故旧忘れ得べき

オールドメンバーたち
 


   
 
 
 

 多数の方々の御要望に答えるため、過去に陸奥部屋に入門して、数々の思い出を残していった、なつかしい人たちのことをしのび、このページを作りました。(順序は到達した最高位順です。)
 また、陸奥部屋ニュースは、2000年5-6月から始めたものですが、やや古くなったニュースについてのお問い合わせが意外に多いので、別ページにしました。
 

(2017年12月30日更新)

 
        
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2016年の引退



霧乃華
 (きりのはな)
有島 正樹 (ありしま・まさき)改め
西三段目四枚目
1990年9月27日生 鹿児島県鹿屋市出身
2012年名古屋場所入門
184cm 125kg 

2012年秋場所   西序ノ口十九枚目   全休
2012年九州場所  番付外
2013年初場所   東序ノ口十五枚目  6勝1敗
2013年春場所   東序二段二十五枚目 4勝3敗
2013年夏場所   西序二段三枚目   3勝4敗
2013年名古屋場所 東序二段二十三枚目 6勝1敗
2013年秋場所   西三段目六十一枚目 3勝4敗
2013年九州場所  西三段目七十六枚目 3勝4敗
2014年初場所   東三段目九十一枚目 5勝2敗
2014年春場所   西三段目五十五枚目 5勝2敗
2014年夏場所   西三段目二十八枚目 3勝4敗
2014年名古屋場所 西三段目四十四枚目 5勝2敗
2014年秋場所   東三段目十六枚目  3勝4敗
2014年九州場所  西三段目三十三枚目 3勝4敗
2015年初場所   東三段目五十一枚目 5勝2敗
2015年春場所   西序二段二十五枚目 3勝4敗
2015年春場所   西三段目二十一枚目 2勝5敗
2015年夏場所   西三段目五十四枚目 6勝1敗
2015年名古屋場所 西三段目三枚目   2勝5敗
2015年秋場所   西三段目二十五枚目 3勝4敗
2015年九州場所  西三段目四十五枚目 4勝3敗
2016年初場所   西三段目二十九枚目 5勝2敗
2016年春場所   西三段目四枚目   全休 (引退)
 


最高位 三段目3  通算76勝57敗  7休
通算出場回数 133    勝率 57.1 %


2016年3月30日付けでの相撲協会によりの引退発表





竹内 健悟(たけうち・けんご)
 

西序ノ口二十枚目
1998年9月8日生 宮崎県宮崎市
2016年夏場所入門
182 cm 97 kg 



2016年名古屋場所 西序ノ口二十七枚目   1勝1敗5休(1敗は不戦敗)
2016年秋場所   西序ノ口二十枚目    全休
 


        秋場所後 引退発表 














2015年の引退








 土佐 幸司(とさ こうじ)
肥後錦 幸司(2002年初場所から、2003年秋場所まで)
西序二段十九枚目
本名 土佐孝司   2002年初場所から 肥後錦幸司、2003年九州場所から 土佐に戻る
1980年7月18日生  熊本県菊池郡菊陽町出身
1999年春場所入門
175cm 149.5kg
1999年夏場所   東序ノ口二十枚目   5勝2敗
1999年名古屋場所 東序二段百四十二枚目 6勝1敗
1999年秋場所   西序二段六十枚目   4勝3敗
1999年九州場所  東序二段三十六枚目  2勝5敗
2000年初場所   西序二段六十二枚目  3勝4敗
2000年春場所   東序二段八十一枚目  5勝2敗
2000年夏場所   東序二段三十七枚目  4勝3敗
2000年名古屋場所 西序二段十七枚目   2勝5敗
2000年秋場所   東序二段四十七枚目  2勝5敗
2000年九州場所  西序二段七十三枚目  6勝1敗
2001年初場所   東序二段四枚目    3勝4敗
2001年春場所   西序二段五十九枚目  3勝4敗
2001年夏場所   西序二段三十六枚目  5勝2敗
2001年名古屋場所 東三段目九十九枚目  6勝1敗
2001年秋場所   東三段目三十八枚目  1勝6敗
2001年九州場所  東三段目七十三枚目  2勝5敗
2002年初場所   東序二段三枚目    2勝5敗
2002年春場所   東序二段三十七枚目  3勝4敗
2002年夏場所   西序二段五十四枚目  5勝2敗
2002年名古屋場所 西序二段十四枚目   3勝4敗
2002年秋場所   東序二段三十五枚目  4勝3敗
2002年九州場所  西序二段十二枚目   6勝1敗
2003年初場所   西三段目五十枚目   3勝4敗
2003年春場所   東三段目七十一枚目  1勝6敗
2003年夏場所   西序二段十枚目    2勝5敗
2003年名古屋場所 東序二段四十三枚目  4勝3敗
2003年秋場所   西序二段十八枚目   3勝4敗
2003年九州場所  西序二段四十一枚目  5勝2敗
2004年初場所   東三段目百枚目    2勝5敗
2004年春場所   東序二段二十四枚目  4勝3敗
2004年夏場所   西序二段五枚目    4勝3敗
2004年名古屋場所 東三段目八十六枚目  4勝3敗
2004年秋場所   東三段目六十七枚目  2勝5敗
2004年九州場所  東三段目八十八枚目  3勝4敗
2005年初場所   西序二段三枚目    5勝2敗
2005年春場所   東三段目六十四枚目  2勝5敗
2005年夏場所   西三段目八十七枚目  3勝4敗
2005年名古屋場所 西序二段五枚目    4勝3敗
2005年秋場所   西三段目八十六枚目  1勝6敗
2005年九州場所  西序二段二十枚目   2勝5敗
2006年初場所   東序二段五十四枚目  5勝2敗
2006年春場所   東序二段十四枚目   休場
2006年夏場所   東序二段八十五枚目  4勝3敗
2006年名古屋場所 西序二段五十六枚目  5勝2敗
2006年秋場所   西序二段十六枚目   2勝5敗
2006年九州場所  西序二段五十枚目   3勝4敗
2007年初場所   東序二段七十三枚目  4勝3敗
2007年春場所   西序二段四十七枚目  3勝4敗
2007年夏場所   西序二段六十七枚目  5勝2敗  
2007年名古屋場所 西序二段二十七枚目  4勝3敗
2007年秋場所   西序二段七枚目    4勝3敗
2007年九州場所  西三段目八十七枚目  4勝3敗
2008年初場所   西三段目六十九枚目  2勝5敗
2008年春場所   西三段目九十枚目   3勝4敗
2008年夏場所   東序二段七枚目    4勝3敗
2008年名古屋場所 東三段目八十八枚目  3勝4敗   
2008年秋場所   西序二段三枚目    5勝2敗
2008年九州場所  東三段目六十六枚目  5勝2敗
2009年初場所   東三段目三十八枚目  2勝5敗
2009年春場所   西三段目五十九枚目  4勝3敗  
2009年夏場所   西三段目三十九枚目  2勝5敗
2009年名古屋場所 西三段目六十五枚目  全休(ただし、初日は不戦敗)
2009年秋場所   西序二段二十五枚目  休場
2009年九州場所  西序二段八十五枚目  6勝1敗
2010年初場所   西序二段九枚目     4勝3敗
2010年春場所   西三段目八十八枚目  4勝3敗
2010年夏場所   東三段目七十一枚目  2勝5敗
2010年名古屋場所 東三段目九十八枚目  2勝3敗2休 (3敗中、1敗は不戦敗)
2010年秋場所   東序二段三十枚目   4勝3敗
2010年九州場所  東序二段八枚目      休場
2011年初場所   東序二段七十九枚目  休場
2011年夏場所   西序ノ口十八枚目   1勝0敗6休
2011年名古屋場所 東序二段百八枚目   5勝2敗
2011年秋場所   西序二段五十六枚目  5勝2敗
2011年九州場所  西序二段十六枚目     3勝4敗
2012年初場所   西序二段三十八枚目  4勝3敗
2012年春場所   東序二段十七枚目   3勝4敗
2012年夏場所   西序二段四十二枚目  6勝1敗
2012年名古屋場所 東三段目七十六枚目  1勝6敗
2012年秋場所   東序二段十四枚目   3勝4敗
2012年九州場所  東序二段三十三枚目  3勝4敗
2013年初場所   東序二段六十一枚目  4勝3敗
2013年春場所   西序二段二十九枚目  3勝4敗
2013年夏場所   東序二段五十七枚目  5勝2敗
2013年名古屋場所 東序二段十八枚目   3勝4敗
2013年秋場所   西序二段四十枚目   3勝4敗
2013年九州場所  西序二段六十四枚目  4勝3敗
2014年初場所   西序二段三十八枚目  4勝3敗
2014年春場所   西序二段十四枚目   5勝2敗
2014年夏場所   西三段目八十三枚目  1勝6敗
2014年名古屋場所 東序二段二十二枚目  1勝6敗
2014年秋場所   東序二段六十九枚目  4勝3敗
2014年九州場所  東序二段四十三枚目  4勝3敗
2015年初場所   西序二段十九枚目   全休

最高位 三段目37  通算306勝302敗44休
通算出場回数 607  勝率 50.4%

  2015年初場所後、16年間の相撲人生を経て、引退しました。
断髪式は部屋で、1月10日でした。




                                                                                                                                                                                               

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八藤 新悟 (やとう・しんご)

東序ノ口十五枚目
1995年7月24日生 鹿児島県鹿屋市出身
2013年夏場所入門
169cm 77 kg 


2013年名古屋場所 西序ノ口二十二枚目   2勝5敗
2013年秋場所   東序ノ口十三枚目    3勝4敗
2013年九州場所  東序ノ口十一枚目    4勝3敗
2014年初場所   西序二段六十八枚目  2勝5敗
2014年春場所   西序二段八十三枚目  2勝5敗
2014年夏場所   東序二段九十四枚目  3勝4敗
2014年名古屋場所 東序二段九十七枚目  4勝3敗
2014年秋場所   西序二段六十三枚目  3勝4敗
2014年九州場所  西序二段八十三枚目  2勝5敗
2015年初場所   東序二段九十七枚目  全休
2015年春場所   東序ノ口十五枚目   全休


最高位 序二段63  通算25勝38敗14休
通算出場回数 63    勝率 40%


  3月25日、引退発表

註 この人は4日目の前相撲の際、西馬戦で指し違いで黒星の対象になりました。とてもはっきりした勝負でしたため、行司はすぐ八藤の方に軍配をあげましたけれども、審判長に逆方向にあげさせるように合図を受けました。
残念なことでした。



                                                                                                                                                                                               





2014年の引退





 
式守一之助  (いちのすけ)

行司

本名 加藤 萌夢
1997年1月25日生 愛知県名古屋市出身
2012年夏場所、式守一(はじめ)として入門
2013年初場所から、一(はじめ)から一之助と改名
 
 


2014年初場所後、引退
 




 
2013年の引退





日向龍 (ひゅうがりゅう)
金井 武志 (かない・たけし)改め
西序ノ口三枚目
1988年1月27日生 宮崎県日向市出身
2005年名古屋場所入門 
178cm 111.6kg  
  
2005年秋場所   西序ノ口四十二枚目  3勝4敗
2005年九州場所  東序ノ口二十四枚目  1勝6敗
2006年初場所   東序ノ口三十枚目   2勝5敗
2006年春場所   西序ノ口二十四枚目  休場
2006年夏場所   番付外
2006年名古屋場所 番付外
2006年秋場所   番付外
2006年九州場所  番付外(前相撲)
2007年初場所   東序ノ口三十四枚目  1勝6敗
2007年春場所   西序ノ口二十六枚目  2勝5敗
2007年夏場所   西序ノ口四枚目    3勝4敗
2007年名古屋場所 西序ノ口九枚目    2勝5敗
2007年秋場所   東序ノ口二十一枚目  3勝4敗
2007年九州場所  東序ノ口十六枚目   2勝5敗
2008年初場所   東序ノ口二十三枚目  4勝3敗
2008年春場所   西序二段百枚目    2勝5敗
2008年夏場所   東序二段百二十枚目  2勝5敗   
2008年名古屋場所 東序ノ口八枚目    4勝3敗 
2008年秋場所   東序二段百五枚目   1勝6敗
2008年九州場所  東序ノ口六枚目    1勝6敗
2009年初場所   東序ノ口二十枚目   4勝3敗
2009年春場所   東序二段九十四枚目  3勝4敗 
2009年夏場所   東序二段百十二枚目  3勝4敗
2009年名古屋場所 西序二段百二十一枚目 4勝3敗
2009年秋場所   東序二段八十七枚目  2勝3敗2休(3敗中、1敗は不戦敗)
2009年九州場所  西序二段百十枚目   2勝5敗
2010年初場所   西序ノ口七枚目     5勝2敗
2010年春場所   東序二段七十二枚目  0勝7敗
2010年夏場所   西序ノ口五枚目    4勝3敗
2010年名古屋場所 東序二段九十三枚目  2勝5敗
2010年秋場所   東序二段百二十枚目  4勝3敗
2010年九州場所  西序二段八十五枚目   3勝4敗
2011年初場所   東序二段百四枚目   3勝4敗
2011年夏場所   東序二段百七枚目   2勝5敗
2011年名古屋場所 西序二段九十九枚目  4勝3敗
2011年秋場所   東序二段六十六枚目  2勝5敗 
2011年九州場所  西序二段八十九枚目   3勝4敗
2012年初場所   東序二段九十二枚目  0勝1敗6休 (初日の1敗は不戦敗)
2012年春場所   東序ノ口十三枚目   4勝3敗
2012年夏場所   西序二段七十一枚目  3勝4敗
2012年名古屋場所 東序二段九十枚目   3勝4敗
2012年秋場所   東序二段九十九枚目  4勝3敗
2012年九州場所  東序二段六十一枚目  3勝4敗
2013年初場所   西序二段七十九枚目  3勝4敗
2013年春場所   東序二段七十七枚目  全休
2013年夏場所   西序ノ口三枚目    全休



5月29日、引退発表

最高位 序二段61  通算103勝162敗24休 

通算出場回数 263 勝率 39.2% 
 

  2006年春場所には、病気のために休場することになりました。それで夏場所からすぐ番付外になってしまいました。
  九州場所にまた前相撲で始まり、2007年初場所の番付にまた出ました。
  2008初場所、十場所目で、初の勝越、おめでとうございます!春場所の番付には初めて序二段に上がります。
  名古屋場所の勝越は、今年二番目の勝越になりますので、前と比べてかなりの向上が見えます!右の耳も相当につぶれてしまい、稽古の激しさを暗示させています。
  秋場所と九州場所の成績を見ると、自分の普通の成績よりかなりの差があります。怪我をしているのかもわかりません。もしかすると、秋場所の始めに頭と背中で土俵の下に落ちた時に(うっちゃりのような動きで対戦相手にも追われて)大怪我をしたのかもしれません。
  2009年春場所の番付には、自己最高位になります。 秋場所にも自己最高位です。
  2010年初場所は初めての5勝という成績をあげました。努力をすればやはり成績が出ますね!嬉しいでしょう!おめでとうございます!
  春場所は、やはり家賃が高かすぎたですね!来場所がんばって!
  秋場所の勝ち越しでは、今年5場所中、三回目の勝ち越しです。
  2011年五月から日向龍と改名しました。



霧虎 雅仁 (きりとら)
小林 雅仁 (こばやし・まさひと))改め東三段目二十四枚目
1993年3月23日生 山梨県甲府市出身
2008年春場所入門(3番出世)
177cm 116.5kg 

2008年夏場所   東序ノ口四十二枚目   5勝2敗   
2008年名古屋場所 東序二段百十三枚目   4勝3敗   
2008年秋場所   西序二段八十五枚目   1勝6敗
2008年九州場所  東序二段百十六枚目   2勝5敗
2009年初場所   東序ノ口六枚目     3勝4敗
2009年春場所   東序ノ口四枚目     5勝2敗
2009年夏場所   東序二段七十四枚目   2勝5敗
2009年名古屋場所 東序二段百六枚目    3勝4敗
2009年秋場所   西序二段百十九枚目   4勝3敗
2009年九州場所  西序二段八十二枚目   4勝3敗
2010年初場所   東序二段五十五枚目    5勝2敗
2010年春場所   西序二段十五枚目    3勝4敗
2010年夏場所   東序二段三十六枚目   3勝4敗
2010年名古屋場所 西序二段五十三枚目   5勝2敗
2010年秋場所   西序二段十五枚目    3勝4敗
2010年九州場所  西序二段四十枚目     4勝3敗
2011年初場所   東序二段十八枚目    3勝4敗
2011年夏場所   西序二段四十枚目    4勝3敗
2011年名古屋場所 西序二段九枚目     6勝1敗
2011年秋場所   東三段目四十六枚目   3勝4敗
2011年九州場所  西三段目六十三枚目    5勝2敗
2012年初場所   西三段目三十七枚目   1勝6敗
2012年春場所   東三段目八十枚目    4勝3敗
2012年夏場所   東三段目六十五枚目   3勝4敗
2012年名古屋場所 西三段目八十一枚目   6勝1敗
2012年秋場所   東三段目二十四枚目    全休
2012年九州場所  西三段目八十四枚目    全休
2013年初場所   東序二段四十五枚目    全休

最高位 三段目24 通算91勝84敗21休
通算出場回数 175    勝率 52 %
 
  初場所後、引退発表

2009年秋場所からしこ名を霧虎に変えました。

2011年名古屋場所には、自己最高位になります。 場所の優れた結果で、秋場所、三段目昇進、なんと六十三枚も上がっています。上がったわりを考えていると、勝ち越しまでいかなくても、満足できる成績を果たしたのではないかと言えるのではないでしょうか。

2012初場所の番付では、三段目三十七枚目で、自己最高位です。 秋場所の番付では、三段目二十四枚目で、自己最高位になりました。







朝野 龍矢 (あさの・りゅうや)

西序二段四十八枚目
1991年6月28日生 鹿児島県垂水市出身
2013年春場所入門
178cm 120kg 


2013年夏場所   東序ノ口十五枚目     4勝3敗
2013年名古屋場所 東序二段七十三枚目    2勝5敗
2013年秋場所   西序二段九十一枚目    5勝2敗
2013年九州場所  西序二段四十八枚目    全休


11月27日づけ、引退発表

最高位 序二段48  通算11勝10敗
通算出場回数 21    勝率 52.4 %
 
 


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2012年の引退



 琉鵬 政吉(りゅうほう まさよし)
ー 2005年九月から、下の名前を正吉(まさよし)と改名。2007年8月から下の名前を政吉と改名。
本名 浦崎桂助
1977年6月18日生  沖縄県中頭郡中城村出身
1993年春場所初土俵
2002年九州場所新十両
2006年秋場所新入幕
184cm 144kg
2000年秋場所   東幕下四十枚目  5勝2敗
2000年九州場所  東幕下二十一枚目 4勝3敗
2001年初場所   西幕下十六枚目  3勝4敗
2001年春場所   西幕下二十六枚目 3勝4敗
2001年夏場所   東幕下三十四枚目 3勝4敗
2001年名古屋場所 西幕下四十三枚目 5勝2敗
2001年秋場所   西幕下二十七枚目 4勝3敗
2001年九州場所  東幕下二十四枚目 2勝5敗
2002年初場所   西幕下三十九枚目 4勝3敗
2002年春場所   東幕下三十四枚目 5勝2敗
2002年夏場所   東幕下十九枚目  4勝3敗
2002年名古屋場所 東幕下十三枚目  6勝1敗(幕下優勝 決定戦に参加)
2002年秋場所   東幕下二枚目   4勝3敗
2002年九州場所  西十両十一枚目  5勝10敗
2003年初場所   西幕下四枚目   2勝5敗
2003年春場所   西幕下十九枚目  6勝1敗
2003年夏場所   東幕下七枚目   3勝4敗
2003年名古屋場所 東幕下十二枚目  3勝4敗
2003年秋場所   東幕下二十枚目  5勝2敗
2003年九州場所  東幕下十一枚目  4勝3敗
2004年初場所   東幕下六枚目   3勝4敗
2004年春場所   西幕下十三枚目  3勝4敗
2004年夏場所   西幕下二十一枚目 3勝4敗
2004年名古屋場所 西幕下二十七枚目 4勝3敗
2004年秋場所   西幕下二十一枚目 5勝2敗
2004年九州場所  東幕下十三枚目  2勝5敗
2005年初場所   東幕下二十五枚目 6勝1敗
2005年春場所   東幕下十枚目   3勝4敗
2005年夏場所   東幕下十五枚目  5勝2敗
2005年名古屋場所 東幕下五枚目   5勝2敗
2005年秋場所   東十両十三枚目  7勝8敗
2005年九州場所  西十両十三枚目  8勝7敗
2006年初場所   東十両八枚目   11勝4敗
2006年春場所   東十両筆頭    5勝10敗
2006年夏場所   西十両五枚目   9勝6敗
2006年名古屋場所 東十両筆頭前頭  8勝7敗
2006年秋場所   東前頭十六枚目  4勝11敗
2006年九州場所  東十両五枚目   7勝8敗  
2007年初場所   西十両五枚目   7勝8敗
2007年春場所   西十両七枚目   8勝7敗
2007年夏場所   西十両四枚目   4勝11敗
2007年名古屋場所 西十両十一枚目  6勝9敗
2007年秋場所   西十両十四枚目  5勝10敗
2007年九州場所  東幕下三枚目   3勝4敗
2008年初場所   東幕下八枚目   4勝3敗
2008年春場所   西幕下五枚目   4勝3敗 
2008年夏場所   西幕下三枚目   4勝3敗   
2008年名古屋場所 東幕下二枚目   2勝5敗  
2008年秋場所   西幕下十一枚目  2勝5敗  
2008年九州場所  東幕下二十五枚目 3勝4敗
2009年初場所   西幕下三十五枚目 5勝2敗
2009年春場所   西幕下二十一枚目 4勝3敗
2009年夏場所   東幕下十五枚目  4勝3敗
2009年名古屋場所 西幕下十枚目   4勝3敗
2009年秋場所   東幕下六枚目   5勝2敗
2009年九州場所  西幕下三枚目   4勝3敗
2010年初場所   東幕下二枚目    2勝5敗
2010年春場所   東幕下八枚目   5勝2敗
2010年夏場所   西幕下三枚目   2勝5敗
2010年名古屋場所 西幕下十一枚目  6勝1敗
2010年秋場所   東十両十四枚目  7勝8敗
2010年九州場所  西十両十四枚目   4勝11敗
2011年初場所   東幕下七枚目   3勝4敗
2011年夏場所   東幕下十五枚目  1勝5敗1休(5敗中は不戦敗1をふくむ)
2011年名古屋場所 西幕下二十九枚目  休場
2011年秋場所   西三段目七枚目   休場
2011年九州場所  西三段目六十七枚目 休場
2012年初場所   東序二段二十八枚目 休場
2012年春場所   西序二段九十八枚目 休場
2012年夏場所   西序ノ口四枚目   休場

最高位 前頭16     通算444勝426敗56休
通算出場回数 870   勝率 51%
得意技 左四つ、寄り
新十両 琉鵬
・「日本相撲協会ページでの情報


6月12日、引退発表

10月1日断髪式 結婚披露宴兼ねる


 見るからに真面目で、考え深そうな人です。よく眉をちょっとしかめているのが印象的です。自分で話すよりも相手の話をよく聴いているようで、常識にあふれた人格なのが眼に見えます。昔は沖縄の海で素潜りが得意だったという、根っからの琉球人です。

 なお、雑誌大相撲の2001年10月号に、琉鵬についてのくわしい紹介記事(幕下訪問欄の全ページ記事、筆者は向井太)が出ています。

  琉鵬の新十両昇進は、2002年10月25日、相撲協会から公表されました。同日発表になった十両昇進者は計五名ですが、他の四名は再昇進なので、新十両は琉鵬ひとりです。沖縄県出身では、四人目の関取です。
 相撲人生の中で一番うれしいのは、十両になった時だと、親方も自分の本で述べています。それまで無給だったの が正式に給料が出るようになり、大部屋生活を脱して個室が与えられ、付け人に身の回りの世話をしてもらえるし、公式の場では化粧まわし、大銀杏が許される など、力士生活のすべてが変るわけです。本人と家族もさぞ嬉しいことでしょうが、新生陸奥部屋としてもはじめての新十両です。郷里では、大変な盛り上がり ぶりで、11月1日に開かれた激励会には、六百人以上の人が参加しました。
 2005年夏、名古屋場所の好成績が続いて、やっと三年ぶり帰り十両が実現できました。九州場所では、めでたく十両で始めて勝ち越せました。
 2006年秋場所には新入幕に上がりました。怪我というか、緊張感というか、秋場所は負越しましたけれども、いい相撲を取りました。
 2007年夏場所の番付では、部屋の最上位の力士でした。その後、怪我で成績が落ちて、九州場所に幕下に陥落してしまいました。幕下で取る力士じゃないと親方が言っていますから、一時的な陥落に過ぎないですから頑張って下さい。
 2008年前半は三場所連続の勝越しでしたが、後半はまた悪循環になってしまいました。もうちょっとですね。
 ただ一番違いでの負越し(三勝四敗)で、10枚以上の陥落は考えられるのでしょうか?
 今年、6場所も
ずっと連続勝ち越しても、(秋場所で5勝2敗の成績もあげたのに)、まだ関取復帰が後回しになってしまいました。
 2010年初場所には、せっかく東2枚目まで回復したのに、8場所ぶりの負け越しだけではなく、大負け越しになってしまって。悔しいでしょうね!
 2010年名古屋場所、6勝1敗の成績を獲て、秋場所、十両返りになるとの発表がありました。三年ぶり!おめでとう!

 膝の怪我で、2011年8月中手術を受けましたが、名古屋、秋、九州場所と連続休場になってしまいました。12月現在、1年で、十両から、序二段までに落ちてしまいました。
 

 琉鵬の簡単な紹介記事が「注目力士各段ピンナップ」(緒方喜治)として大相撲2003年11月号に掲載されています。
 琉鵬の新入幕の際に、2006年10月号の「相撲」も「大相撲」も琉鵬の写真を出しています。
 

ファンのブログ 美ら島のヒーロー@琉鵬ブログ
2006年、靖国神社にて






 山竜 将太朗(やまりゅう しょうたろう) 
元 山竜将太 (2001年7月から将太朗と改める)
本名 山本竜太
1981年3月15日生  東京都江戸川区西葛西出身
1996年春場所初土俵
179.5cm 115kg
2000年秋場所   西序二段六枚目   4勝3敗
2000年九州場所  東三段目八十八枚目 4勝3敗
2001年初場所   西三段目六十九枚目 2勝5敗
2001年春場所   西三段目九十六枚目 1勝6敗
2001年夏場所   西序二段二十九枚目 5勝2敗
2001年名古屋場所 東三段目九十五枚目 6勝1敗
2001年秋場所   東三段目三十五枚目 3勝4敗
2001年九州場所  東三段目五十三枚目 3勝4敗
2002年初場所   東三段目七十枚目  3勝4敗
2002年春場所   西三段目八十七枚目 4勝3敗
2002年夏場所   西三段目六十八枚目 2勝5敗
2002年名古屋場所 東三段目八十六枚目 5勝2敗
2002年秋場所   西三段目五十三枚目 4勝3敗
2002年九州場所  西三段目三十九枚目 1勝6敗
2003年初場所   西三段目七十五枚目 3勝4敗
2003年春場所   東三段目九十四枚目 0勝1不戦敗6休
2003年夏場所   西序二段五十四枚目 全休
2003年名古屋場所 西序ノ口四枚目   6勝1敗
2003年秋場所   西序二段四十一枚目 4勝3敗
2003年九州場所  西序二段十七枚目  6勝1敗
2004年初場所   西三段目五十三枚目 3勝4敗
2004年春場所   東三段目六十六枚目 4勝3敗
2004年夏場所   西三段目四十八枚目 3勝4敗
2004年名古屋場所 西三段目六十二枚目 4勝3敗
2004年秋場所   西三段目四十五枚目 全休
2004年九州場所  西序二段五枚目   4勝3敗
2005年初場所   東三段目八十七枚目 5勝2敗
2005年春場所   東三段目五十五枚目 2勝5敗
2005年夏場所   東三段目八十三枚目 3勝4敗
2005年名古屋場所 東三段目九十六枚目 4勝3敗
2005年秋場所   東三段目七十九枚目 4勝3敗
2005年九州場所  東三段目六十一枚目 4勝3敗
2006年初場所   東三段目四十七   3勝4敗
2006年春場所   東三段目六十一   1勝6敗
2006年夏場所   西三段目九十五枚目 4勝3敗
2006年名古屋場所 東三段目七十六枚目 1勝6敗
2006年秋場所   東序二段十二枚目  3勝4敗
2006年九州場所  西序二段三十三枚目 2勝5敗
2007年初場所   東序二段六十六枚目 4勝3敗
2007年春場所   西序二段四十一枚目 3勝4敗
2007年夏場所   東序二段五十九枚目 5勝2敗  
2007年名古屋場所 東序二段十七枚目  2勝5敗
2007年秋場所   東序二段四十九枚目 3勝4敗
2007年九州場所  東序二段六十八枚目 4勝3敗
2008年初場所   東序二段四十枚目  4勝3敗
2008年春場所   東序二段十六枚目  4勝3敗  
2008年夏場所   西三段目九十七枚目 3勝4敗   
2008年名古屋場所 西序二段十六枚目  2勝5敗   
2008年秋場所   西序二段四十九枚目 3勝4敗  
2008年九州場所  東序二段七十一枚目 6勝1敗
2009年初場所   東序二段筆頭    3勝4敗
2009年春場所   西序二段二十二枚目 6勝1敗  
2009年夏場所   東三段目五十九枚目 3勝4敗
2009年名古屋場所 西三段目七十四枚目 2勝3敗2休
2009年秋場所   西三段目九十九枚目 4勝3敗
2009年九州場所  西三段目七十九枚目 2勝5敗   
2010年初場所   西序二段八枚目    2勝5敗
2010年春場所   東序二段三十九枚目 5勝2敗
2010年夏場所   西序二段二枚目   4勝3敗
2010年名古屋場所 東三段目八十四枚目 3勝4敗
2010年秋場所   西三段目九十九枚目  2勝5敗
2010年九州場所  西序二段三十枚目   2勝5敗
2011年初場所   西序二段六十七枚目 6勝1敗
2011年夏場所   西三段目九十六枚目 4勝3敗
2011年名古屋場所 東三段目六十七枚目 2勝5敗
2011年秋場所   東三段目九十二枚目 2勝5敗
2011年九州場所  東序二段十九枚目   3勝4敗
2012年初場所   西序二段四十一枚目 3勝4敗
2012年春場所   東序二段六十四枚目 6勝1敗
2012年夏場所   西三段目九十六枚目 3勝4敗
2012年名古屋場所 東序二段十一枚目  3勝4敗
2012年秋場所   東序二段三十四枚目 全休

最高位 三段目35  通算318勝339敗30休
通算出場回数 656  勝率 48.5%


9月26日、引退発表


 もの柔らかで、あまり目立ちたがらない人です。口数が少なく、静かで落ち着いていて、進んで他人の役に立ちます。英語を少ししゃべるのは部屋では珍しいことです。
 この人も、左の膝の怪我のため、2001年初場所から春場所までは負けが続き、序二段に転落しましたが、夏場 所では本来の実力を発揮して期待にこたえ、みごとに五勝二敗の好成績をあげ、三段目に復帰しました。また、つづく名古屋場所でも、六勝一敗と大勝ちし、秋 場所番付では自己最高位を大きく更新することになりました。しかしその後、2002年初場所まで三勝四敗の負け越しが続き、その間の番付運が悪く、合計で なんと五十二枚も番付を下げられてしまいました。それからも一進一退の状況が続いていました。

 運の悪いことに、左目の網膜剥離で手術を受け、加療中、休場して、序ノ口まで落ちてしまいましたけれども、徐々 に三段目復帰がかないました。2004年に入ると、一歩進み、一歩後退で、やや停滞気味です。秋場所前、また目が悪くなってしまって、場所を休むことがや むを得なくなりました。せっかく、手術を受けてから、順調にまた自己最高位に近いところまで、番付を上げたのに、九州場所にはまた序二段へ陥落してしまい ました。目の状態があまりよくないまま、ちゃんとがんばって場所に出ました。
 一年経って、2005年の九州場所では三回連続の勝越で、合計今年四回目の勝越ですけれども、まだ元の番付には戻れません。
 残念なことに、2006年は調子が悪そうで、特に春場所と名古屋場所が見苦しい様子です。二年ぶり序二段に陥落しても勝越せませんでした。
 2008年夏場所、2年ぶり三段目に帰りました。
 この頃、部屋のちゃんこ番に熱心に務めています。大好きな仕事だそうです。お料理にかなりの自信も出て来たようです。ですが、ちゃんこ番だと稽古もそれほどできなくなってしまうのです。
 九州場所の六勝一敗おめでとう!本当は強い人ですけれども、自信、または気合い?が足りないので、本当な強さから見れば、番付が200枚ぐらい下になりますので、残念です。















2011年、無惨な一年




 豊桜 俊昭(とよざくら としあき)
東前頭十七枚目 
嘉人(とよざくら よしひと)から、2003年7月、保勝と改名、2007年1月から俊昭と改名
本名  向 俊明
1974年3月12日生  広島市安佐北区可部出身
1989年春場所初土俵
1998年秋場所新十両
2003年九州場所新入幕
183cm 134kg
2000年秋場所   西幕下筆頭   5勝2敗
2000年九州場所  西十両九枚目  8勝7敗
2001年初場所   西十両七枚目  5勝10敗
2001年春場所   西十両十一枚目 1勝3敗11休(3敗は不戦敗1をふくむ)
2001年夏場所   西幕下九枚目  公傷休場
2001年名古屋場所 西幕下九枚目  5勝2敗
2001年秋場所   東幕下四枚目  4勝3敗
2001年九州場所  西幕下二枚目  3勝4敗
2002年初場所   西幕下六枚目  3勝4敗
2002年春場所   西幕下十二枚目 6勝1敗
2002年夏場所   東幕下二枚目  7勝0敗  全勝で幕下優勝
2002年名古屋場所 東十両八枚目  5勝10敗 
2002年秋場所   東十両十二枚目  11勝4敗
2002年九州場所  西十両六枚目  7勝8敗
2003年初場所   西十両八枚目  4勝11敗
2003年春場所   東幕下二枚目  5勝2敗
2003年夏場所   東十両十二枚目 9勝6敗
2003年名古屋場所 西十両五枚目  9勝6敗
2003年秋場所   西十両二枚目   10勝5敗
2003年九州場所  東前頭十四枚目 6勝9敗
2004年初場所   東十両筆頭   8勝7敗
2004年春場所   西前頭十五枚目 6勝9敗
2004年夏場所   西十両筆頭   9勝6敗
2004年名古屋場所 東前頭十四枚目  12勝3敗(準優勝、敢闘賞)
2004年秋場所   東前頭五枚目  5勝10敗
2004年九州場所  東前頭八枚目  3勝12敗
2005年初場所   東十両二枚目  9勝6敗
2005年春場所   西前頭十四枚目 8勝7敗
2005年夏場所   西前頭十枚目  4勝11敗
2005年名古屋場所 西前頭十六枚目 9勝6敗
2005年秋場所   西前頭十一枚目 4勝11敗
2005年九州場所  西十両筆頭    10勝5敗
2006年初場所   西前頭十二枚目 7勝8敗
2006年春場所   東前頭十四枚目 4勝11敗
2006年夏場所   西十両三枚目   10勝5敗  十両優勝  
2006年名古屋場所 西前頭十四枚目 5勝10敗
2006年秋場所   東十両三枚目   11勝4敗  十両優勝同点
2006年九州場所  東前頭八枚目  5勝10敗
2007年初場所   東前頭十二枚目 3勝12敗
2007年春場所   東十両五枚目  7勝8敗
2007年夏場所   東十両七枚目  7勝8敗 
2007年名古屋場所 東十両八枚目  8勝7敗
2007年秋場所   東十両三枚目  8勝7敗
2007年九州場所  西十両筆頭   5勝10敗
2008年初場所   西十両六枚目  7勝8敗
2008年春場所   西十両七枚目  8勝7敗  
2008年夏場所   西十両三枚目  8勝7敗   
2008年名古屋場所 西十両筆頭   6勝9敗
2008年秋場所   西十両四枚目  8勝7敗  
2008年九州場所  西十両筆頭   6勝9敗
2009年初場所   東十両四枚目   10勝5敗
2009年春場所   東前頭十六枚目 5勝10敗
2009年夏場所   東十両五枚目  5勝10敗
2009年名古屋場所 東十両十二枚目 7勝8敗
2009年秋場所   東十両十三枚目  10勝5敗
2009年九州場所  西十両三枚目  5勝10敗
2010年初場所   東十両八枚目   7勝8敗
2010年春場所   東十両九枚目  8勝7敗
2010年夏場所   東十両七枚目  6勝9敗
2010年名古屋場所 東十両十一枚目 8勝7敗
2010年秋場所   東前頭十七枚目  6勝9敗
2010年九州場所  東十両二枚目   9勝6敗
2011年初場所   東前頭十七枚目 5勝10敗
2011年4月1日、相撲協会により引退勧告を受け

最高位 前頭5    通算683勝671敗20休
通算出場回数 1354  勝率 50.5%
敢闘賞1回 十両優勝1回 幕下優勝2回  三段目優勝1回
得意技 右四つ、突っ張り、右差し、左上手、寄り切り
 

 敷島に次いで長い相撲人生を送ってきた人で、それは、怪我と不運との闘いだったのです。いかにも苦労人らしい、人間味 と思いやりのある人格の持ち主です。心を開いての率直な人間関係をもてる人で、近寄りやすく、威張った顔はまったく見せません。はるか下の弟子たちへも寛 容さと同情にあふれたまなざしを送っているのが印象的で、好感を呼びます。相撲甚句が得意で、パーティーなどで披露してくれます。合いの手は琉鵬が入れ、 呼吸がよく合っています。
 三歳上の兄、北桜と同じく、昔は柔道から相撲界に入り、ウェイトトレーニングをやって筋肉をつけて来ました。お父さんも元力士で、豊桜の名は父親のしこ名を受け継いだものです。

 2000年九州場所以来十両の地位を占めて来たのですが、2001年春場所では、三日目の隆の鶴戦で負傷してし まいました。右大腿筋部分断裂、八週間要治療で、公傷と認定されました。この結果、四日目の光法戦は不戦敗、その後は休場となり、幕下に落ちてしまいまし た。豊桜の休場は、1998年九州場所以来のことで、まことに残念なことでした。
 その後、成績は決して悪くなく、場所ごとに十両への復帰が期待されていたのですが、幕下上位には十両候補がひしめいているため、一進一退が続いていました。 
 しかし、2002年春場所での六勝一敗の好成績につづき、東幕下二枚目で迎えた夏場所の豊桜はすばらしい成果 をあげました。 これにより待望の十両復帰がかない、東十両八枚目となりました。七場所ぶりの関取復帰は、まことに夢のように喜ばしいことでした。

 2003年九州場所に、新入幕がめでたく実現しました。報道によると、新入幕まで88場所かかっていて、史上第三位のスロー出世だということです。
 2004年名古屋場所は三回目の入幕の場所でしたが、今度はなんと12勝3敗の大勝ちをし(優勝した横綱と一勝の差で)、しかもすばらしい相撲を見せま した。これで、今場所唯一当たえられた三賞として、敢闘賞を受賞しました。
 2005年初場所の新番付で、なんと前頭八枚目から、十両に陥落してしまいました。ただ不運といえるのでしょうか。
いろいろな怪我に悩まされる中で、2006年夏場所、初の十両優勝を獲得しました。
 その後も、怪我をして稽古がろくにできませんでした。激しい相撲で、体中痛いところがいっぱいあるにしても、ずっとよくがんばり続けていると言えます。
 2009年春場所:二年ぶり帰り入幕、おめでとうございます!

 2010年現在、相撲人生21年で、年齢36才で(今年3月)、もうベテラン力士の中に入っています。まだ若々しい相撲をしていますけれども。


八百長騒動で犠牲になって、2011年4月1日に引退勧告を受けました。断髪式は早めに24日に部屋で行われました。将来は柔道の整体師になりたいという目的で、今勉強をしているそうです。

[2011年4月24日17時42分]付けの以下の記事があります。

大相撲の八百長問題で関与を認定され、引退した元幕 内豊桜の 向俊昭氏(37)が24日、所属していた東京・墨田区の陸奥部屋で断髪式を行った。部屋関係者や後援者、両親ら親族のほか、同じ時津風一門の勝ノ浦親方 (元幕内北勝鬨)、小結鶴竜、幕内豊真将ら約100人が出席。報道陣には非公開だったが、かつて付け人を務めていた豊真将は「付け人の時は若い衆だったの で、取組までの支度部屋での準備運動の方法とか、学んだことは多かった。(断髪式では)みんな惜しむ気持ちだった」と話した。短髪、スーツ姿で部屋から出 てきた本人は、報道陣には無言で、師匠の陸奥親方(元大関霧島)も「寂しい気持ちです」とだけ話し、言葉少なだった。



 *      *      *

 豊桜の入門以来、現在までの全星取り表(対戦相手を含む)が、大相撲2003年11月号に掲載されています。貴重な記録です。
 新入幕にあたり、いろいろな記事や写真が各誌に出ています。敢闘賞受賞の時にも、各誌にも写真やインタービューが出ています。
 NHK大相撲中継2005年一月号には豊桜の「インタビュー素顔総見」の記事があります。(4枚)

 2006年、靖国神社にて
 2007年靖国奉納相撲の写真




 十文字 将康(じゅうもんじ まさやす)
ー 2005年九月から、下の名前を昭憲(あきのり)と改名。2007年七月から下の名前を将康(まさやす)と改名
西幕下六枚目
元 階ケ嶽松太郎
本名 十文字友和 
1976年6月9日生   青森県三戸郡階上町出身
1992年九州場所初土俵
1998年初場所新十両
2000年夏場所新入幕
185cm 159kg
2000年秋場所   東十両二枚目  9勝6敗
2000年九州場所  西前頭十二枚目 5勝10敗
2001年初場所   東十両三枚目  8勝7敗
2001年春場所   西前頭十三枚目 9勝6敗
2001年夏場所   東前頭七枚目  7勝8敗
2001年名古屋場所 東前頭九枚目  4勝11敗(千秋楽の不戦敗をふくむ)
2001年秋場所   東十両二枚目  公傷休場
2001年九州場所  東十両二枚目  8勝7敗
2002年初場所   西前頭十四枚目 6勝9敗
2002年春場所   西十両二枚目  11勝4敗
2002年夏場所   西前頭九枚目  6勝9敗
2002年名古屋場所 東前頭十二枚目 5勝10敗
2002年秋場所   西十両三枚目  10勝5敗
2002年九州場所  西前頭十三枚目 8勝7敗
2003年初場所   東前頭十一枚目 5勝10敗
2003年春場所   西前頭十四枚目 9勝6敗
2003年夏場所   東前頭九枚目  8勝7敗
2003年名古屋場所 東前頭六枚目  6勝9敗
2003年秋場所   西前頭八枚目  7勝8敗
2003年九州場所  東前頭十枚目  8勝7敗
2004年初場所   西前頭八枚目  8勝7敗
2004年春場所   西前頭六枚目  4勝11敗
2004年夏場所   西前頭十二枚目 8勝7敗
2004年名古屋場所 西前頭十一枚目 8勝7敗
2004年秋場所   東前頭十一枚目 9勝6敗
2004年九州場所  東前頭七枚目  5勝10敗
2005年初場所   西前頭十一枚目 9勝6敗
2005年春場所   東前頭七枚目  7勝8敗
2005年夏場所   西前頭七枚目  6勝9敗
2005年名古屋場所 西前頭十枚目  5勝10敗
2005年秋場所   東前頭十四枚目 6勝9敗
2005年九州場所  東前頭十七枚目 9勝6敗
2006年初場所   東前頭八枚目  7勝8敗
2006年春場所   東前頭九枚目  4勝11敗
2006年夏場所   西前頭十六枚目 8勝7敗
2006年名古屋場所 東前頭十三枚目 8勝7敗
2006年秋場所   西前頭十一枚目 4勝11敗
2006年九州場所  西十両二枚目   13勝2敗  十両優勝 
2007年初場所   西前頭十枚目  4勝11敗
2007年春場所   西前頭十六枚目 4勝9敗2休(9敗は不戦敗1をふくむ)
2007年夏場所   東十両六枚目  6勝9敗
2007年名古屋場所 東十両九枚目  5勝10敗
2007年秋場所   西十両十三枚目 8勝7敗
2007年九州場所  東十両十二枚目 3勝12敗
2008年初場所   西幕下五枚目  3勝4敗
2008年春場所   西幕下九枚目  3勝4敗  
2008年夏場所   東幕下十六枚目 4勝3敗   
2008年名古屋場所 西幕下十三枚目 3勝4敗   
2008年秋場所   西幕下二十枚目 6勝1敗  
2008年九州場所  東幕下四枚目  4勝3敗
2009年初場所   東幕下三枚目  4勝3敗
2009年春場所   東幕下二枚目  4勝3敗
2009年夏場所   西十両十四枚目 9勝6敗
2009年名古屋場所 東十両十枚目  8勝7敗
2009年秋場所   東十両七枚目  7勝8敗
2009年九州場所  東十両八枚目  5勝10敗
2010年初場所   西十両十四枚目 6勝9敗
2010年春場所   西幕下三枚目  3勝4敗
2010年夏場所   西幕下六枚目  3勝4敗
2010年名古屋場所 東幕下十二枚目 7勝0敗  幕下優勝 
2010年秋場所   東十両七枚目   4勝11敗
2010年九州場所  東十両十四枚目  4勝11敗
2011年初場所   西幕下六枚目  1勝6敗

2011年4月1日、相撲協会により引退勧告を受け
 

最高位 前頭6  通算596勝606敗18休
通算出場回数 1201  勝率 49.6%
十両優勝、幕下優勝、三段目優勝1回ずつ
得意技 右四つ寄り、左上手、寄り切り


 現在の陸奥部屋では、ずっと2004年秋場所までは最上位の力士でした。口数が少なく、よけいなことは言いませんが、穏やかな表情で、落ち着いていてしかも強さをそなえている人です。
 しかし、部屋頭としての責任が重圧になっていることは疑いありません。心理的としかいえないような負け方をす ることが多く、幕内と十両の間を行き来することが重なるのも、地位が上がるのにしたがって取り口を批判されることが多くなり、これによる精神面でのストレ スがかなり響いているのではないかという気がしてなりません。

 
 2006年に入ってから、怪我で調子が大変落ちてしまいました。秋場所には腰と右腕の怪我が悪化し、ろくに動けない程でした。その状態で15日間ちゃんと頑張りました。九州場所には、なんと、見事な13勝2敗の成績で十両優勝を獲得しました。腰の怪我を見るとなんと奇跡のようなことです。ただ、2007年中、怪我が治らず、二場所もそのままで我慢してから、とうとう春場所の終わり頃に休場になり、その後も成績が少しずつ落ちて、おしまいに今年の初場所に幕下まで落ちてしまいました。
 2008年夏場所:4場所振りの勝越し、おめでとうございます。
 この一年の逆境には気力をしかりしてかんばって下さいね。秋場所の好成績と九州場所の勝ち越しで、先が晴れて来るのが見えてきました。
 九州場所の勝越で、初場所番付がただ一枚しか上がっていません。
 2009年夏場所、八場所もかかって、関取に戻りました。
 2010年名古屋場所、
7勝全勝で幕下優勝を獲得して、秋場所、三場所ぶり、また十両に返ることになりました。


八百長騒動で犠牲になって、2011年4月1日に引退勧告を受けました。
断髪式は6月4日に国技館で行われました。


*         *        *

 十文字は結婚することが決まり、式は2004年五月二十九日に予定されています。心から幸福を祈ります。お相手 は大分市在住、藤原華菜子さん(21才)。知人の紹介で約1年半前に知り合いました。それに、九月五日、優(のどか)ちゃんという赤ちゃんのハッピーなお 父さんになりました。

 なお十文字は、「相撲」2002年3月号、『先代立田川夫人が急逝 おかみさん、安らかに』という題名で、もとのおかみさん、小笠原幸子さんの思い出を語っています。
 十文字に関する記事はたくさんありますが、その中でも、「大相撲」2002年5月号に出た、写真入り3ページの紹介記事は、代表的なものです。

 2002年12月に、「十文字ファンクラブ」が発足し、相撲絵師、松林モトキ氏がデザインした化粧まわ しを贈り、十文字の錦絵(同じく松林氏の作品)の入った「十文字カレンダー」を発行しています。連絡先は、〒135-0016 東京都江東区東陽4-7- 10-406 渋谷直広様方「十文字ファンクラブ事務局」です。
 また2003年2月には「NHK福祉大相撲」に出演し、歌を披露しています。
 2004年11月号の「大相撲」には、4ページの長い記事、主に子供のころの話し、写真があります。
 「相撲」、2005年1月号には、「赤ちゃんと一緒」のスナップショットがあります。
 

 2009年7月25日、名古屋場所の十四日目:フランス人のファンから、十文字関への応援メッセージ






 霧の若 太郎(きりのわか たろう)
(岡本 将之 改め
東幕下十九枚目
1983年9月18日生  熊本県阿蘇郡長陽村出身
本名 岡本将之 2001年秋場所から霧の若太郎となる
1999年春場所入門
2008年初場所新十両
177cm 123kg
1999年夏場所   西序ノ口三十二枚目  6勝1敗
1999年名古屋場所 東序二段九十五枚目  2勝5敗
1999年秋場所   西序二段百十九枚目  3勝4敗
1999年九州場所  東序二段百三十五枚目 6勝1敗
2000年初場所   東序二段五十四枚目  2勝5敗
2000年春場所   西序二段七十九枚目  5勝2敗
2000年夏場所   西序二段三十四枚目  3勝4敗
2000年名古屋場所 東序二段五十三枚目  4勝3敗
2000年秋場所   東序二段三十三枚目  3勝4敗
2000年九州場所  東序二段五十二枚目  5勝2敗
2001年初場所   東序二段十二枚目   5勝2敗
2001年春場所   西三段目七十七枚目  6勝1敗
2001年夏場所   東三段目二十一枚目  3勝4敗
2001年名古屋場所 東三段目三十五枚目  4勝3敗
2001年秋場所   西三段目二十枚目   4勝3敗
2001年九州場所  東三段目九枚目    3勝4敗
2002年初場所   東三段目二十二枚目  4勝3敗
2002年春場所   東三段目十一枚目   3勝4敗
2002年夏場所   西三段目二十七枚目  4勝3敗
2002年名古屋場所 西三段目十二枚目   5勝2敗
2002年秋場所   西幕下五十一枚目   2勝5敗
2002年九州場所  東三段目十二枚目   5勝2敗
2003年初場所   東幕下五十枚目    2勝5敗
2003年春場所   東三段目十三枚目   3勝4敗
2003年夏場所   東三段目二十六枚目  5勝2敗
2003年名古屋場所 西三段目二枚目    4勝3敗
2003年秋場所   西幕下五十一枚目   3勝4敗
2003年九州場所  西三段目四枚目    4勝3敗
2004年初場所   西幕下五十枚目    3勝4敗
2004年春場所   西幕下五十七枚目   6勝1敗
2004年夏場所   西幕下二十六枚目   4勝3敗
2004年名古屋場所 西幕下二十二枚目   4勝3敗
2004年秋場所   東幕下十八枚目    2勝5敗
2004年九州場所  西幕下三十一枚目   4勝3敗
2005年初場所   西幕下二十五枚目   4勝3敗
2005年春場所   西幕下二十枚目    4勝3敗
2005年夏場所   西幕下十四枚目    2勝5敗
2005年名古屋場所 西幕下二十五枚目   3勝4敗
2005年秋場所   西幕下三十二枚目   4勝3敗
2005年九州場所  西幕下二十五枚目   5勝2敗
2006年初場所   東幕下十五枚目    5勝2敗
2006年春場所   西幕下六枚目     5勝2敗
2006年夏場所   東幕下三枚目     4勝3敗
2006年名古屋場所 東幕下二枚目     3勝4敗
2006年秋場所   西幕下五枚目     2勝5敗
2006年九州場所  東幕下十七枚目    3勝4敗
2007年初場所   東幕下二十三前枚目  4勝3敗
2007年春場所   東幕下十八枚目    5勝2敗
2007年夏場所   西幕下十一枚目    6勝1敗
2007年名古屋場所 東幕下四枚目     3勝4敗
2007年秋場所   西幕下七枚目     4勝3敗
2007年九州場所  西幕下四枚目     5勝2敗
2008年初場所   東十両十三枚目    7勝8敗
2008年春場所   西十両十三枚目    8勝7敗
2008年夏場所   東十両十二枚目    8勝7敗   
2008年名古屋場所 西十両八枚目     6勝9敗 
2008年秋場所   東十両十三枚目    3勝12敗
2008年九州場所  東幕下六枚目     5勝2敗
2009年初場所   東幕下二枚目     5勝2敗
2009年春場所   西十両十四枚目    8勝7敗
2009年夏場所   東十両十二枚目    9勝6敗
2009年名古屋場所 西十両八枚目     8勝7敗
2009年秋場所   西十両四枚目     5勝10敗
2009年九州場所  東十両十枚目     8勝7敗  
2010年初場所   西十両八枚目      6勝9敗
2010年春場所   東十両十二枚目    7勝8敗
2010年夏場所   東十両一三枚目    2勝13敗
2010年名古屋場所 東幕下十四枚目    2勝5敗
2010年秋場所   西幕下二十七枚目   4勝3敗
2010年九州場所  東幕下二十三枚目    4勝3敗
2011年初場所   東幕下十九枚目    3勝4敗
2011年4月1日、相撲協会により引退勧告を受け

最高位 十両8    通算310勝291敗
通算出場回数 601  勝率 51.6%

得意技 突き、押し、右四つ

 心身ともに強固、活発で、筋肉もよく ついています。沈着で、一見気楽な性分のように見えますが、プライドが高く、どんなつらいことでもきちんとやりとげます。昇進も早く、1999年の夏場所 では、序ノ口優勝の候補になっていたのですが、相手の韓国出身力士が約二倍も重く、惜しくも敗れて優勝をのがしてしまいました。通算勝率を見ればわかるよ うに、同期生のうちで、もっとも優秀な部に入る実力者であることはまちがいないところでしょう。
 2000年名古屋場所でも勝ち越し、部屋では当時三段目の和歌嵐(その後引退)、藤本(現在は霧の藤)に次ぐ番付順にまで進んでいました。秋場所では残念なことに、一番の差で負け越しでしたが、九州場所は五勝二敗の好成績で、自己最高位に達していました。
 2001年初場所では、期待にたがわず、ふたたび五勝二敗という見事な成績をあげ、待望の三段目への昇進がつ いに実現しました。この地位を守り抜くのには、かなりの苦労が伴うことが心配でしたが、春場所でもなんと六勝一敗と大勝ちして、実力と忍耐でかちとった三 段目であることを、立派に見せつけてくれました。
 名古屋場所でも、古株力士のひしめいている現在の地位で勝ち越したことは、評価すべきです。かくして、秋場所 では、自己最高位を更新し、しかもまた勝ち越して、九州場所番付では三段目九枚目にまで進み、二場所つづけて陸奥部屋若手力士のトップに立ちました。この 勢いがつづいて行きさえすれば、将来も陸奥部屋の希望の星となることは、ほぼ確実だといっていいでしょう。怪我にはくれぐれも気をつけて、十分に実力が発 揮できるよう、祈ってやみません。
 九州場所では、惜しくも一敗差で負け越し、新番付では十三枚下げられましたが、これは三段目上位には、経験を積んだ古豪力士たちがひしめいているためと考えられます。
 2002年初場所ではめでたく勝ち越しましたが、春場所ではまた一敗差で負け越しとなりました。しかし夏場所は勝ち越し、名古屋場所では五勝二敗の好成績です。
 秋場所は幕下で挑戦することになりました。こんな高いレベルに上がるというのは陸奥部屋の若手では霧の藤に続 いて二人目です。これを機に、なんとか幕下の厚い壁を打ち破ってもらいたいものですが、今のところ、右膝にテーピングがあり、心配です。秋場所の結果は二 勝五敗で、このためにせっかく勝ち取った幕下の地位を失いました。九州場所では、五勝二敗をかちとって実力を示し、その結果幕下復帰がかなったばかりか自 己最高位に達しました。しかし2003年初場所では、ふたたび二勝五敗を喫し、また三段目に落ちることになりました。春場所でも一敗差の負け越しでした が、夏場所以後はもちなおしていますし、霧の若の地道な底力を考えれば、多少の不成績は一時の過渡的現象に過ぎず、必ず盛りかえして行くことはまちがいな いと考えていいと思います。はたして、秋場所番付では幕下復帰がかない、自己最高位にもう一息のところに達していましたが、一敗差で勝ち越しを逃しまし た。九州場所では勝ち越しましたので、期待通り幕下に復帰しました。2004年初場所では、またも一敗差で負け越しました。でも、春場所では優れた成績を 見せました。それも、夏場所でも続きました。続いて、名古屋場所でも、幕下二十二枚目で自己最高位になります。にもかかわらず、思いがけなく(と言ったら失礼でしょうが)いい成績で終わりました。強くなりましたね!と認めなければなりません。

 2005年夏場所には四場所ぶりに自己最高位になりました。秋場所前は、特に悪いところはないのに、調子はよく ないそうです。それにしても、勝越しはしました。それから、九州場所でも非常に優れた成績も果たしましたので、自信が戻ったでしょう。それに続いて、初場 所でも、激しい星つぶし戦のために、優勝決定戦になる直前星を落してしまいにもかかわらず、優れた成績を見せました。
 2006年春場所の番付でも、幕下六枚目での自己最高位で見事な成績でした。夏場所にも勝越を果たしました。 これで、続けて5回目の勝越になります。東幕下二枚目で、プレッシャーがかかってしまって、勝越しまでにはならなかったのですけれども、十両で取った一番 が二つとも白星で飾り、ちゃんと十両レベルの強さを見せました。これからやり直しになります。ただ、秋場所前には、体調がどうもおかしそうです。どこか悪 い所はあるはずですけれども、本人は何も言ってくれません。とにかく、秋場所の負越のために、番付はまた落ちてしまったということが非常に惜しいです。
 2007年初場所から、ずっと正常な成績が戻り、特に夏場所に6勝も上げましたので、少しずつ自己最高位に近づいて行きます。

 2007年の番付がまたもう少し下がりましたけれども、よく頑張れる人間ですから、今に見せてやるでしょう。
 この頃の番付運はあまりよくないと言えるでしょう。
九州場所の好成績で、十両昇進が協会によって11月28日に発表されました。おめでとうございます。 
 2008 年初場所、新十両の場所には、負越といっても、始めの2勝8敗の後、5連勝もあげて、7勝8敗まで回復できたという出来事は見事です。
 春場所の十両での初めての勝越です。夏場所にも、前半一勝四敗に続いて、中盤三勝六敗から、なんと連勝して勝越しました!終わりまで皆をハラハラさせたでしょう!名古屋場所には負越ですけれども、千秋楽など、勝った一番は見事でした。

 2009年春場所の帰り十両、おめでとうございます!夏場所は、十両で始めての9勝で、自信が出てきた 証拠でしょう!名古屋場所の番付には、去年自己最高位だった名古屋場所の自己最高位に戻りました。さすがに、秋場所には部屋頭になりました。ただ、残念で 残念。巨大の山本山に勝ってから、気力が抜けてしまったのでしょう。


 八百長騒動で犠牲になって、2011年4月1日に引退勧告を受けました。
途中でやめさせられて、一番悔しい想いがするでしょう。後援会を始めに、ファンも皆どんなに悔しいでしょう!
 断髪式は6月6日に行われました。


*      *      *

「相撲」2005年一月号、「幕下以下有望な力士座談会」という記事には、霧の若の話し、写真も出ています。
「大相撲」2006年四月号、霧の若について「注目力士」という連載で、「面白い相撲で館内沸せたい」というタイトルの記事が出ています。
「相撲」2010年一月号、「家族が語る、関取はじめて物語」のシリーズで、「母・エミ子が語る霧の若太郎」という記事があります。

2006年、靖国神社にて2007年5月稽古総見








 白馬 毅はくば たけし)
東前頭七枚目
本名 アリオンバヤル・ウヌルジャラガラ 通称 ウヌル
1983年5月5日生 モンゴル、ウランバートル出身
1998年12月、見習い生として陸奥部屋に入る
翌年末、立田川部屋に入門し、「白馬」の四股名で2000年初場所初土俵
(1999年12月24日新弟子検査に合格)
その後、立田川部屋合併により陸奥部屋に復帰
2007年初場所新十両
2008年夏場所新入幕
2010年名古屋場所新三役(東日小結)
 
187 cm、128kg
2000年春場所   序ノ口三十五枚目  4勝3敗
2000年夏場所   序二段百三十枚目  5勝2敗
2000年名古屋場所 序二段八十枚目   5勝2敗
2000年秋場所   東序二段三十七枚目 1勝1敗5休
2000年九州場所  東序二段七十二枚目 休場
2001年初場所   東序二段七十二枚目 7勝0敗 序二段全勝優勝
2001年春場所   西三段目六十八枚目 4勝3敗
2001年夏場所   西三段目五十枚目  4勝3敗
2001年名古屋場所 東三段目三十四枚目 3勝4敗
2001年秋場所   西三段目五十一枚目 4勝3敗
2001年九州場所  西三段目四十枚目  4勝3敗
2002年初場所   西三段目二十七枚目 4勝3敗
2002年春場所   東三段目十四枚目  2勝5敗
2002年夏場所   西三段目四十枚目  4勝3敗
2002年名古屋場所 東三段目二十六枚目 2勝5敗
2002年秋場所   東三段目五十一枚目 6勝1敗
2002年九州場所  西三段目筆頭    5勝2敗
2003年初場所   西幕下四十枚目   4勝3敗
2003年春場所   東幕下三十二枚目  4勝3敗
2003年夏場所   西幕下二十六枚目  3勝4敗
2003年名古屋場所 西幕下三十三枚目  3勝4敗
2003年秋場所   東幕下四十一枚目  3勝4敗
2003年九州場所  西幕下五十二枚目  5勝2敗
2004年初場所   東幕下二十九枚目  4勝3敗
2004年春場所   西幕下二十一枚目  3勝4敗
2004年夏場所   西幕下三十一枚目  3勝4敗
2004年名古屋場所 西幕下三十八枚目  4勝3敗
2004年秋場所   西幕下三十一枚目  2勝5敗
2004年九州場所  西幕下四十五枚目  5勝2敗
2005年初場所   東幕下三十枚目   3勝4敗
2005年春場所   東幕下四十枚目   5勝2敗
2005年夏場所   西幕下二十九枚目  3勝4敗
2005年名古屋場所 西幕下三十五枚目  3勝4敗
2005年秋場所   西幕下四十六枚目  3勝4敗
2005年九州場所  西幕下五十三枚目  6勝1敗
2006年初場所   西幕下二十四枚目  6勝1敗(幕下優勝 決定戦に参加)
2006年春場所   西幕下九枚目    6勝1敗
2006年夏場所   西幕下二枚目    3勝4敗
2006年名古屋場所 西幕下六枚目    5勝2敗
2006年秋場所   西幕下二枚目    4勝3敗
2006年九州場所  東幕下二枚目    7勝0敗 幕下全勝優勝
2007年初場所   東十両十一前枚目  8勝7敗
2007年春場所   西十両十枚目    8勝7敗
2007年夏場所   東十両八枚目    7勝8敗
2007年名古屋場所 西十両八枚目    8勝7敗
2007年秋場所   西十両三枚目    8勝7敗
2007年九州場所  西十両二枚目    5勝10敗
2008年初場所   西十両八枚目    11勝4敗
2008年春場所   西十両三枚目    8勝7敗
2008年夏場所   西前頭十六枚目   4勝11敗   
2008年名古屋場所 西十両五枚目    5勝10敗  
2008年秋場所   東十両十一枚目   7勝8敗
2008年九州場所  西十両十二枚目   7勝8敗
2009年初場所   東十両十四枚目   11勝4敗 (十両優勝 決定戦で負け)
2009年春場所   東十両四枚目    6勝9敗
2009年夏場所   西十両七枚目    8勝7敗
2009年名古屋場所 西十両三枚目    7勝8敗

2009年秋場所   東十両五枚目    9勝6敗
2009年九州場所  西十両筆頭     8勝7敗
2010年初場所   西前頭十四枚目    9勝6敗
2010年春場所   東前頭九枚目    8勝7敗
2010年夏場所   西前頭五枚目    10勝5敗
2010年名古屋場所 東小結       4勝11敗
2010年秋場所   西前頭五枚目    8勝7敗
2010年九州場所  東前頭四枚目     4勝11敗
2011年初場所   西前頭十枚目    8勝7敗
2011年4月1日、相撲協会により引退勧告を受け

最高位 東小結    通算347勝303敗12休
通算出場回数 649   勝率 53.5%
幕下優勝1回、序二段優勝
得意技 左四つ、寄り

 ウヌルは、一年もの間、陸奥部屋に起居し、熱心に稽古にはげんでいましたが、1999年末に立田川部屋に移ることにな りました。これは、部屋ごとの外国人数が当時二名までにおさえられていた(現在はさらにきびしくなって一部屋一名だけ)ので、すでに星誕期と星安出寿が在 籍していた当時の陸奥部屋には外人枠がなかったという事情によるものです。しかし、陸奥部屋が育てた力士であることはまちがいありません。立田川部屋の合 併により、この人は出世して古巣に戻って来たことになります。
 このごろでは、敏捷な取り口に独特の持ち味が出て来ました。すでに自分の相撲というものを身につけているのです。将来が楽しみな、いい力士といえます。

 2000年は秋場所以来、足首のひどい怪我で停滞中でしたが、2001年にはみごとな復活を見せました。初場所では全勝で、千秋楽の優勝決定戦でも勝ち、序二段での全勝優勝を果たしました。新生陸奥部屋としては初の優勝です。しかも、もともと陸奥部屋が育てた弟子が、初優勝を飾ったのですから、これほど喜ばしいことはありません。おめでとう。よくやってくれました。
 その結果、三段目に昇進し、春場所番付では岡本(現在霧の若)、霧の富士(霧の藤)、和歌嵐(その後引退)を 抜いて部屋の若手では最高の位階に進みました。当然、今までとはくらべものにならないような強い相手と対戦することになり、これにどう対応して行けるかと いうことが、今後の課題になっていたのですが、三段目の厚い壁を破り、春場所、夏場所でみごとに連続勝ち越しを達成したことは、その意味でまことに立派な ものといえます。しかし名古屋場所では、惜しくも一敗差で負け越しとなりました。左腕と足にテーピングをしていて、怪我でハンディを負っているのでしょ う。でも、陸奥部屋のホープであることには変わりはありません。秋場所、九州場所でも、怪我を乗り越えてめでたく勝ち越しました。
 勝ち越しはその後もつづき、2002年初場所番付、春場所番付とつづいて自己最高位を更新していましたが、春 場所では惜しくも今までで最悪の二勝五敗となりました。しかし夏場所では持ち直し、四勝三敗で勝ち越しました。名古屋場所ではまたもや二勝五敗でしたが、 それよりもこの時点で心配だったのは、気力を失っているのが目に見えたことです。左足にテーピングをしているので、そのせいかと思うと、本人は足なんかな んでもないと言っているのです。白馬のように将来のある、優秀な若者が、気落ちしているように見えたというのはなんとも残念なことで、なんとしても元気を とりかしてもらいたいと思います。
 本人は、そのようなことは心配はいらない、ちゃんと頑張るから大丈夫だと、微笑みながら言っていますし、稽古 を見ても、懸命な中にも余裕があり、落ち着いた表情をしているという印象を受けます。また何よりも、秋場所で六勝一敗という、めざましい成績をあげたこと を見れば、好調であることはまちがいなく、いろいろな心配は完全に消えてなくなったのだということを、みごとに証明しているのです。部屋の若いホープは健 在です。九州場所番付では三段目筆頭、自己最高位に達しています。しかも五勝二敗の好成績をあげましたので、2003年初場所番付では、ついに幕下昇進が 実現しました。おめでとう。今後の課題は、重量の古豪力士たちと互角で立ち向かって行けるかということでしょうが、これを克服して初場所で四勝三敗をあげ たことは、じつに立派です。その結果、春場所番付では自己最高位を更新し、東三十二枚目に進んだ上、みごとに勝ち越し、夏場所では西二十六枚目となり、さ らに最高位を更新しています。名古屋場所では残念なことに、一敗差の負け越しでした。秋場所でもつづいて、一敗差で勝ち越しを逃しています。場所前、白馬 は、腰を痛めたようでたくさんテーピングをしていましたが、わりに冷静な顔をしていて、そんなに深刻な感じではないということです。九州場所ではひさしぶ りの好成績、ファンを狂喜させました。2004年初場所でも勝ち越しています。
 いずれにしても、重量力士ばかりが大きな顔をしている今日の相撲界では、白馬のような筋肉質の精鋭の存在はま ことに貴重であるといわなければなりません。春場所の番付では、自己最高位に達しました。ただ、本人もこの二年にわたって、ずっと怪我に悩まされているこ とがはっきりなりました。現在、2004年9月、また腰のテーピングをして、場所前の稽古も無理になりました。けれども、場所にはちゃんと出ると強く言っ ていましたので、負け越しになっても仕方がないでしょう。ですが、九州へ出る前には、腰の怪我が治り、体調も気力も最高のようでした。九州場所も好成績で 済ませました。
 関取昇進を期待する声が多くなりました。ですが、2005年夏中、または秋場所前には、特に悪いところがない と言っていますけれども、稽古には基本運動や胸をかすなどという稽古以外はあまり気合いを見せず、ちょっとほんものではないようです。やっと、九州場所で 体調が戻り、やる気が戻って来ました!
 また2006年初場所では、自己最高位に近い幕下二十四枚目で、6勝1敗の成績で優勝決定戦に加わりました。続いて、春場所には幕下九枚目で、また6勝1敗を飾りました。
 せっかく連続的見事な成績を見せたのに、最高位の幕下西二枚目になったこの大切な夏場所には負越になってしま いました。でも、やり直しの名古屋場所には5勝2敗といういい成績を果たしましたので、秋場所ではまた自己最高位に戻ったのです。場所前の体調はよさそう に見えても、やはり首の怪我がまだまだ本物ではないことが分かります。それにしても、西幕下二枚目で、ちゃんと勝ち越せたのです。ただし、西二枚目で単な る勝越は十両昇進のための決定的な成績ではないわけです。空いた所が二つしかない中で、もっといい成績の人たちもそのすぐ下位にはありますで、昇進がやは り無理になりました。
 九州場所の番付では、西幕下二枚目での勝越しでは、単に西から東に上がるだけとなりました。成績として、見事な幕下全勝優勝をしました。2007年の初場所には、十両昇進が確実になります。そのことで、たくさんのファンが喜びを見せてくれました。本当におめでとうございます!
 新十両の場所で、はやばやと7敗になったのに、勝ち越したのはすごいです。
 春場所は十両昇進からの二場所目になりますが、番付運がまた悪く、1枚の半分しか上がっていません。関取二場所目も勝越で飾りました。
 秋場所には、場所前の怪我で手術を受けて体調不良なのに、どうやら勝越できてすばらしいことです。
 2008年初場所には11勝4敗という立派な成績もあげました。これで、春場所には部屋頭になりますが、もう入幕も近くなって期待できるので、楽しみです。
 夏場所には新入幕になれるのかサスペンスでした。
 番付運が悪かったこの前の数場所でしたが、やっと少し運が飛んで来ました。幕内に上がることがかないました。おめでとうございます。これからもがんばって下さい。
 九州場所の後の陥落、危なかったですね!みんなほっとしています。
 2009年、名古屋場所には、再び部屋頭になりました。秋場所の好成績、おめでとうございます。

 九州場所の勝越で、初場所の番付には九場所ぶり幕内に帰るのがもう確かになりました。

 2010年初場所の番付、西前頭十四枚目で、自己最高位で、9勝をあげました。かなり嬉しい成績でしょう。けれども、勝ち越しは十日目で、予想外的な勝っ放しだった後で、4連敗が続いたので、やはりちょっと残念でした。春場所にも、自己最高位での勝越です。  初場所、体重128キロで、幕内では最軽量の力士だそうです!
 名古屋場所、新三役の東小結になりました!おめでとうございます!マスコミには、外国人として一番スロー昇進と言われたのですが、やはり小結まで上がれた外国人のことだと忘れてはいけないでしょう。それに、スローと言っても、焦らず自分のペースで行くのは一番なのではないでしょうか。


八百長騒動で犠牲になって、2011年4月1日に引退勧告を受けました。

日刊スポーツで、以下の記事があります。
http://www.nikkansports.com/sports/sumo/news/p-sp-tp3-20110525-780731.html




 八百長関与で引退した元小結白馬のアリオンバヤル・ウヌルジャラガラ氏(29)が、結婚披露宴で断髪して第2の人生のスタートを切る。24日に明らかになった。6月18日に都内のホテルで挙式して妻子をお披露目し、そのお祝いの席で断髪することになった。

 同氏は08年10月に、同じモンゴル出身の幕内時天空の妹オユナさんと結婚した。09年3月には長女も生まれたが、今まで挙式はしていなかった。幕内に定着、三役にも昇進し、そろそろ結婚披露をと考えていたところでの処分だった。

 八百長関与では25人の力士と親方が処分された。28日に春日王、29日には安壮富士と元幕内の両氏が、両国国技館内大広間で断髪式を予定している。いまだ処分を納得していない者も多いが、力士のシンボルのマゲを落として区切りをつけ、それぞれ次の人生へと踏み出す。

 [2011年5月25日9時40分 紙面から]












*      *      *


「相撲」2006年四月号、「大銀杏が待っている」という白馬紹介の記事があります。
「大相撲」2006年四月号、「幕下訪問」という連載で、「白馬毅、一人前の男、になりたい」というタイトルの記事が出ています。
「大相撲」2006年十一月号、「白馬、悔しさを飲み込んで」というタイトルで、立派な写真付き記事が出ています。

「大相撲」2010年七月号、「話の申し合い」のシリーズで白馬のインタビューがあります。

 2007年靖国奉納相撲の写真


 白馬が2008年十月にオユナさん(25才)と結婚しました。オユナさんは時天空の妹です。2009年十月に長女が誕生しました。


 
 






大原 成輝 (おおはら・しげき) 改め太源 成貴(だいげん・しげき)
東三段目七十七枚目
前相撲(3勝1敗)
1991年6月14日生 名古屋市南区出身
2007年九月場所入門(第2検査)
173cm 94kg 

2007年九州場所  西序ノ口三十三枚目   5勝2敗
2008年初場所   西序二段百二枚目    3勝4敗
2008年春場所   東序二段百十三枚目   3勝4敗   
2008年夏場所   西序二段百十八枚目   4勝3敗   
2008年名古屋場所 西序二段八十八枚目   3勝4敗   
2008年秋場所   東序二段百十三枚目   5勝2敗
2008年九州場所  東序二段五十四枚目   6勝1敗
2009年初場所   西三段目八十八枚目   4勝3敗
2009年春場所   西三段目七十枚目    2勝5敗
2009年夏場所   東三段目九十七枚目   2勝5敗
2009年名古屋場所 西序二段三十四枚目   4勝3敗
2009年秋場所   東序二段十四枚目    2勝5敗
2009年九州場所  東序二段四十三枚目   6勝1敗
2010年初場所   西三段目七十七枚目    4勝3敗
2010年春場所   西三段目五十八枚目   3勝4敗
2010年夏場所   西三段目七十二枚目   4勝3敗
2010年名古屋場所 東三段目五十四枚目   3勝4敗
2010年秋場所   西三段目六十八枚目   2勝5敗
2010年九州場所  西三段目九十五枚目    5勝2敗
2011年初場所   東三段目六十枚目    3勝4敗
2011年夏場所   東三段目七十七枚目    休場

5月25日、相撲協会により引退発表

最高位 三段目54 通算73勝67敗
通算出場回数 140    勝率 52.1%

 
 

 かなり相撲の上手い青年で、スピードが早い、体も柔らかいですけれども、この半年でかなり体重を上げたので、相撲が取りづらくなったのかもしれません。慣れるのにもう少し時間が必要でしょう。
 2008年九州場所の番付には、60枚近く上がって、自己最高位になっていました。その高い地位で、優れた成績をあげました!
 2009年初場所の番付では、自己最高位で三段目に上がりました。七場所で、ものすごいスピードです!春場所の番付にも、三場所続けて自己最高位です。
 残念なことに、番付昇進が速すぎたでしょうから、ちょっと負け込んでしまいました。またやり直しですね!
 2009年九州場所で、6勝1敗の著しい成績を達成しました。最後に負けてしまった1敗が、序二段優勝を果たした、幕下レベルのある相手との対戦でしたので、ちょっと無理でしたでしょう。
 2010年初場所、自己最高位に近い三段目七十二枚目で、優秀な勝ち越しをあげました。
 名古屋場所の番付には、また自己最高位になり、順調な上昇を見せていると言えるでしょう。


 







 
 

 星誕期 偉真智(ほしたんご いまち)

西三段目六枚目
本名 星 誕期(ほし たんご) (2000年10月25日付で日本に帰化)
前名 イマチ・マルセロ・サロモン (Imach Marcello Salomon)
1965年9月5日生
アルゼンチン、ブエノスアイレス出身
1987年夏場所入門
1992年秋場所新十両
184cm 163.5kg
1998年初場所   西幕下二十二枚目 5勝2敗
1998年春場所   西幕下九枚目   4勝3敗
1998年夏場所   西幕下五枚目   5勝2敗
1998年名古屋場所 東幕下二枚目   6勝1敗
1998年秋場所   東十両十三枚目  9勝6敗
1998年九州場所  西十両十枚目   8勝7敗
1999年初場所   東十両九枚目   7勝8敗
1999年春場所   西十両十一枚目  9勝6敗
1999年夏場所   西十両七枚目   6勝9敗
1999年名古屋場所 東十両十一枚目  8勝7敗
1999年秋場所   東十両十枚目   8勝7敗
1999年九州場所  西十両八枚目   9勝6敗
2000年初場所   西十両三枚目   5勝10敗
2000年春場所   東十両七枚目   6勝9敗
2000年夏場所   西十両十枚目   8勝7敗
2000年名古屋場所 東十両八枚目   0勝15敗
2000年秋場所   東幕下八枚目   6勝1敗
2000年九州場所  西幕下筆頭    3勝4敗
2001年初場所   東幕下七枚目   3勝4敗
2001年春場所   西幕下十三枚目  5勝2敗
2001年夏場所   東幕下七枚目   3勝4敗
2001年名古屋場所 東幕下十四枚目  4勝3敗
2001年秋場所   西幕下十一枚目  2勝5敗
2001年九州場所  西幕下二十三枚目 3勝4敗
2002年初場所   東幕下三十四枚目 5勝2敗
2002年春場所   西幕下二十四枚目 3勝4敗
2002年夏場所   西幕下三十二枚目 5勝2敗
2002年名古屋場所 東幕下十七枚目  3勝4敗  
2002年秋場所   西幕下二十五枚目 6勝1敗
2002年九州場所  西幕下八枚目   2勝5敗
2003年初場所   西幕下二十三枚目 3勝4敗
2003年春場所   西幕下三十四枚目 3勝4敗
2003年夏場所   東幕下四十二枚目 4勝3敗
2003年名古屋場所 西幕下三十四枚目 4勝3敗
2003年秋場所   東幕下二十八枚目 3勝4敗
2003年九州場所  西幕下三十九枚目 1勝6敗
2004年初場所   西三段目六枚目  2勝5敗 (引退)
最高位 十両3  通算430勝388敗11休
通算出場回数 818  勝率 52.6%
得意技 突き押し
拡大写真
 旧陸奥部屋時代からの生え抜き、最先輩力士としての責任感は十分もっています。膝と肘の故障がまだよくなっていないよ うですが、「でも何でもない、ダイジョウブヨ」などと、そんなことは気にしていられないという調子でくりかえしています。とにかく相撲では、「できるかぎ りのことをやるしかない、運不運などない、実力がすべてで、成績や番付順はそれで決まるもの」と割り切ったことを言います。ベテランのことですから、負け が重なっても番付が落ちても、「それはよくあること」で、あまり気にしていないように見えます。陽気な性格ですが、実際は神経質で、ピリピリしていて、衝 動的で怒りっぽいところがあります。このあたりは、ラテンアメリカそのもののように見えるのですが、これは本人には言えません。「外人は顔だけ、心は日本 人」だと確信しているらしく、ガイジンだといわれると本気で腹をたてるのです。歌はさすがに上手で、カラオケでは大将格だそうです。音楽を聴くことが趣味 で、聴いていると心が休まると言っています。子供好き、動物好きです。

 1998年秋場所から十場所にわたって、十両の座を維持していたのですが、2000年名古屋場所で全敗したため、幕下に転落してしまいました。
 2002年初場所では、五場所ぶりに五勝二敗の好成績をあげ、本来の実力を発揮しましたが、春場所は三勝四敗 で、惜しい負け越しとなりました。しかし夏場所では元気いっぱい、ふたたび五勝二敗で存在感を発揮しました。名古屋場所の後では、「別に悪い所はありませ ん。元気です。ただ勝てないなあ。でも、それにしても元気です。」と、笑顔で言っていました。秋場所では、久しぶりに六勝一敗をあげ、まだまだ健在である ことを見せてくれました。
2003年度は、勝ち越しと負け越しが交互につづき、やや足踏み状態です。
 現在、38才になったばかりのベテランで、幕下以上では最年長の力士となりました。今のところ、霧の藤の成長に期待をかけ、熱心に指導しているようです。
 九州場所の不成績を見て、心配しているファンが多いようです。はたして一勝六敗がたたって、ついに三段目に転落、自分が指導し育ててきた後輩たちに抜かれてしまいました。でも明日を信じて、気を落さないように伝えてくれというファンの声が届いています。

 2004年初場所の前、とうとう体力の限界で、初場所限りで、引退の決意をしました。断髪式の準 備もすすめています。初場所には出たいという意志が強く、初場所は最後の場所となりました。断髪式の日も決まり、二月六日、午後2時から、国技館地下大広 間で行われることになりました。

星誕期の断髪式の模様は別ファイルに収録してあります。

 雑誌「相撲」2003年4月号(114-115ページ)に、『母と相撲の心を大切にする”熟年”の苦労人 星誕 期』と題する2ページの記事が載っています。『異境から来た21世紀の力びと』という連載の第3回で、筆者は早稲田大学助教授の宮崎里司氏です。星誕期は 外国人力士最古参で、先々代陸奥親方(元星甲)の許に入門し、先代(元星岩涛)を経て現陸奥親方(元大関霧島)に引き取られるまで、三代の親方の下で相撲 道に励んできた苦労人だと前置きして、雑誌には珍しい突っ込んだ書き方で、異文化にすっかり馴染むまでの長く苦しかった道のりを、見事に描いている名論文 です。一読に値するものとして、おすすめします。


最後の取組と記者会見を終え、国技館を後にする星誕期 ⇒拡大写真












平成17年四月、テレビで

(テレビ東京の「アド街ック天国」という番組)
タンゴーズダイニング

人形町にある、星誕期さんのお店が紹介されました。

アルゼンチン出身力士・星誕期(元十両三枚目)の多国籍料理のお店です。昨年、38歳で引退しました。
おすすめはアルゼンチンの母直伝のミートパイです。大きいつくねがうれしいちゃんこは塩味です。
店のホームページは次ぎの通りです。 http://www.siddique.co.jp/tango/index.html



 
 

 星安出寿(ほしあんです)保世(ほせ)

十両二枚目
本名 ホセ・アントニオ・ホアレス
(Jose Antonio Joarez)
1968年6月1日生
アルゼンチン、ブエノスアイレス出身
1988年夏場所入門
191.5cm 170kg
1998年初場所   幕下四十四枚目 6勝1敗
1998年春場所   幕下三十枚目  5勝2敗
1998年夏場所   幕下十三枚目  4勝3敗
1998年名古屋場所 幕下十枚目   4勝3敗
1998年秋場所   幕下七枚目   4勝3敗
1998年九州場所  幕下五枚目   2勝5敗
1999年初場所   幕下十九枚目  3勝4敗
1999年春場所   幕下二十七枚目 5勝2敗
1999年夏場所   幕下十六枚目  1勝6敗
1999年名古屋場所 幕下三十九枚目 3勝4敗
1999年秋場所   幕下四十五枚目 3勝4敗
1999年九州場所  幕下五十二枚目 6勝1敗
2000年初場所   幕下二十五枚目 5勝2敗
2000年春場所   幕下十二枚目  4勝3敗
2000年夏場所   幕下九枚目   3勝4敗
2000年名古屋場所 幕下十四枚目  4勝3敗
2000年秋場所   幕下九枚目   2勝5敗
最高位 十両2  通算334勝312敗
通算出場回数 646  勝率 51.7%
2000年秋場所後、9月20日引退

拡大写真

 星誕期にくらべると内向的な性格で、静かな人です。人の話は注意深く聞きます。去年以来さんざんの不運でしたがようや く持ち直し、名古屋場所で勝ち越したので番付もあがり、一枚の差で星誕期につづくことになりましたが、秋場所ではまた負け越してしまいました。毎日絶える ことなく稽古にはげみ、後進の弟子にはいい手本です。準備運動になることは歯をくいしばってなんでもやります。自分に対してはあくまでも謙虚で、若者たち に忍耐を教えるのはこの人です。後輩の教育にはじつに熱心で、規律を破るようなことはけっして許しません。相撲で上にあがるには、運不運もあるが、まず修 道者のように禁欲的でなければいけないと信じているのでしょう。稽古中にそばに寄ると、まるで鋼の鎧をまとっているようで、こわい顔です。このへんは星誕 期とはまったく正反対のように見えますが、根はいたってやさしく、思いやりがあり、みんなとふざけあっていい雰囲気をつくることのできる人です。

 星安出寿の引退のニュースは、陸奥部屋にとってもファンにとっても、たいへんな打撃です。このオールドメンバーのページにこの人のことを載せる日がこんなに早く来ようとは思っても見ませんでした。
 星安出寿は陸奥部屋にとっては、なくてならなかった人です。いつも後輩たちの稽古を見守り、じつに適切な注意 をあたえ、自分も我慢強く、黙々と、ありとあらゆるトレーニングにはげんでいました。和歌嵐を相手にして、根気よく何度も何度も立ち会いの稽古を重ねてい る姿は、目の裏に灼きついているように思い出されます。忘れることのできない人です。星安出寿の思い出は、永久に消えないでしょう。

星安出寿断髪式     星安出寿の思い出











 
 

 田村 喜一(たむら きいち)

元陸奥部屋マネージャー
元幕下岸の里

1966年9月6日生  大阪府岸和田市出身
1982年春場所入門  1997年現役を引退
1997年より陸奥部屋マネージャーとなる
2001年12月、辞任

 おそろしく無口なので、愛想も知らないといわれ ることがありますが、相撲と陸奥部屋が唯一の生きがいであることはうたがいありません。実直一方、部屋の雑用係といった感じで、どんなことでもいやな顔ひ とつしないで引き受けています。ちゃんこ番をひとりでやることもしばしばで、料理の腕はたしかです。でも元岸の里の田村マネージャーの本領が出てくるの は、稽古の指導をするときです。弟子たちの長所も弱点も知りつくしているので、適切な助言をし、ときには叱りますが声を荒らげることはあまりありません。


 北原 敏文(きたはら としふみ)

マネージャー
1949年12月22日生  長崎県出身
2000年1月より親方付マネージャーとして陸奥部屋に入る


 前には板東英二、上岡龍太郎のマネージャーをしていたプロです。以前からの霧島ファンで、陸奥親方のためになることな らなんでも懸命にやります。親方の多忙なスケジュールを調整する仕事のほか、外部との連絡、部屋の運営、PRなど、一切を総括しています。陸奥部屋にはな くてはならない人です。
 

 2008年、二月下旬、退職しました。長い間いろいろお疲れ様でした。



 

 霧錦 隆雄(きりにしき たかお)

東三段目四十四枚目
本名 佐々木隆雄  1982年6月15日生
茨城県北相馬郡藤代町出身  1998年秋場所入門
185.5cm 131kg
1998年九州場所  西序ノ口四十五枚目  4勝3敗 
1999年初場所   西序ノ口六枚目    3勝4敗
1999年春場所   東序ノ口十一枚目   4勝3敗
1999年夏場所   西序二段百二十八枚目 2勝5敗
1999年名古屋場所 西序二段百五十五枚目 4勝3敗
1999年秋場所   東序二段百二十五枚目 4勝3敗
1999年九州場所  西序二段百枚目    1勝6敗
2000年初場所   西序二段百三十三枚目 5勝2敗
2000年春場所   東序二段八十枚目   3勝4敗
2000年夏場所   東序二段九十八枚目  4勝3敗
2000年名古屋場所 東序二段七十四枚目  2勝5敗
2000年秋場所   西序二段百二枚目   5勝2敗
2000年九州場所  西序二段五十五枚目  3勝4敗
2001年初場所   西序二段八十三枚目  3勝4敗
2001年春場所   東序二段九十九枚目  休場
2001年夏場所   西序ノ口十三枚目   休場
2001年名古屋場所 番付外        休場
2001年秋場所   番付外        休場
2001年九州場所  番付外        前相撲出場
2002年初場所   東序ノ口三十枚目   5勝2敗
2002年春場所   西序二段九十三枚目  5勝2敗
2002年夏場所   西序二段四十八枚目  4勝3敗
2002年名古屋場所 東序二段二十七枚目  4勝3敗
2002年秋場所   西序二段六枚目    2勝5敗
2002年九州場所  西序二段二十七枚目  4勝3敗
2003年初場所   東序二段四枚目    2勝5敗
2003年春場所   西序二段三十五枚目  2勝5敗
2003年夏場所   東序二段六十七枚目  5勝2敗
2003年名古屋場所 東序二段二十六枚目  3勝4敗
2003年秋場所   東序二段五十一枚目  5勝2敗
2003年九州場所  東序二段十二枚目   3勝4敗
2004年初場所   西序二段三十枚目   6勝1敗
2004年春場所   東三段目六十七枚目  5勝2敗
2004年夏場所   東三段目三十八枚目  1勝6敗
2004年名古屋場所 東三段目七十四枚目  0勝7敗
2004年秋場所   西序二段二十四枚目  5勝2敗
2004年九州場所  東三段目八十四枚目  4勝3敗
2005年初場所   東三段目六十六枚目  2勝5敗
2005年春場所   東三段目九十一枚目  4勝3敗
2005年夏場所   西三段目七十一枚目  4勝3敗
2005年名古屋場所 西三段目五十五枚目  3勝4敗
2005年秋場所   東三段目七十五枚目  5勝2敗
2005年九州場所  西三段目四十三枚目  5勝2敗
2006年初場所   東三段目十七枚目   4勝3敗
2006年春場所   西三段目三枚目    1勝6敗
2006年夏場所   東三段目三十九枚目  1勝6敗
2006年名古屋場所 西三段目七十一枚目  6勝1敗
2006年秋場所   東三段目十七枚目   3勝4敗
2006年九州場所  西三段目三十一枚目  5勝2敗
2007年初場所   東三段目七枚目    4勝3敗
2007年春場所   西幕下五十七枚目   5勝2敗
2007年夏場所   東幕下四十二枚目   4勝3敗 
2007年名古屋場所 東幕下三十六枚目   2勝5敗
2007年秋場所   西幕下五十三枚目   4勝3敗
2007年九州場所  東幕下四十五枚目   1勝6敗
2008年初場所   西三段目十一枚目   0勝7敗
2008年春場所   西三段目六十一枚目  5勝2敗  
2008年夏場所   西三段目三十三枚目  5勝2敗   
2008年名古屋場所 東三段目八枚目    1勝6敗   
2008年秋場所   東三段目四十一枚目  4勝3敗  
2008年九州場所  西三段目二十五枚目  4勝3敗
2009年初場所   東三段目十三枚目   3勝4敗
2009年春場所   東三段目三十枚目   5勝2敗 
2009年夏場所   西三段目六枚目    5勝2敗
2009年名古屋場所 西幕下四十四枚目   3勝4敗
2009年秋場所   西幕下五十五枚目   4勝3敗
2009年九州場所  西幕下四十六枚目   1勝6敗
2010年初場所   東三段目十九枚目    2勝5敗
2010年春場所   東三段目四十四枚目   休場(引退)


最高位 幕下36  通算217勝224敗35休
通算出場回数 441  勝率 49.2%

 まじめで礼儀正しく、しかも個性の強い人です。一生懸命に稽古にはげみ、身長、体重も十分、素質にもめぐまれています が、今のところは怪我のため、本来の実力が出しつくせないようです。日常生活ではめがねをかけ、控えめな性格で、好きで選んだ相撲の道をひとすじに進んで 行くにはどうすればいいのかということも完全に心得ているようです。
 右手のひどい怪我のため、何年間も大変なハンディーを背負っています。2001年春場所、連続四場所の休場で、番付が急に落ちて、番付外になりました。しかし、長期的には、怪我さえ治れば、心 配なしに前途に期待をかけていい好青年だといえます。早くよくなるように願うばかりですが、まだ回復せず、手首の傷がまだ大きく膨らんでいるのは心配です。
 この状態で 2002年初場所、春場所とつづいての五勝二敗はまことに貴重で、夏場所番付で自己最高位を更新したあと、通算で連続四度目の勝ち越しをきめ、また最高位 更新となりました。本人は、成績が順調に上がっていることで、いくらか安心感が戻ってきたような感じでした。
 2004年初場所は大勝ちしましたので、春場所の番付で、やっと三段目に昇進 しました。そして好成績も飾りました。その後夏場所では、番付が上がり過ぎたせいで、苦しい成績になりました。名古屋場所も、本人一生の大負けになりまし たけれども、秋場所からはちゃんと通常の成績に戻ったと言えるでしょう。特に、2005年の秋場所、九州場所の好成績を見ると、順調に上がって行くのがわ かります。
 2006年初場所に続いて、春場所の番付でも、自己最高位でした。三段目三枚目で幕下が近くなっていましたけれども勝越しならずまた落ちてしまいました。ですが、名古屋場所では二年半ぶりの六勝一敗の著しい成績です。
 2007年春場所の番付では、幕下昇進が現実になりました。この幕下の自己最高位の場所を五勝二敗という成績で飾ることができました。
 2008年春場所、夏場所、体調が少しずつ戻って来て、幕下復帰が目の前に。そう思ったら、名古屋場所にはかなり不調な表情でした。
 去年と比べて見れば、体調がかなり戻って来たようです。名古屋場所の番付には、ようやく一年半ぶりで幕下に戻って来て、おめでとうございます!
 陸奥部屋では、この次の関取になれると期待できる人です。ただ、残念に、九州場所も、初場所もまた最低な成績になってしまいました!


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 2010年3月31日
  霧錦の引退、日本相撲協会により発表。
 最近の数場所にわたって、なんとなく、本人が気力がなくなったようで、やはり引退のことを考えているのではないかを感じさせたのです。
幕下まで上がって関取になれる力があったような力士だっただけでも引退は非常に残念です。
 第二の人生は、成功して下さい!GOOD LUCK !


2006年、靖国神社にて
 








 霧の海 剛(きりのうみ つよし)
(元 秋の里 貴士(あきのさと たかし) 2001年秋場所から改め)

西幕下二十七枚目
本名 秋山貴志
1979年7月29日生  青森県八戸市白銀町出身
1995年春場所初土俵
181.5cm 159kg
2000年秋場所   西三段目二十九枚目 5勝2敗
2000年九州場所  西三段目筆頭    3勝4敗
2001年初場所   西三段目十五枚目  2勝2敗3休
2001年春場所   東三段目三十六枚目 2勝3敗2休
2001年夏場所   西三段目五十八枚目 公傷休場
2001年名古屋場所 西三段目五十八枚目 4勝3敗
2001年秋場所   西三段目四十一枚目 4勝3敗
2001年九州場所  東三段目二十八枚目 6勝1敗
2002年初場所   東幕下四十七枚目  5勝2敗
2002年春場所   西幕下三十三枚目  5勝2敗
2002年夏場所   東幕下十八枚目   4勝3敗
2002年名古屋場所 西幕下十二枚目   3勝4敗
2002年秋場所   東幕下十九枚目   2勝5敗
2002年九州場所  西幕下三十六枚目  3勝4敗
2003年初場所   西幕下四十八枚目  3勝4敗
2003年春場所   西幕下五十八枚目  5勝2敗
2003年夏場所   東幕下四十枚目   5勝2敗
2003年名古屋場所 東幕下二十七枚目  5勝2敗
2003年秋場所   西幕下十六枚目   3勝4敗
2003年九州場所  西幕下二十三枚目  4勝3敗
2004年初場所   東幕下十五枚目   2勝5敗
2004年春場所   西幕下三十枚目   2勝5敗
2004年夏場所   東幕下五十枚目   4勝3敗
2004年名古屋場所 東幕下四十三枚目  4勝3敗
2004年秋場所   東幕下三十八枚目  4勝3敗
2004年九州場所  東幕下三十三枚目  3勝4敗
2005年初場所   東幕下三十九枚目  5勝2敗
2005年春場所   東幕下二十枚目   3勝4敗
2005年夏場所   東幕下三十四枚目  3勝4敗
2005年名古屋場所 東幕下四十三枚目  4勝3敗
2005年秋場所   西幕下三十五枚目  2勝5敗
2005年九州場所  西幕下五十枚目   4勝3敗
2006年初場所   東幕下四十枚目   6勝1敗(幕下優勝 決定戦に参加)
2006年春場所   西幕下十七枚目   1勝5敗1休(5敗中、1敗は不戦敗)
2006年夏場所   東幕下四十一枚目  3勝4敗
2006年名古屋場所 西幕下五十枚目   4勝3敗
2006年秋場所   西幕下四十一枚目  5勝2敗
2006年九州場所  西幕下二十九枚目  3勝4敗
2007年初場所   西幕下三十七枚目  4勝3敗
2007年春場所   西幕下二十九枚目  4勝3敗
2007年夏場所   西幕下二十五枚目  3勝4敗  
2007年名古屋場所 西幕下三十四枚目  4勝3敗
2007年秋場所   東幕下二十七枚目  6勝1敗
2007年九州場所  東幕下十枚目    3勝4敗
2008年初場所   東幕下十五枚目   2勝5敗
2008年春場所   東幕下二十八枚目  5勝2敗  
2008年夏場所   西幕下十六枚目   3勝4敗   
2008年名古屋場所 東幕下二十三枚目  4勝3敗   
2008年秋場所   東幕下十九枚目   2勝5敗  
2008年九州場所  西幕下三十五枚目  4勝3敗
2009年初場所   西幕下二十七枚目  3勝4敗
(2009年春場所  東幕下三十四枚目引退後)

最高位 幕下10    通算300勝240敗42休
通算出場回数 539   勝率 55.7%
得意技 突き押し

 初土俵からの総合成績はじつに立派で、現在までの勝率では十文字を超えているのは大したものです。小学校時代に相撲をやり、賞をとっているそうです。

 2001年までは怪我に悩まされ、さんざんの不運でした。右膝を傷めていたのが、また悪くなり、四日 間取った後、休場のやむなきにいたりました。・/font>
 2001年秋場所では、霧の海と改名することになりました。
 
 2006年初場所では、優勝決定戦にまで参加して、何年ぶりのいい成績で、体調が回復したかのように思われましたけれども、まだ本物ではないようです。名古屋場所になってやっとまた勝越できました。それから、続けて、秋場所でも自分らしい成績を残しました。
 2008春場所、三場所ぶりの自分に似たような成績です。

 2009年初場所後引退し、二月十八日、部屋で断髪式が行われました。(小野川親方のブログを参照
 始めて会った時に、関取のような体格や圧迫力のあるこの人は、一度も関取になれなかったこと、信じられないこと、なんて不運なこと!

 なお、「相撲」2002年3月号および「大相撲」2002年5月号に、霧の海について紹介記事が出ています。
 
 
 
 
 
 
 


 霧美山(きりみやま)

成井 智史(なるい さとし)2002年12月改め
東序二段六十五枚目
1979年11月30日生  千葉県八千代市大和田新田出身
1999年春場所入門
178cm 97kg
1999年夏場所   東序ノ口五十六枚目  5勝2敗
1999年名古屋場所 東序二段百六十六枚目 3勝4敗
1999年秋場所   西序ノ口十八枚目   2勝5敗
1999年九州場所  西序ノ口二十六枚目  3勝4敗
2000年初場所   西序ノ口二十三枚目  2勝5敗
2000年春場所   西序ノ口二十五枚目  4勝3敗
2000年夏場所   東序二段百二十六枚目 3勝4敗
2000年名古屋場所 東序二段百四十一枚目 2勝5敗
2000年秋場所   東序ノ口十七枚目   4勝3敗
2000年九州場所  西序二段百十九枚目  3勝4敗
2001年初場所   西序ノ口四枚目    5勝2敗
2001年春場所   西序二段八十四枚目  1勝6敗
2001年夏場所   東序二段百十五枚目  4勝3敗
2001年名古屋場所 西序二段八十六枚目  4勝3敗
2001年秋場所   西序二段六十六枚目  4勝3敗
2001年九州場所  西序二段四十四枚目  2勝5敗
2002年初場所   東序二段七十三枚目  3勝4敗
2002年春場所   西序二段八十八枚目  3勝4敗
2002年夏場所   西序二段百五枚目   5勝2敗
2002年名古屋場所 西序二段五十四枚目  3勝4敗
2002年秋場所   西序二段七十二枚目  1勝6敗
2002年九州場所  西序二段百十枚目   休場
2003年初場所   西序二段百十枚目   5勝2敗
2003年春場所   西序二段六十七枚目  3勝4敗
2003年夏場所   東序二段八十七枚目  4勝3敗
2003年名古屋場所 西序二段六十一枚目  2勝5敗
2003年秋場所   西序二段九十三枚目  4勝3敗
2003年九州場所  西序二段六十四枚目  3勝4敗
2004年初場所   東序二段八十三枚目  4勝3敗
2004年春場所   西序二段五十七枚目  3勝4敗
2004年夏場所   東序二段七十六枚目  4勝3敗
2004年名古屋場所 西序二段五十二枚目  3勝4敗
2004年秋場所   西序二段七十二枚目  5勝2敗
2004年九州場所  西序二段二十九枚目  2勝5敗
2005年初場所   東序二段六十四枚目  4勝3敗
2005年春場所   東序二段四十枚目   5勝2敗
2005年夏場所   西序二段四枚目    3勝4敗
2005年名古屋場所 西序二段二十三枚目  3勝4敗
2005年秋場所   西序二段四十四枚目  3勝4敗
2005年九州場所  西序二段六十四枚目  5勝2敗
2006年初場所   西序二段二十二枚目  3勝4敗
2006年春場所   東序二段四十一枚目  3勝4敗
2006年夏場所   西序二段六十四枚目  4勝3敗
2006年名古屋場所 西序二段三十七枚目  3勝4敗
2006年秋場所   東序二段六十枚目   3勝4敗
2006年九州場所  東序二段七十九枚目  3勝4敗
2007年初場所   西序二段百二枚目   3勝4敗
2007年春場所   西序二段百十二枚目  3勝4敗
2007年夏場所   西序二段百十四枚目  3勝4敗  
2007年名古屋場所 西序二段百二十九枚目 5勝2敗
2007年秋場所   西序二段八十一枚目  3勝4敗
2007年九州場所  東序二段百一枚目   4勝3敗
2008年初場所   東序二段七十一枚目  4勝3敗
2008年春場所   西序二段四十四枚目  3勝4敗  
2008年夏場所   東序二段六十五枚目  2勝5敗   
(引退後2008年名古屋場所 東序二段九十五枚目)   

最高位 序二段4  通算180勝198敗7休
通算出場回数 378  勝率 47.7%

平成20年夏場所後引退

 内気で控えめな青年で、部屋では貴島が辞めてからは最軽量ですが、筋肉はつき始めています。軽いというハンディーで負 けることが口惜しくてたまらないらしく、懸命に稽古をしています。しかし冷静さが足りないので、いざというときにあわててしまって負けることがあるようで す。実力は現在の成績以上と見てまちがいないのですから、一歩ずつ実績をあげて行けば、相撲をえらんだのはまちがっていなかったと、いつかは自分に対して 証明できるようになれるかもしれません。
 2000年秋場所でも着実に勝ち越して、九州場所では自己最高位に達していたのですが、惜しくも三勝四敗にお わり、またしても序ノ口に転落してしまいました。2001年初場所の番付は、序二段の三勝四敗力士にとっては特にひどかったようです。あまりといえば不当 なことでした。
 しかしはたして、初場所では、五勝二敗というすばらしい成績をあげました。これは、成井の実力を見れば、当然 といえば当然のことかもしれませんが、軽量の上に指の腫れ上がったハンディーを克服し、よくもここまでやりとげたと、心からほめていいと思います。春場所 番付での序二段復帰、自己最高位到達は期待されていた通りですが、昇進後の序二段というところは、少しの勝ち負けでも大幅に響いて来る地位で、これは本人 が身をもって体験しているきびしい現実です。その意味で春場所の一勝六敗は痛かったのですが、これで気を落とすことなく、夏場所、名古屋場所、秋場所と三 場所連続勝ち越したのは、まことにうれしいことです。
 自己最高位をさらに更新したことは喜ばしいことですが、この地位はやや荷が重い(いわゆる家賃が高い)のか、 それとも体調が悪いのか、九州場所の成績は残念ながらかんばしくなく、番付もかなり落ちました。でもこれで落胆せず、今後も怪我にはくれぐれも気をつけ、 地道な努力が報いられるよう、祈ってやみません。
 2002年3月12日朝から、突然右目の下あたりが大きく腫れ、原因が分からずみんなが心配しました。でも夏場所では、めでたく五勝二敗をあげ、ひさしぶりの存在感を見せてくれました。
 名古屋場所が始まる前に、ぎっくり腰をやってしまい、そのため成績はあがりませんでした。名古屋場所千秋楽に は、成井は角界最年長の一ノ矢と対戦することになり、勝ちました。この大ベテランとの対決は、まことに印象的でした。ただし、この時、左肩を脱臼してしま い、九月場所が終わってから手術を受ける予定です。秋場所には怪我を押して出ましたが、ひどいハンディーを負っていることは明らかで、出場しただけでも立 派だといえます。しかし、手術のため十一月場所には出られませんでした。幸い、公傷と認定され、今はリハビリに励んでいます。
 霧美山と改名した後、2003年初場所には手術後の体で出場し、みごとに五勝二敗の好成績で勝ち越しをきめま した。春場所以降はやや足踏み状態がつづいています。これも二年前からずっと、治療してからなかなか治らない怪我のせいだとわかりました。ただ、2004 年秋場所前、本人は、本格的なウエートトレーニングの結果、最近十キロも体重が増えたといって、晴れそうな表情を見せていました。そしてさすがに、場所の 成績も好調でした。これで、九州場所の番付では久しぶりに自己最高位になりました。ただ、場所前には、右足を傷めたようです。そのために休むわけにはいか ないと言っていますが、問題は2005年、三月になっても、足首はまだだめのようです。それにしても、よーくがんばりましたね。夏場所の番付では自己最高 位でした。残念に、勝越しになれませんでしたけれども、九州場所ではいい成績を飾りました。
 ただし、年末に首の怪我をして、六ヶ月も経ってもずっと悩まされそうです。その上、足も傷めたので、秋場所中 歩くだけでも無理そうな様子でした。そんな状況を考えると、三勝四敗という成績をあげられたということは、非常にがんばったと言えるのではないでしょう か。怪我をゆっくり治すための時間が必要ですけれども、そんな時間があまりありません。
 秋場所現在、まだ首の怪我に悩まされているのです。立合いの時には特に大きな障害になっているのは大変です。
 九州場所での勝越し、おめでとうございます!首の怪我はどうなっているのでしょうか。

 平成20年夏場所限りで引退しました。断髪式は場所後の千秋楽打ち上げパーティーでした。
 引退は名古屋場所後に発表されました。さびしいことです、成井さん。これからも頑張りつづけるのは確かですけれども、もっと幸せで楽な生活を過ごせるよう、心から祈っています!
 
 
 



 

 霧昇 有康(きりのぼり ともやす)

西序ノ口二枚目
元 力涛  1998年名古屋場所から霧昇と改名
本名 前田有康   1975年4月27日生
静岡県裾野市深良出身  1997年名古屋場所入門
178cm 98,5kg
1998年初場所   東序ノ口二十四枚目  3勝4敗
1998年春場所   東序ノ口十八枚目   1勝6敗
1998年夏場所   東序ノ口十八枚目   5勝2敗
1998年名古屋場所 東序二段百三十一枚目 1勝6敗
1998年秋場所   西序ノ口八枚目    4勝3敗
1998年九州場所  西序二段百三十六枚目 3勝4敗
1999年初場所   西序ノ口筆頭     4勝3敗
1999年春場所   西序二段百二十枚目  3勝4敗
1999年夏場所   西序二段百三十九枚目 3勝4敗
1999年名古屋場所 西序二段百五十四枚目 3勝4敗
1999年秋場所   東序ノ口七枚目    4勝3敗
1999年九州場所  東序二段百三十八枚目 4勝3敗
2000年初場所   西序二段百九枚目   3勝4敗
2000年春場所   西序二段百二十一枚目 3勝4敗
2000年夏場所   西序二段百三十四枚目 2勝5敗
2000年名古屋場所 西序ノ口六枚目    5勝2敗
2000年秋場所   西序二段百七枚目   1勝6敗
2000年九州場所  東序ノ口九枚目    4勝3敗
2001年初場所   西序二段百六枚目   2勝5敗
2001年春場所   西序ノ口四枚目    4勝3敗
2001年夏場所   東序二段九十五枚目  3勝4敗
2001年名古屋場所 西序二段百八枚目   休場
2001年秋場所   西序ノ口四十枚目   休場
2001年九州場所  番付外        前相撲出場
2002年初場所   東序ノ口三十四枚目  5勝2敗
2002年春場所   西序二段九十八枚目  3勝4敗
2002年夏場所   西序二段百十一枚目  3勝4敗
2002年名古屋場所 西序ノ口四枚目    5勝2敗
2002年秋場所   西序二段七十八枚目  休場  
2002年九州場所  西序ノ口三十二枚目  5勝2敗
2003年初場所   西序二段八十九枚目  2勝5敗
2003年春場所   東序二段百六枚目   3勝4敗
2003年夏場所   東序二段百八枚目   3勝4敗
2003年名古屋場所 東序二段目百十九枚目 4勝3敗
2003年秋場所   西序二段八十九枚目  3勝1敗3休
2003年九州場所  西序二段百六枚目   2勝5敗
2004年初場所   東序ノ口六枚目    3勝4敗
2004年春場所   西序ノ口七枚目    3勝4敗
2004年夏場所   西序二段百二十枚目  4勝3敗
2004年名古屋場所 西序二段八十九枚目  3勝4敗
2004年秋場所   東序二段百十枚目   4勝3敗
2004年九州場所  東序二段八十一枚目  1勝6敗
2005年初場所   西序ノ口二枚目    3勝4敗
最高位 序二段78  通算130勝154敗24休
通算出場回数 284  勝率 45.8%
 陸奥部屋の若手としてはいちばんの古参者ですから(旧陸奥部屋時代からの弟子で)、土俵経験がゆたかなことはたしか で、体つきや態度までいかにも相撲取りらしく、初心者のようなところはまったくありません。番付上では後進たちに抜かれていても、先輩として一目置かれて いるようです。もともと冷静で、控えめな人なのですが、本来は負けん気も十分なのですから、現在のままであきらめるはずはないでしょう。
 2001年はさんざんの不運でした。怪我のための休場で、番付外にまで後戻りしていました。見るのも恐ろしいほど、右肩から耳までひどく腫れ上がっているのです。一日も早く運が開け、日々の努力が報いられることを祈ります。
 二場所つづいての休場のあと、九州場所では前相撲に出場しました。これで番付には載ることになりましたが、怪 我の状態はやはり思わしくないようで、心配です。それでも2002年初場所では五勝二敗をあげて序二段復帰を果たし、実力を見せたのですが、春場所、夏場 所と続けて、惜しくも一敗差で負け越し、またしても序ノ口へ転落です。肘に「ねずみ」といわれる骨の突起物があるので、腕に力が入らないのだそうです。し かし名古屋場所では五勝二敗、まさに気力で勝ち取った星でした。秋場所番付では、序二段で自己最高位に達しましたが、残念ながら肘の故障のため休場にな り、またまた序ノ口におとされました。しかし九州場所は気分一新、五勝二敗を獲得し、その結果、2003年初場所番付では序二段に復帰しましたが、成績は もう一つという状態がつづいたあと、名古屋場所でやっと勝ち越しました。秋場所では始めの三日間、休みになり、九州場所でも負け越したのがたたって、また しても序ノ口に戻されています。聞くところによると、この三年、ずっと首の怪我に悩まされていて、しかも腕の手術も失敗だったとのことです。本人はただ「力が入らず」といって元気なさそうな顔をしています。
 2004年の夏場所では、五場所ぶりの勝越しになりましたけれども、秋場所前の現在では、ファンからの応援がもうちょっとほしいと感じられます。

悲しいニュースです。我慢を重ねたあげく、とうとうこの 2005年初場所限りで辞める決意になりました。場所には千秋楽までやりましたが、断髪式はその終わり一月二十三日、千秋楽上げパーティーの会場で行われ ました。今まで陸奥部屋に入った新弟子の兄弟子役でした。八年間もがんばりました。
引退は相撲協会によって2005年1月26日に発表されました。
 
 

断髪式の時の大銀杏姿で

霧昇の断髪式の様子
















 
 

 霧の藤 広明(きりのふじ こうめい)
(霧の富士 改め

西序二段五十五枚目
本名 藤本智彦  1981年10月29日生
2000年初場所から霧の富士 同秋場所から霧の藤
佐賀県小城郡小城町出身 1999年夏場所入門
184cm 122kg
1999年名古屋場所 西序ノ口四十六枚目 6勝1敗
1999年秋場所   東序二段百三枚目  4勝3敗
1999年九州場所  東序二段七十九枚目 5勝2敗
2000年初場所   東序二段三十八枚目 3勝4敗
2000年春場所   東序二段五十六枚目 5勝2敗
2000年夏場所   東序二段十四枚目  2勝5敗
2000年名古屋場所 西序二段三十八枚目 2勝4敗1休
2000年秋場所   西序二段六十七枚目 6勝1敗
2000年九州場所  東三段目九十八枚目 5勝2敗
2001年初場所   西三段目六十四枚目 2勝5敗
2001年春場所   東三段目九十枚目  5勝2敗
2001年夏場所   西三段目五十九枚目 6勝1敗
2001年名古屋場所 東三段目六枚目   2勝5敗
2001年秋場所   東三段目三十枚目  3勝4敗
2001年九州場所  西三段目四十八枚目 7勝0敗 三段目全勝優勝
2002年初場所   西幕下二十九枚目  0勝7敗
2002年春場所   西三段目三枚目   4勝3敗
2002年夏場所   西幕下五十五枚目  4勝3敗
2002年名古屋場所 東幕下四十五枚目  4勝3敗
2002年秋場所   東幕下三十八枚目  5勝2敗
2002年九州場所  東幕下二十一枚目  3勝4敗
2003年初場所   西幕下三十一枚目  4勝3敗
2003年春場所   西幕下二十三枚目  1勝6敗
2003年夏場所   西幕下五十一枚目  6勝1敗
2003年名古屋場所 西幕下二十枚目   5勝2敗
2003年秋場所   東幕下十二枚目   3勝4敗
2003年九州場所  東幕下二十枚目   0勝1敗(不戦敗)6休
2004年初場所   東三段目二枚目   5勝2敗
2004年春場所   西幕下三十九枚目  2勝5敗
2004年夏場所   東三段目五枚目   4勝3敗
2004年名古屋場所 東幕下五十六枚目  全休
2004年秋場所   西三段目三十六枚目 全休
2004年九州場所  西三段目九十五枚目 全休
2005年初場所   西序二段五十五枚目 全休
最高位 幕下12  通算113勝90敗37休
通算出場回数 202  勝率 55,9%

2005年1月26日引退発表

 もとサッカーをやっていたスポーツマンで、運動神経は抜群、ほがらかでにこにこと明るい性格で、気が合いさえすればお しゃべりもきらいではないようです。稽古で、どんなつらいことをやってもいやな顔を見せません。相撲をはじめてから、まだわずかにしかならないのに、たち まちにして進歩し、筋肉もつき、成績も先輩たちを追い越してあっという間に部屋のトップランナーの列に入ってしまいました。稽古でも、今までになかった攻 撃性が出て来て、当って行くさまはまさに人間魚雷の凄さを見せています。

 2000年秋場所ではみごとな成績をあげ、通算成績でも部屋のトップクラスに入ったのは立派なものです。その結果、めでたく三段目へ昇進し、九州場所でもふたたび好成績で、初場所番付では自己最高位に達しました。
 2001年初場所から、霧の富士という大きな四股名を名乗ることになり、期待されていたのですが、痛恨の二勝 五敗を喫してしまいました。三段目の壁はやはり厚いと言えるのでしょうか。その壁を、春場所ではついに破ったのです。壁を乗り越えての五勝二敗なのですか ら、その重みは、格別のものと言えます。そればかりではなく、夏場所でも快進撃はさらにつづき、六勝一敗という大成果をあげました。驚嘆に値することだと いえます。しかし残念なことに、名古屋場所は不調でした。秋場所からは、霧の藤と改名することになりましたが、その秋場所では三勝四敗と、痛恨の負け越し になりました。しかし全体的には、陸奥部屋の希望の星のひとつであることは間違いないのですから、怪我には気をつけて、さらに健闘を期待します。
 九州場所十三日目、全勝で三段目優勝を勝ち取りました。おめでとう。陸奥部屋にとっては、白馬の序二段優勝につづいて、はじめての三段目優勝を、霧の藤はなしとげたわけです。
 この結果、2002年初場所番付では西幕下二十九枚目にまで大昇進し、大先輩の星誕期、琉鵬、霧の海を追い越 す地位に進みました。入門以来ずっと相撲を教わってきた星誕期を抜いたというのは、なんといっても凄いことです。しかし、どう見てもこれは上がり過ぎた感 じで、これほどの地位を守り抜いて行くことがどんなに難しいかは、本人もよくわかっているでしょう。夢にも慢心することなく、虚心坦懐に一層の精進を続け て行くことができれば、将来は明るいといえます。
 師匠をはじめ心配していた通り、初場所では幕下の地位を守りきれず、全敗してしまいました。でも三段目で迎え た春場所では、四勝三敗で勝ち越し、夏場所番付では幕下に復帰できました。この地位での四勝三敗は、まことに貴重です。つづいて名古屋場所でも勝ち越しま した。この三回連続の勝ち越しからみると、幕下の厳しい地位に馴れてきたと言えるでしょう。本人も満足そうな顔をしています。夏中、上位との稽古を懸命に やっていました。強い相手との猛稽古が身上のようなもので、中でも十文字にはどうしても勝てないらしいのですが、負けても負けてもものともしないでぶつ かっています。
 秋場所での五勝二敗、九州場所番付での自己最高位到達は、この火を噴くような稽古のたまものに他なりません。 実に立派なことです。九州場所では惜しくも一敗差で負け越しましたが、古豪力士たちのひしめいている幕下上位では、やむを得ないことと言わなければならな いでしょう。2003年初場所以来の総合成績を見ると、いよいよ幕下定着は、本物と言えそうです。はたして、秋場所番付では、自己最高位の東幕下十二枚目 に達しています。霧の若、白馬とならんで、陸奥部屋若手のホープのトップに立っているわけで、大いに期待されます。

 九州場所ではヘルニアで休場、まことに残念なことでしたが、最近はなおって稽古にはげんでいます。2004年初場所の成績は、まことに立派でした。
また大変なことに、2004年七月場所では、足の手術のため、名古屋へは来られないそうです。せっかく帰り幕下 でしたので、これでまた後退になってしまいます。秋場所前、松葉つえをついて歩く様子を見れば、回復がまだまだ時間がかかることがわかります。その時は、 本人は落ち込んだような表情はなく、ちゃんと我慢強くて、冷静に回復を待つという感じでした。ただ、その間、怪我はあまり治らないと言うか、突然やめよう という態度を見せています。とにかく、九州場所へは出ません。今までがんばった人の中の一人でしたので、もったいないことをしないでほしいです。強いです から、もし下まで落ちても、始めからやりなおせる力は問題なくあります。

 なお、霧の藤の紹介記事は、『相撲』2001年12月号、『大相撲』2001年12月号と2002年1月号、『NHK大相撲中継』2002年1月号など、各誌に掲載されています。

 とうとう、霧の藤の引退が2005年1月26日に発表されました。
 
 



 

 和歌嵐 克己(わかあらし かつき)

三段目四十三枚目
本名 山田克己  1977年5月20日生
和歌山県古座町出身  1999年春場所入門
177cm 127kg
1999年夏場所   序ノ口十九枚目  6勝1敗
1999年名古屋場所 序二段八十五枚目 4勝3敗
1999年秋場所   序二段五十九枚目 6勝1敗
1999年九州場所  三段目九十六枚目 3勝4敗
2000年初場所   序二段十八枚目  5勝2敗
2000年春場所   三段目八十枚目  4勝3敗
2000年夏場所   三段目六十一枚目 4勝3敗
2000年名古屋場所 三段目四十三枚目 2勝5敗
2000年秋場所   三段目六十九枚目 3勝4敗
2000年九州場所  三段目八十六枚目 4勝3敗
2001年初場所   三段目六十七枚目 2勝5敗
2001年春場所   三段目九十五枚目 4勝3敗
2001年夏場所   三段目七十六枚目 休場
2001年名古屋場所 休場後、7月25日引退
最高位 三段目43  通算47勝37敗14休
通算出場回数 84  勝率 56.0%
 陸奥部屋の若手の中ではスピード出世で、たった一人、あっという間に三段目まであ がってしまいました。一度は序二段にもどったこともありましたが、その後は三段目にすっかり定着したという感じです。組んでもよし、離れてもよしといった 取り口です。お見事としかいいようがありません。若手では霧昇に次ぐ年長者で人生経験があり、体重もあり、柔道もやっていたことから、あまり抵抗なしに相 撲の世界に住みつくことができたのでしょうか。ものわかりのいい落ち着いた性格で、おとなしく、地位があがっても態度をかえないし、すこしも威張らないと いうのもじつに立派なことです。陸奥部屋の希望の星といいたいところですが、三段目から上にあがるのはまだまだたいへんだということは、本人もよくわかっ ているようです。
 2000年名古屋場所、秋場所では惜しくも負け越し、九州場所は四勝三敗でしたが、2001年初場所では、二 勝五敗となってしまいました。十年以上もの経験をもつ人も少なくない三段目で勝ち抜くということは、想像以上のものがあるのでしょう。春場所では勝ち越し ていたのですが、最近は自分の限界を感じたのか、すっかり落ち込んでいるらしく、心配です。三段目の壁、また相撲修行の道がどんなに厳しいものなのかを、 ひしひしと感じさせます。二場所つづけて休場した後、2001年名古屋場所後、ついに引退することになりました。まことに惜しいことです。
 





  綿川 裕延 (わたがわ・ひろのぶ) 
西序二段六十枚目
前相撲(2勝1敗)
1989年9月6日生 青森県弘前市出身
2008年春場所入門 二番出世
179.5cm 114.6kg 
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2008年夏場所   東序ノ口十七枚目     5勝2敗   
2008年名古屋場所 西序二段九十五枚目    4勝3敗   
2008年秋場所   西序二段六十九枚目    2勝5敗
2008年九州場所  西序二段百一枚目     5勝2敗
2009年初場所   西序二段五十七枚目    4勝3敗
2009年春場所   東序二段三十枚目     3勝4敗
2009年夏場所   西序二段五十二枚目    1勝5敗1休 (5敗中、一敗は不戦敗)
2009年名古屋場所 西序二段九十七枚目    6勝1敗

2009年秋場所   西序二段十九枚目     4勝3敗
2009年九州場所  西三段目百枚目   休場
2010年初場所   西序二段六十枚目   休場

2010年初場所後引退

最高位 三段目100 通算34勝28敗9休
通算出場回数 61    勝率 55.7%

  陸奥部屋に珍しく、相撲経験を中学一年生の時から(柔道部で)持っている人だそうです。やる気を十分もっているようです。
ただ、緊張感に弱いそうです。秋場所には、きっと番付が上がり過ぎてだめでした。
  2009年初場所、春場所の番付にも、続けて自己最高位です。夏場所は、途中休場もあって、残念でしたね!
  秋場所にも自己最高位で、勝ち越しできたのが感心です。
  九州場所に三段目昇進です!おめでとうございます!稽古で怪我をしたのでしょうか?残念なことに、九州場所、初場所には休場になってしまいました。
  引退が1月27日に発表されました。
  九月場所の時、かなり苦しそうな様子でした。やはり、その後あきらめてしまったのでしょう。強くなりそう、またやる気もあったような人ですから残念です。綿川くん、ご苦労さまでした!







高峰(たかみね)
石原 将伸 (いしはら・まさのぶ) 改め
霧駒(きりこま)(2010年春場所のみ
西序二段百八枚目
前相撲(3勝1敗)
1991年3月4日生 岐阜県出身
2007年九州場所入門
181.5cm 137.4kg 

2008年初場所   西序ノ口三十枚目   4勝3敗
2008年春場所   東序二段百四枚目   3勝4敗 
2008年夏場所   東序二段百十四枚目  4勝3敗   
2008年名古屋場所 東序二段八十三枚目  3勝4敗   
2008年秋場所   西序二段百五枚目   3勝4敗
2008年九州場所  東序二段百十四枚目  5勝2敗
2009年初場所   東序二段七十枚目   5勝2敗
2009年春場所   東序二段二十八枚目  3勝4敗  
2009年夏場所   東序二段四十九枚目  3勝4敗
2009年名古屋場所 西序二段七十四枚目  3勝2敗2休(2敗中、1敗は不戦敗)
2009年秋場所   東序二段九十九枚目  5勝2敗
2009年九州場所  西序二段四十八枚目  4勝3敗
2010年初場所   東序二段二十五枚目   5勝2敗
2010年春場所   東三段目九十五枚目  2勝4敗1休(4敗中、1敗は不戦敗)
2010年夏場所   東序二段二十三枚目  4勝3敗
2010年名古屋場所 東序二段五枚目    2勝3敗2休(3敗中、1敗は不戦敗)
2010年秋場所   東序二段三十八枚目   休場
2010年九州場所  西序二段百八枚目     休場

九州場所後引退

 

最高位 三段目95 通算58勝48敗22休
通算出場回数 104    勝率 55.8%

 全くお相撲さんらしい顔をしている人で、技もかなり上手です。これから強くなるのは間違いありません。真面目で力のある人ですから。
 2009年初場所野番付では三場所ぶり、自己最高位になりました。春場所にも、自己最高位です。
 2010年初場所の番付には、自己最高位で、5勝もあげました。
 春場所の番付には、三段目昇進と同時に霧駒と改名しました(1場所かぎり)。次の夏場所には、また前のしこ名の高峰に戻りました。






 楢橋 親一 (ならはし しんいち)

三段目九十六枚目
1981年4月24日生  福岡市東区出身
1998年春場所入門
175cm 91kg
1998年夏場所   東序ノ口四十三枚目  3勝4敗
1998年名古屋場所 東序ノ口三十三枚目  5勝2敗
1998年秋場所   西序二段百五十三枚目 2勝5敗
1998年九州場所  西序ノ口十三枚目   2勝5敗
1999年初場所   西序ノ口二十四枚目  4勝3敗
1999年春場所   西序二段百三十八枚目 3勝4敗
1999年夏場所   西序二段百五十三枚目 3勝4敗
1999年名古屋場所 東序ノ口筆頭     4勝3敗
1999年秋場所   東序二段百三十五枚目 3勝4敗
1999年九州場所  東序二段百五十二枚目 5勝2敗
2000年初場所   西序二段百一枚目   2勝5敗
2000年春場所   東序二段百二十二枚目 3勝4敗
2000年夏場所   東序二段百三十五枚目 4勝3敗
2000年名古屋場所 東序二段百五枚目   4勝3敗
2000年秋場所   西序二段七十八枚目  3勝4敗
2000年九州場所  東序二段九十二枚目  5勝2敗
2001年初場所   東序二段五十一枚目  3勝4敗
2001年春場所   東序二段六十五枚目  3勝4敗
2001年夏場所   西序二段八十枚目   3勝4敗
2001年名古屋場所 東序二段九十四枚目  5勝2敗
2001年秋場所   東序二段五十二枚目  4勝3敗
2001年九州場所  西序二段二十八枚目  5勝2敗
2002年初場所   東三段目九十六枚目  2勝5敗
2002年春場所   東序二段二十五枚目  休場
2002年夏場所   西序二段九十六枚目  休場
2002年5月27日引退
最高位 三段目96  通算80勝81敗14休
通算出場回数 161  勝率 49.7%
 デビュー当時はやせていたのですが、最近は見違えるほど筋肉がついて来ていました。 はじめのうちは稽古熱心とはいいにくかったのですが、その後は真剣に努力をかさねていることが目に見え、稽古をいちばん熱心にやっている組に入っていまし た。怪我もおそれないで相手に立ち向かって行き、危険なひっくり返り方で落ちたり、壁にぶつかったりして傷を負っているのは、見ていてもなんともこわい感 じでした。安心して見られるようになるのには、まだまだ体重がほしいところでしょう。始めのうち見られた、ちょっととりつきにくい、コンプレックスのかた まりのような性格からはその後は完全に脱し、自分の能力の限界に挑戦してこれを克服し、ほんものの自信をつけるというところまで、すでに行っていた感じ で、1998年に新生陸奥部屋が発足してから最初に入った第一期生五人の中では、もっとも有望であることはたしかでした。
 2000年の九州場所では五勝二敗をあげてみごとに期待にこたえ、自己最高位にあがっていたのに、2001年 初場所の一敗差の負け越しで十四枚も下がったのは、まことに惜しいことでした。春場所、夏場所でも、またもや三勝四敗がつづいていましたが、名古屋場所で は五勝二敗でみごとに勝ち越し、新番付では失地回復がかないました。つづいて秋場所でも四勝三敗で自己最高位となり、九州場所でも五勝二敗と、立派な成績 でした。命がけといえる稽古の成果が、実を結びつつあったわけで、かくして2002年初場所番付では、ついに三段目に昇進しました。必死の稽古で培われて きた実力が、やっと認められたわけです。
 この人の永遠の課題は、いかにして軽量というハンディーを乗り越えて行くかということでした。三段目には重量 の古株力士たちがひしめいているので、この地位で軽量を技で補って行くということはまことに厳しいといえます。春場所、夏場所と連続休場し、5月27日付 けで引退しました。まことに惜しい力士を失ったといえます。
 



        桜島 弘聖(さくらじま こうせい)

       番付外ー引退
       本名 下迫弘聖 2000年秋場所から桜島となる
       1982年6月1日生 鹿児島市出身
       1998年春場所入門
       179cm 107.5kg
       1998年夏場所   西序ノ口三十九枚目  1勝5敗1休
       1998年名古屋場所 西序ノ口四十二枚目  2勝4敗1休
       1998年秋場所   西序ノ口四十三枚目  3勝4敗
       1998年九州場所  東序ノ口三十二枚目  2勝5敗
       1999年初場所   東序ノ口三十三枚目  2勝5敗
       1999年春場所   西序ノ口二十六枚目  2勝5敗
       1999年夏場所   東序ノ口六枚目    2勝5敗
       1999年名古屋場所 東序ノ口二十二枚目  5勝2敗
       1999年秋場所   東序二段百三十四枚目 1勝3敗3休
       1999年九州場所  東序ノ口九枚目    2勝5敗
       2000年初場所   西序ノ口二十一枚目  4勝3敗
       2000年春場所   西序二段百二十六枚目 4勝3敗
       2000年夏場所   西序二段九十八枚目  1勝2敗4休
       2000年名古屋場所 東序二段百三十二枚目 休場
       2000年秋場所   西序ノ口四十枚目   4勝3敗
       2000年九州場所  東序ノ口三枚目    5勝2敗
       2001年初場所   西序二段八十八枚目  1勝3敗3休
       2001年春場所   東序二段百十八枚目  3勝4敗
       2001年夏場所   西序二段百十九枚目  4勝3敗
       2001年名古屋場所 東序二段九十枚目   休場
       2001年秋場所   東序ノ口三十八枚目  休場
       2001年九州場所  番付外        前相撲出場
       2002年初場所   西序ノ口三十枚目   5勝2敗
       2002年春場所   西序二段九十四枚目  4勝3敗
       2002年夏場所   西序二段六十九枚目  2勝5敗
       2002年名古屋場所 西序二段百枚目    3勝4敗
       2002年秋場所   東序ノ口筆頭     3勝4敗  
       2002年九州場所  西序ノ口十枚目    5勝2敗
       2003年初場所   東序二段七十五枚目  2勝5敗
       2003年春場所   西序二段九十八枚目  5勝2敗
       2003年夏場所   東序二段五十四枚目  2勝5敗
       2003年名古屋場所 東序二段八十九枚目  3勝4敗
       2003年秋場所   東序二段百八枚目   3勝4敗
       2003年九州場所  東序ノ口五枚目    5勝2敗 
       2004年初場所   西序二段六十四枚目  休場
       2004年春場所   東序ノ口二十二枚目  休場
       2004年夏場所   番付外        --
       2004年5月26日 引退発表
       最高位 序二段54  通算90勝108敗47休
       通算出場回数 198  勝率 45.5%

 第一期生の中でいちばん陽気な人でしたが、このごろはすっかり変わってきました。手に怪我をして、稽古もあまりできな い状態がつづいたあ
と、今のままではいられないという意識が目覚めてきたようです。しかし、根はやさしい性格なのです。最近では、稽古態度も成長して来ま し
た。懸命にやりながらも、しかも余裕を残しているありさまは、明らかに大人としての自信と常識ができて来たことを示すものです。
 前から番付運が悪かった上、三年も前からひきずっている手の怪我に加えて、右膝をやられてしまいました。この 状態では、いい相撲を取れと
いってもとても無理です。2001年名古屋場所以来の休場のため、九州場所ではついに番付外にまで落ちてしまいました。精神面 でも、ひどく落ち
込んでいるようです。回復と健闘を祈ってやみません。
 その2001年九州場所では、ようやく前相撲を取ることができて番付復帰がかない、つづく2002年初場所で は、五勝二敗の好成績をあげました。
春場所でも四勝三敗で勝ち越し、夏場所番付では自己最高位を更新したのですが、結果は残念なことに三場所連続の負け越 しでした。しかし九州
場所では持ち直し、五勝二敗を獲得して、2003年初場所番付では序二段に復帰しましたが、またもや負け越しました。でも春場所では 五勝二敗の
好成績をあげ、夏場所番付では東序二段五十四枚目、自己最高位に進みました。しかしその後は停滞しています。
 楢橋の引退以来、桜島はただ一人の新生陸奥部屋第一期生です。頑張ってもらいたいところですが、2004年初場所は、せっかく自己最高位にま
た近くなったところなのに、休場しました。現在、2004年夏場所では番付外になってしまいました。
 とうとう、五月二十六日付けで、引退が発表されました。そのわずか数日前に、以下のメッセージを受けました。

                    今場所、番付に名前が無くてびっくりしました。
                    もしかして・・・と悪い方へ考えてしまいました。
                    私は「おかみさん奮闘記」を見てから、陸奥部屋のファンになりなした。
                    でも今やあの当時いた新人5人も下迫君だけになってしまい、当時脱走をしてたから
                    凄く心配してたんだけど、私としては下迫君の力士姿をずーっと見ていたいです。
                    また、下迫君の土俵に上がる姿を撮りたいです。いつまでも応援しています(^^)
                    K. Takeshi
 



 

 白澤 隆志(しらさわ たかし)

序二段十八枚目
1982年12月6日生  静岡県豊岡村出身
1999年春場所入門
180cm 118kg
1999年夏場所   東序ノ口二十一枚目  3勝4敗
1999年名古屋場所 東序ノ口二十四枚目  5勝2敗
1999年秋場所   東序二段百三十八枚目 4勝3敗
1999年九州場所  東序二段百十枚目   3勝4敗
2000年初場所   西序二段百二十八枚目 3勝4敗
2000年春場所   東序二段百三十九枚目 3勝4敗
2000年夏場所   西序二段百四十二枚目 5勝2敗
2000年名古屋場所 西序二段九十三枚目  0勝3敗4休
2000年秋場所   東序ノ口十枚目    4勝3敗
2000年九州場所  東序二段百十三枚目  4勝3敗
2001年初場所   西序二段八十六枚目  5勝2敗
2001年春場所   東序二段四十六枚目  2勝5敗
2001年夏場所   西序二段六十八枚目  3勝4敗
2001年名古屋場所 西序二段八十枚目   5勝2敗
2001年秋場所   西序二段三十九枚目  4勝3敗
2001年九州場所  東序二段十八枚目   0勝2敗5休
2002年初場所   西序二段七十三枚目  公傷休場
2002年春場所   西序二段七十三枚目  5勝2敗
2002年夏場所   西序二段三十枚目   休場
2002年名古屋場所 東序二段百枚目         7月21日引退  
最高位 序二段18  通算58勝52敗23休
通算出場回数 110  勝率 52.7%
 行儀正しく開放的な性格で、頭もよく、常識をもって行動する自然体のタイプで、相撲 界でも成功すると考えられますが、勝負師としてはおとなしすぎるぐらいです。落ち着いていますが、均衡のとれた性格のためか、闘争心はあまりないようで す。無理をすることをおそれないで自分の限界に挑戦するという習性をもっていないのでしょう。それでも成功の道は十分残されているということを、この人は 証明しているのです。2000年名古屋場所では、肘の故障のため入院、手術という事態になり、成績があがらなかったのは残念でしたが、手術の後の回復はめ ざましく、傷跡は今でもいたましく残っていますが、秋場所では勝ち越して、めでたく序二段への復帰を果たし、九州場所もつづいて勝ち越してまたも自己最高 位になりました。この上昇気流にうまく乗って行くため、怪我にはくれぐれも気をつけて、自信を持って実力で勝負していくことを期待します。
 2001年初場所でも、この期待をみごとに裏書きする五勝二敗の好成績をあげ、つづけて自己最高位を更新した のは、まことに喜ばしいことでした。ちょっと見ただけではあまり目立たないように見えるこの人は、過去の実績を見ても明らかな通り、着実に出世街道を一歩 ずつ進んでいたのです。春場所では残念なことに二勝五敗、夏場所では、一敗差の惜しい負け越しでした。しかし、名古屋場所は五勝二敗の好成績をあげ、その 結果、秋場所、九州場所と連続で自己最高位を更新しました。怪我さえなければ、将来への見通しは明るかったといえます。
 ところが、九州場所では左脚靱帯を切ってしまって、二番取った後、休場を余儀なくされました。不運だったとし かいいようがありません。休場は2002年初場所でもつづいていましたが、春場所には出場し、めでたく五勝二敗で勝ち越しました。しかし夏場所はまた休 場、やる気がなくなったと言って自分で髷を切ってしまい、7月21日に引退することになりました。好成績のあとだけに、まことに残念なことであり、また陸 奥部屋としても、有望な力士をまた一人失うことになります。
 


 野村(のむら)道広

 
序二段六十六枚目
1982年10月4日生  鹿児島県姶良町出身
1998年春場所入門
177.5cm 89kg
最高位 序二段66  通算35勝56敗14休
通算出場回数 91  勝率 38.5%
2000年秋場所後引退
 一人でいるのが好きという、内気でおとなしい性格です。ながい間、膝の怪我に苦しん でいて、これが土俵でたいへんなハンディーになっていることはまちがいなく、名古屋場所、秋場所と連続休場、序ノ口に転落してしまい、秋場所後、引退しま した。これで、実に残念なことですが、新生陸奥部屋第一期生五人のうち、残っているのは楢橋と下迫(桜島と改名)だけになってしまいました。
 


 一求 裕一(いっきゅう ゆういち)

序二段七十枚目
本名 宇部裕一  1983年4月9日生
青森県八戸市出身 1999年春場所入門
176cm 80.5kg
1999年夏場所   序ノ口二十二枚目  5勝2敗
1999年名古屋場所 序二段百四十四枚目 3勝4敗
1999年秋場所   序二段百五十七枚目 4勝3敗
1999年九州場所  序二段百二十九枚目 2勝5敗
2000年初場所   序ノ口五枚目    5勝2敗
2000年春場所   序二段百枚目    3勝4敗
2000年夏場所   序二段百十八枚目  4勝3敗
2000年名古屋場所 序二段九十一枚目  3勝4敗
2000年秋場所   序二段百十枚目   4勝3敗
2000年九州場所  序二段八十五枚目  2勝5敗
2001年初場所   序二段百十七枚目  5勝2敗
最高位 序二段70  通算40勝37敗
通算出場回数 77  勝率 51.9%
2001年初場所後、引退

 負けん気で、真面目で、頭のいい青年です。軽量をものともしないで、かなりいい通算 成績をあげていたのは、お見事といえるでしょう。順番を争って稽古にはげみ、すごい懸命ぶりでした。きびしい相撲社会の中で、軽量で成果をあげ、上にあ がっていくためには、必死で稽古するしかないと考えていることが、見ているだけで読み取れるのです。
 過去の成績では、いい時とよくない時とのバラツキがやや見られますが、全体としては、年月がかかっても着実 に、技をみがき、上向きの道をたどっていたといえます。2000年名古屋場所では、十三日目の一番にきわどいところで勝っていたのに、誤審の犠牲となって 負けと判定されてしまったため、惜しくも一番の差で負け越しました。秋場所での勝ち越しは当然で、自己最高位に達していたのですが、九州場所はまた負け越 しです。どんなにか口惜しかったことでしょう。
 今回改名し、初場所では一求という四股名で土俵に臨みました。心機一転し、今度こそは運が開けることを切に 祈っていたところ、めでたく五勝二敗という好成績をあげ、自己最高位に達しました。軽量をみごとに克服してのことなのですから、実に見上げたもので、まこ とに喜ばしいかぎりでした。
 しかしながら、本人は前途に自信が持てないのか、軽量での限界を感じたのか、初場所後、引退する意志を師匠に 表明しました。自己最高位での引退です。花道としては立派なものですが、これで有望力士の一人を失ってしまったことは、陸奥部屋にとっては返す返すも遺憾 な出来事であると言わなければなりません。
 
 



 

 上山(うえやま)孝幸

序二段八十四枚目
1982年4月11日生
鹿児島県姶良町出身
1998年春場所入門
177cm 84.5kg
最高位 序二段84
2000年夏場所後引退
 当時、親方は、新弟子の中でいちばん身体がやわらかいといっていました。テレビ番組 のなかでも、部屋の前の歩道でみごとなどんでん返しをして見せていました。茶目っ気はありましたが、勝負師としての素質が足りなかったのでしょうか。精魂 つきはてて、部屋を去って行ったのです。
 
 


 貴島 雅博(きじま まさひろ)

序二段百三枚目
1982年3月23日生  埼玉県鷲宮町出身
1998年九州場所入門
174cm 62.5kg
1999年初場所   東序ノ口四十五枚目  0勝7敗
1999年春場所   東序ノ口四十枚目   0勝7敗
1999年夏場所   東序ノ口五十九枚目  3勝4敗
1999年名古屋場所 西序ノ口三十九枚目  2勝5敗
1999年秋場所   東序ノ口四十枚目   3勝4敗
1999年九州場所  西序ノ口二十九枚目  1勝6敗
2000年初場所   西序ノ口三十四枚目  3勝4敗
2000年春場所   西序ノ口二十六枚目  3勝4敗
2000年夏場所   東序二段百五十五枚目 1勝6敗
2000年名古屋場所 西序ノ口二十一枚目  4勝3敗
2000年秋場所   西序二段百三十一枚目 1勝6敗
2000年九州場所  東序ノ口二十枚目   2勝5敗
2001年初場所   東序ノ口二十三枚目  3勝4敗
2001年春場所   西序ノ口十九枚目   1勝6敗
2001年夏場所   西序ノ口七枚目    3勝4敗
2001年名古屋場所 西序ノ口十六枚目   2勝5敗
2001年秋場所   東序ノ口二十六枚目  4勝4敗
2001年九州場所  西序二段百十七枚目  1勝6敗
2002年初場所   西序ノ口十五枚目   4勝3敗
2002年春場所   西序二段百三枚目   休場
2002年夏場所   西序ノ口二十四枚目  1勝0敗6休
2002年名古屋場所 東序ノ口三十四枚目        引退
最高位 序二段103  通算42勝93敗13休
通算出場回数 135  勝率 31.1%
 やせっぽちの身体で(なんと62キロの軽量だったのがこのごろやっと67キロまで 行っているらしいのですが)、デブばかりが横行している今の相撲の世界では、まことに異質な感じです。いうまでもなく、相撲界の最軽量力士はこの人です。 見るからにデリケートな性格、優しい身ごなしで、バレエとか、フィギュアスケートとか、体操などの選手にしてもおかしくないと思わせるほどです。それでも 相撲をやるというのは、本人が自分に課した試練のようなもので、なんと言われようとやりとげて見せるという心がまえがうかがえるのは、見上げたものです。 人に対しての思いやりもあり、文字通り心も強くやさしいといえます。
 2000年名古屋場所ではすばらしい技を見せて、はじめて勝ち越し、自己最高位に達していたのですが、重い相 手に出されてしまうことが多く、九州場所からは序ノ口へ転落の憂き目に会い、軽量を技とスピードで補うことがどんなにむずかしいかをひしひしと感じさせま した。だいぶ落ち込んでいる様子が見え、見ている方もつらいようなありさまですが、ここが正念場なのですから、気力をふりしぼってなんとか踏みこたえ、危 機を乗り越えるべきです。
 この頃では、やせた体にも筋肉がついて来たのですが、土俵上で対戦相手と向かいあった時、あまりにも体つきが 違うのはなんともしがたく、これで勝つのは奇蹟としか思えません。その奇蹟が、2001年初場所の千秋楽に起こったのです。よくやったと心から言いたいと ころです。しかしながら、春場所では一勝六敗となってしまいました。まさに悲劇です。その意味で、夏場所の三勝四敗は、努力の成果だといえます。名古屋場 所では二勝五敗でした。
 秋場所では、はじめて調子がよく、三連勝のあと四勝三敗で勝ち越していたのですが、十四日目になってから、も う一番取らされることになりました。しかも相手は、この場所で序ノ口優勝をすることになる、モンゴル出身の大翔地で、苛烈な取り口で突き出されてしまった のです。七場所ぶりのうれしい勝ち越しに、花を添えることがかなわなかったのは、まことに痛恨のできごとでした。九州場所の新番付では序二段に復帰、自己 最高位達成がかないました。まさに超人的な努力の成果、心からおめでとうと言いたいところでしたが、場所が終わってみると一勝六敗、新番付では序ノ口へ逆 戻りです。どんなにか無念なことしょう。
 2002年初場所での三度目の勝ち越しは、まことに貴重でした。
 この人の永遠の課題は、なんとしても体重をつけることですが、どうしてもたくさんは食べられないということで、これがまことに心配です。下位力士にはつきもののつらい雑用をやらされながら、それでも頑張って相撲に懸命にはげんでいる姿には、文字どおり頭が下がります。

 自分の体重ではやはり駄目かなあ、ともう2年近く迷ったあげく、とうとう辞める決意をしてしまったのです。
 現代相撲の歴史で、軽量力士の一人として彼の名前は残るにちがいありません。
 
 



 
 
 

 天心 剛 (てんしん つよし)

番付外
1988年1月7日生 鹿児島県大島郡(奄美大島笠利町出身
本名 伊東 天心
2003年春場所入門 3月17日新弟子検査合格 新序二番出世
177cm 98,5kg  
2003年夏場所   西序ノ口三十一枚目  4勝3敗
2003年名古屋場所 西序二段百七枚目   2勝4敗1休
2003年秋場所   東序ノ口十枚目    3勝4敗
2003年九州場所  東序ノ口十五枚目   3勝4敗
2004年初場所   東序ノ口十三枚目   4勝3敗
2004年春場所   西序二段九十六枚目  3勝4敗
2004年夏場所   西序二段百十一枚目  4勝3敗
2004年名古屋場所 東序二段八十二枚目  4勝3敗    
2004年秋場所   東序二段五十七枚目  2勝5敗
2004年九州場所  西序二段八十五枚目  4勝3敗
2005年初場所   西序二段六十枚目   3勝4敗
2005年春場所   西序二段七十八枚目  全休 
2005年夏場所   東序の口八枚目    全休
2005年名古屋場所 番付外
最高位 序二段57  通算36勝40敗15休
通算出場回数 76 勝率 47.4%


 いかにも南の島の少年らしく褐色の肌、締まった体をしていて、将来有望と期待されます。2003年春場所で新序二番出世となりました。
 本名「伊東天心」の下の名前をそのまましこ名とし、これに師匠の好みでもある「剛」を加えることが決まり、幕下 霧の海 剛、序二段の霧桜 剛につづいて、陸奥部屋で三人目の「剛」が登場しました。
 名古屋場所のちょっと前、麻疹にかかって、場所の始めの日は休みましたけれども、三日目から出場できるように なりました。ただし、休みがたたって、序ノ口に転落、番付の上では損をし、その後もじり貧状態がつづいています。2004年初場所では勝ち越しでした。夏 場所も、勝越しました。名古屋場所では、自己最高位になり、勝越しもしましたので、これで連続勝越しになり、本人もほっとするでしょう。入門してからいろいろ苦労はあったでしょうが、活発で素直な性格が印象的です。

 残念なことに、春場所から休場が二度も続いていたので、名古屋の番付では番付外になってしまいました。
そして、七月場所限りで、退院が発表されることになります。本当に残念です。
 
 


行司 式守厚介 (しきもり・こうすけ)

序二段行司
本名 橋本 亮介(はしもと・りょうすけ)
1990年5月27日生  福岡県福岡市出身
2006年夏場所初土俵 
2007年九州場所以降序二段行司 

  
5月場所前辞めました。行司の仕事はすごく上手で、いろいろな人に誉められました。
 


 
 2007年靖国奉納相撲の写真




 
 

 原田 大輔(はらだ だいすけ)

序二段百二十三枚目
1982年10月5日生  兵庫県篠山市出身
2000年夏場所入門
171.5cm 79.5kg
2000年秋場所   東序ノ口三十八枚目  0勝2敗5休
2000年九州場所  西序ノ口三十六枚目  3勝4敗
2001年初場所   西序ノ口二十五枚目  3勝4敗
2001年春場所   西序ノ口二十一枚目  3勝4敗
2001年夏場所   東序二段百三十二枚目 3勝4敗
2001年名古屋場所 西序ノ口十三枚目   3勝4敗
2001年秋場所   東序ノ口十六枚目   2勝5敗
2001年九州場所  東序ノ口二十五枚目  4勝3敗
2002年初場所   東序二段百十三枚目  1勝6敗
2002年春場所   西序ノ口十五枚目   休場
2002年夏場所           番付外(引退)
最高位 序二段113  通算23勝42敗12休
通算出場回数 65  勝率 35.4%
 おとなしい性格で、陸奥親方にあこがれて相撲の世界に入って来た青年です。柔道の経 験があります。おとなしすぎて闘争心がないので、もともと相撲に向いているとはいえないでしょうが、少しずつ慣れて来ています。はじめの頃にくらべると、 負けがこんでくるのにどうすれば対応できるのかというこつは、だんだん身について来ているように感じます。いずれにしても、体がきゃしゃなので、勝ち進む ためには人より数倍の努力が必要であることはたしかで、それにどこまで耐えて行かれるかということが一番の問題でしょう。
 五場所つづけて、一敗差で負け越し、これはむしろ、前途に希望がもてる前兆と見てもいいのではないかと思って いたのですが、秋場所では、二勝五敗となってしまいました。まことに残念なことです。しかし九州場所では四勝三敗で、はじめての勝ち越しを達成し、初場所 番付では自己最高位に達しました。これがばねになって、将来につながることを祈っていたのですが、結果は惜しくも一勝六敗でした。春場所は休場で、そのた め番付外に転落し、夏場所では引退してしまいました。返す返すも残念なことです。
 
 



 

 栃谷 漢将(とちたに くにゆき)

序二段百二十九枚目
1983年9月18日生  大阪市城東区出身
1999年春場所入門
182cm 112.5kg
1999年夏場所   西序ノ口三十三枚目  0勝2敗5休
1999年名古屋場所 東序ノ口五十二枚目  0勝1敗6休
1999年秋場所   番付外
1999年九州場所  番付外
2000年初場所   東序ノ口四十二枚目  0勝7敗
2000年春場所   西序ノ口三十九枚目  2勝5敗
2000年夏場所   西序ノ口五枚目    3勝4敗
2000年名古屋場所 東序ノ口十五枚目   3勝4敗
2000年秋場所   東序ノ口二十三枚目  2勝5敗
2000年九州場所  西序ノ口三十枚目   3勝4敗
2001年初場所   西序ノ口二十三枚目  3勝4敗
2001年春場所   東序ノ口二十枚目   3勝4敗
2001年夏場所   東序二段百二十九枚目 2勝5敗
2001年名古屋場所 東序ノ口十七枚目   3勝4敗
2001年秋場所   東序ノ口十九枚目   2勝5敗
2001年九州場所  西序ノ口二十五枚目  全休
2002年初場所   番付外        全休
2002年3月27日  引退
最高位 序二段129  通算26勝54敗18休
通算出場回数 80  勝率 32.5%
 始めから問題が多くて集団からはちょっと外れた存在です。はじめは体が固くて四股、 仕切もよくできなかったうえ、ひどい怪我で稽古もできない状態がつづいていました。しかし去年からは、著しい努力をしはじめたと認めるべきです。入門時に は太り過ぎだった体もだいぶ均整がとれて来て、いくらか相撲取りらしい体格になりました。今では稽古も熱心にやっているので、希望が出てきました。師匠 は、いちばん頑張っているのは栃谷だとまでいっていました。このことばは、辛いのを最も我慢しているのは栃谷という意味で受けとらなければならないので しょう。自分の成績を見て、勝ち越しにもう一歩という成績といえたのに、本人は口惜しい、頑張りたいとくり返して言っていました。めずらしく英語にも興味 を持っている一人です。
 九州場所以来、一敗差の負け越しが三場所もつづいていて、芽が出るのも間近いのではないかと思わせたのです が、夏場所では二勝五敗、名古屋場所でもまた一敗差の負け越し、秋場所では二勝五敗でした。九州場所以来姿が見えず、2002年3月に引退しました。残念 なことです。長い間の逆境に耐えて、よくやったと言えるでしょう。
 



 

 菊池(きくち)光陽(こうよう)

序二段百四十三枚目
1982年6月28日生
千葉県関宿町出身
1998年春場所入門
177cm 64kg
最高位 序二段143
2000年春場所後引退
 『おかみさん奮闘記』など、数々のテレビ番組に主役となって出ていたことを、おぼえ ているファンが多いようです。新弟子検査のときには、規定の75キロには10キロ以上も足りなかったので、みんなで大騒ぎして食べろ食べろといい、当日は パンツの中におもりを入れた上、計量の直前まで水をがぶがぶ飲んで、やっとのことで合格したという逸話の主人公です。
 軽量にもかかわらず、稽古にはげんで、技で軽さをカバーしようという努力を重ね、かなりのところまで行っていたのですが、やはり体重が圧倒的に足りないというハンディーには勝てませんでした。
 
 



 

 霧鉄(きりてつ)悟

序二段百五十二枚目
本名 本間 悟
1982年7月21日生
愛知県出身
1998年夏場所入門
179cm  85 kg
通算 10勝11敗7休
最高位 序二段
1999年春場所後引退

 



 
 

 新保(にいぼ)智一

序ノ口三枚目
1984年3月19日生  名古屋市瑞穂区出身
1999年春場所入門
183cm 110kg  秋場所成績 休場
最高位 序ノ口3  通算15勝34敗7休
通算出場回数 56  勝率 30.6%
2000年秋場所後引退
 部屋では最年少で、三月に16才になったばかりでした。はじめのうちは未熟な肥満児 だったのが、30キロも減って均整がとれ、相撲の世界でやっていくには努力が必要だということもわかってきて、精神的にも成長してきました。自然であけっ ぴろげの、ごくふつうの少年で、大きな体にめぐまれていても、元来、闘うということにはあまり向いていなかったのです。2000年秋場所後、引退しまし た。


(右は新保の引退直前の写真)









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霧鈴木
(きりすずき)伸洋
序ノ口八枚目
本名 鈴木伸洋
1983年6月27日生
愛知県豊橋市出身
1999年春場所入門
173cm 112kg
最高位 序ノ口8
2000年初場所後引退
 体重は十分だったのですが、怪我をしやすく、はじめからハンディーだらけで悩んでいました。序ノ口の上位までは行ったのですが、怪我で連敗や休場が重なり、番付外に落ちてしまい、ついに脱落しました。
 



 
 

 小林(こばやし)大輔

序ノ口三十六枚目
1983年11月4日生
福島県出身
174cm 91kg
2000年春場所入門
2000年秋場所後引退
通算1勝3敗11休










 
 

 山路(やまじ)康高

序ノ口四十三枚目
1981年2月8日生
鹿児島県出身
179cm 75kg
2000年春場所入門
同場所後引退









 

 大川(おおかわ)功

序ノ口四十七枚目
1981年10月8日生
和歌山県出身
178kg 117kg
1998年夏場所入門
名古屋場所で3勝4敗
その後引退








 
 

 長山(ながやま)淳一

序ノ口四十七枚目
1982年6月27日生
鹿児島県出身
173cm 98kg
1998年名古屋場所入門
通算 1勝13敗7休
1998年末引退








 
 

アルトゥグ・ドゥラル  (Altug DURAL)

研修生
通称 アル タナカ 
1980年1月1日生
トルコ国アンタリア出身
172cm 123kg
2000年12月、研修生として陸奥部屋に入る
2001年2月、辞任
 アルは祖国トルコで重量挙げをやっていた頑丈な青年です。力は強く、着いたばかり に、ちゃんこ場で他の弟子たちを押し出す強さでみんなを驚かせました。また、腕立て伏せにも強く、あまり強いので連続二百回やってみろといわれたほどでし た。ただし、体の柔軟さが足りないので、始めは股割りなどはいかにも辛そうでした。四股を何度も何度もやらされるのはどうしてなのかわからなかったらし く、筋肉痛で苦しんでいました。腕の力だけでは相撲はとれないということが、間もなく分かって来たようです。
 しかし、アルが相撲をやめたのは、そのようなことのためではありませんでした。やる気は十分あり、すべてチャ レンジしなければならないということはよく承知していたようです。問題はまったく別のところにあったのです。行き違い、誤解が次から次へと起りました。日 本では、特に相撲の世界では、すべてみんなと同じようにしなければいけないのです。
 最初に起った問題は食べ物のことでした。アルは始めはちゃんこが食べられず、近くのマクドナルドへ行っていま した。陸奥部屋のちゃんこは飛び切り上等で、おいしいはずなのに、それよりハンバーガーの方がいいということは、だれにもわかってもらえませんでした。そ れでも、努力の結果、ちゃんこにも慣れてきたのですが、海老類その他の海産物は、トルコでは食べる習慣がなかったので、どうしても受け付けられませんでし た。
 日本語も、多少は習ったのですが、日常の諸問題を解決するのには役に立ちませんでした。しかし、単なる言語の問題よりも、文化のちがいの問題が、越えられない溝になったのです。
 アルは、哲学を大学でやっていた、一種の思想家で、落ちついた態度で、なんでも上っ面から見ないでものごとの 本質を考える性分で、理解できないことに対して「理屈抜きで盲目的に従う」ということは難しかったようです。自分なりのテンポで生きて行く人間でした。外 から相撲の世界に入って来ると、すべて驚くことばかりで、他の人と同じように機敏にやっていくことは不可能でした。ところが、それは呑気ととられてしまっ たのです。こういったことは、相撲の世界では通用しません。(これは日本全体についてもいえることかもしれません。)他の人と自分は違うのだと感じさせる ようなことは許されません。ところが、アルの場合は、一目しぐさを見るだけで実際に違うということがわかってしまいます。いったいどうしたらいいのか、そ れは誰にもわかってもらえなかったでしょう。目下の立場にある人間は、反応が速くなければいけないし、序列を尊重し、言われたことはなんでも即座にやりと げなければならない…これは、日本人にはそれほどの問題にならないことですが、外国からやって来た場合には、相手が何を言っているのか、どう考えているの か、何をしてほしいのか、まるで見当がつかないのですから、一つ一つのことが拡大されて映り、最終的には、疎外されている、さらには軽蔑されているという 深い意識となってしまうのです。(まわりの人たちが比較的寛大な場合でも、問題の本質は変りません。)
 もし、アルが兵役についた経験があり、軍隊の規律を体験したことがあったとすれば、きっと我慢できたことで しょう。ところがアルは地中海の周辺諸国の人にはよくあるように、のんびりした、気の優しいところがあり、恵まれた環境で苦労を知らない育ちです。頭の回 転は遅くなくても、どんなことにも即座に反応する日本人とは比べ物になりません。最終的には、アルにとってはそれはストレスの連続であり、屈辱の日々に なってしまったわけです。ところが、回りの人たちから見れば、すべて大目に見てやっているのに、どこがいけないのか、全く理解に苦しむ状況だったのです。 このような相互理解不在の現象は、異文化間のコミュニケーションの問題として、考えさせられてしまうことです。
  この悪循環の結果として、アルはついにだめになり、国に帰ることを衝動的に決めてしまいました。自分の相撲部屋での体験も苦い思い出だったと思い込んでし まったのです。これらのことは一種の宿命のようなもので、仲間たちにはなんの悪気もなかったのだということがわかるまで、数か月もかかりました。今では、 その頃のことがずっとよく理解できるようになり、なつかしい思い出だったと言っています。
 その後、アルは大学に戻り、重量挙げも再開しました。スペイン語を習いはじめ、いつか星誕期、星安出寿に巡り会うことがあれば、日本でかれらの経験した問題がどんなものだったか、今ではわかるようになったので、ゆっくり語り合いたいと言っています。
 相撲の世界に入って来たトルコ人は、アルが初めてでしょう。アルは、この体験を通じて得た人生の銘として、次 のように言っています。 Not what it should be, Not what it might be, But what is...  (ものごとは、こうであるべきだとか、または、もしこうだったらいいとか、考えるべきではない。ただひたすら現実に生きるべきである。)
 
 
 



 

 倉橋 潔史(くらはし きよし)

ドライバー兼秘書
大阪府出身
2000年夏辞職
 陸奥親方の行くところへは、ほとんどの場合ついてまわり、呼ばれればただちに駆けつけます。私設付け人のようなもので、外部の人には相手になりませんが、親方のこととなるといつでもそこにいるといった感じです。
 







 



 
 
 
 

 播谷 俊幸 (ハリヤ・トシユキ)

番付外(引退)
1983年4月30日生 茨城県土浦市出身
2004年夏場所入門 4月27日新弟子検査合格 5月9日発表
179cm 92.5kg  

2004年名古屋場所 西序ノ口四十二枚目  3勝4敗
2004年秋場所   西序ノ口三十二枚目  4勝3敗
2004年九州場所  東序二段百十六枚目  1勝6敗
2005年初場所   東序ノ口二十二枚目  2勝5敗
2005年春場所   西序ノ口二十四枚目  3勝4敗
2005年夏場所   東序二段百三十枚目  1勝6敗
2005年名古屋場所 西序ノ口十八枚目   1勝0敗6休
2005年秋場所   西序ノ口三十二枚目  3勝4敗
2005年九州場所  西序ノ口二十枚目   4勝3敗
2006年初場所   東序二段百十三枚目  2勝5敗
2006年春場所   西序ノ口九枚目    休場
2006年夏場所   番付外
2006年名古屋場所 番付外
2006年秋場所   番付外
2006年九州場所  番付外
2007年初場所   番付外
2007年春場所   番付外
2007年夏場所   番付外  
2007年名古屋場所 番付外
2007年秋場所   番付外

最高位 序二段113  通算24勝40敗13休
通算出場回数 64 勝率 37.5%
 

 21才で、2004年夏場所で前相撲に合格しました。筋肉質な性質は持っています が、凄く軽量な人で、デリケートに寂しそうな表情を見ると、なかなかこの環境には慣れがたい感じがします。これから、もうちょっと自信が出れば、ものも変 わるでしょうから、気を落とさないでほしいです。
 七月場所には、病気で休場でした。
 九州場所では一年ぶりの勝越しです。
 2006年初場所の番付では、自己最高位です。残念なことに、三月には、病気と怪我のために、春場所に休場することになりました。その結果、夏場所からは番付外になってしまいました。
 長い病気で休場の後、引退がとうとう2007年9月26日に発表されました。
 
 

 前山 彰吾 (まえやま・しょうご)

西序ノ口三十四枚目 (引退)
1988年12月5日生 鹿児島県鹿児島市出身
2006年春場所入門 (一番出世)
189cm 112kg  
  
2006年夏場所   西序ノ口十五枚目   4勝3敗
2006年名古屋場所 東序二段百八枚目   6勝1敗
2006年秋場所   西序二段二十八枚目  2勝5敗
2006年九州場所  西序二段五十六枚目  4勝3敗
2007年初場所   東序二段三十二枚目  1勝6敗
2007年春場所   西序二段七十三枚目  5勝2敗
2007年夏場所   西序二段三十四枚目  休場
2007年名古屋場所 西序二段百四枚目   休場
2007年秋場所   西序ノ口三十四枚目  休場

最高位 序二段28  通算22勝20敗7休
通算出場回数 42 勝率 52.4%
 

 去年の春場所に前相撲を行って、一番出世で合格になった新弟子です。稽古のやり方を見れば、意志も力も強そうな人です。名古屋場所には6勝1敗もあげました。
 三場所目で序二段二十八枚目まで上がるのはお見事です。ただ昇進があまりにも早すぎて一度に厳しくなり過ぎたでしょう。
 残念ながら、三場所ばかりの休場の後で、引退が9月26日に発表されました。やる気を見せて、上へ上がる見込 みも大分あった人ですから、こんなに速く辞めたということは非常に残念と思えるほかなりません。陸奥部屋には大した損失でしょう。他の分野で同じように頑 張って成功して下さい。






 

岩永 二篤 (いわなが・かずま)

番付外
1989年6月20日生 宮崎県出身
2005年春場所入門 
174cm 108kg  
2005年夏場所   西序ノ口四十六枚目  0勝7敗
2005年名古屋場所 東序ノ口四十八枚目  2勝5敗
2005年秋場所   東序ノ口三十六枚目  1勝6敗
2005年九州場所  西序ノ口三十枚目   2勝5敗
2006年初場所   東序ノ口二十八枚目  1勝6敗
2006年春場所   東序ノ口二十七枚目  2勝5敗
2006年夏場所   東序ノ口七枚目    2勝5敗
2006年名古屋場所 西序ノ口二十三枚目  3勝4敗
2006年秋場所   東序ノ口二十四枚目  2勝5敗
2006年九州場所  西序ノ口二十五枚目  2勝5敗
2007年初場所   東序ノ口二十二枚目  2勝5敗
2007年春場所   西序ノ口二十二枚目  1勝6敗
2007年夏場所   東序ノ口六枚目    0勝7敗
2007年名古屋場所 西序ノ口四十枚目   3勝4敗
2007年秋場所   東序ノ口二十九枚目  4勝3敗
2007年九州場所  東序二段百十六枚目  1勝6敗
2008年初場所   西序ノ口十七枚目   3勝4敗
2008年春場所   東序ノ口九枚目    0勝7敗 
2008年夏場所   東序ノ口四十一枚目  休場 
2008年名古屋場所 番付外   

最高位 序二段116  通算31勝95敗7休
通算出場回数 126 勝率 24.6%
 

平成20年名古屋場所後引退

 始めの場所は完敗してしまいましたけれども、諦めず、名古屋場所ではどうにか最初の 2勝を飾りました。九州場所にも2勝も出しました。がんばって下さい! 2006年初場所の番付でも、春場所の番付でも、自己最高位になります。成績があ まりよくないのに、がんばっています。
 2006年名古屋場所では、初の3勝4敗という成績です。勝越しまでならないですけれども、ある程度の進行が見えます。
 やっと2007秋場所、2年半もかかった初の勝越ができました!おめでとうございます。
 夏場所前に出稽古で首(喉)の骨を骨折して場所で休場になって、名古屋場所で番付外になりました。お相撲さん のような体質や性格ではなさそうな子だけに、よくがんばったと言えます。こんな重怪我ではとても可哀想な感じがしてなりません。7月現在では、まだリハビ リのまま、引退しました。引退は名古屋場所後に発表されました。
 仲間によると、まだサポーターをつけていますけれども、怪我は少しずつ治っているそうです。
   どうにか、お大事に!and GOOD LUCK !




阿部 健一郎 (あべ・けんいちろう) 

東序ノ口七枚目
前相撲(2勝1敗)
1989年5月23日生 宮崎県新富町出身
2008年春場所入門(第二検査) 二番出世
169cm 116kg 
 
2008年夏場所   東序ノ口二十二枚目   5勝2敗
2008年名古屋場所 西序二段九十九枚目   1勝4敗2休 (4敗中、1敗は不戦敗)  
2008年秋場所   東序ノ口七枚目     休場

最高位 序二段99 通算6勝5敗3休
通算出場回数 11    勝率 54.5%
 

 感じのいい、ちょっとシャイな人。部屋の生活にはまだ慣れないので、大変のようです。夏場所にはこんないい成績だったのに、名古屋には番付をあげ過ぎて、大変なことになってしまいました。ストレスを我慢できず、引退してしまったのです。残念に。

2008年10月1日 引退発表


 


 東 勇磨 (ひがし・ゆうま) 改め霧東 (きりあずま)

番付外 (引退)
1991年12月26日生 熊本県熊本市出身
2007年春場所入門
171cm 130kg 
  
2007年夏場所   東序ノ口四十二枚目   休場
2007年名古屋場所 番付外
2007年秋場所   番付外

 場所に姿を一度も見せないで辞めた人で、引退は9月26日に発表されました。

 


奥貫 貴喜 (おくぬき・たかよし)

番付外  (引退)
1991年9月29日生 千葉県千葉市出身
2007年春場所入門
182cm 124kg 
  
2007年夏場所   西序ノ口三十二枚目   休場 
2007年名古屋場所 番付外
2007年秋場所   番付外

引退は2007年11月28日に発表されました。
 


式守 将  (しょう)

行司

本名 吉崎将真
1994年5月7日生 
2010年名古屋場所入門
 
 

   (引退)(2010年秋場所)
















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