十九枚目 1勝6敗
2006年名古屋場所 西三段目七十一枚目 6勝1敗
2006年秋場所 東三段目十七枚目 3勝4敗
2006年九州場所 西三段目三十一枚目 5勝2敗
2007年初場所 東三段目七枚目 4勝3敗
2007年春場所 西幕下五十七枚目 5勝2敗
2007年夏場所 東幕下四十二枚目 4勝3敗
2007年名古屋場所 東幕下三十六枚目 2勝5敗
2007年秋場所 西幕下五十三枚目 4勝3敗
2007年九州場所 東幕下四十五枚目 1勝6敗
2008年初場所 西三段目十一枚目 0勝7敗
2008年春場所 西三段目六十一枚目 5勝2敗
2008年夏場所 西三段目三十三枚目 5勝2敗
2008年名古屋場所 東三段目八枚目 1勝6敗
2008年秋場所 東三段目四十一枚目 4勝3敗
2008年九州場所 西三段目二十五枚目 4勝3敗
2009年初場所 東三段目十三枚目 3勝4敗
2009年春場所 東三段目三十枚目 5勝2敗
2009年夏場所 西三段目六枚目 5勝2敗
2009年名古屋場所 西幕下四十四枚目 3勝4敗
2009年秋場所 西幕下五十五枚目 4勝3敗
2009年九州場所 西幕下四十六枚目 1勝6敗
2010年初場所 東三段目十九枚目 2勝5敗
2010年春場所 東三段目四十四枚目 休場(引退)
最高位 幕下36 通算217勝224敗35休
通算出場回数 441 勝率 49.2%
霧の海 剛(きりのうみ つよし)
(元 秋の里 貴士(あきのさと たかし) 2001年秋場所から改め)
西幕下二十七枚目初土俵からの総合成績はじつに立派で、現在までの勝率では十文字を超えているのは大したものです。小学校時代に相撲をやり、賞をとっているそうです。
本名 秋山貴志
1979年7月29日生 青森県八戸市白銀町出身
1995年春場所初土俵
181.5cm 159kg
2000年秋場所 西三段目二十九枚目 5勝2敗
2000年九州場所 西三段目筆頭 3勝4敗
2001年初場所 西三段目十五枚目 2勝2敗3休
2001年春場所 東三段目三十六枚目 2勝3敗2休
2001年夏場所 西三段目五十八枚目 公傷休場
2001年名古屋場所 西三段目五十八枚目 4勝3敗
2001年秋場所 西三段目四十一枚目 4勝3敗
2001年九州場所 東三段目二十八枚目 6勝1敗
2002年初場所 東幕下四十七枚目 5勝2敗
2002年春場所 西幕下三十三枚目 5勝2敗
2002年夏場所 東幕下十八枚目 4勝3敗
2002年名古屋場所 西幕下十二枚目 3勝4敗
2002年秋場所 東幕下十九枚目 2勝5敗
2002年九州場所 西幕下三十六枚目 3勝4敗
2003年初場所 西幕下四十八枚目 3勝4敗
2003年春場所 西幕下五十八枚目 5勝2敗
2003年夏場所 東幕下四十枚目 5勝2敗
2003年名古屋場所 東幕下二十七枚目 5勝2敗
2003年秋場所 西幕下十六枚目 3勝4敗
2003年九州場所 西幕下二十三枚目 4勝3敗
2004年初場所 東幕下十五枚目 2勝5敗
2004年春場所 西幕下三十枚目 2勝5敗
2004年夏場所 東幕下五十枚目 4勝3敗
2004年名古屋場所 東幕下四十三枚目 4勝3敗
2004年秋場所 東幕下三十八枚目 4勝3敗
2004年九州場所 東幕下三十三枚目 3勝4敗
2005年初場所 東幕下三十九枚目 5勝2敗
2005年春場所 東幕下二十枚目 3勝4敗
2005年夏場所 東幕下三十四枚目 3勝4敗
2005年名古屋場所 東幕下四十三枚目 4勝3敗
2005年秋場所 西幕下三十五枚目 2勝5敗
2005年九州場所 西幕下五十枚目 4勝3敗
2006年初場所 東幕下四十枚目 6勝1敗(幕下優勝 決定戦に参加)
2006年春場所 西幕下十七枚目 1勝5敗1休(5敗中、1敗は不戦敗)
2006年夏場所 東幕下四十一枚目 3勝4敗
2006年名古屋場所 西幕下五十枚目 4勝3敗
2006年秋場所 西幕下四十一枚目 5勝2敗
2006年九州場所 西幕下二十九枚目 3勝4敗
2007年初場所 西幕下三十七枚目 4勝3敗
2007年春場所 西幕下二十九枚目 4勝3敗
2007年夏場所 西幕下二十五枚目 3勝4敗
2007年名古屋場所 西幕下三十四枚目 4勝3敗
2007年秋場所 東幕下二十七枚目 6勝1敗
2007年九州場所 東幕下十枚目 3勝4敗
2008年初場所 東幕下十五枚目 2勝5敗
2008年春場所 東幕下二十八枚目 5勝2敗
2008年夏場所 西幕下十六枚目 3勝4敗
2008年名古屋場所 東幕下二十三枚目 4勝3敗
2008年秋場所 東幕下十九枚目 2勝5敗
2008年九州場所 西幕下三十五枚目 4勝3敗
2009年初場所 西幕下二十七枚目 3勝4敗
(2009年春場所 東幕下三十四枚目引退後)最高位 幕下10 通算300勝240敗42休
通算出場回数 539 勝率 55.7%
得意技 突き押し
2001年までは怪我に悩まされ、さんざんの不運でした。右膝を傷めていたのが、また悪くなり、四日
間取った後、休場のやむなきにいたりました。・/font>
2001年秋場所では、霧の海と改名することになりました。
2006年初場所では、優勝決定戦にまで参加して、何年ぶりのいい成績で、体調が回復したかのように思われましたけれども、まだ本物ではないようです。名古屋場所になってやっとまた勝越できました。それから、続けて、秋場所でも自分らしい成績を残しました。
2008春場所、三場所ぶりの自分に似たような成績です。
2009年初場所後引退し、二月十八日、部屋で断髪式が行われました。(小野川親方のブログを参照)
始めて会った時に、関取のような体格や圧迫力のあるこの人は、一度も関取になれなかったこと、信じられないこと、なんて不運なこと!
なお、「相撲」2002年3月号および「大相撲」2002年5月号に、霧の海について紹介記事が出ています。
成井 智史(なるい さとし)2002年12月改め
東序二段六十五枚目内気で控えめな青年で、部屋では貴島が辞めてからは最軽量ですが、筋肉はつき始めています。軽いというハンディーで負 けることが口惜しくてたまらないらしく、懸命に稽古をしています。しかし冷静さが足りないので、いざというときにあわててしまって負けることがあるようで す。実力は現在の成績以上と見てまちがいないのですから、一歩ずつ実績をあげて行けば、相撲をえらんだのはまちがっていなかったと、いつかは自分に対して 証明できるようになれるかもしれません。
1979年11月30日生 千葉県八千代市大和田新田出身
1999年春場所入門
178cm 97kg
1999年夏場所 東序ノ口五十六枚目 5勝2敗
1999年名古屋場所 東序二段百六十六枚目 3勝4敗
1999年秋場所 西序ノ口十八枚目 2勝5敗
1999年九州場所 西序ノ口二十六枚目 3勝4敗
2000年初場所 西序ノ口二十三枚目 2勝5敗
2000年春場所 西序ノ口二十五枚目 4勝3敗
2000年夏場所 東序二段百二十六枚目 3勝4敗
2000年名古屋場所 東序二段百四十一枚目 2勝5敗
2000年秋場所 東序ノ口十七枚目 4勝3敗
2000年九州場所 西序二段百十九枚目 3勝4敗
2001年初場所 西序ノ口四枚目 5勝2敗
2001年春場所 西序二段八十四枚目 1勝6敗
2001年夏場所 東序二段百十五枚目 4勝3敗
2001年名古屋場所 西序二段八十六枚目 4勝3敗
2001年秋場所 西序二段六十六枚目 4勝3敗
2001年九州場所 西序二段四十四枚目 2勝5敗
2002年初場所 東序二段七十三枚目 3勝4敗
2002年春場所 西序二段八十八枚目 3勝4敗
2002年夏場所 西序二段百五枚目 5勝2敗
2002年名古屋場所 西序二段五十四枚目 3勝4敗
2002年秋場所 西序二段七十二枚目 1勝6敗
2002年九州場所 西序二段百十枚目 休場
2003年初場所 西序二段百十枚目 5勝2敗
2003年春場所 西序二段六十七枚目 3勝4敗
2003年夏場所 東序二段八十七枚目 4勝3敗
2003年名古屋場所 西序二段六十一枚目 2勝5敗
2003年秋場所 西序二段九十三枚目 4勝3敗
2003年九州場所 西序二段六十四枚目 3勝4敗
2004年初場所 東序二段八十三枚目 4勝3敗
2004年春場所 西序二段五十七枚目 3勝4敗
2004年夏場所 東序二段七十六枚目 4勝3敗
2004年名古屋場所 西序二段五十二枚目 3勝4敗
2004年秋場所 西序二段七十二枚目 5勝2敗
2004年九州場所 西序二段二十九枚目 2勝5敗
2005年初場所 東序二段六十四枚目 4勝3敗
2005年春場所 東序二段四十枚目 5勝2敗
2005年夏場所 西序二段四枚目 3勝4敗
2005年名古屋場所 西序二段二十三枚目 3勝4敗
2005年秋場所 西序二段四十四枚目 3勝4敗
2005年九州場所 西序二段六十四枚目 5勝2敗
2006年初場所 西序二段二十二枚目 3勝4敗
2006年春場所 東序二段四十一枚目 3勝4敗
2006年夏場所 西序二段六十四枚目 4勝3敗
2006年名古屋場所 西序二段三十七枚目 3勝4敗
2006年秋場所 東序二段六十枚目 3勝4敗
2006年九州場所 東序二段七十九枚目 3勝4敗
2007年初場所 西序二段百二枚目 3勝4敗
2007年春場所 西序二段百十二枚目 3勝4敗
2007年夏場所 西序二段百十四枚目 3勝4敗
2007年名古屋場所 西序二段百二十九枚目 5勝2敗
2007年秋場所 西序二段八十一枚目 3勝4敗
2007年九州場所 東序二段百一枚目 4勝3敗
2008年初場所 東序二段七十一枚目 4勝3敗
2008年春場所 西序二段四十四枚目 3勝4敗
2008年夏場所 東序二段六十五枚目 2勝5敗
(引退後2008年名古屋場所 東序二段九十五枚目)最高位 序二段4 通算180勝198敗7休
通算出場回数 378 勝率 47.7%平成20年夏場所後引退
平成20年夏場所限りで引退しました。断髪式は場所後の千秋楽打ち上げパーティーでした。
引退は名古屋場所後に発表されました。さびしいことです、成井さん。これからも頑張りつづけるのは確かですけれども、もっと幸せで楽な生活を過ごせるよう、心から祈っています!
霧昇 有康(きりのぼり ともやす)
西序ノ口二枚目陸奥部屋の若手としてはいちばんの古参者ですから(旧陸奥部屋時代からの弟子で)、土俵経験がゆたかなことはたしか で、体つきや態度までいかにも相撲取りらしく、初心者のようなところはまったくありません。番付上では後進たちに抜かれていても、先輩として一目置かれて いるようです。もともと冷静で、控えめな人なのですが、本来は負けん気も十分なのですから、現在のままであきらめるはずはないでしょう。
元 力涛 1998年名古屋場所から霧昇と改名
本名 前田有康 1975年4月27日生
静岡県裾野市深良出身 1997年名古屋場所入門
178cm 98,5kg
1998年初場所 東序ノ口二十四枚目 3勝4敗
1998年春場所 東序ノ口十八枚目 1勝6敗
1998年夏場所 東序ノ口十八枚目 5勝2敗
1998年名古屋場所 東序二段百三十一枚目 1勝6敗
1998年秋場所 西序ノ口八枚目 4勝3敗
1998年九州場所 西序二段百三十六枚目 3勝4敗
1999年初場所 西序ノ口筆頭 4勝3敗
1999年春場所 西序二段百二十枚目 3勝4敗
1999年夏場所 西序二段百三十九枚目 3勝4敗
1999年名古屋場所 西序二段百五十四枚目 3勝4敗
1999年秋場所 東序ノ口七枚目 4勝3敗
1999年九州場所 東序二段百三十八枚目 4勝3敗
2000年初場所 西序二段百九枚目 3勝4敗
2000年春場所 西序二段百二十一枚目 3勝4敗
2000年夏場所 西序二段百三十四枚目 2勝5敗
2000年名古屋場所 西序ノ口六枚目 5勝2敗
2000年秋場所 西序二段百七枚目 1勝6敗
2000年九州場所 東序ノ口九枚目 4勝3敗
2001年初場所 西序二段百六枚目 2勝5敗
2001年春場所 西序ノ口四枚目 4勝3敗
2001年夏場所 東序二段九十五枚目 3勝4敗
2001年名古屋場所 西序二段百八枚目 休場
2001年秋場所 西序ノ口四十枚目 休場
2001年九州場所 番付外 前相撲出場
2002年初場所 東序ノ口三十四枚目 5勝2敗
2002年春場所 西序二段九十八枚目 3勝4敗
2002年夏場所 西序二段百十一枚目 3勝4敗
2002年名古屋場所 西序ノ口四枚目 5勝2敗
2002年秋場所 西序二段七十八枚目 休場
2002年九州場所 西序ノ口三十二枚目 5勝2敗
2003年初場所 西序二段八十九枚目 2勝5敗
2003年春場所 東序二段百六枚目 3勝4敗
2003年夏場所 東序二段百八枚目 3勝4敗
2003年名古屋場所 東序二段目百十九枚目 4勝3敗
2003年秋場所 西序二段八十九枚目 3勝1敗3休
2003年九州場所 西序二段百六枚目 2勝5敗
2004年初場所 東序ノ口六枚目 3勝4敗
2004年春場所 西序ノ口七枚目 3勝4敗
2004年夏場所 西序二段百二十枚目 4勝3敗
2004年名古屋場所 西序二段八十九枚目 3勝4敗
2004年秋場所 東序二段百十枚目 4勝3敗
2004年九州場所 東序二段八十一枚目 1勝6敗
2005年初場所 西序ノ口二枚目 3勝4敗
最高位 序二段78 通算130勝154敗24休
通算出場回数 284 勝率 45.8%
悲しいニュースです。我慢を重ねたあげく、とうとうこの
2005年初場所限りで辞める決意になりました。場所には千秋楽までやりましたが、断髪式はその終わり一月二十三日、千秋楽上げパーティーの会場で行われ
ました。今まで陸奥部屋に入った新弟子の兄弟子役でした。八年間もがんばりました。
引退は相撲協会によって2005年1月26日に発表されました。
断髪式の時の大銀杏姿で
霧の藤 広明(きりのふじ こうめい)
(霧の富士 改め)
西序二段五十五枚目もとサッカーをやっていたスポーツマンで、運動神経は抜群、ほがらかでにこにこと明るい性格で、気が合いさえすればお しゃべりもきらいではないようです。稽古で、どんなつらいことをやってもいやな顔を見せません。相撲をはじめてから、まだわずかにしかならないのに、たち まちにして進歩し、筋肉もつき、成績も先輩たちを追い越してあっという間に部屋のトップランナーの列に入ってしまいました。稽古でも、今までになかった攻 撃性が出て来て、当って行くさまはまさに人間魚雷の凄さを見せています。
本名 藤本智彦 1981年10月29日生
2000年初場所から霧の富士 同秋場所から霧の藤
佐賀県小城郡小城町出身 1999年夏場所入門
184cm 122kg
1999年名古屋場所 西序ノ口四十六枚目 6勝1敗
1999年秋場所 東序二段百三枚目 4勝3敗
1999年九州場所 東序二段七十九枚目 5勝2敗
2000年初場所 東序二段三十八枚目 3勝4敗
2000年春場所 東序二段五十六枚目 5勝2敗
2000年夏場所 東序二段十四枚目 2勝5敗
2000年名古屋場所 西序二段三十八枚目 2勝4敗1休
2000年秋場所 西序二段六十七枚目 6勝1敗
2000年九州場所 東三段目九十八枚目 5勝2敗
2001年初場所 西三段目六十四枚目 2勝5敗
2001年春場所 東三段目九十枚目 5勝2敗
2001年夏場所 西三段目五十九枚目 6勝1敗
2001年名古屋場所 東三段目六枚目 2勝5敗
2001年秋場所 東三段目三十枚目 3勝4敗
2001年九州場所 西三段目四十八枚目 7勝0敗 三段目全勝優勝
2002年初場所 西幕下二十九枚目 0勝7敗
2002年春場所 西三段目三枚目 4勝3敗
2002年夏場所 西幕下五十五枚目 4勝3敗
2002年名古屋場所 東幕下四十五枚目 4勝3敗
2002年秋場所 東幕下三十八枚目 5勝2敗
2002年九州場所 東幕下二十一枚目 3勝4敗
2003年初場所 西幕下三十一枚目 4勝3敗
2003年春場所 西幕下二十三枚目 1勝6敗
2003年夏場所 西幕下五十一枚目 6勝1敗
2003年名古屋場所 西幕下二十枚目 5勝2敗
2003年秋場所 東幕下十二枚目 3勝4敗
2003年九州場所 東幕下二十枚目 0勝1敗(不戦敗)6休
2004年初場所 東三段目二枚目 5勝2敗
2004年春場所 西幕下三十九枚目 2勝5敗
2004年夏場所 東三段目五枚目 4勝3敗
2004年名古屋場所 東幕下五十六枚目 全休
2004年秋場所 西三段目三十六枚目 全休
2004年九州場所 西三段目九十五枚目 全休
2005年初場所 西序二段五十五枚目 全休
最高位 幕下12 通算113勝90敗37休
通算出場回数 202 勝率 55,9%2005年1月26日引退発表
2000年秋場所ではみごとな成績をあげ、通算成績でも部屋のトップクラスに入ったのは立派なものです。その結果、めでたく三段目へ昇進し、九州場所でもふたたび好成績で、初場所番付では自己最高位に達しました。
2001年初場所から、霧の富士という大きな四股名を名乗ることになり、期待されていたのですが、痛恨の二勝
五敗を喫してしまいました。三段目の壁はやはり厚いと言えるのでしょうか。その壁を、春場所ではついに破ったのです。壁を乗り越えての五勝二敗なのですか
ら、その重みは、格別のものと言えます。そればかりではなく、夏場所でも快進撃はさらにつづき、六勝一敗という大成果をあげました。驚嘆に値することだと
いえます。しかし残念なことに、名古屋場所は不調でした。秋場所からは、霧の藤と改名することになりましたが、その秋場所では三勝四敗と、痛恨の負け越し
になりました。しかし全体的には、陸奥部屋の希望の星のひとつであることは間違いないのですから、怪我には気をつけて、さらに健闘を期待します。
九州場所十三日目、全勝で三段目優勝を勝ち取りました。おめでとう。陸奥部屋にとっては、白馬の序二段優勝につづいて、はじめての三段目優勝を、霧の藤はなしとげたわけです。
この結果、2002年初場所番付では西幕下二十九枚目にまで大昇進し、大先輩の星誕期、琉鵬、霧の海を追い越
す地位に進みました。入門以来ずっと相撲を教わってきた星誕期を抜いたというのは、なんといっても凄いことです。しかし、どう見てもこれは上がり過ぎた感
じで、これほどの地位を守り抜いて行くことがどんなに難しいかは、本人もよくわかっているでしょう。夢にも慢心することなく、虚心坦懐に一層の精進を続け
て行くことができれば、将来は明るいといえます。
師匠をはじめ心配していた通り、初場所では幕下の地位を守りきれず、全敗してしまいました。でも三段目で迎え
た春場所では、四勝三敗で勝ち越し、夏場所番付では幕下に復帰できました。この地位での四勝三敗は、まことに貴重です。つづいて名古屋場所でも勝ち越しま
した。この三回連続の勝ち越しからみると、幕下の厳しい地位に馴れてきたと言えるでしょう。本人も満足そうな顔をしています。夏中、上位との稽古を懸命に
やっていました。強い相手との猛稽古が身上のようなもので、中でも十文字にはどうしても勝てないらしいのですが、負けても負けてもものともしないでぶつ
かっています。
秋場所での五勝二敗、九州場所番付での自己最高位到達は、この火を噴くような稽古のたまものに他なりません。
実に立派なことです。九州場所では惜しくも一敗差で負け越しましたが、古豪力士たちのひしめいている幕下上位では、やむを得ないことと言わなければならな
いでしょう。2003年初場所以来の総合成績を見ると、いよいよ幕下定着は、本物と言えそうです。はたして、秋場所番付では、自己最高位の東幕下十二枚目
に達しています。霧の若、白馬とならんで、陸奥部屋若手のホープのトップに立っているわけで、大いに期待されます。
九州場所ではヘルニアで休場、まことに残念なことでしたが、最近はなおって稽古にはげんでいます。2004年初場所の成績は、まことに立派でした。
また大変なことに、2004年七月場所では、足の手術のため、名古屋へは来られないそうです。せっかく帰り幕下
でしたので、これでまた後退になってしまいます。秋場所前、松葉つえをついて歩く様子を見れば、回復がまだまだ時間がかかることがわかります。その時は、
本人は落ち込んだような表情はなく、ちゃんと我慢強くて、冷静に回復を待つという感じでした。ただ、その間、怪我はあまり治らないと言うか、突然やめよう
という態度を見せています。とにかく、九州場所へは出ません。今までがんばった人の中の一人でしたので、もったいないことをしないでほしいです。強いです
から、もし下まで落ちても、始めからやりなおせる力は問題なくあります。
なお、霧の藤の紹介記事は、『相撲』2001年12月号、『大相撲』2001年12月号と2002年1月号、『NHK大相撲中継』2002年1月号など、各誌に掲載されています。
とうとう、霧の藤の引退が2005年1月26日に発表されました。
和歌嵐 克己(わかあらし かつき)
三段目四十三枚目陸奥部屋の若手の中ではスピード出世で、たった一人、あっという間に三段目まであ がってしまいました。一度は序二段にもどったこともありましたが、その後は三段目にすっかり定着したという感じです。組んでもよし、離れてもよしといった 取り口です。お見事としかいいようがありません。若手では霧昇に次ぐ年長者で人生経験があり、体重もあり、柔道もやっていたことから、あまり抵抗なしに相 撲の世界に住みつくことができたのでしょうか。ものわかりのいい落ち着いた性格で、おとなしく、地位があがっても態度をかえないし、すこしも威張らないと いうのもじつに立派なことです。陸奥部屋の希望の星といいたいところですが、三段目から上にあがるのはまだまだたいへんだということは、本人もよくわかっ ているようです。
本名 山田克己 1977年5月20日生
和歌山県古座町出身 1999年春場所入門
177cm 127kg
1999年夏場所 序ノ口十九枚目 6勝1敗
1999年名古屋場所 序二段八十五枚目 4勝3敗
1999年秋場所 序二段五十九枚目 6勝1敗
1999年九州場所 三段目九十六枚目 3勝4敗
2000年初場所 序二段十八枚目 5勝2敗
2000年春場所 三段目八十枚目 4勝3敗
2000年夏場所 三段目六十一枚目 4勝3敗
2000年名古屋場所 三段目四十三枚目 2勝5敗
2000年秋場所 三段目六十九枚目 3勝4敗
2000年九州場所 三段目八十六枚目 4勝3敗
2001年初場所 三段目六十七枚目 2勝5敗
2001年春場所 三段目九十五枚目 4勝3敗
2001年夏場所 三段目七十六枚目 休場
2001年名古屋場所 休場後、7月25日引退
最高位 三段目43 通算47勝37敗14休
通算出場回数 84 勝率 56.0%
西序二段六十枚目陸奥部屋に珍しく、相撲経験を中学一年生の時から(柔道部で)持っている人だそうです。やる気を十分もっているようです。
前相撲(2勝1敗)
1989年9月6日生 青森県弘前市出身
2008年春場所入門 二番出世
179.5cm 114.6kg <>
2008年夏場所 東序ノ口十七枚目 5勝2敗
2008年名古屋場所 西序二段九十五枚目 4勝3敗
2008年秋場所 西序二段六十九枚目 2勝5敗
2008年九州場所 西序二段百一枚目 5勝2敗
2009年初場所 西序二段五十七枚目 4勝3敗
2009年春場所 東序二段三十枚目 3勝4敗
2009年夏場所 西序二段五十二枚目 1勝5敗1休 (5敗中、一敗は不戦敗)
2009年名古屋場所 西序二段九十七枚目 6勝1敗
2009年秋場所 西序二段十九枚目 4勝3敗
2009年九州場所 西三段目百枚目 休場
2010年初場所 西序二段六十枚目 休場
2010年初場所後引退
最高位 三段目100 通算34勝28敗9休
通算出場回数 61 勝率 55.7%
西序二段百八枚目
前相撲(3勝1敗)
1991年3月4日生 岐阜県出身
2007年九州場所入門
181.5cm 137.4kg2008年初場所 西序ノ口三十枚目 4勝3敗
2008年春場所 東序二段百四枚目 3勝4敗
2008年夏場所 東序二段百十四枚目 4勝3敗
2008年名古屋場所 東序二段八十三枚目 3勝4敗
2008年秋場所 西序二段百五枚目 3勝4敗
2008年九州場所 東序二段百十四枚目 5勝2敗
2009年初場所 東序二段七十枚目 5勝2敗
2009年春場所 東序二段二十八枚目 3勝4敗
2009年夏場所 東序二段四十九枚目 3勝4敗
2009年名古屋場所 西序二段七十四枚目 3勝2敗2休(2敗中、1敗は不戦敗)
2009年秋場所 東序二段九十九枚目 5勝2敗
2009年九州場所 西序二段四十八枚目 4勝3敗
2010年初場所 東序二段二十五枚目 5勝2敗
2010年春場所 東三段目九十五枚目 2勝4敗1休(4敗中、1敗は不戦敗)
2010年夏場所 東序二段二十三枚目 4勝3敗
2010年名古屋場所 東序二段五枚目 2勝3敗2休(3敗中、1敗は不戦敗)
2010年秋場所 東序二段三十八枚目 休場
2010年九州場所 西序二段百八枚目 休場九州場所後引退
最高位 三段目95 通算58勝48敗22休
通算出場回数 104 勝率 55.8%全くお相撲さんらしい顔をしている人で、技もかなり上手です。これから強くなるのは間違いありません。真面目で力のある人ですから。
2009年初場所野番付では三場所ぶり、自己最高位になりました。春場所にも、自己最高位です。
2010年初場所の番付には、自己最高位で、5勝もあげました。
春場所の番付には、三段目昇進と同時に霧駒と改名しました(1場所かぎり)。次の夏場所には、また前のしこ名の高峰に戻りました。
楢橋 親一 (ならはし しんいち)
三段目九十六枚目デビュー当時はやせていたのですが、最近は見違えるほど筋肉がついて来ていました。 はじめのうちは稽古熱心とはいいにくかったのですが、その後は真剣に努力をかさねていることが目に見え、稽古をいちばん熱心にやっている組に入っていまし た。怪我もおそれないで相手に立ち向かって行き、危険なひっくり返り方で落ちたり、壁にぶつかったりして傷を負っているのは、見ていてもなんともこわい感 じでした。安心して見られるようになるのには、まだまだ体重がほしいところでしょう。始めのうち見られた、ちょっととりつきにくい、コンプレックスのかた まりのような性格からはその後は完全に脱し、自分の能力の限界に挑戦してこれを克服し、ほんものの自信をつけるというところまで、すでに行っていた感じ で、1998年に新生陸奥部屋が発足してから最初に入った第一期生五人の中では、もっとも有望であることはたしかでした。
1981年4月24日生 福岡市東区出身
1998年春場所入門
175cm 91kg
1998年夏場所 東序ノ口四十三枚目 3勝4敗
1998年名古屋場所 東序ノ口三十三枚目 5勝2敗
1998年秋場所 西序二段百五十三枚目 2勝5敗
1998年九州場所 西序ノ口十三枚目 2勝5敗
1999年初場所 西序ノ口二十四枚目 4勝3敗
1999年春場所 西序二段百三十八枚目 3勝4敗
1999年夏場所 西序二段百五十三枚目 3勝4敗
1999年名古屋場所 東序ノ口筆頭 4勝3敗
1999年秋場所 東序二段百三十五枚目 3勝4敗
1999年九州場所 東序二段百五十二枚目 5勝2敗
2000年初場所 西序二段百一枚目 2勝5敗
2000年春場所 東序二段百二十二枚目 3勝4敗
2000年夏場所 東序二段百三十五枚目 4勝3敗
2000年名古屋場所 東序二段百五枚目 4勝3敗
2000年秋場所 西序二段七十八枚目 3勝4敗
2000年九州場所 東序二段九十二枚目 5勝2敗
2001年初場所 東序二段五十一枚目 3勝4敗
2001年春場所 東序二段六十五枚目 3勝4敗
2001年夏場所 西序二段八十枚目 3勝4敗
2001年名古屋場所 東序二段九十四枚目 5勝2敗
2001年秋場所 東序二段五十二枚目 4勝3敗
2001年九州場所 西序二段二十八枚目 5勝2敗
2002年初場所 東三段目九十六枚目 2勝5敗
2002年春場所 東序二段二十五枚目 休場
2002年夏場所 西序二段九十六枚目 休場
2002年5月27日引退
最高位 三段目96 通算80勝81敗14休
通算出場回数 161 勝率 49.7%
桜島 弘聖(さくらじま こうせい)
番付外ー引退
本名 下迫弘聖 2000年秋場所から桜島となる
1982年6月1日生 鹿児島市出身
1998年春場所入門
179cm 107.5kg
1998年夏場所 西序ノ口三十九枚目 1勝5敗1休
1998年名古屋場所 西序ノ口四十二枚目 2勝4敗1休
1998年秋場所 西序ノ口四十三枚目 3勝4敗
1998年九州場所 東序ノ口三十二枚目 2勝5敗
1999年初場所 東序ノ口三十三枚目 2勝5敗
1999年春場所 西序ノ口二十六枚目 2勝5敗
1999年夏場所 東序ノ口六枚目 2勝5敗
1999年名古屋場所 東序ノ口二十二枚目 5勝2敗
1999年秋場所 東序二段百三十四枚目 1勝3敗3休
1999年九州場所 東序ノ口九枚目 2勝5敗
2000年初場所 西序ノ口二十一枚目 4勝3敗
2000年春場所 西序二段百二十六枚目 4勝3敗
2000年夏場所 西序二段九十八枚目 1勝2敗4休
2000年名古屋場所 東序二段百三十二枚目 休場
2000年秋場所 西序ノ口四十枚目 4勝3敗
2000年九州場所 東序ノ口三枚目 5勝2敗
2001年初場所 西序二段八十八枚目 1勝3敗3休
2001年春場所 東序二段百十八枚目 3勝4敗
2001年夏場所 西序二段百十九枚目 4勝3敗
2001年名古屋場所 東序二段九十枚目 休場
2001年秋場所 東序ノ口三十八枚目 休場
2001年九州場所 番付外 前相撲出場
2002年初場所 西序ノ口三十枚目 5勝2敗
2002年春場所 西序二段九十四枚目 4勝3敗
2002年夏場所 西序二段六十九枚目 2勝5敗
2002年名古屋場所 西序二段百枚目 3勝4敗
2002年秋場所 東序ノ口筆頭 3勝4敗
2002年九州場所 西序ノ口十枚目 5勝2敗
2003年初場所 東序二段七十五枚目 2勝5敗
2003年春場所 西序二段九十八枚目 5勝2敗
2003年夏場所 東序二段五十四枚目 2勝5敗
2003年名古屋場所 東序二段八十九枚目 3勝4敗
2003年秋場所 東序二段百八枚目 3勝4敗
2003年九州場所 東序ノ口五枚目 5勝2敗
2004年初場所 西序二段六十四枚目 休場
2004年春場所 東序ノ口二十二枚目 休場
2004年夏場所 番付外 --
2004年5月26日 引退発表
最高位 序二段54 通算90勝108敗47休
通算出場回数 198 勝率 45.5%
第一期生の中でいちばん陽気な人でしたが、このごろはすっかり変わってきました。手に怪我をして、稽古もあまりできな
い状態がつづいたあ
と、今のままではいられないという意識が目覚めてきたようです。しかし、根はやさしい性格なのです。最近では、稽古態度も成長して来ま
し
た。懸命にやりながらも、しかも余裕を残しているありさまは、明らかに大人としての自信と常識ができて来たことを示すものです。
前から番付運が悪かった上、三年も前からひきずっている手の怪我に加えて、右膝をやられてしまいました。この
状態では、いい相撲を取れと
いってもとても無理です。2001年名古屋場所以来の休場のため、九州場所ではついに番付外にまで落ちてしまいました。精神面
でも、ひどく落ち
込んでいるようです。回復と健闘を祈ってやみません。
その2001年九州場所では、ようやく前相撲を取ることができて番付復帰がかない、つづく2002年初場所で
は、五勝二敗の好成績をあげました。
春場所でも四勝三敗で勝ち越し、夏場所番付では自己最高位を更新したのですが、結果は残念なことに三場所連続の負け越
しでした。しかし九州
場所では持ち直し、五勝二敗を獲得して、2003年初場所番付では序二段に復帰しましたが、またもや負け越しました。でも春場所では
五勝二敗の
好成績をあげ、夏場所番付では東序二段五十四枚目、自己最高位に進みました。しかしその後は停滞しています。
楢橋の引退以来、桜島はただ一人の新生陸奥部屋第一期生です。頑張ってもらいたいところですが、2004年初場所は、せっかく自己最高位にま
た近くなったところなのに、休場しました。現在、2004年夏場所では番付外になってしまいました。
とうとう、五月二十六日付けで、引退が発表されました。そのわずか数日前に、以下のメッセージを受けました。
今場所、番付に名前が無くてびっくりしました。
もしかして・・・と悪い方へ考えてしまいました。
私は「おかみさん奮闘記」を見てから、陸奥部屋のファンになりなした。
でも今やあの当時いた新人5人も下迫君だけになってしまい、当時脱走をしてたから
凄く心配してたんだけど、私としては下迫君の力士姿をずーっと見ていたいです。
また、下迫君の土俵に上がる姿を撮りたいです。いつまでも応援しています(^^)
K. Takeshi
白澤 隆志(しらさわ たかし)
序二段十八枚目行儀正しく開放的な性格で、頭もよく、常識をもって行動する自然体のタイプで、相撲 界でも成功すると考えられますが、勝負師としてはおとなしすぎるぐらいです。落ち着いていますが、均衡のとれた性格のためか、闘争心はあまりないようで す。無理をすることをおそれないで自分の限界に挑戦するという習性をもっていないのでしょう。それでも成功の道は十分残されているということを、この人は 証明しているのです。2000年名古屋場所では、肘の故障のため入院、手術という事態になり、成績があがらなかったのは残念でしたが、手術の後の回復はめ ざましく、傷跡は今でもいたましく残っていますが、秋場所では勝ち越して、めでたく序二段への復帰を果たし、九州場所もつづいて勝ち越してまたも自己最高 位になりました。この上昇気流にうまく乗って行くため、怪我にはくれぐれも気をつけて、自信を持って実力で勝負していくことを期待します。
1982年12月6日生 静岡県豊岡村出身
1999年春場所入門
180cm 118kg
1999年夏場所 東序ノ口二十一枚目 3勝4敗
1999年名古屋場所 東序ノ口二十四枚目 5勝2敗
1999年秋場所 東序二段百三十八枚目 4勝3敗
1999年九州場所 東序二段百十枚目 3勝4敗
2000年初場所 西序二段百二十八枚目 3勝4敗
2000年春場所 東序二段百三十九枚目 3勝4敗
2000年夏場所 西序二段百四十二枚目 5勝2敗
2000年名古屋場所 西序二段九十三枚目 0勝3敗4休
2000年秋場所 東序ノ口十枚目 4勝3敗
2000年九州場所 東序二段百十三枚目 4勝3敗
2001年初場所 西序二段八十六枚目 5勝2敗
2001年春場所 東序二段四十六枚目 2勝5敗
2001年夏場所 西序二段六十八枚目 3勝4敗
2001年名古屋場所 西序二段八十枚目 5勝2敗
2001年秋場所 西序二段三十九枚目 4勝3敗
2001年九州場所 東序二段十八枚目 0勝2敗5休
2002年初場所 西序二段七十三枚目 公傷休場
2002年春場所 西序二段七十三枚目 5勝2敗
2002年夏場所 西序二段三十枚目 休場
2002年名古屋場所 東序二段百枚目 7月21日引退
最高位 序二段18 通算58勝52敗23休
通算出場回数 110 勝率 52.7%
野村(のむら)道広
一人でいるのが好きという、内気でおとなしい性格です。ながい間、膝の怪我に苦しん でいて、これが土俵でたいへんなハンディーになっていることはまちがいなく、名古屋場所、秋場所と連続休場、序ノ口に転落してしまい、秋場所後、引退しま した。これで、実に残念なことですが、新生陸奥部屋第一期生五人のうち、残っているのは楢橋と下迫(桜島と改名)だけになってしまいました。
序二段六十六枚目
1982年10月4日生 鹿児島県姶良町出身
1998年春場所入門
177.5cm 89kg
最高位 序二段66 通算35勝56敗14休
通算出場回数 91 勝率 38.5%
2000年秋場所後引退
一求 裕一(いっきゅう ゆういち)
序二段七十枚目負けん気で、真面目で、頭のいい青年です。軽量をものともしないで、かなりいい通算 成績をあげていたのは、お見事といえるでしょう。順番を争って稽古にはげみ、すごい懸命ぶりでした。きびしい相撲社会の中で、軽量で成果をあげ、上にあ がっていくためには、必死で稽古するしかないと考えていることが、見ているだけで読み取れるのです。
本名 宇部裕一 1983年4月9日生
青森県八戸市出身 1999年春場所入門
176cm 80.5kg
1999年夏場所 序ノ口二十二枚目 5勝2敗
1999年名古屋場所 序二段百四十四枚目 3勝4敗
1999年秋場所 序二段百五十七枚目 4勝3敗
1999年九州場所 序二段百二十九枚目 2勝5敗
2000年初場所 序ノ口五枚目 5勝2敗
2000年春場所 序二段百枚目 3勝4敗
2000年夏場所 序二段百十八枚目 4勝3敗
2000年名古屋場所 序二段九十一枚目 3勝4敗
2000年秋場所 序二段百十枚目 4勝3敗
2000年九州場所 序二段八十五枚目 2勝5敗
2001年初場所 序二段百十七枚目 5勝2敗
最高位 序二段70 通算40勝37敗
通算出場回数 77 勝率 51.9%
2001年初場所後、引退
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上山(うえやま)孝幸
序二段八十四枚目当時、親方は、新弟子の中でいちばん身体がやわらかいといっていました。テレビ番組 のなかでも、部屋の前の歩道でみごとなどんでん返しをして見せていました。茶目っ気はありましたが、勝負師としての素質が足りなかったのでしょうか。精魂 つきはてて、部屋を去って行ったのです。
1982年4月11日生
鹿児島県姶良町出身
1998年春場所入門
177cm 84.5kg
最高位 序二段84
2000年夏場所後引退
貴島 雅博(きじま まさひろ)
序二段百三枚目やせっぽちの身体で(なんと62キロの軽量だったのがこのごろやっと67キロまで 行っているらしいのですが)、デブばかりが横行している今の相撲の世界では、まことに異質な感じです。いうまでもなく、相撲界の最軽量力士はこの人です。 見るからにデリケートな性格、優しい身ごなしで、バレエとか、フィギュアスケートとか、体操などの選手にしてもおかしくないと思わせるほどです。それでも 相撲をやるというのは、本人が自分に課した試練のようなもので、なんと言われようとやりとげて見せるという心がまえがうかがえるのは、見上げたものです。 人に対しての思いやりもあり、文字通り心も強くやさしいといえます。
1982年3月23日生 埼玉県鷲宮町出身
1998年九州場所入門
174cm 62.5kg
1999年初場所 東序ノ口四十五枚目 0勝7敗
1999年春場所 東序ノ口四十枚目 0勝7敗
1999年夏場所 東序ノ口五十九枚目 3勝4敗
1999年名古屋場所 西序ノ口三十九枚目 2勝5敗
1999年秋場所 東序ノ口四十枚目 3勝4敗
1999年九州場所 西序ノ口二十九枚目 1勝6敗
2000年初場所 西序ノ口三十四枚目 3勝4敗
2000年春場所 西序ノ口二十六枚目 3勝4敗
2000年夏場所 東序二段百五十五枚目 1勝6敗
2000年名古屋場所 西序ノ口二十一枚目 4勝3敗
2000年秋場所 西序二段百三十一枚目 1勝6敗
2000年九州場所 東序ノ口二十枚目 2勝5敗
2001年初場所 東序ノ口二十三枚目 3勝4敗
2001年春場所 西序ノ口十九枚目 1勝6敗
2001年夏場所 西序ノ口七枚目 3勝4敗
2001年名古屋場所 西序ノ口十六枚目 2勝5敗
2001年秋場所 東序ノ口二十六枚目 4勝4敗
2001年九州場所 西序二段百十七枚目 1勝6敗
2002年初場所 西序ノ口十五枚目 4勝3敗
2002年春場所 西序二段百三枚目 休場
2002年夏場所 西序ノ口二十四枚目 1勝0敗6休
2002年名古屋場所 東序ノ口三十四枚目 引退
最高位 序二段103 通算42勝93敗13休
通算出場回数 135 勝率 31.1%
自分の体重ではやはり駄目かなあ、ともう2年近く迷ったあげく、とうとう辞める決意をしてしまったのです。
現代相撲の歴史で、軽量力士の一人として彼の名前は残るにちがいありません。
天心 剛 (てんしん つよし)
番付外
1988年1月7日生 鹿児島県大島郡(奄美大島)笠利町出身
本名 伊東 天心
2003年春場所入門 3月17日新弟子検査合格 新序二番出世
177cm 98,5kg
2003年夏場所 西序ノ口三十一枚目 4勝3敗
2003年名古屋場所 西序二段百七枚目 2勝4敗1休
2003年秋場所 東序ノ口十枚目 3勝4敗
2003年九州場所 東序ノ口十五枚目 3勝4敗
2004年初場所 東序ノ口十三枚目 4勝3敗
2004年春場所 西序二段九十六枚目 3勝4敗
2004年夏場所 西序二段百十一枚目 4勝3敗
2004年名古屋場所 東序二段八十二枚目 4勝3敗
2004年秋場所 東序二段五十七枚目 2勝5敗
2004年九州場所 西序二段八十五枚目 4勝3敗
2005年初場所 西序二段六十枚目 3勝4敗
2005年春場所 西序二段七十八枚目 全休
2005年夏場所 東序の口八枚目 全休
2005年名古屋場所 番付外
最高位 序二段57 通算36勝40敗15休
通算出場回数 76 勝率 47.4%
いかにも南の島の少年らしく褐色の肌、締まった体をしていて、将来有望と期待されます。2003年春場所で新序二番出世となりました。
本名「伊東天心」の下の名前をそのまましこ名とし、これに師匠の好みでもある「剛」を加えることが決まり、幕下 霧の海 剛、序二段の霧桜 剛につづいて、陸奥部屋で三人目の「剛」が登場しました。
名古屋場所のちょっと前、麻疹にかかって、場所の始めの日は休みましたけれども、三日目から出場できるように
なりました。ただし、休みがたたって、序ノ口に転落、番付の上では損をし、その後もじり貧状態がつづいています。2004年初場所では勝ち越しでした。夏
場所も、勝越しました。名古屋場所では、自己最高位になり、勝越しもしましたので、これで連続勝越しになり、本人もほっとするでしょう。入門してからいろいろ苦労はあったでしょうが、活発で素直な性格が印象的です。
残念なことに、春場所から休場が二度も続いていたので、名古屋の番付では番付外になってしまいました。
そして、七月場所限りで、退院が発表されることになります。本当に残念です。
序二段行司
本名 橋本 亮介(はしもと・りょうすけ)
1990年5月27日生 福岡県福岡市出身
2006年夏場所初土俵
2007年九州場所以降序二段行司
5月場所前辞めました。行司の仕事はすごく上手で、いろいろな人に誉められました。
原田 大輔(はらだ だいすけ)
序二段百二十三枚目
1982年10月5日生 兵庫県篠山市出身おとなしい性格で、陸奥親方にあこがれて相撲の世界に入って来た青年です。柔道の経 験があります。おとなしすぎて闘争心がないので、もともと相撲に向いているとはいえないでしょうが、少しずつ慣れて来ています。はじめの頃にくらべると、 負けがこんでくるのにどうすれば対応できるのかというこつは、だんだん身について来ているように感じます。いずれにしても、体がきゃしゃなので、勝ち進む ためには人より数倍の努力が必要であることはたしかで、それにどこまで耐えて行かれるかということが一番の問題でしょう。
2000年夏場所入門
171.5cm 79.5kg
2000年秋場所 東序ノ口三十八枚目 0勝2敗5休
2000年九州場所 西序ノ口三十六枚目 3勝4敗
2001年初場所 西序ノ口二十五枚目 3勝4敗
2001年春場所 西序ノ口二十一枚目 3勝4敗
2001年夏場所 東序二段百三十二枚目 3勝4敗
2001年名古屋場所 西序ノ口十三枚目 3勝4敗
2001年秋場所 東序ノ口十六枚目 2勝5敗
2001年九州場所 東序ノ口二十五枚目 4勝3敗
2002年初場所 東序二段百十三枚目 1勝6敗
2002年春場所 西序ノ口十五枚目 休場
2002年夏場所 番付外(引退)
最高位 序二段113 通算23勝42敗12休
通算出場回数 65 勝率 35.4%
栃谷 漢将(とちたに くにゆき)
序二段百二十九枚目始めから問題が多くて集団からはちょっと外れた存在です。はじめは体が固くて四股、 仕切もよくできなかったうえ、ひどい怪我で稽古もできない状態がつづいていました。しかし去年からは、著しい努力をしはじめたと認めるべきです。入門時に は太り過ぎだった体もだいぶ均整がとれて来て、いくらか相撲取りらしい体格になりました。今では稽古も熱心にやっているので、希望が出てきました。師匠 は、いちばん頑張っているのは栃谷だとまでいっていました。このことばは、辛いのを最も我慢しているのは栃谷という意味で受けとらなければならないので しょう。自分の成績を見て、勝ち越しにもう一歩という成績といえたのに、本人は口惜しい、頑張りたいとくり返して言っていました。めずらしく英語にも興味 を持っている一人です。
1983年9月18日生 大阪市城東区出身
1999年春場所入門
182cm 112.5kg
1999年夏場所 西序ノ口三十三枚目 0勝2敗5休
1999年名古屋場所 東序ノ口五十二枚目 0勝1敗6休
1999年秋場所 番付外
1999年九州場所 番付外
2000年初場所 東序ノ口四十二枚目 0勝7敗
2000年春場所 西序ノ口三十九枚目 2勝5敗
2000年夏場所 西序ノ口五枚目 3勝4敗
2000年名古屋場所 東序ノ口十五枚目 3勝4敗
2000年秋場所 東序ノ口二十三枚目 2勝5敗
2000年九州場所 西序ノ口三十枚目 3勝4敗
2001年初場所 西序ノ口二十三枚目 3勝4敗
2001年春場所 東序ノ口二十枚目 3勝4敗
2001年夏場所 東序二段百二十九枚目 2勝5敗
2001年名古屋場所 東序ノ口十七枚目 3勝4敗
2001年秋場所 東序ノ口十九枚目 2勝5敗
2001年九州場所 西序ノ口二十五枚目 全休
2002年初場所 番付外 全休
2002年3月27日 引退
最高位 序二段129 通算26勝54敗18休
通算出場回数 80 勝率 32.5%
菊池(きくち)光陽(こうよう)
序二段百四十三枚目『おかみさん奮闘記』など、数々のテレビ番組に主役となって出ていたことを、おぼえ ているファンが多いようです。新弟子検査のときには、規定の75キロには10キロ以上も足りなかったので、みんなで大騒ぎして食べろ食べろといい、当日は パンツの中におもりを入れた上、計量の直前まで水をがぶがぶ飲んで、やっとのことで合格したという逸話の主人公です。
1982年6月28日生
千葉県関宿町出身
1998年春場所入門
177cm 64kg
最高位 序二段143
2000年春場所後引退
霧鉄(きりてつ)悟
序二段百五十二枚目
本名 本間 悟
1982年7月21日生
愛知県出身
1998年夏場所入門
179cm 85 kg
通算 10勝11敗7休
最高位 序二段
1999年春場所後引退
新保(にいぼ)智一
序ノ口三枚目部屋では最年少で、三月に16才になったばかりでした。はじめのうちは未熟な肥満児 だったのが、30キロも減って均整がとれ、相撲の世界でやっていくには努力が必要だということもわかってきて、精神的にも成長してきました。自然であけっ ぴろげの、ごくふつうの少年で、大きな体にめぐまれていても、元来、闘うということにはあまり向いていなかったのです。2000年秋場所後、引退しまし た。
1984年3月19日生 名古屋市瑞穂区出身
1999年春場所入門
183cm 110kg 秋場所成績 休場
最高位 序ノ口3 通算15勝34敗7休
通算出場回数 56 勝率 30.6%
2000年秋場所後引退
序ノ口八枚目体重は十分だったのですが、怪我をしやすく、はじめからハンディーだらけで悩んでいました。序ノ口の上位までは行ったのですが、怪我で連敗や休場が重なり、番付外に落ちてしまい、ついに脱落しました。
本名 鈴木伸洋
1983年6月27日生
愛知県豊橋市出身
1999年春場所入門
173cm 112kg
最高位 序ノ口8
2000年初場所後引退
小林(こばやし)大輔
序ノ口三十六枚目
1983年11月4日生
福島県出身
174cm 91kg
2000年春場所入門
2000年秋場所後引退
通算1勝3敗11休
山路(やまじ)康高
序ノ口四十三枚目
1981年2月8日生
鹿児島県出身
179cm 75kg
2000年春場所入門
同場所後引退
大川(おおかわ)功
序ノ口四十七枚目
1981年10月8日生
和歌山県出身
178kg 117kg
1998年夏場所入門
名古屋場所で3勝4敗
その後引退
長山(ながやま)淳一
序ノ口四十七枚目
1982年6月27日生
鹿児島県出身
173cm 98kg
1998年名古屋場所入門
通算 1勝13敗7休
1998年末引退
アルトゥグ・ドゥラル
(Altug DURAL)
研修生アルは祖国トルコで重量挙げをやっていた頑丈な青年です。力は強く、着いたばかり に、ちゃんこ場で他の弟子たちを押し出す強さでみんなを驚かせました。また、腕立て伏せにも強く、あまり強いので連続二百回やってみろといわれたほどでし た。ただし、体の柔軟さが足りないので、始めは股割りなどはいかにも辛そうでした。四股を何度も何度もやらされるのはどうしてなのかわからなかったらし く、筋肉痛で苦しんでいました。腕の力だけでは相撲はとれないということが、間もなく分かって来たようです。
通称 アル タナカ
1980年1月1日生
トルコ国アンタリア出身
172cm 123kg
2000年12月、研修生として陸奥部屋に入る
2001年2月、辞任
倉橋 潔史(くらはし きよし)
ドライバー兼秘書陸奥親方の行くところへは、ほとんどの場合ついてまわり、呼ばれればただちに駆けつけます。私設付け人のようなもので、外部の人には相手になりませんが、親方のこととなるといつでもそこにいるといった感じです。
大阪府出身
2000年夏辞職
播谷 俊幸 (ハリヤ・トシユキ)
番付外(引退)21才で、2004年夏場所で前相撲に合格しました。筋肉質な性質は持っています が、凄く軽量な人で、デリケートに寂しそうな表情を見ると、なかなかこの環境には慣れがたい感じがします。これから、もうちょっと自信が出れば、ものも変 わるでしょうから、気を落とさないでほしいです。
1983年4月30日生 茨城県土浦市出身
2004年夏場所入門 4月27日新弟子検査合格 5月9日発表
179cm 92.5kg2004年名古屋場所 西序ノ口四十二枚目 3勝4敗
2004年秋場所 西序ノ口三十二枚目 4勝3敗
2004年九州場所 東序二段百十六枚目 1勝6敗
2005年初場所 東序ノ口二十二枚目 2勝5敗
2005年春場所 西序ノ口二十四枚目 3勝4敗
2005年夏場所 東序二段百三十枚目 1勝6敗
2005年名古屋場所 西序ノ口十八枚目 1勝0敗6休
2005年秋場所 西序ノ口三十二枚目 3勝4敗
2005年九州場所 西序ノ口二十枚目 4勝3敗
2006年初場所 東序二段百十三枚目 2勝5敗
2006年春場所 西序ノ口九枚目 休場
2006年夏場所 番付外
2006年名古屋場所 番付外
2006年秋場所 番付外
2006年九州場所 番付外
2007年初場所 番付外
2007年春場所 番付外
2007年夏場所 番付外
2007年名古屋場所 番付外
2007年秋場所 番付外最高位 序二段113 通算24勝40敗13休
通算出場回数 64 勝率 37.5%
前山 彰吾 (まえやま・しょうご)
西序ノ口三十四枚目 (引退)去年の春場所に前相撲を行って、一番出世で合格になった新弟子です。稽古のやり方を見れば、意志も力も強そうな人です。名古屋場所には6勝1敗もあげました。
1988年12月5日生 鹿児島県鹿児島市出身
2006年春場所入門 (一番出世)
189cm 112kg
2006年夏場所 西序ノ口十五枚目 4勝3敗
2006年名古屋場所 東序二段百八枚目 6勝1敗
2006年秋場所 西序二段二十八枚目 2勝5敗
2006年九州場所 西序二段五十六枚目 4勝3敗
2007年初場所 東序二段三十二枚目 1勝6敗
2007年春場所 西序二段七十三枚目 5勝2敗
2007年夏場所 西序二段三十四枚目 休場
2007年名古屋場所 西序二段百四枚目 休場
2007年秋場所 西序ノ口三十四枚目 休場最高位 序二段28 通算22勝20敗7休
通算出場回数 42 勝率 52.4%
番付外
1989年6月20日生 宮崎県出身
2005年春場所入門
174cm 108kg
2005年夏場所 西序ノ口四十六枚目 0勝7敗始めの場所は完敗してしまいましたけれども、諦めず、名古屋場所ではどうにか最初の 2勝を飾りました。九州場所にも2勝も出しました。がんばって下さい! 2006年初場所の番付でも、春場所の番付でも、自己最高位になります。成績があ まりよくないのに、がんばっています。
2005年名古屋場所 東序ノ口四十八枚目 2勝5敗
2005年秋場所 東序ノ口三十六枚目 1勝6敗
2005年九州場所 西序ノ口三十枚目 2勝5敗
2006年初場所 東序ノ口二十八枚目 1勝6敗
2006年春場所 東序ノ口二十七枚目 2勝5敗
2006年夏場所 東序ノ口七枚目 2勝5敗
2006年名古屋場所 西序ノ口二十三枚目 3勝4敗
2006年秋場所 東序ノ口二十四枚目 2勝5敗
2006年九州場所 西序ノ口二十五枚目 2勝5敗
2007年初場所 東序ノ口二十二枚目 2勝5敗
2007年春場所 西序ノ口二十二枚目 1勝6敗
2007年夏場所 東序ノ口六枚目 0勝7敗
2007年名古屋場所 西序ノ口四十枚目 3勝4敗
2007年秋場所 東序ノ口二十九枚目 4勝3敗
2007年九州場所 東序二段百十六枚目 1勝6敗
2008年初場所 西序ノ口十七枚目 3勝4敗
2008年春場所 東序ノ口九枚目 0勝7敗
2008年夏場所 東序ノ口四十一枚目 休場
2008年名古屋場所 番付外最高位 序二段116 通算31勝95敗7休
通算出場回数 126 勝率 24.6%
平成20年名古屋場所後引退
阿部 健一郎 (あべ・けんいちろう)
東序ノ口七枚目
前相撲(2勝1敗)
1989年5月23日生 宮崎県新富町出身
2008年春場所入門(第二検査) 二番出世
169cm 116kg
2008年夏場所 東序ノ口二十二枚目 5勝2敗
2008年名古屋場所 西序二段九十九枚目 1勝4敗2休 (4敗中、1敗は不戦敗)
2008年秋場所 東序ノ口七枚目 休場最高位 序二段99 通算6勝5敗3休
通算出場回数 11 勝率 54.5%
感じのいい、ちょっとシャイな人。部屋の生活にはまだ慣れないので、大変のようです。夏場所にはこんないい成績だったのに、名古屋には番付をあげ過ぎて、大変なことになってしまいました。ストレスを我慢できず、引退してしまったのです。残念に。
2008年10月1日 引退発表
東 勇磨 (ひがし・ゆうま) 改め霧東 (きりあずま)
番付外 (引退)
1991年12月26日生 熊本県熊本市出身
2007年春場所入門
171cm 130kg
2007年夏場所 東序ノ口四十二枚目 休場
2007年名古屋場所 番付外
2007年秋場所 番付外場所に姿を一度も見せないで辞めた人で、引退は9月26日に発表されました。
奥貫 貴喜 (おくぬき・たかよし)
番付外 (引退)
1991年9月29日生 千葉県千葉市出身
2007年春場所入門
182cm 124kg
2007年夏場所 西序ノ口三十二枚目 休場
2007年名古屋場所 番付外
2007年秋場所 番付外引退は2007年11月28日に発表されました。